第2話 扉の向こう側にあったもの

 ユキと暮らし始めて出来るだけ早く部屋に帰ることを心がけてはいるが、日中はどうしても大学の講義で家をけてしまう。夕方からはバイトもある日もあるので、部屋にユキを一匹で残すのは最初は心配だった。

 しかし、ユキは本当に賢く――それは決して親バカではなく――そのおかげで次第に心配は薄れていった。ユキはすぐにトイレを覚えてくれ、エサも置いていればちゃんと食べてくれた。ただ甘えん坊で部屋に俺がいる間は構ってオーラを発しながら近寄ってくる。そして、ユキが満足するか時間がある限り、ずっと遊び相手をさせられるのだ。

 猫を飼うと、猫がご主人様で飼い主はその下僕げぼくに成り下がるというが、それはまさしくその通りだ。ユキを拾ってから、常にユキ中心の生活なのだから――。

 ユキと暮らし始めて、もう一つ変化があった。それは視線をよく感じるのだ。

 大学の行き帰りや大学のキャンパス内で猫をよく見かける。というか、猫に見られている気がするのだ。野良なのか飼い猫なのかしらないのだが、こんなにも自分の行動範囲に猫がいるとは思わなかった。

 部屋の外にも同じような気配を感じる。窓のすぐ脇にあるへいの上に代わる代わる猫がやってきてはのぞいて帰っていく。なかには、すくっと二本足で立ち上がり部屋の中を見回すように凝視ぎょうししてくるやつさえいた。

 なんだか猫に監視されているみたいだ――。



 ユキと暮らし始めて、もうそろそろ一ヶ月が経とうとしたある日。

 大学の講義が終わり、帰りに寄り道をして切らしていたユキの好きな猫用煮干しを買い、鞄にしまう。最近、ユキは足音で帰った来たことが分かるのか玄関までお出迎えしてくれるようになった。それを見るだけで一日の疲れが癒される思いだった。

 そして、部屋の前で鞄から鍵を取り出し鍵を開け、扉を開ける。

「ユキ、ただいまー」

「おかえりにゃさいませ。ヨシヒコ様」

 タキシード風の毛色の猫が背筋をピンと伸ばし二本足で立ち、軽く頭を下げながら出迎えてくれた。おかしいのはそれだけじゃない。扉の向こうは見慣れた部屋ではなく、どこかの屋敷か豪邸の中の一室とでもいうべきもので――。

 目の前に広がる現実を受け入れることが出来ず、思わずそっと扉を閉める。後ずさりして、アパートを見上げるがいつも通りの見慣れたぼろいアパートだ。扉の横には部屋の番号と、ここに住み始めてすぐに自分の名前をプリントしたシールを貼った表札がある。

「うん。ここはまごうことなき、俺の部屋だ。間違いない」

 それならさっきのは何かの勘違いで一瞬の幻覚を見たに違いない。そう思って、もう一度扉を開ける。

 現実とは残酷ざんこくだ――。

 扉の向こうはやはり自分の部屋とはつながっていなかった。俺は思わずがっくりと膝をつく。

「どうかにゃされましたか? ヨシヒコ様。顔色があまりよろしくありませんぞ」

 こいつはどうしてこんな平然としていられるのだろうかと、まじまじとその異様な立ち姿をじっと見つめる。そして、猫にしてはサイズがでかい。視線の高さが近いこと事態おかしいことこの上ない。

「いやいや……帰ってきたら部屋がなんかよくわからんところに変わってたら、そりゃあ、こんなリアクションにもなるよ……」

「そうでございましたか。それは突然のことで申し訳にゃい、ヨシヒコ様」

 猫語のスタンダートか知らないが『な』が全部『にゃ』になってるのがわざとらしすぎて、逆に気になってしまう。気になることといえば、もう一つ――。

「ところで、なんでお前は俺のことを名前で呼ぶんだ? そして、なんで名前を知っている?」

「にゃにをおっしゃいますか。あにゃた様はヨシヒコ様でございましょう? 私たちはあにゃた様をずっと調査させていただいていましたので、これくらいにゃんのこともにゃいのですよ」

「ちょっと待て。調査ってなんだ?」

「ここ一ヶ月程、あにゃた様の行動を我々の優秀なニャージェントが調査をしておりました。お気づきににゃられにゃいのも無理もにゃいことです、ええ」

 目の前の猫は小さく頷きながら説明してくる。そして、思い当たるふしはありまくりで――。俺は大きくため息を一つついた。

「ああ、わかった、わかった。それで、お前は何者で、なんでこんなことになってるか説明してくれると助かるんだが……」

「これはこれは……にゃ乗るのが遅れてしまい失礼しました。私はニャケドニア王国、王室第一秘書官で国王専属の執事をしています、ニャチュワードでございます。この度は我々の現国王様であられるニャウレリウス三世様がご息女で第四皇女であらされるルイーゼ様を保護していただいたようで、そのお礼と今後のための関係構築のためにこうしている次第でございます。そして、あにゃた様をニャージェントからの報告で信頼できると判断して、こうして直接お迎えにあがった次第にゃのです」

 目の前の猫がなんかすごい偉い人――いや、偉い猫なのは分かったが、基本的に言っている内容に理解が追いつかない。そして、皇女は普通の名前なんだなと、心の中でのツッコむがそもそもツッコミどころが多すぎてそっちも追いつかない。

「ああ……それで、俺の部屋はどうなったんだ? 無くなったとかだと困るというかなんというか……」

「それはご安心ください。私の後に付いてきていただけますか?」

 言われるがままニャチュワードの後を付いて行くことに決める。というか、それ以外の選択肢せんたくしが思いつかない。部屋に入り、玄関の扉を閉める。ニャチュワードの後を追い、開けて待っていてくれている扉から部屋の外に出て、廊下ろうかに出た。廊下を見渡し、広さに唖然あぜんとして口が自然と開く。

「それでは、ヨシヒコ様。参りますよ」

 そして、他の事に気を取られすぎて気付かなかったが、前を歩くこのニュチュワードとかいう執事猫――二足歩行で歩いている。

 廊下を歩いていると、何匹もの猫とすれ違った。その猫たちは決まって、道を空けるように端に寄り、ニャチュワードと俺が通り過ぎるまで香箱こうばこ座りでこうべを下げていて、ニャチュワードが本当にこの猫たちの界隈かいわいでは偉い存在なのだと実感する。

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