アップルシナモンカスタードホイップ3

 ***


 授業で使う予定の画材を買い終えて、俺はN区画にある珈琲屋で一息ついていた。


 古民家を改装して作られたレトロモダンな建物、ではなく自然と古びれた味のある店で、音楽だけは陽気なボサノヴァ調のカフェ・ミュージックが流れていた。


 カウンター横に置かれたテレビには、軍事評論家がパネルデスカッションをする様子が映し出されていて、俺はそれを何気なく眺めている。


 ……。


「これからの時代、国家間での戦争は非常に起こり辛くなるでしょうね」


「国際社会からの反発を考慮してなおかつ開戦に踏み切る相応の理由というものが、もう生じないんです」

「あるいは、よほど国際社会から孤立した国家が存在すれば話は別ですが……」


「反面、国家に打撃を与えるためのテロ行為というものは増え続けるでしょう」

「今後起きうるテロの種類は大きく分けて三つ」


「ひとつは、毒ガスを使ったテロ。これは現代だからこそ大きな効果が見込める。地下鉄の構内など閉鎖空間で散布すれば、無差別に大量の人間を死に至らしめるでしょう」


「次に、旅客機を使ったテロ。ハイジャックしたジェット機で大都市の中枢をなす場所に落ちれば、都市の機能は一瞬で麻痺します」


「最後に、船舶を使ったテロ。船の底に爆弾を括り付けて港で爆破させれば、そこの物流に壊滅的な打撃を与える事が出来る」


「以上が、国家などの大きな後ろ盾が存在せず、最新鋭の科学技術を所持しなくても実行可能な大規模テロです。我々は、常にその危険に晒されている」


 評論家が席についたタイミングでコメンテーターが水を差す。


「ツゲさんは娯楽性の高い作品を多く生み出していますから、独創的な発想をしますね」


 スタジオに失笑が起こる。


「私の書いているのはノンフィクションですが?」


「えぇ、まぁそれは良いんです。ツゲさん、あなたそれらが起きて欲しいように言いますけどね、あり得ないですよ」


「だって難民の受け入れからずいぶん経ちますけどね、あなたの言うテロ行為は“どれも実際には起きていない”じゃないですか」


「私は起こることを望んでいるわけじゃない。起こる可能性がある。だから備えろと言っているんです!」


 評論家が声を荒げて反論する。


「信じられませんよ。だって東京は平和そのものですよ」


「ヨツヤさん、難民の受け皿となった地方都市を自分の目で見ましたか? 今この瞬間に問題があるのは地方なんですよ!」


「暴動が起こったのがついこの間だったのはお忘れですか?」


「言うなれば現在の地方都市は劇薬の入った水風船です。それをナイフの切っ先で撫でている状態です」


「これが絶対に破裂しないと盲信するのは日和見が過ぎるでしょう」


「破裂したときに、中の劇薬がばら撒かれるのは、おそらく中央、つまり我々の住む場所ですよ」


「ツゲさん、あなたの言う事は荒唐無稽過ぎますよ。自分の書いてる架空戦記とごっちゃにしちゃあいけません」


「私が書いているのはノンフィクションだって言ってるでしょう! 」


 スタジオがどっと沸いた。

 彼に対しての援護射撃となる発言はない。完全に孤立無援の状態だ。

 評論家のセンセイは大真面目だが、コメンテーター達はそれを茶化してショーに仕立て上げるのだ。


 俺はいたたまれなくなって視線を移す。


 評論家が言っていた地方都市、というのは俺が今いるこの場所の事である。


 現在、都市は大きく4つの区画で構成されていて、それぞれに俗称が付けられている。


 N区画。中流階級の一般市民が住む区画で、多少雑多で騒がしくはあるが、都市の中では生活のしやすい場所である。Nはネイキッドの意。


 G区画。工場や企業が立ち並び、地図上から見るとまるで網目のように見えることからグリッドのGを冠する区画となった。

 住民を働かせる受け皿となる「はず」だった。


 T区画。主に企業の重役や政治家、資産家などが住む「上流階級」の為に用意された区画で、都市の建設はここから始まり、多くの著名人を誘致したが失敗。

 この区画のように意図的に貧富の差を分けたような構造が破滅を導く結果に繋がったとも言われている。Tはトラッドの意。


 B区画。浮浪者や孤児がうろつく治安の悪い区画。赤線都市という蔑称を象徴するような場所で、昼間でも立ち入りは憚られる。

 世界的に見ても治安が悪く、行政の目も行き届かない無法地帯。Bはバンディットの意。


 ……。


 元をたどればこの場所は、80年代に起きた太陽嵐による大災害。

 およびそれに付随して起きた原発事故が原因で発生した避難民達の受け皿として都市開発がされたという背景がある。


 当時はそういうもの(難民の受け入れ)が世界的に歓迎される風潮にあったが、元々の住民より手厚く保護された避難民というのは、周囲との軋轢を生みやすい。非常に。

 しかもそれは、後々になって発覚した。


 住民達は反目し、対立して、ほどなく暴力を伴う争いを始めるようになった。


 これには、受け入れの為の裁定が雑だったという理由も付与される。

 ただ被災地域の出身というだけで無条件に受け入れると、「混じる」のだ。


「犯罪者の割合が多すぎる」

 それが迫害する側の主張。


 そんなものは理由にならない。のだが、それを覆す解答は、半世紀が経とうとしている現在でも、まだ見つかっていない。


 支援は不可欠である。だが、可哀想な人の全てが善良な人である訳ではない。

 当時はまだ、それが分かっていなかったのである。


 さて、この話にはさらに続きがある。


 ユーラシア大陸の広範囲を焦土に変えた太陽嵐だが、公表されている汚染区域と、実際に立ち入りが困難な程汚染された数値を検出する地域の広さには、随分と大きな差異があるのだ。


 これは一般的に知られてはいない。


“実際には汚染されていない地域の、他国の庇護下に置かれる必要のない筈の人間が送り出されている”


 もしこれが何者かの手によって行われているとしたら、その規模は……。

 これの意味するところが、先の評論家の話と化学反応を起こさない事を、今は願いたい。


 明日の事すらわからない身の上としては、こんな考えは身に余る。

“大切なもの”をどうにか守り抜く事すら出来るかどうかも分からないのだ。


 ガラス細工のように繊細な白雪の少女の事を想う。

 彼女を抱きしめた時の、あまりのか細さに腕が余る感覚と、仄かに漂うチェリーパイのような甘い香りを、この場で香るかのように頭の中に鮮明に再現出来るのだ。

 これは誓って言っておくが、やましいモノでは無い。

 スキンシップ大事。ノーポリス。


 ……。


 会計を済ませてふらふらと外に出ると、少しひらけた通りの向こうに、移動販売のクレープ屋を発見する。


 匂いの正体はこれか。

 外部からの入力で大きく影響を受けるとは、俺の記憶力も適当なものだ。


 クレープ屋は、正面に「へ」の字を縦に2つ重ねたエンブレムが付いた中型のバンで、側面をくり抜いて円形の電熱プレートや調理器具を詰め込んで、中でクレープを作れるように改造したキッチンカーだ。


 若い女性の店員が良い笑顔で手際良く作業をしている所を、横目でさりげなく見ながら近く。


 そう言えば、先ほどの店ではコーヒーしか飲んでいなかったので空腹である。

 クレープが食べたい。


 だが、大体の男性にとってそうだろうが、こういった店を利用するのは敷居が高い。

 何故甘党の市民権は無いのだ?

 差別では?


 子供たちと関わるようになってからすっぱりと止めてしまったタバコの反動か、普段の食事も間食もしっかりと取る傾向に変わりつつあってお腹の減りを自覚しやすい。

 それは良いことなのだが、今はその時では無いのだ。


 我慢する理由が「買うのが恥ずかしいから」というのは非常に子供っぽく感じるが、男は見栄を張ってなんぼである。


 後ろ髪引かれつつその場を後にしようとする。

 と、そこに


「先生?」


 少しあどけなさの残る声。

 聞き覚えのあるそれに振り向くと、見知った少女がベンチに腰掛けてこちらを見ていた。


「らいかか」

「らいかか」


 九官鳥のように復唱して、らいかは肩をすくめて見せた。


「手厳しいな。予期しない所で会えて俺は嬉しいくらいなんだぞ」


「そんな風には見えなかったけどなぁ」


 そう言って足をぷらぷらさせる。

 張りのある肌の柔らかそうな右の素足には赤のクロックスを履いており、左足にはアクリル製の義足がはめ込まれていた。

 内部の機械が透けて見える構造だ。


 彼女の父親代わりである真名瀬さんは、元々医療の心得があったそうだが、今は義肢装具士としても活躍している。


 おそらく今日身につけているものは新型の義足だろう。

 たまにこのように試作品を作っているのだ。


 ということは、プロモーションか何かの帰りかもしれない。


「真名瀬さんは? 一人ってわけじゃ無いだろう?」


「電話しながらどっか行っちゃった」


「そうか」


 長くなりそうだから席を外したのだろう。だとしたらプロモーションは色よい返事を貰えるのかもしれないが、その代わり、らいかはしばらく待ちぼうけを食らうな。


 良いことを思い付いた。


「らいか、あそこにクレープ屋がある」


「あるけど」


「食べたくないか?」


「え、おごってくれるの」


 遠慮も何もあったもんじゃない。


「あぁ、いいぞ」


「なんか怪しいなぁ。もしかして自分一人だと買うのが恥ずかしいけど女の子と一緒ならセーフみたいに考えてない?」


 図星である。


「……そんなわけあるか。好きなの買ってこい」


 千円札を手渡す。

 俺のバカ!


「にしし、ありがと」


 らいかは駆け足でキッチンカーまで走って行き、黒板に書かれたメニューに目を通している。

 今回の足は多少激しい動きに耐えうるようだ。


 俺はしばらくそれを恨めしそうに見ていたが、突如として振り返って駆け戻ってくるらいかにバレないようにポーカーフェイスを装った。


「おかねたりないよ」


「なんだと」


 そんなはずはない。

 それともこのちびっ子は、生意気にも渡したお駄賃以上のモノを買おうというのか。

 教育者として彼女に清貧であれと諭すべきか、俺の男としての人間的小ささを露呈させるのを控えるべきか、二つの思いがせめぎ合っているところに、彼女の追撃が加えられた。


「先生の分、あたし買ってきてあげるよ」


 あー。

 そうだったな。割と気配りが出来る娘だった。


「じゃあ頼もうか、何にするかな……」


「あ、チョイスは任せて」


 …………。


 しばらくして眼前に突き出されたのは、シナモンの香りが食欲をそそる、リンゴのコンポートが入ったクレープだった。


 良い選択をする。

 ベンチに二人並んで腰掛けて食べ始める。


「うまーい」


 裏側が透けて見えそうなほど薄く焼かれたクレープは歯触りがよく、中にはしっかりと卵の味がするカスタードと脂肪分の多い事が分かる濃厚な生クリームがたっぷりと入っていた。

 少し重たくなってしまうそれらに、ほろ甘いリンゴの酸味がアクセントとなる。

 美味しい。


 ところで、らいかも同じものを食べているのが気になった。


「こういうの、女の子は別々のモノを買って食べ比べたりするイメージがあったな」


 言ってから間接キスになることを忌避したのかもしれないと気づき、あぁと呟く。


「……」

「先生にその、お察しされるの気にくわないなぁ」


「諦めてくれ、俺はお察しするマンなんだ」


「何それ」


 頬にクリームを付けたままらいかがケタケタと笑う。


 ウェットティッシュで口元を拭ってやる。

 しずくと比べるとお上品さがないが、子供らしい笑顔で好ましい。


「この時間におやつ食べちゃったけど、晩飯は大丈夫か?」


「問題ないでしょ、このくらいなら」


「一応この事は秘密な」


 子供たち一人一人に食べさせていたらキリがなくなる。

 ついでにいつもの、大人の汚い工作である。


 安価に得られる信頼。


 世の中に溢れるそれを、俺はどうしても悪く言えない。

 手段として多用してしまっているからだ。


 不意に浮かんできた苦味を、俺は甘ったるいクリームと一緒に喉の奥に流し込んだ。

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