第7話 いるべき世界

「……、……」

「……、ん?」

 何処だ、ここは……?


 俺は、ベッドに寝ている。

 白い、高い天井が見える。

 寝た姿勢のまま周囲を見回すと、白い無機質な壁と、白い格子窓の付いたドアが見えた。


 ここは、個室のようだ。

 窓からは太陽の光が入っては来るが、ここも格子窓になっている。

 それに、窓はかなり高い位置に、一箇所だけ付いているだけだった。


 ベットから身体を起こす。

 この動作をしたことで、俺は人間の身体になっていることを実感した。


 ベットに座ると、もう一度辺りを見回した。


 奇妙な部屋だ。

 サイドテーブル以外何もないのに、衝立で囲った便器のようなものがある。


 刑務所……?

 そう思ったが、ちょっと違うようだ。

 大体、刑務所にベットなんて置いてないだろうし、採光が良く、清潔な感じがするから……。


 そう言えば、消毒液っぽい臭いがする。

 そうか……、ここは病院か。

 なるほど、道理で空調が効いているわけだ。


 病院にいる……。

 これが俺の出した結論だった。





 俺は帰って来てしまったのか。

 この、わずらわしい人間の身体で存在した世界に……。


「あっちの方が良かったのにな」

俺は独り呟く。


 あの時……。

 バロールがエイミアに闇の中で手を伸ばしたとき……。

 俺は、何故バロールに襲いかかったのだろう?


 人間のときの俺は、抗うことを一切しなかった。

 どんな理不尽にも、避けたり逃げたりはしても、抗ってみたことはなかったのに。

 我が身に降る暴力なんてものは、抗うことでは何の解決にもならないと、ずっと思ってきたのに。

 どうして猫のときの俺は、自然と抗えたのだろう?


 そうか……。

 あれは、エイミアを護るためだからか。

 猫の俺は、エイミアにすべてを委ねる存在だった。

 そう……、エイミアは、俺にとって大事な人だったからだ。


 ここまで考えると、俺は思わず苦笑を漏らした。

 この人間の身体は御大層だが、護るべきものが何もないことに気がついたからだ。

 この世界には、俺の居場所もないしな。





 ふと気付くと、サイドテーブルの上には、宛名のない封書が置かれていた。

 封は、まだ開いていない。

 封書の裏側を見ると、美麗な楷書で、

「早苗」

と、だけ書いてあった。


 早苗が何故、手紙なんか?

 宛名がないと言うことは、早苗自身が持ってきたものだろう。


 訝しい気持ちはあったが、俺は封書を開けた。

 この世界で唯一、俺が護るべき存在になるはずだった早苗の手紙を……、読み始めた。


「 義彦さん

 これはあなたに書いた手紙ですが、読んではもらえないかもしれませんね。

 私があなたに別れを告げた直後から、あなたは病んでしまいましたから……。


 原因は、私があなたを信じなかったからでしょうか?

 それとも、冤罪をかけられて、絶望してしまったからでしょうか?

 両方かも知れませんね。

 ごめんなさい……。

 あなたは何も悪くなかった。

 あなたは真実だけを言っていたのに……。


 先週、バスで痴漢を繰り返していた男が捕まりました。

 捕まった男は、スマホでスカートの中を盗撮もしていて、最低の卑劣漢でした。


 その男のスマホから、あなたに痴漢をされたと訴えた女性の画像が出てきて、撮影時間から、あなたが疑われた時に撮られたものだと判明しました。

 そう、あなたは無実です。

 検察も、あなたの起訴を取りやめましたよ。


 でも、もう遅いですよね。

 何もかもが……。


 私は、もう一つ謝らないといけません。

 

 私は、あなたと言う人がありながら、他の男性を好きでした。

 ただ、あなたと結婚すれば、すべて忘れられると思ったのです。

 だから、あなたと結婚を前提に付き合いました。


 でも、あなたに別れを告げたあと、私はその男性と、また深い仲になりました。

 男性には奥様がいるのに……。


 結局、私はあなたをすべて裏切ってきたのかもしれません。

 ごめんなさい……。

 謝って許されることではないですが、私にはそうとしか言えません。


 いつか、あなたの病気が良くなり、この手紙を読めるようになったら、…………


                                     」 


 その先は読めなかった。

 涙が溢れて止まらないのだ。


 俺は何なんだ?

 どうしてこの世界に生まれたんだ?

 何で、戻って来てしまったんだ?


 病気って、これ、精神病ってことだろう?

 魂が抜けたから、抜け殻は、常軌を逸したとでも思われたのか?


 帰れないかな……、あの世界へ。

 エイミアが心配しながら抱いてくれた、あの世界へ。

 定食屋のおばさんがくれるハムを食べて、日だまりでうたた寝をしていた、あの世界へ……。


 涙が滲む目で、俺は窓を見た。

 ふん……、木漏れ日さえ、歪んで見えてしまっている。


「ピシッ……!」

突如、金属が折れるような音が響く。


 ま、まさか……。


 歪みはみるみるうちに拡がり、一条の黒い筋が出来る。

 黒い筋は縦に拡がり、そこから煙のような闇がもれた。


 こ、これは、バロールが操っていた闇……。

 暗黒オーブなのか?


 俺は闇に向かって手を伸ばした。

 闇は、迎えるように俺を暖かく包んでくれた。

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