クラビエデス4

 ***


 人類が農耕を行うようになってから数万年の時が経つと言われている。


 その頃から比べると、我々は空を飛行し、多くの未踏だった地を踏み、月面にその足跡を残す偉業を成し遂げ、地球以外の別の惑星で生きる事すら視野に入れている。


 だが、それだけ文明が発達してなお、人は土に種を植えて作物を育てているのである。


 これは喜ばしい事だ。

 何もかもが変わる必要はない。

 変わらないものと言うのは、心の安定を生む。


 だから俺は畑仕事が割と好きだ。

 ……趣味の範囲内なら。


 休日の午前中には、こうして畑をいじる事が多い。

 平日より水やりの時間が遅いのはご愛嬌である。


 緑色の象の鼻から放たれる飛沫を、枝豆さけのつまみの青々とした若葉が勢い良く弾き返す。


 なにかを育てると言うのは喜びと共にある。

 それは、大きく育つものであればあるほど良い。


 子供達と関わるようになって、そんな想いを抱くようになった。


 ただ、その善なる想いと同時に、付かず離れずまとわりつく影のような感情もある。


 これが表裏一体であることを意識の外に追いやってしまうのだ。


 ……。


 枝豆の苗の一つのそばにしゃがみ込み、発芽の様子を確認する。


 生育の遅いものが早いものの近くに生えて来た場合、それを摘んでしまう事で、残った方がより大きく育つ。

 植物の育成には基本的な要素である。


 抜き取った苗は廃棄される。

 一般的に、これを可哀想と思う人は少ない。植物だからだ。


 動物だとどうだろう?

 採卵鶏の雄は、育成初期にそのほとんどが選別される。


 その後に食肉用として育てられるのかといえばそうではない。


 ブロイラーと違い、卵を取るために品種改良された採卵鶏の肉は美味くないのだ。


 雄の雛は廃棄処理となる。


 殺処分なんて手間をかけることもない。

 生きたままゴミ袋に詰めて捨てられる。


 昔、縁日で売られていた「カラーひよこ」なんていうのは、この廃棄処理を逃れた個体だ。


 カラーひよこは残酷だ。なんて理由で最近はめっきり見なくなったが、初めからそういう次元には無い問題なのだと思う。


 ……。


 これらに限った話ではないが、役割を果たせなければ生命というものは摘み取られる運命にある。


 これは有史以来積み上げ続けた人類の業で、誰もが納得のいく解決策なんて無い。

 むしろ、何を持って解決とするか、その定義は曖昧だ。


 どの動物なら良くて、どの動物は駄目かなんて線引きも人のエゴそのものでは無いだろうか。


 では人間は?


 …………。


 足元にゾウのジョウロを置いて伸びをする。


 一人で何かをすると、雑念が混ざりすぎていけない。


 安易に壮大過ぎる問題に立ち向かうのは悪い癖だ。


 飲み屋でクダを巻くオッサンと変わらないではないか。


 こんな事では子供達に呆れられてしまう。

 自重しないと。


 そんな時、背後に誰かが居るのを感じた。

 隠そうとしているようだが気配でわかる。


 温室は長年、ろくに手入れされていなかった場所だ。

 足を踏み入れる者は殆どいない。


 ここに立ち入る心当たりがあるのは、しずくにみゆりさん。

 しかし、しずくがやってきた時のような、特有のほわほわした気配ではない。


 もっとこう……林の中で物音を感じて振り向くと、そこには誰もいなくて木々のさざめきを勘違いしていたかのような、無機質なものだ。


 おおかた気のせい。


 だけど俺は、予感に正直になってその場から飛び退いた。


 側から見るとアホみたいだが、次の瞬間には、それは正しい選択だったと思い知る。


 ――足元の土の畝が弾けた。


 生えたばかりの若葉がくるくる宙を舞う。


 今しがた俺が居た場所には、真っ黒なシルエットが、手にした物騒なモノを地面に突き立てているところだった。


 ――まきなのカレードだ。


 研究所では”ナルキッソス“と呼称されている。

 子供たちの能力には、花の名前を付けるのが習わしだからだ。


 だが、彼女はそう呼ばれるのを嫌い、自身の生み出したものを“アンヴェール”と、そう呼んでいる。


 そいつは地面に埋まった、刀身が針のように細い刀剣、フルーレを振り向きざまに斬りあげる。


 ――咄嗟に鉄製の鍬を掴んで身を守った。


 ――打ち合った二本の得物が、びぃん、と大きな音を立ててしなる――


 鍬を掴んだ両手がびりびりと痺れた。

 危うく手放しそうになるのを握りしめ、鍔迫り合いになった所を力任せに押し切る。


 触れそうなほど近づいて気が付いたが、アンヴェールは人型をしているものの、貌が存在しないようだ。


 薄いレースで覆われたその向こう側は、塗り潰されたように黒く、底が知れない。


 隙を見て、腹部と思しき場所に体重を乗せた蹴りを食らわせる。


 手応えは驚くほどに軽かった。

 こんな重量から先の一撃が繰り出されたのか。


 ――距離を取って状況を整理する。


 向こうも、すっと棒立ちになると、フルーレを持った腕をすっと真っ直ぐにあげた。


 インチキくさい示現流のような構え。

 武術の心得は……まきなにも、このカレードにもおそらくないだろう。


 そもそも、あの武器は、先端だけが尖っていて、それ以外の部位には刃が無い。


 あの姿勢からでは刀身を当てるように振り下ろすことしか出来ず、食らってもせいぜい打ち身がいい所だ。


 ……手加減されている?


 いきなり命を狙われるような事をした覚えはないし、おそらくそうだろう。


 まきなにしてみれば冗談のつもりなのかも知れない。


 だが、これはおふざけが過ぎる。

 じわじわと俺の怒りのボルテージが上がっていくの感じる。


 試すような真似をしやがって。


 かなりキツく叱ってやらないといけないが、その為にはこの状況を華麗に切り抜け、完膚なきまでに勝利を納めないといけないだろう。


 そうしないとナメられる。


 この場で怒鳴りつけてもある程度の効果はあるかも知れないが、残念な事に、大人が言ったこと全てがストレートに伝わるわけでは無いのだ。


 発言力は、発言者の人間的厚みに比例する。


 ここで俺が、彼女にとって想定外の怒声を発すれば、現状の解決にはなるかも知れない。だがそれは2度と回復しない名誉の失墜となる事を意味していた。


 …………。

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