インターセプト3
車には、酔いやすい位置と酔いづらい位置がある。
特にバスのような長い車体の乗り物は、前後で乗り心地に大きく変化があり、車酔いしやすい場合はあらかじめ前の席に座るなどの対策が重要である。
後部座席で揺られながら、しずくは今まで特に自分から主張をするまでもなく「彼」に気を遣ってもらっていたのだと思い知る。
周囲の子供たちは楽しそうに談笑をしており、早々に青い顔をしているのはしずくだけだった。
私は車酔いしやすい方だったんですね……と。
いま明らかになる、それほど衝撃でもない事実。
心配してくれそうな人は一緒には居なかったし、ここで赤沢教諭に迷惑をかけるのは良くない気がした。
彼女は自分の味方ではなさそうだという感覚があった。
それは単に推測でしかなかったが、当たっていた場合のリスクを考えると、どうしてもしずくには言い出せなかった。
幸い、座席の背面ポケットには「そういった時用」のアイテムが忍ばせてある。
ガサゴソと音を鳴らして取り出す。
名前はなんといったか、ド忘れして思い出せない。
「おもいやり袋?」
隣ではつねがそう言う。
もう少し違う名前だった気もするけど、そんなに重要なものでもない。
バスは狭く長い山路を走り、時たま轍を踏んでふわりと跳ねた。
「ひんっ」と情けない声が上がる。
出来るだけ周囲に迷惑をかけたくない少女ではあったが、果たして上手く出来るかどうか。
ともかく、おもいやり袋はその「おもいやり」とやらでいっぱいになりそうな気がしていた。
***
狭くて辛い道のりを終え、子供たちは連山の麓に到着した。
目の前にそびえるそれに圧倒される。
頂は雲の中。
「これ、登るの?」
何処からかそんな声が聞こえた。
明らかに人の足で登頂が成せるようには見えない。ピクニックの延長線上にある遠足と考えていた子供たちならなおさらだ。
それでも、引率の赤沢は点呼を終えるとさっさと斜面を登り始めた。
置いていかれないように慌てて付いていく。
まだ車酔いの嫌な余韻が残っていたが、密室から脱した開放感もそこそこに、しずくも隊列に連なった。
教えられた通りに歩幅は小さく、しっかりと「かかと」から着地するように歩く。
ふと見上げると、道のりは途中からぼんやりと霞み、何処をどう歩くべきなのかその導も無いように見えた。
……。
…………。
うっすらとモヤのかかった山道は視界が悪く、先頭を歩く赤沢教諭の姿は最後尾付近のしずくからは見えない。
子供の歩幅を考慮するとペースはかなり早く、ともすれば肌寒さすら感じそうな気温でも、服の中は汗ばんでいく。さらに、べたべたとまとわりつくような空気が不快感を増幅させる。
前日渡されたしおりには今日1日で、随分と上の方まで上がる予定と書かれていたはずだ。
その時間がどのくらいだったか、明記はされていただろうか?
しずくはサイドポケットから三つ折りにしたしおりを引き抜いて確認して見たが、詳しいことは何も書かれていなかった。
不安になる。
どこまで登ればひと休みになるのだろう?
山の上の方は霧深くなっているように見える。
引率の大人は一人で大丈夫なのだろうか?
だんだんと呼吸が上がって行くのを感じて隣を歩くはつねの表情を伺ってみると、彼女もちょうどこちらを見たところで視線が交わった。
「なんか、大変っぽい感じ」
「一休みしたくなって来ちゃいましたね」
「同感。足の裏痛いし嫌になっちゃう」
二人して、やや砕けた笑顔を見せ合った。
「らいかは上手いこと逃げたね」
「お留守番ですもんね」
「え? 違うよ?」
「え」
「らいかはね、先生とお勉強しに行ったの」
先生とは「彼」の事である。
「えっ」
「えっ、ちょっと理解が追いつかないのですが」
「今頃楽しんでるんだろうなぁ、羨ましい」
「そのお話、詳しく聞かせてください」
言葉尻は穏やかだったが、しずくは密着しそうなくらいはつねに迫った。
「もぅ、歩きづらいよ」
「ご、ごめんなさい」
「わたしらいかと同室じゃない? 今日の早い時間にいそいそ出て行ったよ?」
「詳しくは聞けなかったけど、くんれんがあるんだって」
「くんれん……」
「わたしたちが遠足している間に「くんれん」なんて大変そうだよね」
しずくは生返事をした。それは自分が連れて行って貰えなかったことに対してショックを受けたのが半分、もう半分は、いま自分たちが山道を歩いている事も何かの訓練なのではなかろうかという疑問から来ていた。
***
一方、先頭を歩く赤沢教諭は日々の運動不足を恨めしく思っていた。
すぐそばを歩く子供たちは余裕がありそうだが、赤沢自身は息も絶え絶えだ。このまま倒れ伏して眠りこけてしまいたい。
しかしそうも行かないので平気なフリをして歩き続けるしか無い。
教頭に心の中で毒づく。あれは上から指示を出すだけ出して、決して動かないのだ。
自分だって老体に鞭打って山登りをすればいい。そして突風吹き荒れる山頂でヅラを紛失してしまえ。
「ふふっ」
風に舞うカツラを追って稜線を走る教頭を夢想して笑みがこぼれた。
背後でまきなが怪訝そうな顔をする。
「ねぇ、お昼ご飯はまだ食べちゃダメなの?」
確かにもういい時間であるが、休憩を取る予定の目的地まではまだしばらくかかりそうだった。
いまいち優れない天候や、予定外だった自分と子供たちの体力不足によりペースが遅れていたのだ。
赤沢にとって作戦の遅延は問題だ。
「あなた達がもっと急いでくれないと、いつまでも昼食はありませんよ」
「それともこの急斜面で食事にしますか?」
空腹だったし子供たちはそれでも良かったのだが、有無を言わさぬ雰囲気に、ふるふると首を横に振った。
「なら急ぎましょう」
一見、自由な選択を与えられてるように思えて、その実、選択の自由は与えられていない。
こういった事は世の中に溢れていて、子供たちは不本意に大人に用意された行動を取るように仕向けられる。
魔術師の法則じみた恣意的しいてきな選択肢は、それと気がつかないほうがまだ幸せなのかもしれない。
……。
…………。
標高は高くなり、周囲の植物はまばらになってきた。
土の斜面は次第に握りこぶし大の石に変わり、やがて持ち上げる事は出来ない大きな岩へと姿を変えた。
ここへきて、子供たちにはようやく休憩が与えられる。
見晴らしの良いガレ場は、その弊害として強風が吹き荒れていた。
真っ先に男子生徒の敷いたレジャーマットはそれに煽られてどこかに飛んでいってしまう。
仕方が無しに子供たちは到着した順番に硬い岩に直に座り、身を寄せ合いながら昼食を取る。
やや遅れて到着したしずくもそれに倣う。朝に手渡されたおにぎりを頬張ると味がしない。不審に思って半分に割って見ると、塩ジャケがいびつに偏った位置に入っていた。
天候は次第に悪化していく。
先ほどまでは白もやの中ではあってもそれなりに明るさもあったが、今ではもう雲の厚さが随分増してしまった事がわかるようになった。
赤沢はポケットからスマートフォンを取り出して天気予報を確認する。あと数時間のうちに大きく荒れるだろうとの予報。憂鬱になる。
行程に遅れがなければ、雨が降り出す前には山小屋に着けたかもしれないが、今のペースではおそらく……彼女は周囲にも聞こえるような溜息をついた。
グレースケールにくすんだ空の下、再び山頂へ向けて歩き出す。
と、子供たちのうちの数人が、食べたばかりの昼食を戻した。
嘔吐は高山病の症状の1つでもあり、憂慮すべき事態であったが、バスの中でのしずくの一件を見ていた子供たちはこれを重大なきっかけだとは思わずに、冗談めかして笑い合った。
……たとえば、行軍においての負傷兵の扱いというのは厄介である。
その治療などに複数の人員が必要になる。
この先、救援が容易に来る事ができない場所で動けない子供が何人も出たとしたら……。
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