アップルシナモンカスタードホイップ2

身体がおかしい。

 起きるなり、らいかは異変に気がついた。

 いままではこんな事なかったのに。


 昨日の夜も、折檻の最中に気を失い、盛大に失禁したようであった。

 都落ちした奴が鞭打たれるのを愉しむショーは途中でお開きになったようだけど、もしかしたら今日は昨日の分まで叩かれるかもしれないと思った。


 上体を起こすと急に気持ちが悪くなり、胃の中身を吐きだす。


 晩ご飯は食べなかったので黄色い胃液だけが噴出して、すでに濡れた床に上書きされる。


 片付けないと。


 起き上がる時に「もしかして痛くて立ち上がれないのでは?」と心配したが、それは杞憂であった。

 でもその時に左足を見ると、ぼろ切れを巻いた足は右側の倍以上に腫れあがっていた。

 剥がして見る勇気はないのでそのまま放っておく。


 ゴシゴシと床のモップ掛けをしながら、窓の外を確認する。

 日はすっかり昇りきってしまい、今はお昼過ぎだろう。

 こんな時間まであばら家に居たことはなかった。

 もしかして具合が悪ければ寝て居ても良いのだろうか? じゃあずっと寝ていたい。はたらきたくない。


 掃除が終わると、らいかはまた寝床に倒れ伏し、そのまま眠りに就いた。


 …………。


 次に覚醒した時には、夕方だった。

 帰ってきた子供達が歩き回る振動や、賑やかな話し声が遠くで鳴っているように感じる。


 目を開けると一日中サボっていた事がバレてしまうので、目をつぶって狸寝入りをする。

 ハナコを含む数人の少女達が近づいてきて、すぐそばで話をしている。


「まだねてるよ」

「ウケるー」

「超おもらししてたもんねぇ、恥ずかしいなぁ」

「いびきもやばかったよ」

「しぬかな?」

「しぬかもね」

「足やばいしね」

「なんでこんなになってるの?」

「バカだからでしょ?」

「ウケるー」


 なんとでも言うといい。

 治ったら真っ先にやり返してやる。

 らいかはそう心に誓った。


 話の最中、二、三度蹴っ飛ばされたが、らいかは頑なに狸寝入りを続行した。


 得体の知れない部分は怖いのか、少女達もぼろ切れを剥ごうとはしなかった。

 そのうち飽きたのか、人の気配がなくなる。


 途中、鬼婆が来た気もするが、特に何かされた記憶はない。

 夢と現実の境目が曖昧だ。

 らいかはまた夢の世界へ落ちていった。


 …………。


 夜中に目がさめる。

 周囲が寝静まっていることを確認してトイレに行こうとしたが、月明かりが弱く、この足ではうまくたどり着けそうになかった。


 我慢する。


 …………。


 目を覚ます。

 オレンジ色の光が部屋に射している。

 今がいつなのかはわからない。

 ぶーんぶーんという何かの音が耳触りだが、寝られないほどではない。

 目を閉じる。


 …………。


 目を覚ます。

 今日は少し調子がいいかもしれない。

 人が居ないのを確認してから目を開ける。

 足を確認すると、腫れは少し引いてきているみたいだ。良かった。


 でも、つま先の方は妙に黒ずんでいた。

 それに、ハエがたかっている。


 おそるおそるぼろ切れを剥いで見ると、その裏側にはびっしりと米粒のような虫が付いていた。


「ひっ」


 ぼろ切れを放り投げる。

 投擲の力も足りず、ぼろ切れはらいかのすぐ近くにべちゃりと着地した。


 足に巻き付いたビニール袋は、中が血とも泥水ともつかない液体で満たされていて、傷んだ臭いが鼻をつく。


 どうなってしまったんだろう。彼女にはどうすればいいかわからない。


 新しく巻くぼろ切れを探して這いずっている間に、また意識は遠のいて行った。


 …………。


 目を覚ます。

 下半身がぐっしょりと湿っていて不快だ。

 どうにかする気力もない。

 目を閉じる。


 …………。


 目を覚ます。

 いつものあばら家ではなかった。

 ゴツゴツとした石のような塊がいくつも身体の下にあるようだ。

 身じろぎするとガサゴソと騒がしい音がする。


 知らぬ間に何処かに運び出されたのかもしれないとらいかは思う。


 昨日の夜、汚物まみれで虫の息になっていたらいかは、もうダメだと判断した鬼婆の命令によって、野外のゴミ収集庫に投棄された。

 ……失神していた彼女は知る由もないが。


 ここがどこか確認をしたいが、目脂がこびり付いてうまく目を開ける事ができない。

 手で擦ろうにも、もう腕を上げる体力も気力も残っていないようだった。


 再び意識を手放そうとする。

 もう目を覚ます事はないかもしれない。


 でも、

 ……それは。

 それだけは嫌だった。


 根源的な恐怖から来るものかもしれないし、彼女の意志の強さに依るところかもしれない。


 頭の奥の方がちかちかと瞬いて、らいかの目はカッと開いた。


 幸いにして、ゴミ収集庫の中にいるわけではなく、その横にうつ伏せに転がっているようだ。

 よかった、と思う。


 鋼鉄の扉の中に居たら助けを求めることも出来ず、詰みだったからだ。


 それでもここは路地裏。

 人通りもなく、助けを呼ぶ大声を上げようにも何日も飲まず食わずで喉はカラカラだ。

 喉は壊れたラッパみたいに空気を送り出すだけで、これでは到底繁華街まで声を届けることなんて出来ない。

 そもそも、お腹に力を入れて声を出す力なんてもう残っていないのだ。


 それでもこの想いは。


 生きたいという叫びを上げなければ。

 助かる見込みなんてない。


 ふと、

 すぐそばに何かの気配を感じた。

 人ではない。

 たぶん。


 うつ伏せに倒れ伏したらいかには確認のしようもないが、その何かは「まかせて」と言ったような気がした。


 直後、風切り音がして、近くの壁が弾ける音がする。

 大きな音がすれば誰かが見に来てくれるかもしれない。

 だが、まだダメだ。

 もっと、もっと大きな音を。


 それに呼応するように、今度は風切り音と轟音がほぼ同時に聞こえた。

 ゴミ収集庫が大きな音を立ててひしゃげたのだ。

 それでも、すぐに人が来るわけじゃない。


 自分がいる事を示すための導が必要だ。


 らいかは、残った気力を全て込めて、ようやく一言「お願い」と呟く事が出来た。


 そして3度目の風切り音は、路地裏を抜けて遠く遠くまで飛礫つぶてを運び、賑やかな市場の中でもとりわけ人通りの多い花屋の屋根で、くるくると回る風見鶏をぶち抜いた。


 辺りは一瞬だけ騒然とするが、まるで何事もなかったかのように、直ぐに元どおりの人の流れに戻ってしまった。


 彼女の想いを誰も受け取らずに……。


 いや、


 一人、壮年の男は、風見鶏のカケラを拾うと、その嘴の指す先、路地裏の薄闇をじっと見ていた。


 ***


 真名瀬まなせ 哲也てつやはその日、たまたま予定していた会合が無くなって、たまたま娘の誕生日だった事もあり、蚤の市にふらりと足を運んだのだった。


 ただ、子供が喜びそうなものはあまり無い。きちんとした物を、と考えるなら、T区画のデパートのおもちゃコーナーにでも行った方が上等なものが手に入るはずだ。


 それでもここにやって来たのは、物品が目的ではなく、娘との思い出に浸る為だった。


 ことわざに「死んだ子の歳を数える」というものがある。不毛である事の例えだ。

 彼もそんな事は百も承知だが、親とはそういうものなのである。


 賑やかな通りに出ると、日の当たる良い場所にある花屋は、今日も活気付いていた。


 彼の娘はここの屋根の上にある風見鶏が好きだった。ブリキの鶏は、いつもピカピカに磨かれており、風車の回転も滑らかだった。

「コッコさん コッコさん」とはしゃいで駆ける姿を幻視する。


 それを追いかけようとして数歩ふらふらとして思いとどまり、立ち止まって空を仰ぐ。


 無駄なことをしようとしている。

 ……もう、あまりここには立ち寄らない方がいいのかも知れない。


 そう考え、見納めのように一度風見鶏を見た、ちょうどその瞬間だった。

 それが、激しい打撃音と共に弾け飛んだのだ。


 見ていたのは真名瀬一人だけだっただろうが、音は雷鳴のように響いたので誰だって気がつく。

 辺りは一瞬、騒然となった。


 街の住人達は「銃声」というものをよく知っている者が多い。

 幾人かは直ぐに地面に伏せ、他は第二撃があれば直ぐ駆け出せるよう身構えた。


 しかし、数十秒経っても何も起こらない為、人々はお互いの顔を見合わせ、イタズラか何かと思ったのか、直ぐにまためいめいに、各々の目的に戻っていった。

 慣れっこなのだ。


 弾着の瞬間をしっかりと見ていた真名瀬には、それが銃弾によるものではない事は分かっていた。


 狙撃に使うライフルの弾丸は容易に音速を超えるが、先ほどのは肉眼でも充分に軌道を追える程度であった。


 おそらくはもっと原始的な構造のもの、弩いしゆみなどで射たらああいった状況になるのではなかろうか?


 真名瀬は弾け飛んだ風見鶏の破片を摘まみ上げる。

 この時代に誰がそんな物を持ち出して運用しているのか、にわかに気になった。


 最近自分が関わっている「とある概念」に関係しているかもしれない。


 射角は水平に近かった。

 この辺りにはあまり背の高い建物はない。

 つまり、それなりの遠距離からの投擲。

 弩はそれなりに大掛かりな物であると推測される。

 娘との思い出を破壊したモノの正体をはっきりさせてやろうと、真名瀬はそちらに向かって歩き出した。


 ***


 ……。


 …………。


 目を覚ますと、らいかは自分が真っ白なシーツのベッドで、ふわふわの羽毛布団にくるまっている事に気が付いた。


 あ、死んだな。と彼女は思う。


 ここは天国かな?

 悪い子じゃないから行くならそっちだろう。


 視線を横に動かすと、姿見が立て掛けてあった。自分の姿がそこに映る。


 ベッドから管が二本飛び出していた。

 一つは腕のあたり。もう一つは足元だ。

 布団から左腕を出して確認すると、その管は手首に繋がっていた。


 元を辿ると、頭上に透明なパックがぶら下がっており、その中身が彼女の中に注入されているようだった。

 パックには「PPN」と書かれていたが、異国の言葉は読めないので何かは不明だ。

 ……ちなみにPPNとは、血管へと投与する高カロリーの液体で、末梢静脈栄養輸液の略称である。


 もう一本の行方も探り、右手をもぞもぞさせたらいかは途端に顔面蒼白になった。


 管は股間に刺さっていた。


 しかも深々と刺さっていた!


 どうやらここは天国ではないという結論に達する。

 もしかしたら自分は知らぬ間に地球外生命体に拉致アブダクトされたのかもしれない。

 で、デリケートな秘密の部分を調査されているのかもしれない。

 えっちである。


 だけど、兎にも角にも生きてはいる。それは喜ぶべきところだ。

 彼女は楽天的だった。鬼婆の所にいるよりはマシというのは確かであるが。


 とりあえず周囲を探索するべきだろう。

 ここはUFOの中かも知れない。

 らいかは身を起こし、自由になるために腕についた管をむしり取る。

 股間から管を引き抜く時「んっ」とやや艶めかしい声が出た。


 そうして拘束を解いたらいかは布団を跳ね除けて、颯爽と立ち上がるのだ。


 らいか、大地に立つ。

 そう自分で銘打ってみたが、実際はそれには失敗して、床にべちゃりと這いつくばる形になった。


 ???


 何故か立ち上がれない。

 そこまで身体の使い方を忘れてしまったわけではないだろう。

 そこで、怪我をしていた左足が綺麗さっぱりしている事を確認した。


 スネから先辺りが存在しない。

 右足と見比べてみる。

 うん、無い。


 えっ?

 無い?


 混乱していると、そこに人がやってきた。

 おじさんの姿をしている。そういう宇宙人もいるのだろうか?


「目ぇ覚めたか」

「それ、何とかしてやりたかったが、ほとんど傷んだ漬物みたいな状態でな。取っちまう以外にできる事がなかった」


 男はらいかを見ながらそう言った。

 その視線を追うと、無くなってしまった左足に行き着く。

 処置が完璧ではなかった事を詫びているのだ。

 なるほど。


 つまり、自分が意識を失う前に求めた助けが通じ、この人によって治療が行われたという事らしい。

 なら宇宙人ではない。


 らいかは自分の事が好きで、身体のどこかしらに不満があったりはしなかった。愛着があった。

 だからその一部を欠損した事を、もっと取り乱すかと思っていた。

 でも、案外凪いだ海のように自然と「無くなってしまったんだなぁ」と他人事のように思うのだ。

 ……もしかしたら、後々後悔に苛まれるのかも知れなかったが。


 抱きかかえられてベッドに戻されたらいかは、ふと思った疑問を口にした。

 どうして助けてくれたの? と。


 真名瀬はすこし照れ臭そうにして頭を掻きながら、「娘に少し似ていたんだ」と答えた。


 ベッド脇の姿見には、未だ顔をパンパンに腫らした自分の姿が映っている。


「あなたの娘さん、あまり可愛くなかったのね」


 不満げにらいかがそう言うと真名瀬は、生意気な事言いやがって。と笑った。


 ***


 大切なものを失ったとき、人はどうするだろう?

 怒って、悲しんで、恨んで、嘆いて。


 そうして時を過ごして、ある日想いが薄れてきた事に絶望するかも知れない。

 それでもいつか、また大切なものを見つけて歩んでいくのである。


 二人もこの日より、紆余曲折を隔てつつ、かりそめとは言え親子の絆を紡いでいくのだが、前途は明るいばかりではない。


 施設、「ジャコウエンドウの温室」へ身を寄せてから、「彼ら」と出会ってから物語は大きく動き始める。

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