アンタゴニスト
***
とある都市の一角、夜景を一望する事の出来る高層ビルの最上階で、人々の往来を眺めている男が居た。
点滅する青信号を渡る背中の曲がったジジイも、その横を悠々走り抜けるリムジンも、ここから見ると等しく虫のように小さい。
自分の顔に触れてみると、無自覚に口角がつり上がっていることに気がついた。
蛇のようにぬらぬらと輝く質感のビジネススーツに身を包んだ彼の姿は非常に若くも見えるが、落ち窪んで猛禽のように鋭いその眼光は、十年二十年で身に付けることが出来るものではないだろう。
男の名前は、「カミシロ」と言う。
かつては海を渡り、誰にも知られていないような東南アジアの国々を転々としながら暮らしていたが、1986年に世界を襲った震災と、その復興の様子を知り、居ても立っても居られなくなって十数年ぶりの帰国を果たしたのである。
その後に国内で起こりうる問題を予見して、いち早くそれに対処する目的があった。
と言っても、正義感から来る復興支援の為、と言うわけではない。
金の匂いを嗅ぎつけたのだ。
カミシロは商人であった。
海の向こうにいた頃から変わらない。取り扱う品物は、「人」である。
人身売買。つまり奴隷である。
それをするのに東南アジアは非常に適していた。
そう言っても一般に広く知られる、鞭打たれながら石を運ぶような奴隷は現代的ではない。
最もこの制度が盛んだった古代では単純な労働力が求められた。原始的な一次産業しか存在しなかったからだ。
後世になり二次、三次産業が盛んになると、奴隷自身が消費者としての役割も兼ねるようになり、ほとんどの国では賃金労働という形へと変化していった。
だが現代でも残り続けているものもある。
それは最も原始的な職業で、人が有性生殖の手段を失わない限り永遠にそこにあり続けるもの。
性の奴隷だ。
これは古代の労働奴隷のように長く使うことはなく、消費期限は大変に短い。
病気になったり、妊娠したりすると捨て置かれる。
それ故に安価であり、日本円にして数万円から数十万円程度で売買がなされている。
馬や、家よりも遥かに安い。
カミシロには不満だった。
使える年数が短いのは良い。買い替えのスパンが短ければ短いほどこちらの懐は潤う。
だが、価値が低いのは由々しき事だ。
手間賃を差っ引くとカミシロの手元には雀の涙程度しか利益が残らない。
ガキもメスも掃いて捨てるほどいるのだが、ひどく効率が悪い。
時間は無限ではない。単価の向上は急務であった。
そんな折の大災害。
直接の被害こそあまり受けなかったが、高度経済成長の只中にあり、なおかつこの年の瀬にはバブル期を迎える事になる日本は、国際社会から大量の難民の受け入れを課されるのは避けられなかった。
当時はまだ、大量の難民を抱えることにより何が起きるのか、誰も知らなかった。
だが、彼は国内に数え切れないほどの貧困街が生まれるのを知っていた。
カミシロのそんな予測は見事に的中した事になる。
南北問題の影響が強く、それまでカミシロが用意できる人種は南半球出身の者がほとんどを占めていた。
だが災害以後、日本国内に拠点を置いてからは北半球の人種を取り扱うようになる。
希少価値の高い商品は彼の評価を押し上げ、今日の地位を築く重要なファクターになったと言える。
————
ある日、カミシロは集めたガキ共の中に酷い癇癪持ちの少女がいるのを見つけた。
目を離した隙になんでも壊してしまうのだ。
決定的瞬間を押さえてやろうとするが、一向に尻尾を出さない。
ならばとその少女を手元に置いてみた。おおよそ人の情というものを持ち合わせてはいないカミシロにとって、この行為は本当にただの気まぐれからだ。
彼は時折様々な力の行使により他人の「人間的限界」を穿ほじくり出そうとするクセがあったが、この時は観察のためか鳴りを潜めていたのもある。
それが少女の「大切にされているのでは?」という選民意識を生む結果となり、後々に愉快ではない出来事が起こるのだが……。
ともかく、この少女を知ることにより、ミメーシスという概念に触れることが出来た。
それが彼女ひとりだけの特別なものでない事も……。
……。
…………。
そして今、カミシロの取り巻きは様変わりした。
人を右から左へと流して小銭を稼ぐことをやめ、力を蓄える事に注力する。
より大きな事を成すためには組織が必要だからだ。
幸い人材には事欠かない。
高い能力を有する子供だけを選りすぐり、身辺を固めた。
ミメーシス能力者は隠密性の高さに優れており、敵対する者を秘密裏に消すのに暗躍する事になる。
殺して、殺して、殺した。
そうしてカミシロは現在の地位を手にする事になった。
この展望は成功の証だ。だがまだ満足はしていない。
ミメーシスのもつ可能性は、より高みにこそある。それをうまく手懐ければ、自分は██████になれるのだと。
そう“誰かが耳打ちをする”のだ。
赤ん坊の脳の中には、自分とは別の存在、リトルピープルなる知性が存在するという。
通常は赤ん坊の自我の目覚めとともに喪失するが、稀にソレを頭の中に住まわせたまま成長する人種がいる。
一種の天才とされてきた歴史上の人物達の多くも、その知性よりギフトを与えられる事によって天才たり得たのである。
ミメーシス能力者にも、同様の概念が存在するらしい。
殆どは無自覚に力を行使する無能ばかりだが、ごく一部、能力の根源に迫る知識を「向こう側」から持ち帰ることが出来る者が存在した。
カミシロは、自らの私兵をその“選ばれた個体”で固めようとしているのだ。
————。
そんな彼の背後で、ひとりの青年が午睡から目覚めて大きな欠伸をした。
「んぁ……」
「……身体が痛い」
「椅子で寝るなと言ったろう」
青年が半身を起こすと、革張りのリクライニングチェアの背もたれが音もなく追従する。
顔に被さっていた金髪が砂のようにさらさらと流れて端正な顔が現れた。
色素の抜けたその頭髪は地毛ではないようで、半ばから生え際にかけて、墨を垂らしたような黒髪へとグラデーションが掛かっている。
「ん……んん? いま何時……」
「ちぇ……なんだよちょうどいい所だったのに」
「また“あそこ”に行っていたのか?」
「あぁ、まぁ追い出されちまって」
「珍しいな、お前が」
「っても別に後から来た奴がどうってことじゃねぇよ。あそこには一人づつしか居らんねぇの」
「ふざけやがって。最近毎晩入り込んでくる奴がいやがる」
「へぇ……それは」
「“井戸”の周りに生活の形跡があった。もしかしたら知ってやがるかも……気にくわねぇ」
「別に心配しなくても良いぜ。そいつは俺が必ず見つけ出して始末する」
「あぁ、期待しているよ」
青年は立ち上がると、二、三歩ふらついてから出入り口に向かって歩き出した。と、足元に転がっているものに躓いて転びそうになる。
「チッ」
蹴飛ばしてから、ふと思い出したようにそれを探り、小さな革のケースを取り出した。
振ってみるが音はしない。
「あ? なんだこりゃ、金が入ってないぞ?」
「最近の偉ぶってる奴は現金を持たないそうだ」
そう言ってカミシロは自分の財布を青年に投げてよこした。
受け取った青年は中を改め、見慣れた硬貨がじゃらじゃらとある事を確認すると数枚を抜き取り、満足げにズボンのポケットに突っ込んだ。
「それだけで良いのか、何を買うんだ?」
「パルム」
歳相応の子供のような発言をするが、それが足元に転がる死体とのミスマッチさを際立たせる。
「じゃあ現金持ってるって事はあんたもまだまだだな」
「俺たちのためにもっと出世してくれよ」
「あぁ、そうすることにするよ。気をつけて行っておいで、“エプタ”」
————。
青年は去り、後には元部屋の主人だったモノ達と、新たな部屋の主人となったカミシロが残された。
喜ばしいこの瞬間に祝杯でもあげたい気分であったが、あいにく飲食物の類は用意されていないようだ。
血生臭い部屋には、部屋には青年がいたぶった「かつて人だったモノ」が他にもいくつか転がっていたが気にした風もない。
「おや?」
惨劇が終わった直後に比べると死体の位置が少し変わっている事に気が付いた。どうやらそれは出口へ向かっている。若い秘書だ。
たまにはガキどもの真似事をして童心に帰ってみても良いだろう。
手近にあった模造刀を掴むと、カミシロはそれを使って遊ぶ事にした。
————。
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