第6話 エピローグ

 朝、目が覚めると、よく知る重みと暖かさを感じた。ゆっくりと起き上がると、布団の上に一匹の白い子猫――ユキが丸くなって気持ちよさそうに小さな寝息を立てていた。

「えっ、ユキ? なんでお前がいるんだよ? 帰ったんじゃないのか? それにどうやってこっちに――」

 眠っているユキに尋ねても仕方がない。ユキを起こさないようにそっとベッドから抜け出し、部屋を見回す。部屋の隅の備え付けのクローゼットがかすかに開いていた。クローゼットに近づき、一呼吸置いてから一気にクローゼットの扉を開ける。

 そこにかっているはずの俺の服はなく、代わりにまた『にゃ世界』の部屋が目に入ってくる。呆然と立ち尽くしていると、

「おはようございます。ヨシヒコ様」

 と、向こう側から声を掛けられる。

「ああ、おはよう」

 俺は条件反射で挨拶を返し、声の主を確かめる。そこには軽く頭を下げて礼をしているロッテンマイニャーがいた。

「あの、ロッテンマイニャーさん。これはどういうことですか?」

「またヨシヒコ様とこちらの世界が繋がっただけですよ。今は私の部屋の扉と繋げております。それにそんにゃに驚くことはにゃいと思いますよ。昨日、ヨシヒコ様自らが、好きにゃときに来てもいい、とおっしゃられていたじゃにゃいですか」

「たしかに、そう言ったけども……」

「ヨシヒコ様がお帰りににゃられた後、ルイーゼ様とニャーロット王妃様がお話をされましてね。日中のヨシヒコ様がお部屋を留守にしておられる間はこちらに、ヨシヒコ様がお部屋におられる夕方から朝の時間はそちらでルイーゼ様は生活するとおっしゃりまして――」

 ユキとまた暮らせるというのは願ってもないことだった。そして、心配事だった大学やバイトで部屋にいない時間のユキのことも解決する。それはあまりにも自分に都合がいいような気がしてならない。

「それは分かった。ただそれでいいのか? 俺からすればありがたすぎる話なんだが……」

「これはルイーゼ様自らが決められ、ニャーロット王妃様もお許しになったことにゃのです。ヨシヒコ様、今後ともにゃがい付き合いににゃりそうですね」

 ロッテンマイニャーは優しく微笑ほほえみみながら答える。

「なあ、ところでクローゼットが入り口になったということはさ……中にあった俺の服とかはどうなった?」

「安心してくださいませ。そちらの管理も万全でございます」

 ニャーロットは奥の部屋から、俺の服の架かったハンガーラックを押してくる。

「必要ににゃった際は私にお申し付けください。こうやってすぐに持って参ります」

 架かっていた服に手を伸ばす。洗濯は欠かしていないが、なんだかより綺麗になっているような気がする。

「なあ、まさか洗濯までしてくれたのか?」

「申し訳ありません。勝手に洗ってしまい、にゃにか問題があったでしょうか?」

「いやいや、助かるよ。洗濯物は溜まりやすいし、まじで助かる。でもさ……洗濯は今後はしなくていい。保管だけお願いするよ」

「どうしてでしょう? ヨシヒコ様」

 ニットのセーターに白以外の毛が大量についている。それをロッテンマイニャーに見せ、顔を見合わせて笑う。

「それは大変申し訳ありませんでした」

 その言葉にはどこか可笑おかしさをごまかそうとする意図が透けて見えた。ロッテンマイニャーとは今後友達になれるかもしれない。

 その後、今日着る分の服を受け取ってから、クローゼットの前に座り、扉越しにロッテンマイニャーと世間話をすることにした。気を遣われながらというのはあるが、ロッテンマイニャーは真面目でお堅いちょっとドジな委員長みたいだなと感じ、そう思うと途端に親近感が沸く。しばらくすると、ベッドで小さな布ずれの音と欠伸あくびをする声が聞こえてくる。

「ユキ、おはよう。こっちおいでー」

 ナァーッ!

 ユキは返事をして嬉しそうに駆け寄ってくる。そして、俺のももから膝にかけて体と頭をこすり付けるようにしてから、膝の上に乗る。その重みが心地よくて、ユキの頭やあごを優しく撫でる。

「本当にお二人はにゃかがよろしいようで――それでは私は私のおつとめに戻らせていただきますね。ルイーゼ様、ヨシヒコ様。失礼します」

 ロッテンマイニャーは頭を下げながら扉を閉めた。それをユキと見送り、しばらくユキとの朝のふれあいの時間を楽しむことにした。

 しばらくするとお腹が空いてきたので、ユキを膝から下ろし立ち上がる。

「ユキー。朝ごはんにしような。ちょっとそのへんで待ってろー」

 ナァー!

 返事を確認してから台所に向かう。自分用には食パンとインスタントコーヒーでいいか……ユキのご飯はユキの届かない上の棚に餌を買って置いている。

 食パンをトースターにセットし、ヤカンを火にかける。今のうちにユキのご飯を用意しよう。そう思い、上の棚を開ける。

 しかし、そこに置いてあるはずの鍋などの調理器具やインスタントラーメンなどの保存食、キャットフードがなく、またしても『にゃ世界』が広がっていた――。

「またか……」

 背伸びをして向こう側を覗くと、見覚えのある頭部が見えた。しかも、何かボリボリ食ってやがる。その猫は食べていたものを急いで飲み込んで、飄々ひょうひょうと話し始める。

「これはこれは、ヨシヒコ様。おはようございます。こんにゃ時間にどうかされましたか?」

「おい、ニャチュワード。お前、今、何を食べてた?」

「にゃ、にゃにを言っておられるのですか? 私はにゃにも食べてなどいませんよ」

「もう一回言うぞ。何を食べてた? 正直に言わないならお前の背信はいしん行為をロッテンマイニャーさんに告げ口するぞ」

「にゃにを物騒にゃことを申しますか? 背信なんてことは私ニャチュワードには絶対にありえにゃいことです」

「ほーん。なあ、お前が今食べてたキャットフードはな、ユキ――いや、ルイーゼ様の大切な食事だったんだが、それでも背信行為ではないと? わかった、わかった。そのことをロッテンマイニャーさんに一度相談させて貰うよ」

 ニャチュワードは「ぬぬぬ……」と困ったような声を上げる。

「それは大変失礼しました。どうしてもそちらの食べ物の味が忘れられず――」

 ニャチュワードは悔しさを噛み締めたような声で謝ってくる。

「まあ、初犯だしな――」

「お許しくださるのですか?」

「おい、誰も許すなんて言ってねーぞ。焦るな、焦るな。これから一分だけ時間をやる。それで、食べた分はしょうがないから、他の全てを元通りにしろ。そうしなければ、尾ひれを付けて問題にしてやるからな。扉を閉めてきっかり一分でなんとかしろよな」

「そ、そんにゃ……ところで、こんにゃときにあれにゃんですが尾ひれとはにゃんの尾ひれにゃんですか?」

 袖の下を知っていたのに、尾ひれを付けるは知らないのかと心の中でツッコミを入れるも今はそんなことで時間を使っている暇はない。

「この期に及んでまだ無駄口を叩けるとは、すごい余裕だな」

「いえいえ、めっそうもにゃい」

「ふーん……じゃ、スタート!」

 上の棚の扉を閉める。そして、近くにあったキッチンタイマーを一分にセットにして起動させる。その間に、カップを用意して、インスタントコーヒーの粉末を入れる。そこに、火にかけていたヤカンからお湯を注ぐ。粉末をスプーンで混ぜて溶かし、一口すすったところでタイマーが鳴り始める。一分とは早いものだ。

 実際、ニャチュワードを少しだけらしめたいだけなので、きっかり一分でどうこうしようと思っていなかった。だから、もう少しだけ待ってやろう。

 そして、五分後くらいに上の棚を開けた。キャットフードの分量は目に見えて減っていた上に、猫用のおやつもくすねられていた。これだけを全部一人で食べやがったのかと呆れを通り越して感心すらした。今度からは特に食べ物をしまう場所にも気をつけようと心に決めた。

 そして、無事ユキのご飯も用意することができ、並んで座って朝ごはんを食べる。いつもの一日の始まりだ。これから先もずっとこうして暮らしていくとすればこんな幸せなことはない。




 これは一匹の子猫と出会い、猫の協力者という名の下僕げぼくになった男の物語だ。そして、その物語はこれから先もまだまだ続く――――。

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