クラビエデス1

 白い壁で囲まれた密室の隅に、縦横の大きさが1メートルくらいの機械がいくつも据えられている。

 正式名称は電動球出しテニス練習機というが、特に重要な情報ではない。


 これは改造が施されて弾速もまるで違うし、センサーで前方の対象に向けて硬球を射出する、全くの別物と化しているからだ。


 部屋の中央には小柄な少女が1人、ラケットを手にするわけでもなく、やや緊張した面持ちで立っていた。


 テニスの打ちっ放しとも少し違う雰囲気。


 少女は、胸元にやや届かないくらいの艶のある黒髪で、片方のもみあげを三つ編みにしていた。


 白い部屋を照らす照明の光が、彼女の瞳の明るい色の虹彩に迷い込んできらきらと黄金色の光を反射させる。


 天井にあるスピーカーからボソボソと何かが聞こえたのを合図に、機械が一斉に駆動を始めた。


 蛍光色のボールが唸りを上げながら少女に向かって飛翔する。


 ――彼女は動かない。


 ――球体が少女の身体をしたたかに打つ直前、それは“初めからそこに居たかのように現れた”――


 艶めいた黒のモーニングドレスを纏った女性のシルエット。

 だが節くれ立った手脚は、それが人間ではなく、そのように造られた人形か、はたまた異星の生命体を模しているようにも見えた。


 ――次の瞬間には、無軌道に放たれたボールが“それ”が手にした得物によって串刺しにされていた。


“それ”はカレードと呼ばれる。

 超能力によって生成される生命を持たないモノ。


 得物はフルーレと呼ばれる細身のサーベル。

 刃先に刺さったボールは四つで、おそらく身体にぶつかる軌道を描いていたものだろう。


「見て見て、お団子」


 少女はカメラに向かって話しかける。確かに串に刺さった団子に見えなくもない。


 だが向こうからの反応が無いことにつまらなそうな顔をすると、カレードにぽんと触れる。


 その場で棒立ちになっていた人形は、手にしたフルーレを優雅に振るい、刺さっていたテニスボールがすぽりと抜けて床に落ちる。


 カメラの向こう側では、白衣を着た大人達がモニターを介してその様子を伺っていた。


「室内の滞在時間300秒でのカレード発現を確認」


「驚異的ですね。次は10秒短縮して再計測行いますか?」


「いや、一旦一休みさせましょう」


 赤い縁の眼鏡をかけた研究員がマイクに向かってボソボソと喋った。

 モニターの向こう側では、少女がぺたんと床に座り込むのが映っている。


 大人達はそれを見ながら深く息を吐いた。

 喜ばしい成果が出たはずだが、研究室の空気が重いのには理由がある。


 それは、密室にいる少女、まきなの出自によるものであった。


 この場所、ジャコウエンドウの温室は独自にミメーシスの研究をしていた。

 それなりの期間を費やし、より真理に近づいているという自負を持って。


 組織内に“とある集団”の1人を擁するという事も、その自信を確たるものとしていたが、実際のところそれは偶然によるものであり、自分たちの成果によって手にしたわけでは無い。


 それを否が応にも自覚してしまったのだ。


 ここには潤沢な資金も、最新の設備も無く、ここ暫くはめぼしい成果を挙げられてはいない。


 国内には他にも同様の研究をしている機関はあろうが、そことの情報共有も無いため、今迄は出せない成果にも知らぬ存ぜぬで続けてこれたのだが、まきなの存在によってそれが打ち砕かれてしまったのだ。


 彼女は優秀である。

 現在施設に在籍している子供達の中でも、飛び抜けてミメーシスを使いこなすのが上手い。


“カレード”も自由に発現させることができるのだ。

 カレードとは、ミメーシス能力が目視出来る状態を指すもので、この段階に至るのは容易なことでは無い。


 ……他に施設内でそこまでの段階に届きそうな子供は数人しかいない。

 いづれもまきなには劣る。


 ある日ふらりと外部の組織からやって来た少女が、自分達のやって来たことよりずっと進んだ技術を身に付けている。


 それがこの重苦しい空気の正体だ。

 このような事実は知りたくはなかったが、早い段階で知る事が出来て良かったと思うしか無い。

 もし今後“教団”からの資金援助が途絶えたとしても、その理由が推察しやすい。


 ついでに、まきなを連れて来た「彼」にも感謝しなくてはいけなかった。


 聞くところによると、「彼」と付き合いのあった廿楽つづら技術研究所からの依頼なのだそうだ。


 廿楽技術研究所と言えば、当施設とは比べ物にならない巨大企業で、ロボット開発を始めとするいくつかの研究機関を擁する所である。


 近年では、歩兵の為の随伴輸送ロボットの研究を行っていたはず。


 次世代ドローン開発計画で、多国籍企業であるアイセイヴAGにトライアルで敗れた事は記憶に新しいが……。


 ……もしかすると、無人機一辺倒の流れになりつつある現状、そして劣勢となった自社ロボット開発に対する他社へのカウンターとして、超能力の研究もしている可能性がある。


 ミメーシスは、何故か国内でしか存在が確認されていない。日本固有の超能力である。


 他国に暴かれる前に、自分たちで全ての謎を明らかにしようとするのは至極当然の事。


 今回のまきなの委譲は、協力の意図があるのか、はたまた牽制の為か。


 モニターの向こう、まきなのカレードは木の幹のように立ち尽くしている。


 それは少女を護る敬虔な信者のようにも見えるし、死の宣告の為に訪れた死神のようにもみえる。


 生命を持たない人の形をした物というだけで、ここまで様々な思いが巡らされるのだ。


 ところで、黎明期はいざ知らず、いくつか世代を経た現在では、人型のカレードは珍しい。


 何故なら、カレードは「出来ることの有無によって使用するリソースに違いが出る」のだ。


 人型にして多目的に備えるより、例えばらいかの弩のように割り切って1つの用途に絞った形状を選択した方が良い。

 その方が単純な出力(火力)が増すのである。


 廿楽技術研究所がジャコウエンドウの温室よりも進んだ知識を持つのであれば、どうしてそうしなかったのか。

 あるいは、まきなという少女がそれ程特別であるという事か……。


 では、彼女が此処に居る目的は?


 研究者達は首をかしげるのであった。

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