第3話 父と娘は種族を超えて

 廊下を五分ほど歩いたところでニャチュワードがある扉の前で立ち止まる。

「ヨシヒコ様。あにゃた様の部屋はこちらでございます」

 ニャチュワードが扉の脇で小さく頭を下げながら伝えてくる。目の前の両開きの扉が自分の部屋に繋がっているなんて全く意味が分からない。しかし、意味が分からないこと尽くめなので今さら一つや二つ意味が分からないことが増えても関係ないように思えた。両開きの扉に手を掛けて一気に引く。

 しかし、右側の扉しか開かず、いつもの玄関と手狭ないつものワンルームが目の前に現れる。部屋の奥に見える窓からは隣のアパートとの塀が見え、差し込む夕日がかげり出していた。足を一歩踏み入れると、いつものようにユキがお出迎えに走ってきて、足元にまとわりついてくる。いつものことながら可愛いことこの上ない。しかし、扉の後ろに見える景色が違うことに明らかな警戒感を示しだす。尻尾を逆立てて、じわりと部屋の奥の方に後ずさりする。それも仕方ないと思いながら後ろを振り向くと、扉の向こう側からニャチュワードが顔を出していた。

「お久しぶりでございます。ルイーゼ様」

 ニャチュワードが深々と頭を下げる。そして、一歩部屋に足を踏み入れると普通の成猫せいびょうの大きさに体の大きさが縮む。自分のときは分からなかったが、扉の向こう側とこちら側で世界がゆがみ、そこに適した大きさになるのだろう。そう考えないと、普通の人間の俺が猫の暮らす屋敷に立ったまま入るなんてできなかっただろう。

 ニャチュワードは四足歩行でユキに近づき立ち止まり、

 ニャー、ニャムニャム、ニャー

 と、ユキに何か話しているかのような鳴き声を上げる。

「ちょっと待て、お前さっきまで普通に喋ってたのにどうしたよ?」

 ニャチュワードはこっちを見上げ、物分りの悪い人だと言わんばかりの表情を浮かべ、ため息をついた。それがなんとも腹立たしい。

 ニャチュワードは引き返し、扉の外の廊下に戻り、すくっと立ち上がる。そして、振り向いてドヤ顔で言うのである。

「まだお分かりになりませんか? こういうことでございますよ」

「いやいやいや。どういうことだよ?」

「扉のこちらは我々猫がおさめる猫だけの国にございます。そちらのヨシヒコ様たちが暮らしている世界とは根本的に違うのです」

「ということは、そっちは俺から見ると異世界……ってことなのか?」

「はい。『にゃ世界』でございます」

「お前、今、わざと異世界を『にゃ世界』と言っただろ?」

「申し訳ありません。きょうが過ぎました」

 悪びれる様子もなくわざとらしく大きめに頭を下げる。それがまた腹立たしい。一旦このうざったい執事猫は置いといて、話せるならユキから直接話を聞いてみたいと思った。そのためには、今、警戒心マックスでニャチュワードをにらみつけているユキをなんとかして、扉の向こう側に連れて行かなければならない。

「ユキ、おいでー」

 膝をついて手を広げ、できるだけ優しい声でユキに話しかける。ユキはとんっとジャンプして、腕に飛び込んでくる。ユキを優しく抱え、立ち上がる。腕の中のユキは牙を向いて、ニュチュワードを威嚇いかくする。しかし、俺が扉の方に歩き始めるとユキの反応は一変する。腕の中で暴れだしたのだ。肩口から飛び降りようと必死で抵抗するユキを抱えたまま、扉を出ると重みが増し、ユキが小柄な幼稚園児くらいの大きさになる。そして、ユキの声が聞こえ始める。

「やぁーだぁーっ! そっち行きたくないー! ヨシヒコのところにいるのー! やぁーだぁー! はにゃして、ヨシヒコー」

 ユキの嫌がる本気度が伝わる。でも、どうしてそんなに嫌がるのだろうか? こちらには本当の両親もいて、ニャチュワードたち、ここにいる猫たちはユキに対しては嫌なことはしないだろう。むしろ、大事に大事に見守られるだろう。

「ユキ、落ち着いて。どうして、そんなに嫌がるんだ?」

「こっちは楽しくないし、ご飯おいしくにゃいからやぁーだぁー! ヨシヒコと一緒がいいのー!」

 そう言われるのは、まだ浅い付き合いだが飼い主冥利に尽きるというものだ。

「わかった、わかったから。とにかく落ち着いて、ユキ。あとでお前の好きな煮干やるから」

 ユキの背中をポンポンと優しく叩く。少しずつ落ち着いていくユキと、その光景をただ黙って見続けるニャチュワード――その前にさっき煮干って言葉に反応して、ジュルって音立てたよな? ニャチュワードの視線がなんかいろんな意味で不気味だ。

 しばらくすると、ユキが落ち着きを取り戻し、腕の中で大人しくなる。そして、ニャチュワードを見下ろしながら、いっーと嫌悪感を再度示す。

「ルイーゼ様、ヨシヒコ様。落ち着いたようでにゃによりです。それでは、これよりニャウレリウス三世様に謁見えっけんしてもらいたく思います」

「いーやーだー! 会いたくないー!」

「わがままを言わないでください。ルイーゼ様」

「ルイーゼにゃんて知らない! ユキはユキだもん!」

「そんにゃことを言わにゃいでください……」

 ニャチュワードは困ったような声を上げる。そして、ちらっ、ちらっとこちらに助け舟を出せと言わんばかりの目線を送ってくる。都合がいいときだけこっちを利用しようとするニャチュワードの態度にイラっとする。個人的にはユキのがわに付きたいのだが、話を聞いてみないことには状況も分からないし、どうすればいいかもわからない。ここは渋々だがニャチュワードに助け舟を出すことにした。

「ユキ。会うだけならいいんじゃないかな? 俺はちょっと会ってみたいかな。ユキが嫌なら隠れててもいいし、このまま部屋にもっていてもいい」

「うぅ……ヨシヒコが会いたいにゃら……。でも、ユキは付いて行くだけだからね。あんにゃやつと喋りたくにゃいもん」

 それを聞いて、俺とニャチュワードは目を合わせ、ほっと一つため息をつく。なぜユキは実の父親に対して、こんなにも嫌悪感を示すのだろうか? 父親が嫌いになる女の子特有の反抗期なのだろうか? そんなことを考えながら、ニャチュワードの先導で、ユキを抱えたまま付いて行く。

 しばらくすると一際ひときわ立派な扉の前にやってきて、ニャチュワードが俺に立ち止まって待つように言い、扉の横に立っている二匹の屈強そうな猫に何やら小声で話し始める。話が終わるとニャチュワードが向き直る。

「それではルイーゼ様、ヨシヒコ様。参りましょう」

 ニャチュワードがそう言うと、扉の脇の猫が扉を押し開ける。重そうな音を立てて扉は開き、ニャチュワードの後に続いて中に入った。中は広い空間で奥の一段高いところに王座があった。王座と表現したが、実際は台の上に柔らかそうなクッションのようなものが置かれ、その上に鎮座ちんざしている貫禄かんろくのある猫がいて――とりあえずは、王様猫がそこにはいた。

 ニャチュワードは王座の横に香箱座りをし、頭をたれる。そして、そのままの状態で話し始める。

「こちらに御座おわせますわ、ニャケドニア王国国王のニョウレリウス三世様にございます。国王様、こちらはルイーゼ姫殿下を保護したもので、めいに従い連れて参りました」

「うんむ。よくやった」

 ニャウレリウス三世はこっちを真っ直ぐに見据みすえる。こんなとき膝をつくなり、頭を低くした方がいいのだろうか? そういう礼儀が全く分からない。

「我が娘、ルイーゼを保護し世話していただいたことには、王としてではにゃく、親としてまずはお礼を言わせてもらおう。して、そにゃた、にゃはにゃんと申す?」

「……えっ、なんだって?」

「だから、にゃはにゃんと申すかと聞いておる」

 せっかくの威厳いげんも全てが台無しになるレベルに思えて、緊張やらなんやらで張り詰めていたものが全てはじけとんだ気がした。そして、頭の中で猫語翻訳をかける。『にゃ』を『な』に変換し、正しい漢字を当てはめる。名前を聞かれたことを理解するまで少し時間がかかった。

「ヨシヒコです。山田ヨシヒコと言います」

「ヨシヒコとやら、改めて礼を言うぞ。さあ、ルイーゼ。もういいだろう? こっちに来にゃさい」

 ユキは顔をあわせることもしないで腕の中で聞こえてないかのように無視している。父と娘というのは種族を超えて同じような空気感になるのだなと謎の親近感というべきものが湧き、ニャウレリウス三世が不憫ふびんに思えてくる。

「ルイーゼ様」

 小声でニャチュワードも呼びかけていて、ユキが喋るか何かしら行動を起こすまで事態は動きそうにもなかった。

「なあ、ユキ。どうして、お父さん――王様と話そうとしないんだい?」

 ぷいっとユキは無言で顔をらす。答えてくれる気はなさそうだ。これにはニャウレリウス三世も父親としてショックだったのか口をあんぐりさせて固まっている。それを見て、ニャチュワードが肉球で額を押さえる。

「申し訳ありません。ニャウリウス三世様は一度こうにゃるとしばらく戻ってきませんので、その間に王妃であるニャーロット様に会っていただけますか?」

 ニャーロットという名前にユキの耳が動く。王妃ということは母親だろうし、会いたいのかもしれない。

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