第69話 敗者の美学
「ぐぬぬぬぬっ……」
「……、……」
炎帝の口から、声が漏れ出す。
今まで以上の力を振り絞ろうとしているようで、紅潮した顔が、さらにどす黒く変化していく。
ただ、それでも、アイラの優勢は揺るがない。
細く小さなアイラの身体が、ついに、巨体の炎帝をひざまずかせる。
「くくっ……」
「……、……」
力勝負の結果は、第三者の俺の目にも明白だ。
あとは、いつ、炎帝が負けを認めるかだけだ。
なあ……、暗黒オーブ?
緊縛呪をこれでも撃つか?
俺は、正直、もう緊縛呪は撃ちたくない。
プライドと全身全霊を懸けた勝負に敗れそうな相手に、これ以上の辱めを与えたくないから……。
炎帝が今までどんな所業をしてきたか、俺にはよく分からない。
ジンに対してのことだって、炎帝が言っていたように本意ではなかったと信じられるような気がするしな。
大体、裏切りのオーブを使ってロマーリア王国に策謀を仕掛けたりする男かなあ……、炎帝って。
そんな奴が、こんな真っ向勝負を受けたりするだろうか?
まあ、アイラを見くびって受けたのかも知れないし、俺が思ったように、炎帝自身に自信もあったのかも知れない。
だけどさ……。
アリストスから報告があったはずだから、アイラの武勇だって知っているはずなんだ。
少なくとも、バロール一家の二十六人を一人で倒したことは知っているはずだよな。
だとしたら、裏切りのオーブとアリストスを裏から操るような卑怯者が、真っ向勝負を受けるとは俺には思えないんだ。
何かさ……。
俺は、アリストスに裏切りのオーブを渡した奴は、炎帝じゃないような気がする。
根拠は弱いけど、炎帝の気質が、そう言うタイプには思えないから。
暗黒オーブからは、何のいらえもない。
ただ、俺の気持ちが分かるのか、緊縛呪の漆黒の球は、一向に発射されはしなかった。
「あ、アイラっ!」
ヘレンの声が響く。
見ると、エイミアとヘレンが、ジーンと一緒に武闘殿に入って来ていた。
ジーンは、炎帝の軍勢の始末がついたので、ヘレンに報告に行ったのだろう。
それで、三人ともアイラと炎帝の勝負を見に来たに違いない。
「へ……、ヘレン。あ……、あれを見て」
エイミアが俺の方を指さす。
二人は、緊縛呪の球が俺の頭上にあることに気がついたようだ。
ジーンも驚いたような表情で俺を見る。
「お、俺の負けだ……」
唐突に、炎帝が声を上げた。
力が抜けたのか、アイラに押し倒される。
荒い息をしながら両手を振り解き、そのまま大の字になる炎帝……。
その姿は、あとはどうとでもしてくれと言っているように見える。
「おまえ、勝負の途中から、段々力が抜けていったな」
アイラが、いぶかしげな顔をしながら、炎帝に尋ねる。
力が抜ける……?
じゃあ、アイラが自力で競り勝ったんじゃないのか?
「俺は全力で勝負していたさ、ずっとな」
「……、……」
「だが、確かに、おまえが言うように、力が抜けていくのを感じた」
「……、……」
「その、小手のせいじゃないのか? 俺は、炎のオーブの効果で、力が増しているんだ。それを小手に吸い取られたんじゃないかと思う」
「……、……」
「しかし、おまえの小手は魔力を吸い取るだけで、おまえ自身にはそれを還元していないんだろう?」
「ああ……」
「それなら、やはり俺の完敗だ。おまえはまったくオーブの力に頼ってはいないのだからな」
「……、……」
炎帝はそう言うと、ニヤリと笑って、身体を起こす。
それを、黙って見下ろすアイラ……。
「おまえがアイラだな? ジェラルドの娘だそうだな」
「ああ……」
「強いな、やはり……。あの親にしてこの娘ありってところか」
「父さんを知っているのか?」
「ああ……。二度ほど立ち合ったことがある」
「いつだ?」
「六年前と、去年だ」
「去年?」
「相変わらず、聖剣を捜していると言っていた」
「そうか……」
「立ち合いは二度とも完敗だったよ。炎撃を、拳で貫いてかき消すんだからな、おまえの親父は……。まったく、何て親子だよ。炎撃が効かないなんてさ」
「……、……」
炎帝は、ぼやきながらも、表情は晴れやかだった。
負けても清々しいのか、悔しそうな素振りはまったくない。
「んっ? ヘレン……。来ていたのか」
「最後だけ見ていたわ」
「……で、これからどうする? 炎帝はすっかり降伏しちまったんだけど」
「……、……」
「あたしにはどうして良いか分からない。悪いけど、あとはヘレンが話をしてくれよ」
「分かったわ。とりあえず、お疲れさま……」
ヘレンは、アイラの肩を軽く叩くとうなずいて、炎帝の前にひざまずいた。
「お初にお目にかかります……、テイカー閣下。ヘレンと申します」
「うむ……」
「アイラから指名されましたので、以後は私がお話しをさせていただきます」
「俺は負けた。だから、俺自身は何でも受け入れる覚悟があるぞ」
「さすがは、テイカー閣下でございます。潔い覚悟に、感服いたしました」
「ふふっ……。負ければすべて失うのが勝負の掟。それを違えるほど、俺は堕ちてはいない」
「……、……」
「俺の軍勢はどうなっている? 何の声も聞こえないところをみると、全滅か?」
「はい……。緊縛呪にて、身動き出来なくなっております」
「三百弱いるはずだが、全員か?」
「はい……、そのように報告が参っております」
「そうか……、宿舎にいる幹部も、俺が見に行ったら全滅していた。暗黒オーブってのは凄いな。俺は拳より小さい緊縛呪を防ぐのでやっとだったが、それを何百と撃てるのだろう?」
「……、……」
「アリストスの報告では、ヘレン、その方が使い手と言うことらしいが、そうなのか?」
「……、……」
「ふふっ……、言えぬのか。何か事情があるのだろうな」
押し黙るヘレンに、炎帝はニヤリと笑いかける。
だが、それ以上、炎帝は暗黒オーブについて尋ねようとはしなかった。
ヘレンも、言葉遣いは丁寧だが、気持ちは一歩も引くつもりはないのか、炎帝の目を真っ直ぐに見つめている。
「もう一つ聞いてもいいか」
「何でございましょう?」
「答えたくなければそれでも構わぬがな」
「……、……」
「此度の策略を考えたのは、おまえか?」
「……、……」
「俺には、そうとしか思えないのだが……」
「はい……、私が考え、諸方に協力を頼みました」
「そうか……。では、馬車には他の者が乗っていたのだな?」
「はい……。きっと、テイカー閣下は手を打たれると思いましたので」
「くっくっく……。すっかり騙されたぞ、その方の策略にな」
「……、……」
「見事であった。敵ながら天晴れであったぞ」
「お褒めの言葉……、恐縮でございます」
炎帝は、屈託なく笑った。
ヘレンはそれを、表情を変えずに見守っている。
「それで……。どうしたい、ヘレン?」
「……、……」
「おまえ達は勝ったのだ。何でも望みを言うが良い」
「……、……」
「俺は受け入れるつもりだぞ」
「……、……」
「まあ、一つだけ拒むことがあるとすれば、それは、俺の領民に関わることだけだ」
「……、……」
「俺は、統治者として、奴等を護ることだけは放棄出来ない。それだけは、命を失っても全うするぞ」
「……、……」
「さあ、望みを言え。受け入れられなければ、俺の命で代償とするだけのことだ」
「……、……」
「それとも、最初から俺の命が望みか……?」
「……、……」
押し黙るヘレンに、炎帝は重ねて尋ねた。
ヘレンが、何を考えて沈黙しているのか、俺には分からない。
ただ、ヘレンの目差しは、決して迷っている者のそれではなかった。
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