温室の少女たち4

 とんかんと不揃いな足音を立てて、先ほどゾウさんを名乗った少女が廃ビルの階段を降りていく。

 マスクをしていて表情は伺えないが、フードに収まりきらない長さのおさげ髪と言っていいのかツインテールと呼ぶべきか、左右高さの違う位置で結った髪が一歩毎に大きく揺れるのが特徴的である。

 くるぶしまで届くようなその長い髪に目がいってしまうが、彼女にはその他にもう1つ特徴があった。

 左の足の膝から下、そこが本来のカタチと異なる。

 飾りっ気のない無機質な義足が金属音を鳴らしているのだ。

 風化して足場の悪い階段の踊り場に立ち、彼女はため息を吐いた。

「あー、貧乏くじ」

 今日した仕事は、能力で2トントラックを動かして通路を塞ぐ事。捕獲対象がそこを迂回した後どのような進路を取るか連絡する事。以上。

 彼女は自身の能力にプライドがあり、今回のような地味な役回りは好きではなかった。

 しかしながらライオンさんの決めた事。不平不満を言うわけにもいかない。それに、今回はきっと自分と同じように自己顕示欲の強いキリンさんに華を持たせる筋書きなのだろう。

 ならばしかたがない。ゾウさんは大人なのだ。

 ライオンさんには帰りに深夜営業のファミレスのデザートでもたかる事にして、早々にカタをつけてしまおう。


「ヒヨコちゃーん、あたしのヒヨコちゃんどこー?」

 地上に出て呼びかけて見るが返事は無い。

 どうやら少し早くに降りて来てしまったようだった。

 見上げると、ビルの合間に切り取られたような夜空が見える。月も星も見えず、どんよりとしていた。

 昔から、ミメーシス能力と光の関わりが強いという事は分かっていた。現在ではそれは生体から発せられる波動が変化したものであると判明しているが、以前はそれは月明かりによってもたらされるものだとする説もあったのだ。でも、新月だろうと曇天だろうと昼間だろうと能力は使える。すぐにおかしいと分かる考えでも、それが否定される迄には長い時間が掛かってしまう。

 自分達の存在が受け入れられるのも、きっと長い時間が必要なのだろうな、とゾウさんは人ごとのように思った。


***


「ごめんなさい遅れました!」

 少女が小走りでやってきた。キリンさんでもゾウさんでもない。消去法でこの娘はヒヨコさんという事になる。

 他の二人とは違って着崩しがない。フードとマスクの間に隙間が出ないよう、ツナギのファスナーを目一杯まで上げて、ぴっちりと密着させているのが生真面目さを感じさせる。

「おそい!腕立て10回!」

「はっ!」

 ヒヨコさんは一瞬姿勢を正してから、その場に伏せて腕立てを始めた。

「嘘よ。やらなくていいってば」

 走ってきたからか、仔犬のように小刻みに呼吸をするヒヨコさんを立ち上がらせると、ゾウさんは腰のポケットから紙パックの豆乳サイダーを取り出し、ストローをさしてヒヨコさんに手渡した。

「あの、これ?」

「半分こね。内緒だよ?」


 2人並んで地面に座り込む。

 待機と言われてはいるが、その後の展開次第ではまだ色々とする事が増える可能性があった。

「ねぇ、こっちに来ると思う?」

「わからないですけど、私だったら多分こちらは避けます」

「どうして?」

「えーと、こちらの戦力が未知数だから……でしょうか」

「向こうから見れば、一度自分を取り逃がした2人と、まだ得体の知れない敵の一味。救出が第一目的なら、妹さんがいるところに全て注ぎ込むのが賢明かと」

「そういうもん?」

「わかんないです」

 ゾウさんが疑問を呈すると、ヒヨコさんがマスクの下ではにかんだ顔をしていそうな声で答えた。

「緊張感ないなー」

「そうでしょうか?……そうかも」

「でも楽しい。この部活ごっこいつまで続けられるかな」

「私も、楽しいですよ」

「出来るだけ長くみんなと一緒に居られたらって思っちゃいます」

「かわいいこと言っちゃって!このー!」

 ゾウさんはヒヨコさんに抱きついた。制止の手を振りほどき、組み敷く。冗談めかしたような黄色い声が上がった。

「きゃー」

 地べたの上で少女が2人じゃれ合う様子は微笑ましく感じられるかも知れないが、薄気味悪いラバーのマスクを装着して、深夜のスラム街で行われるそれは怪しい儀式のようでもあった。ツナギの上から胸を弄られながら、ヒヨコさんが思い出したように言う。

「あ、あのですね、能力によっては、複数の目標に対して同時に仕掛けられる場合もあるので注意が必要だって……」

「そんなこと言っちゃって、よいではないかー」

 その時、なにか不穏な気配が発せられたのか、いち早く気が付いたヒヨコさんは組み敷かれる体勢からゴロンと側転する。ゾウさんとのポジションが入れ替わった。

「わ、積極的」

「何かいます……戦闘になるかも」

「まぁじ?」

 路地の奥、暗闇の向こうはいつだって不気味に沈黙していて、どんな怪物が潜んでいるかわかったものではない。ゾウさんにはいつもと同じ得体の知れなさを感じるだけだったが、ヒヨコさんはそうではないらしい。

 その勘を疑うほどの時間は必要なかった。

 瞬きをした次の瞬間には、不快な羽音とともに″それ″は現れたのだ。

 その姿は、可愛らしい妖精ではなかった。

 握り拳ほどもある大きな胴体。

 それを飛翔させるための強靭な筋肉と二対の羽。

 剥き出しの先端は針と呼ぶにはおおよそ似つかわしくない、肥後守のような鋭利な切っ先。

「蜂!?」

 2人の少女は瞬時に散開する。

 ヒヨコさんはジャンプして忍者のように着地したが、ゾウさんは着地しそこなって尻餅をついた。

 それでも何事もなかったかのように手首に巻かれた厳つい時計に触れると、ねずみ色をしたツナギが淡くぼうっと光り、その身体に白と黒の縞模様を映し出した。それはダズル迷彩を連想させたが、模様がゆっくりと流れて行く様子は、寄生されたカタツムリのようでもあった。

「ゾウさん、お願いします」

「仕方ないなぁ、ヒヨコちゃんの代わりに頑張っちゃうよ!」

 蜂は2人の間を一度突っ切ると、上空を大きく旋回して再び攻撃するために急降下をする。狙いはゾウさんだ。

「さぁ!来なさい!」

 ゾウさんの周辺の地面が蜃気楼のように一瞬揺らめき、彼女の掛け声とともに隆起した。まるで切り出されたかのように立方体になったアスファルトの塊が地上に飛び出す。

 これが先ほどライオンさんが言っていた″カレード″というものらしい。

 塊が飛び出した後の地面は穴が空くわけではなく、オブジェクトが現れて塊の支えとなっていた。

 それは投石器カタパルトに近いカタチを成したものが、1つではなく横一列にいくつも並んでいる。

「1番から5番、全部発射!」

 ピシリと指差した先にいる蜂目掛けて、アスファルトの塊が投擲された。回転しながら鈍い轟音を響かせて飛んで行くそれは、さながら中世の攻城を連想させる。

 しかし、目標は大きくて動かない城ではなく、飛び回る小さな蜂だ(蜂と呼ぶには規格外に大きいが)。

 5つの塊は全て空を切り、壁にぶつかると派手な音を立てて粉々に砕けた。

「ゾウさん!対角線じゃ当たりません!」

 いつの間にか姿が見えなくなっていたヒヨコさんの声だけが聞こえる。

「えっ、そうなの?」

「並行していないと」

「わかった!6番から10番、戻って!」

 まだ塊を投擲していないカタパルトがすうっと消え、立方体のアスファルトが地面に戻っていく。その間に無防備になったゾウさんに蜂が狙いを定めて飛び込んできた。

「やっ!」

 それを遮るように塀の上からヒヨコさんが飛び出し、蜂の横っ腹に飛び蹴りを食らわせた。

 少女の体躯ではあっても、硬い金属の入った安全靴と、高所からの勢いを付けた蹴りは飛翔をやめさせるのには十分な威力で、蜂は衝撃でテニスボールのように地面を跳ねて暗闇に消えた。

「……倒した?」

「どうでしょう……?」

 耳をすますと暗闇の奥から鈍い羽音が聞こえる。

 2人は顔を見合わせてから、思い思いの戦闘ポーズを決める。来るなら来いというような感じだ。

「さっきから、ゾウさんだけ攻撃の対象になっているみたいです」

「そうだよね、ひどい!」

「多分なんですけど、ゾウさん最初に転びましたよね?多分それでターゲットにされているのかと」

「弱そうな方から無力化しろとか? あんまり頭の良い“カレード”じゃないって事ね。攻撃対象を変更も出来ないなんて」

「でも、それなら何とかなりそうです」

 ヒヨコさんはゾウさんの手を引いて、ひらけた場所から細長い路地へ駆け込む。そこで腰のポケットをゴソゴソして、チョコレートバーを取り出した。

「えっ、いまオヤツなの?」

「あっ、間違えました、こっちです」

 今度取り出したのはハンディライトだ。スイッチを入れて今来た道を照らす。

「ここなら細い道ですから、正面から攻めて来てくれるのではないかなぁと」

「ほんとぉ?」

「わかんないです」

 先程からへっぽこコンビなのではないかという疑惑が拭えないが、リーダー格が不在の子供2人ではこんなものなのかもしれない。

 ともかく、迎撃の準備をして2人は待つが、ぶんぶんと羽音がいつまでも鳴っているだけでそこから蜂が飛び出してくることはない。


「…………」

「…………」

「来ないね」

 ゾウさんがチョコレートバーを齧りながら呟く。

「ちょっと仕掛けてみようか」

 そう言うが早いか、少女たちの背後にスッと投石機は現れた。狭い通路であるにもかかわらず、先程よりやけに大きなサイズでの登場である。止める間も無くアスファルトの塊は投擲され、放物線を描きながら暗闇の向こうに消えた。

「あぁ~~!」

 やっちゃった! と言う感じでヒヨコさんが叫んだ。

 地響きと土煙を盛大に散らしたそれは、心なしか満足げに消えて行く。その様は砂の城が風化していくのを早回しで見ているようであった。

「よしっ」

 なにがよしなのかはよくわからなかった。


 成果を確認するまでもない。

 着弾地点は隕石が落ちたのかと言うほどに抉れ、壁には重機が突っ込んだかのように大きな穴が穿たれていた。

 周囲は瓦礫の山で、元々どんな場所だったか想像するのも困難になってしまっている。

 当然、蜂の残骸も見えるところには残っておらず、手頃な瓦礫をひっくり返して見たりするものの、徒労に終わるだけだった。


「倒したでしょ?」

「わかんないですよ……」


 もしかすると逃げてしまったのかも知れないが、もう知る由も無い。

 カレードは形を損傷するか、役割を果たすと消える。どちらにしろさしあたっての危機は回避したと考えるしかないだろう。

 2人の今晩のお仕事は終了したようだ。

 腕時計のスイッチを切ると、うねうねと流れていた縞模様が消えて、ネズミ色をしたツナギに戻った。

「これ、効果あったのでしょうか?」

「どうだろうね? ライオンさんは人の可視域でしか考えてない機能だから意味ないかもって言ってた」

「でも、かっこいいからあたしは好き」

「ちょっとわかります。カタツムリでこう言うかっちょいいのいましたよね!」

「え、それはキモいかな」

「えぇ……」


 雑談をしながら、めいめい服の埃を払って身だしなみを整える。この辺りに女の子らしさを感じるが、いかんせんヘ○ホーみたいなマスクは付けたままなので締まらないのだ。

 2人はお互いに服装をチェックし合い、それが済むとライオンさんが待つ海岸線目指して小走りで駆けて行く。

 それは偶然だったか、街の明かりに向かって走る姿は、光射す方へ誘われていくようにも見えた。


***

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