インターセプト1

 目覚ましからくぐもった合成音声が響き、部屋の主の起床を促した。


 ニワトリの姿をした目覚ましは黄変してところどころひび割れていたりして、かなりの年代ものであることがわかるが、今日も変わらず聞き慣れない関西弁を元気よく発するのだ。


 繭のように被っていた布団から顔を出した少女は、乳白色の髪の毛を撫でながら布団から這い出す。


 音声を止めるためにはベッドのある部屋の端から、目覚まし時計が置かれたシェルフまで歩かないといけない。


 低血圧で早起きに弱い少女、しずくのために「彼」が工夫したものだ。


 これなら今まで抗えなかった二度寝への誘惑も振り払うことができる。


 ……いや、これは意志の力。早起きして朝練に付き合いたいという少女の真摯な想いがレム睡眠という次元の断層を踏み越える力となるのです。


 たぶん。


 すっかりとお布団への未練を振り払い、鏡の前に立って自分の姿を確認する。


 今日は気圧が低く、天気も悪いようだ。


 湿気のせいで寝癖はひどいし、心なしか顔もむくんでいる気がする。


 ほっぺを伸ばしたり引っ張ったりしてみたが、特に解決するわけでもなかった。


 …………。


 洗面所で顔を洗ってから髪を濡らして寝癖を直し、カタツムリみたいなドライヤーで乾かす。


 今日も「彼」はしずくの事を可愛いと褒めてくれるだろうか? 頭を撫でてくれるだろうか?


 毎朝その一言を聞けるかどうかで1日に使えるエネルギーの量が全然違うのであった。


***


 もともと軽量であることも手伝い、羽のように軽やかな足取りで教員用の宿舎に来たしずくだったが、そこは静まり返っていた。


 部屋に入る事を禁じられてはいない。


 ノックをして顔だけひょっこりと出して部屋の中を伺うと、そこはもぬけの殻だった。中に入って詳しく確認をする。


 デスクの上には、棒付きキャンディーをありったけ刺したディスプレイツリーが鎮座していて、真ん中に「放課後〜就寝時間まで。1日一本!」と貼り紙がしてある。


 その脇には、この間二人で行った登山の時の装備が丁寧に吊るして干してあり、そのまま身につけるだけでまたすぐにでも出掛けられるようになっていた。


 かと思えば、ベッドには今しがた脱いだと思われるようなスエットが脱け殻のような状態で放置されていたりして、この部屋の主人が予定外の外出をしたようにも思えた。


 脱ぎ散らかされた着替えをそっと掻き抱くと、ほんのりと湿気と残り香を感じる事ができる。


 やはり、そう時間は経っていない。


 顔を埋めてすんすんと鼻を鳴らしていたが、ふと我にかえる。


 いけない。これじゃ変態じゃないですか。と。


 朝のランニングは中止となった。


 スエットを綺麗にたたみ直してベッドに置き、しずくは「彼」の捜索に当たることにした。


 ***


 談話室に向かうとそこは無人だったが、人の気配を感じたしずくはひっそりと佇むブラウン管テレビに話しかけた。


「山田さん?」


 赤いポッチが点灯しているので電源は入っているが返事はない。


 普段なら手も触れないのにひとりでに画面が灯って、砂の嵐とけたたましい声がスピーカーから漏れ出すのに、今日はひっそりと沈黙を守っている。


 山田太郎という人物は主にブラウン管を介して人とコミュニケーションを取るのだが、対面ではないのを良いことに都合が悪くなると姿を消す事が多い。


 しずくはそこまで察してはいなかったが、いつもと空気が違う事は感づいたようだった。


 心理戦の類は得意ではない。


「彼」や、みゆり主任であれば山田をこの場に引きずり出す手札も切れそうだが、しずくは愚直に山田が聞いていると想定して続けた。


「先生が居ないのです」


「困りました……」


「私、どうしたらいいのでしょう」


 結局期待する回答を得られる事もなく、一時限目を迎えることになるのだが、この疑問は、後に氷解することになる。


 ***


 担任の赤沢教諭がホームルームで配ったプリントには、遠足が行われる事と、その内容が書かれていた。


 子供が見ても、一夜漬けで突貫工事されたのが分かる程度のクオリティだ。


 いままでだとこの類の仕事は「彼」の領分であった。


 その場合は、背表紙も付いて立派に製本された旅のしおりが手元に置かれていたはずだ。


 無駄といえば無駄だが、それが代わりに薄っぺらいプリント数枚。


 違和感は拭えない。


 そこには古印体フォントで大きく「登山遠足のお知らせ」と見出しがあり、そのおどろおどろしい見た目も不安を煽るのだ。


 観光バスに4時間以上カンヅメとなり、到着した山脈で1泊2日の縦走と書かれている。


 出発は明日から。


「あした!?」


 ひかるが素っ頓狂な声を上げた。


「ジュウソウってなに?」


「知らないの? バカね。スコーンを膨らます粉よ」


「ビスケットでしょ? ケンタの」


「あれすき」


 子供たちは口々に思ったことを話し、教室はその騒がしい声で満たされる。


 赤沢教諭が弱々しく制するが、あまり効果はなく、次第にそれは、ヒステリックな叫び声へと変わり、ようやく子供たちはしんと静まり返る。


 その後彼女の口から聞かされた内容は、おおよそ「楽しい遠足」とは思えないもので、黙って聞いていたまきなは、それが兵隊の行軍に近い特殊なものだということを察していた。


 対してしずくはその間も上の空で、「彼」がどこに消えたのか、後ろの席が空席になっていて、らいかも不在なのは何か関連性があるのか、そればかりが気になっていた。


 なので、ホームルームが終わるとすぐに赤沢教諭のもとに駆けつけて、「彼」の事を伺った。


 何の事はなく、急遽決まった出張の為に早朝施設を発っただけなのだとか。


 らいかが同行したのは、単純に今回の遠足の性質上留守番になる彼女を思っての事だそうだ。


 筋は通る気がする。


 それでも、引っかかるところはあった。


 …………。


 この日は授業もそこそこに、多くの時間が遠足の準備に費やされた。


 人数分用意されたリュックサックに指差し確認しながら荷物を詰めていく。


 ビニールガッパ、ビニール袋、タオル、水筒、帽子。


 お弁当は翌朝に配られるとの事。


 子供たちの中からおやつがないことに対する不満の声が漏れると「どうせ所構わず食べ散らかすじゃないの!」と、赤沢教諭の怒声が飛ぶ。


 どうしてそんなにイライラしているのだろう。


「せいり」が来たら自分もそうなってしまうのだろうか?


 そんなまきなの呟きは、幸いなことに気付かれなかった。


 また、おやつが「行動食」と呼ばれている重要なものである事も、それが無くては極度の低血糖状態、いわゆるハンガーノックの症状を引き起こす事にも触れられることはなく、事前にそれを知っていたしずくは一抹の不安を覚えるのだった。


 …………。


 実は今回の遠足には発起人が居た。


 施設内に派閥を持つ木下きのしたという教員である。


 木下は外部からやってきた人間で、出向元の教団ではオフィサーとしての地位もあり、施設での立場は教頭に甘んじている事に不満があった。


 また、長年停滞していた超能力開発に一石を投じたのは新任の若造だった事も気に食わなく思っており、それらが今回の計画の実行を後押しした。


 子供たちのミメーシス能力の発達にはこれまで外科手術と投薬が行われてきた。


 今後はそこに、肉体的、精神的な負荷が与えられる。


 今回の遠足は、その効果検証なのだった。


 ***

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