君とスモアを

ディファレント1

 決して屈するな。決して、決して、決して!

          ―ウィンストン・チャーチル―


 ***


 子供たちに配ったまっさらな画用紙は、彼らの未来の可能性そのものだとかうんたらかんたら。


 もっともらしいことを伝えて、この日の美術の授業は写生を行う運びとなった。


 秋晴れの空は朗らかで外の空気を吸わせようと誘うが、教室の外へは出ない。


 担任の赤沢教諭が欠勤なので、俺一人では子供たち全員に目が届かないからだ。


 決してニセ教師である俺が楽をするためではない。

 決して。


 お題は、「記憶の中の風景」


 写すものが無ければそれは写生ではなかろうという声も聞こえず、子供たちは、思い思いに鉛筆を走らせた。


 …………。


 少しして、どんな絵が描かれているのかを確認して回る。


 ひかるを中心とする活発な男子3人組は早々に完成させたようで、画材道具で遊び始めていた。


 彼らの画用紙には、3人そろってでかでかと「ω」が描き込まれている。


「早いな。何を描いたんだ?」


「おっぱい」


「おしり」


「きん◯ま」


「ワハハハハ!」


「馬鹿野郎、描き直せ」


「えー、いま笑ったじゃんか」


「駄目」


 どんな場所でも、男児の行動は一貫していて安心できる。

 写生の時でも、心にはいつでも射精に関するワードがひしめいているのだ。


「だって楽しくないんだよ〜」


「外行こうぜ外に」


「仮にさ〜ここがサバンナだったとしたら、こんなのんびり絵なんて描いてたらライオンに食べられちゃうよ」


 口々に文句を垂れるのを制する。

 とりあえず丸め込まないと後々まで引きずりそうだな。


「ここサバンナじゃねぇし」


「それに人類はサバンナの覇者だったんだぞ。安心して絵を描け」


「嘘だぁ」


「先生はあんまり嘘つかないんだ」


「いいか、これから面白い話をしてやろう」


「人間の祖先の猿が樹上生活をやめてサバンナに出て来たのは数百万年は前の事だ」


「この猿には鋭い爪や牙もなかった。最初は群れで身を寄せ合って暮らしていたんだ」


「この時はまだ、サバンナでも下から数えた方が良いくらいの弱い生き物だったろうな」


「だがある日転機が訪れた」


「群れの中の1匹が、棒切れを持つと安全に獲物を狩れる事に気が付いたんだ」


「それは即座に群れの中に広まって、みんなが棒を持った。更に、他の1匹が先端の尖ったものが良い事を発見した。みんな棒の先を尖らせた」


「そうなるとこの群れは、他の群れの中でも圧倒的に狩りが効率的に行える」


「この事は他の群れにも伝わった。便利な事はみんな知りたいんだ」


「それで、どうなったの?」


「そりゃ凄い事になるさ。原人が揃って槍を持ったんだ。狩りに出る者は一人残らずな。ゾウもキリンもライオンも狩の対象になる」


「でもこれで終わりじゃない」


「人数が多ければ多いほど優れたアイデアも浮かぶんだ」


「誰かが、その尖った槍を投げると強いって発想に至るまでにそんなに時間はかからなかったはず」


「さらに、しなりのある棒に弦を張り、そこに槍をつがえて撃ち出す、弓矢の発明も程なくして起こる」


「こうなれば、屈強な男だけではない。女性や老人、子供に至るまで優秀なハンターとして活躍できる」


「すげー」


「そうだろう?」


「さて、ここで考えなきゃいけないのは、ご先祖様は何が一番凄かったのかというところだ」


「ひかる、それが何かわかるか?」


 リーダー格のひかるにそう尋ねると、彼は実に自然なしぐさで顎をさすると、


「……頭が良かった?」


 と答えた。


「広い意味ではそうだな。もっと細かく言うと、なんだと思う?」


 隣にいる取り巻きの少年、みつきに問う。


「手先が器用?」


「それも答えの1つだな。でも一番重要なのはそれじゃないんだ」


「わかんないよ」


「わかんないかー、知りたい?」


「……知りたい」


「いい返事だ。人が他の動物と違うのは、形の無いものの価値を知っていた事なんだよ」


「?」


「今の話の中では、情報の事を指す」


「上手く狩をする為には何が必要で、その為にどう備えたら良いのか。その知識の事だな」


「他の動物は、自分だけか、その子供まで。場合によっては群れの一員くらいまでは共有されるかもしれないが、それ以上はない」


「これは、鳴き声などでは伝えられる情報量に限界があることも関係している」


「ならご先祖様たちは一体どうしたのか?」


 俺は黒板に弓をつがえた(つもりの)棒人間の絵を描いた。


「あっ、絵なんだ」


「そう、ここで話が繋がったな」


「原人達に急速に情報が広まったのは、絵の存在が大きいんじゃないかってことだな」


「今でも洞窟の中などに壁画が現存しているけど、痕跡が残っていないだけで、当時、絵はそこら中にあったはず」


「言語と違うところは、受け手に知識があまり必要ないと言うところだ」


「知らない相手に知ってもらう為に、絵はとても有用なんだな」


「正確には、伝達の手段としての言語と絵の発達はどちらが先かは判っていないんだ。ただおそらく、それは同時に進行しただろう」


「優れたアイデアを生んだ人は絵を通じてそれを共有し、情報を得た人はそれに感謝をする。とても良いサイクルだろ?」


「まとめると、今日の人類の発展は、元を辿ればひとつの絵が生み出していると言って過言ではないって事だ」


「うおー! すげーよ! 先生すげー!」


「だろぉ?」


「だから3人とも、自分だけの優れたアイデアをこの画用紙にたくさん描き込んで、みんなに見せてやるんだ!」


「よっしゃー!」


 丸め込み成功。

 やれやれだ。


 こちらは放っておいてもあとはそれなりに仕上げてくるだろう。その時に色々と添削してやれば良い。


 彼らとは対照的に、少女達のグループの反応は冷ややかだ。


「バッカじゃないの」


 まきなは取り巻き達の中心で、三つ編みを手で弄びながら吐き捨てた。


 昨日尻をペンペンしたのを根に持っているんだろう。可愛いものだ。


 俺の視線に気がつくと、まきなは食ってかかるように続けた。


「先生の話は流れが変なんだよ」


「この味がいいねって君が言ったから今日はサ〇ダ記念日。みたいな前後が繋がってない話をするんだもん」


「どうせ読んだ事ないだろそれ」


「ともかく! まきなはそんな詐欺師みたいな話に心は動かされないの!」


「それはいい心がけだな。だがそうやってぴーぴー煩い奴の方が騙されやすいんだぞ」


「——っ!!」


 まきなが怒りの声を上げるので退散をする。


 …………。


 もう一つの女子グループ、らいかたちの集まりはテーブルを一箇所に固めて割と作業に熱中していた。

 いや、揉めていた。


「どうした?」


 近くまで行ってみると、らいかが同じ集まりの中の少女、はつねをなだめすかしていて、しずくは側でおろおろと所在なさげにしている。


 しずくのテーブルには、絵の具のパレットをひっくり返したような、鮮やかで前衛的なものが広がっていた。


 これは……。

 大方、はつねが倒した筆洗いバケツがしずくの作品を直撃した感じだろうか。


 しずくは怒ってはいないが、加害者側が泣き出してしまった事の感情の変化についていけないようだ。


 彼女はこの辺りの機微に疎い所があるな。

 後でフォローしてやらないと。


 だが、まずは現状を納めなくてはならない。

 俺が楽をするなら、しずくに描き直しを命じれば済む話だが、それだと少女たちに小さな禍根を残しそうだ。


 可能な限りの原状復帰をさせ、さらにそこから絵の完成に漕ぎ着ける方法は……。


 ***

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