扉を抜けた先は、『にゃ世界』だった

たれねこ

第1話 プロローグ

 長い夏休みも終わり、大学の後期の講義が始まり残暑もやわらぎだした九月末。日本列島は大型の台風の直撃を受けていた。

 そんな台風の最中さなか、俺、山田ヨシヒコは強い風雨の吹き荒れる中を一人歩いていた。

 なぜこんなことになったかと言うと、それは一時間ほど前にさかのぼる。

 大学の講義が台風接近のため全て休講になり、それを大学の掲示板で知った俺は、遅れに遅れ、満員でごった返す電車とバスを乗り継いで、一人暮らしをしている三階建てのアパートの一階にある手狭なワンルームの部屋に帰ってきた。ズボンのすそと靴はぐっしょりとれ、傘を差していたのに関わらず服も髪の毛も湿気をはらみ気持ち悪いことこのうえなかった。

 シャワーを浴び、テレビをつけたところで画面がDVDを見るための画面になっていて、昨日の晩にレンタルのDVDを見ていたことを思い出した。そして、そのレンタルの期限が今日までで――裕福でない学生の俺には延滞料金を取られるのはふところにはきつい。

 そういうわけで今、俺は台風の中をレンタルショップに行った帰り道を歩いている。

 再度ずぶ濡れになりながらやっとのことで、アパートまであと少しというところまで帰ってきたとき、


 ミィー……ミィー……


 と、雨と風の音に混じってどこからか鳴き声が聞こえてきた。立ち止まって辺りを目をらして見回した。すると、近くの電柱の脇に小さな子猫がうずくまっているのが見えた。慌てて子猫に駆け寄り、親猫が近くにいないか確認するも、他に猫の姿は見えなかった。上に羽織はおっていたシャツを脱ぎ子猫を包み、抱きかかえる。

「こういうときって、どうすればいいんだっけか? とりあえず、病院か?」

 スマホをポケットから取り出し付近の動物病院を検索する。幸い近くに個人経営の病院があった。俺は風雨に逆らいながら早足で病院に向かった。

 病院について、俺はひざから崩れた。病院は閉まっていたのだ。しかし、扉のところに『急用の方は裏手の扉のインターフォンからお知らせください』という文言が書かれているのを見つけ、急いで裏に回る。

「すいませんっ! 誰かいますか?」

 何度もインターフォンをならして呼びかける。あかりが付き、扉が開けられ、初老の男性が顔を出す。

「どうかされましたか?」

「今さっき、子猫が道端にいて、それで、あの、その……」

「落ち着きなさい。とりあえず、中にお入りなさい」

 初老の男性は建物の中に迎え入れてくれた。そして、診察室のある部屋に通される。子猫はタオルで優しく丁寧にかれ、そのまま検査を受ける。

 拾った子猫は、生後四~六ヶ月のメスで、目も耳も綺麗で、ノミもついてなければ寄生虫の心配もないということだった。ただ雨に濡れて、体が冷えて少しだけ弱っているだけということだった。それを聞いて、ひとまずほっとする。

 雨の中で濡れて汚れていた子猫は獣医の手によって、真っ白でふかふかの綺麗な毛玉になり、タオルの中で丸くなり小さな寝息を立て始めた。

 獣医からは何かあったらまた来なさいと言われ、最低限必要なものを教えてもらった。さらには、子猫用のえさすすめられたものを買った。値は張ったが小さな命のためと思ったら仕方のない出費に思えた。

 そして、台風の中を猫を抱えて帰るのは大変だろうということで車で送ってもらうことになった。アパートに着いて、車から降りる前にもう一度お礼をいい頭を下げる。

 部屋に戻ると安心感からかどっと疲れがでてきた。眠気と戦いながら、部屋のすみにあった仕送りの食料品などが入っていたダンボールを加工し、ほどよい大きさの猫用のベッドを作った。そこに未だ寝息を立て続ける子猫を起こさないようにそっと入れた。

 外は相変わらず風や雨の音がすごかったが、子猫の寝息を聞きながら、横になっているといつの間にか寝てしまっていた。




 ミィー、ミィー……


 意識の端に子猫の鳴き声が聞こえた。鳴き声――!?

 思わず飛び起きると朝日が差し込みだし、外は明るくなっていた。そして、鳴き声の主を昨日拾ったことを思い出す。この子猫をどうしようか? アパートで飼えるには飼えるが、里親を探してちゃんとした飼い主に引き合わせたほうがいいのかと色々思い悩む。

 子猫を抱きかかえ、ひざの上にそっと乗せる。触り心地のよい毛並みの顔を優しくでる。子猫はのどを鳴らしながら目を細める。

「なあ、お前はどうしたい? このままここで暮らすか?」

 ナァー!

 返事のようなはっきりとした鳴き声に少し驚く。

「まあ、しばらくは面倒見るから安心しな」

 今度は喉を鳴らしながら、手に顔をこすり付けてくる。あざといくらいかわいい。そして、こちらを見上げて、何かをねだるような視線を送ってくる。

「もしかして、お前。お腹空いているのか?」

 ナァー!

 これは返事だ。今、確信した。こいつは人間の言葉を理解しているに違いない。子猫をダンボールのベッドに戻し、小皿を二枚持って戻ってくる。その一つには水を入れ、もう一つには昨日動物病院で買ったエサを入れ、ダンボールの中にそっと置く。子猫はがっつくようにエサに食いつく。

 それを見ていると、こっちまでお腹が空いてきたので、朝ご飯を食べることにした。


 子猫は半分ほど食べたところで満足したのか、食べるのを止めてしまった。そして、こちらの様子をじっと眺めていた。その視線が気になって落ち着かない。

「……な、なんだよ?」

 指先で子猫のあごを擦りながら声をかける。構って欲しかったのか甘えたかっただけかしらないがごろごろと喉を鳴らして、大変満足そうな表情を浮かべる。

「まあ、しばらく一緒ってことになると、名前つけないとな。白くて丸くてふわふわだから――」

 首をひねりながら頭を悩ませる。

「カリン……アリア……ユキ……」

 ナァー!

 返事をするように鳴くのでもう一度、ダメ元で候補の名前を順に言ってみる。

「カリン」

 ……鳴く気配はない。

「アリア」

 ……鳴く気配がないどころか、顔をぷいっとまでした。気に入らないようだ。

「ユキ」

 ナァー!

「よし! お前は今日からユキだ」

 こうして俺とユキの共同生活が始まった――。

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