第6話 救出、……そして
夜の闇は、アイラとエイミアの姿をすっぽりと隠していた。
真夜中の街角には明かりが絶え、この街の誰もが眠りについているかのようだ。
今は月の光さえもなく、静寂が辺りを支配していた。
俺は、窮屈な布袋から首だけを出している。
だが、エイミアがギュッと布袋を抱きしめているので、身体の自由は利かないし、少々、息苦しい。
「あの、二階の角の部屋だろう……」
「ぶ……、ブランさんは、そ……、そう仰ってたわね」
「ああ……。確かに、あの宿屋で明かりが点いているのは、あの部屋だけだ。間違いない」
「へ……、ヘレンもいるのかしら?」
「どうだろう? だが、バロールさえ倒しちまえば、あとの雑魚は何とでもなる」
「……、……」
アイラとエイミアは、ひそひそ声で話している。
エイミアは、あれだけヘレン救出に同行するのを拒んでいたのに、今は決意したのか、アイラと共にバロールの部屋に忍び込むつもりになっている。
ブランは、こんなことを語っていた。
バロールは、一年前まで単なるこそ泥だった。
ある時、金持ちの屋敷に忍び込み、高そうな女神の石像を見つけて盗んだのだそうだ。
しかし、バロールはうっかり石像を石の上に落としてしまい、割れてしまったらしい。
バロールは自身のミスを大いに悔やんだが、ふと割れた石像を見ると、割れ目から、黒く輝く宝石を見つけたのだそうだ。
それが、暗黒オーブだった。
暗黒オーブを身に付けて以来、バロールは魔術を操るようになり、たちまち街や村を支配するようになったと言う。
ちょうど、戦争で屈強な男達がいなかったもの幸いしたらしい。
ブランも、一度はバロールに戦いを挑み、あの緊縛呪に敗れたのだった。
ブランは、
「暗黒オーブには、緊縛呪以外にも、まだ、何か恐ろしい魔術があるようだ」
と言っていた。
しかし、ブランは緊縛呪以外の魔術を見たことがないのだそうだ。
「そうは言っても、ヘレンを助けないわけにはいかない」
「……、……」
「バロールの評判は悪いからな。下手をすると、今晩、ヘレンは襲われるかも知れない」
「まあ……、その可能性がないとは言えんな。バロール様は、少女が泣きわめく様を何よりも好むから」
「ちっ……、変態がっ!」
「……、……」
「何としてでも、今晩中にヘレンを取り戻してやる」
「……、……」
アイラは、ブランの言葉を聞き終えると、右拳で自身の左掌を撃った。
「パチーン」と言う、鮮烈な打撃音が響き渡る。
「そうは言っても、何か策があるのか?」
「策……?」
「ああ……。何も考えずにバロール様と再戦しても、勝ち目はないからな」
「まあ……。策はあることはあるんだが……」
そう言うと、アイラはおもむろにエイミアに向き直った。
「えっ? わ……、私……?」
「悪いが、一緒に来てくれないか?」
「わ……、私が行っても、な……、何も出来ないわ」
「いや……。エイミアじゃないとダメなんだ」
「……、……」
「あたしが魔術で戦闘不能になったら、エイミアが薬を投げて助けて欲しいんだ」
「……、……」
「緊縛呪だけなら、魔術を喰らう直前にシュールの薬を飲めば良いけど、どうも、それ以外にも魔術がありそうだしな」
アイラは、かなり強引な論法でエイミアを説得にかかった。
「な、何で脱いだ靴なんか揃えてるんだよ?」
「ご……、ごめんなさい。つ……、つい、いつもの癖で……」
エイミアは、相変わらず俺の入った布袋をしっかりと抱きしめていた。
片手に俺と各種の薬が入った布袋、もう片手にランプを持っている関係で、靴を持てないのだ。
それで、裏口に靴を置いていくことになったのだが、エイミアはアイラの分までキチンと揃えていた。
「だから言ったじゃないか……。コロは置いてこいって」
「……、……」
「いくらいると落ち着くからって、こんなところに連れて来ることはないだろう?」
「わ……、私、こ……、コロと一緒じゃなきゃ、怖くて……」
泣きそうな顔のエイミアを見て、アイラは呆れたような顔をした。
……って言うか、俺もアイラと同意見だ。
争いに巻き込まれるのは嫌だし、エイミア以上に、猫の俺が足手まといなのは言うまでもない。
ただ、エイミアの気持ちも分かるような気がする。
どんなつまらないものにでも、すがりつきたくなるときってあるよな……。
まあ、こういう気持ちをアイラに分かれって方が無理だろうが。
二人は階段を上り、一番奥の部屋を目指す。
宿屋にいる人々は、すっかり寝静まっているようで、物音一つしない。
「じゃ、行くぞ……」
「……、……」
アイラは奥の部屋の扉に手をかけ、エイミアは黙ってうなずく。
「ギィー……」
少し音を立てて、扉が開く。
扉の正面奥に、後ろ手に縛られたヘレンが座っている。
相変わらず目を瞑っているので、ヘレンが寝ているのか起きているのか分からないが……。
「ふふふ……、来たな」
「何だ、起きて待っていてくれたのか?」
バロールは、部屋の右奥のベットで、座っていた。
先ほどと同様にローブを着ており、ニヤリと笑いながら、入り口にたたずむアイラを見ている。
「その、後ろの娘は何だ、仲間か?」
「そうだよ……。おまえを倒すためのな」
「ブランから聞かなかったのか? 暗黒オーブに選ばれた俺を、倒すことなどできん」
「選ばれた?」
「そうだ。俺はオーブに選ばれたのだ。だから、暗黒魔術を操れるのだ。他の人間がオーブを持っても、クソの役にも立たぬわ」
「……、……」
「オーブは俺を必要とした。そして、俺はそれに応える器だった。幻のオーブは、このバロール様を選んだのだ」
「フン……。単なるこそ泥が随分自信を付けたようだな?」
「ふふふ……、相変わらず、口の減らない小娘だな」
「おまえこそ、余裕をかましてて良いのか? おまえのところまで、数歩しかない。果たして、あたしがおまえを叩きのめす前に、暗黒魔法とやらを唱えきることが出来るのか?」
「ふふふ……、やってみろ、出来るならな」
「じゃあ、お望みとあらば、行くぞっ!」
「ムンっ!」
「な、何ぃっ?」
バロールは、アイラが動く前に、両手を頭上に掲げた。
すると、両手の先から黒い煙が吹き出し、闇が、瞬く内に部屋を覆った。
部屋のもエイミアのも、ランプは点いてはいるが、全く光が拡がっていかない。
「くっ……、み、見えねえっ」
「ふふふ……、このオーブは暗黒オーブだぞ。闇を作り出すくらい造作もないわ」
「くっ、クソっ……」
「おっと、やみくもに拳を振り回したりするなよ。今、俺の前にはヘレンがいるのだからな」
バロールは、ヘレンの後ろから首に手を掛けると、力ずくで嫌がるヘレンを立たせた。
確かに、これではアイラはバロールに撃ちかかることは出来ない。
……って言うか、女の後ろに隠れやがって。
この卑怯者がっ!
アイラは、手で探るようにバロールを探すが、見当違いの方を向いている。
「暗黒精霊の御名に於いて、オーブよ目覚め聞き届けよ……」
「し、しまった……。緊縛呪かっ」
「……、精霊の僕、バロールがここに緊縛の錠を召喚す。現れ来たり、力を示せっ! ムンっ!」
「くっ……」
バロールは、右手を三度振った。
その手から三筋の黒い煙が立ち上り、部屋の闇より濃い、漆黒の球が三つ出来あがった。
漆黒の球は、それぞれ高速で、ヘレン、アイラ、エイミアを襲う。
三人とも、漆黒の球が見えないのか、正面からそれを受けた。
「ぐっ……」
「キャっ……」
「……、……」
漆黒の球は各々に吸収され、アイラとヘレンの身体が、みるみるうちに強張る。
エイミアは怖いのか、ガタガタ震えている。
「ふふふ……、どうした? 武闘家の女。何も出来まい」
「ぐっ……」
「だが、おまえは一番最後だ。緊縛呪を受けても、わずかだが動けるようだからな」
「くくっ……」
バロールは、強張ったヘレンの身体を、ベットの上に放り投げる。
ヘレンは、後ろ手に縛られたままベットの上に倒れた。
「入り口の女……。次はおまえだ」
「い……、いや……」
エイミアは、バロールが何処から襲ってくるか分からないので、恐怖のあまり後ずさりした。
「な、何っ? おまえも動けるのかっ」
「……、……」
「どうなっている? 今まで緊縛呪を喰らって動ける奴なんかいなかったのに、今日だけで二人も……」
「……、……」
エイミアは、なおも後ずさりする。
しかし、緊縛呪が効いているのか、わずかずつしか動かない。
バロールは、慎重にエイミアの側面から近寄ってくる。
忍び足で、一歩……、また一歩……、と。
近くまで来ると、エイミアの首に向かって手を伸ばす……。
今だっ!!
「ギャアっ」
俺は、布袋から這い出ると、バロールの顔を目がけてジャンプする。
そして、顔に張り付くと、思い切り両前足でひっかいてやった。
なめるなよ……。
猫は闇でも見えてるんだよっ!
「むぐっ……」
「ギャっ……」
「目っ……、目が……」
「グルルルル……」
バロールは、俺を払いのけた。
俺は、床に叩き付けられそうになったが、空中で体制を立て直し、綺麗に着地してみせた。
顔を両手で抱え、悶えるバロール……。
すると、突然、部屋の中の闇が晴れた。
「しめたっ!」
アイラの声が響く。
猛然とバロールに突進するアイラ……。
バロールは悶えたまま、まだその動きに気がついていない。
「これでも、喰らえっ!」
叫びざま、アイラは身体を一回転させる。
そして、思い切り振り回した右手の甲が、バロールの腹部を捉えた!
「ボグっ……」
当った瞬間、鈍い音が漏れる。
裏拳の衝撃がバロールの腹を突き抜け、身体が後ろに吹っ飛んだ。
なおもバロールを追いかけるアイラ……。
「……ゲっ、ゲロ」
二つ折りになって吐きながら悶え苦しむバロールの首を、アイラは足で踏みつけにして、おもむろにしゃがみ込んだ。
「これか……」
アイラは、そう呟くと、バロールの首に手を掛けた。
「ブチっ……」
アイラが、何かのヒモを引きちぎる。
「エイミア、これ、頼む……」
アイラは引きちぎったものを、エイミアに投げてよこした。
「えっ?」
不意をつかれたのか、エイミアは、それを受け取り損なった。
ヒモに繋がれた、黒い、ピンポン球くらいの大きさの宝石が床に当たり、少し弾んで転がる。
そして、俺の目の前で勢いを止めた。
これが、暗黒オーブか……。
その名の通り、オニキスのように黒く艶のある宝石だ。
魔力があるようには見えないくらい、ごくごく普通の宝石に見える。
ただ、とても懐かしいような、俺に語りかけているような、妙な気を起こさせる。
俺は、思わず、前足でオーブに触れた。
すると、オーブが鼓動を刻むように、光り出した。
な、何だこれ?
暗黒オーブが、ますます輝きを増す。
驚いて、俺はオーブから飛び退いた。
しかし、暗黒オーブはその輝きを増すばかりだ。
「ニャア……?」
不意に、俺は後ろに引っ張られた。
何か、吸い込まれるような感覚の力で……。
引っ張る方に振り向くと、そこには空間の歪みが視界を覆っていた。
「ピシっ……」
金属が折れるような音がして、歪みの中に一条の光の筋が出来る。
光の筋は縦に拡がり、拡がった部分から鮮やかな銀色の光がもれた。
これは……。
そうだ、俺がこの世界に連れてこられたときと一緒だ。
い、嫌だ……。
俺は、ここから離れたくない。
そう思った瞬間、俺の目の前は銀色に染まった。
視界の端に、驚いたような顔をしているコロの姿が映る。
い、嫌だ……。
もう一度、心の中で叫ぶと、俺は意識を失った。
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