44 flow


 真っ黒に日焼けして、髪まで明るくカラーリングした陽佳(あきよし)は、妙にチャラついたルックスになっていた。

 新学期を前に、髪を切ってくるー、とふらふらと、中学の卒業前に見つけた今や行きつけの美容院に陽佳が足取り軽く出て行ってから2時間弱。俺は時間を見計らってその店に陽佳を迎えに行った。店の扉を開けると、陽佳が鏡の前でふええええ、と奇声を上げていた。

 鏡越しに俺と目が合うと、なっちゃーん、と情けない声を出す。

 担当らしい男性美容師が、満足そうなドヤ顔をしている。

「これ、派手すぎるよねええ」

 自分の髪をつまんだ陽佳が、訴えるような目をして俺を見る。俺は陽佳の元へ歩いて行き、鏡を覗き込む。眉を寄せてうううー、とうなっている陽佳の髪は明るい茶色、というより金色に近い。今まではほんの少しだけ茶色がかった黒だったせいか、やけにふわふわして見える。

「別に、おかしくない」

 鏡の中の陽佳は、いつも通り毛先が奔放に跳ね、ある程度の長さを残していた。洗いざらしなのにセットしたように見えるのは、クセっ毛と計算されたカッティングのおかげだろう。

「お前は、どんな髪型でも、どんな色でも、似合う」

「……なっちゃんってさ、俺ならなんでもオッケーなんだね」

 陽佳が少し、呆れたような顔をした。

「そうだな」

 俺の答えに、担当美容師が、そのドヤ顔をますます強くした。またしても渾身の出来だったらしい。この人は、陽佳の髪をいじるのが楽しいらしく、3回目の来店の今日は、どうやらカットだけでなく勝手にカラーリングまでしたらしい。

 まあ、陽佳にも責任がある。お任せで、と告げたあと、どうせぐーすか寝ていたのだろう。任せられた美容師がその技術を惜しみなく繰り出すのは仕方のないことだ。

 だって、この素材を、思う存分自由にできるのだ。腕が鳴るのはよく分かる。

 陽佳は、今日もまた、そのかっこよさに磨きをかけてしまった。明日からの新学期が、頭の痛いものになりそうな気がする。

「本当におかしくないぞ。そういうお前も、新鮮でいいと思う」

「…………」

 陽佳は無言で鏡を見つめ、溜め息をついた。

「これで、いいです」

 がくんと肩を落とした陽佳に、美容師が笑顔でドライヤーを手にした。髪をブローし、セットする。その間、俺は店の隅のソファに腰掛けて待っていた。女性の店員が、俺の前にコーヒーを置いてくれた。

「来店、2回目ですよね」

 話しかけてきたので、俺はコーヒーのお礼を言ってから、そうですね、とうなずいた。前回も、俺は陽佳のカットが終わる頃に合わせて店に迎えにきている。

「沢村くん、いつも、なっちゃんがーって、話してますよ。今回も、短くしようかって提案して、なっちゃんが長いの好きだからって断られてました」

 くすくすと笑いながらちらりと陽佳の方を見る。

「短いのも、似合うし、今の長さも似合います」

 俺の答えに、店員が一瞬目を丸くして、再びくすりと笑った。

「私もそう思います」

 そう言って軽く頭を下げ、去って行く。

「なっちゃんお待たせー」

 レジで会計を済ませてから、陽佳と一緒に店を出た。

 隣を歩く陽佳は、また少し、大人ぽくなっていた。カットしたばかりの髪のせいか、明るく染まった髪色のせいか、それとも単純に日々の成長のせいか。すっと通った鼻は高く、くっきりと二重の目は真面目な顔をしていれば最近は鋭さも備えた。もちろん、笑うとほにゃらと全体が崩れるのは変わらないのだが。

 毎日一緒にいるのに、その変化に気付く俺も大概だな、と思って苦笑した。

「なっちゃん、どっか寄っていく?」

 すれ違った女性の視線が、陽佳に注がれていた。

「すごく遊んでるって感じがする」

「ええ?」

 陽佳が驚いたような声を出す。

「今のお前の見た目」

「えええー、なっちゃんひどいー」

「悪いとは言ってない。似合っている」

「何か複雑……」

「気に入らなければ、色だけでも変えてもらえばいい」

 そういうサービスがあると言うのは聞いたことがある。俺はいつも同じ店で切ってもらうだけなので、一度も利用したことはないが、陽佳の場合なら、あの担当美容師も喜んで別の色を試してくれるに違いない。

「うん」

 陽佳は自分の髪をつまんで引っ張っている。

「この髪で学校行ったら、怒られないかなあ」

「大丈夫だろう。──市谷(いちがや)辺りからはからかわれるかもしれないが」

 その場面を想像したのか、陽佳がうっと声を漏らして顔をしかめている。

 また、陽佳を見ている。

 前方からやってくる女子高生らしい2人組。声を潜めて何か話して、きゃらきゃらと笑い合う。ちらちらとこちらを窺いながら、すれ違った瞬間、きゃー、と短く歓声を上げた。陽佳がきょとんとして振り返ると、再び声が上がる。俺はむっとして陽佳のTシャツの袖を引き、こちらに向き直らせた。

「なっちゃん、俺、やっぱり変?」

 両手で頭を抱えて、陽佳が情けない顔をする。

「馬鹿」

 俺はそう言い捨て、足を速めた。陽佳が慌てて追いかけて来る。

「なっちゃーん?」

「お前は、いい加減、自覚しろ、馬鹿」

「え? 何? えええ?」

 そのままずんずんと早足で、俺はどこへも寄ることなく家まで帰ってきた。陽佳はずっと俺のあとをついてきたが、俺がどうして怒っているのか分からないようで、黙って俺の様子を窺うような顔をしていた。

 玄関の鍵を開け、扉を開いた。門の前で、陽佳がしゅんとしたまま立ち止まっている。いつもみたいに入ってこない。

「──何してる」

「だって、なっちゃん怒ってるし」

「怒ってる」

 俺は扉を押さえたまま、言った。

「だから、ちゃんと、機嫌取れ。馬鹿」

 陽佳がはっとして、わたわたとやってきた。家に入ると、後ろ手に玄関の鍵をかける。

「おばさんは?」

「いない」

「いつまで?」

「夕方」

 陽佳は俺の腕をつかんで靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上がった。俺の部屋に飛び込んで、ドアを閉める。ぱたん、と背後で音がしたときには、俺は陽佳に抱き締められてキスされていた。

「──機嫌の取り方、これで合ってる?」

 自信がないのか、少し不安そうに俺の顔を覗き込む。

「合ってる」

 俺はそう答えて陽佳の背中に腕を回した。陽佳が俺をきつく抱き締めたら、切ったばかりのその髪から、カラーリングのにおいがした。


 夏服のシャツの裾が風で舞い上がる。色の抜けたその髪が揺れ、日差しにきらきらと光った。

 俺は陽佳の姿を目を細めて見つめる。そんな俺の様子を見ていた小沢が、紙パックから伸びたストローをくわえたまま、息をつく。

「気になるか?」

 俺は視線を小沢に向けた。持っているのはコーヒー風味の豆乳。いつもはブラックコーヒーかミネラルウォーターを好む小沢が、どういうわけか、時々、これを飲んでいる。

 コーヒー風味ではあるものの、コーヒーではないというのに。

「──あいつが俺以外に目を向けるなんてあり得ない」

 俺は箸を動かし、弁当を食べた。

「すごい自信だな」

 小沢は苦笑して、視線を陽佳に向けた。

 いつもの屋上でのランチタイム。新学期が始まってもまだ暑い日は続いているが、比較的人目もなく落ち着けるこの場所に集まることは多い。けれど今日は、闖入者が1人。

 俺たちのすぐあとから屋上にやって来た女子生徒が、いつものように弁当を開こうとした陽佳に声をかけてきた。少しいいですか、と俺たちから距離を取る。声が聞こえない距離で、その女子生徒は陽佳に何か話しているが、その内容は深く考えなくてもすぐに見当がついた。陽佳が首を振り、頭を下げながら、その女子生徒に断りの言葉を告げているのが分かった。

 太陽の下、陽佳がきらきらと光る。それは明るくなった髪の毛のせい。そして、日に日にいい男になっていく陽佳自身のせい。

「小沢」

「ん?」

「甘くないのか、それは」

 俺が豆乳のパックを指さすと、小沢は視線を落としてそれを見た。

「甘い」

「……そうか」

 甘いのなら、小沢が好んで飲むはずがない。それは分かった。

 小沢の今日の食事はコロッケパンとベーコンロール。豆乳でたんぱく質でも補っているのだろう。誰の差し金なのかも、分かった。自分のことは棚に上げ、小沢の隣で平気な顔をして粒あんマーガリンコッペパンをかじるそいつを、俺は見た。

「──何だ、夏基(なつき)」

 市谷は怪訝そうな顔をしてコーヒー牛乳と書かれた紙パックを持ち上げた。そして、意地悪く笑いながらくいっと顎をしゃくる。

「お前の犬が、餌付けされようとしてるぞ」

 陽佳は女子生徒から何かを手渡されていた。透明のラッピングバックに包まれたそれは、ぐるぐると渦を巻いたクッキーだった。陽佳は何か言葉をかけて首を振ったが、押し切られるようにしてそれを受け取り、それからもう一度深く頭を下げた。

 女子生徒がぱたぱたと走って屋上を出ていく。

「お腹空いたー」

 陽佳が戻ってきて、俺の隣に座った。いそいそと、包まれたままだった弁当を開け、いただきまーす、と箸を持ち上げる。小沢がパンをかじりながら訊ねた。

「1年?」

「うん、隣のクラスみたいです」

 陽佳は遅れを取り戻すようにぱくぱくと弁当を食べている。

「途切れないな」

「小沢先輩ほどじゃないですよ」

「お、先輩を立てるのはいいことだな」

 陽佳と小沢がまるでじゃれるようにそんな会話を交わすのを、俺は見ていた。市谷がイラついたように二人の頭を叩いて、鬱陶しい、と一蹴した。

 陽佳の髪色の評判は結構よかったらしい。今までよりも多少軽薄に見えるようになって、さらに話しかけやすくなったのが原因なのだろう。元々にこにこと笑顔でとっつきやすい陽佳だが、見た目が軽やかになると、その威力も増すらしい。

「なっちゃん」

 陽佳が箸をこちらに向けていた。俺は口を開ける。ころんと俺の口内に転がったのはプチトマト。陽佳は昔から、自分の分のトマトを俺にくれる。弁当の中や、一緒に食事をしているときに自分の皿にそれを見つけると、当たり前のように俺に差し出すのだ。

「なっちゃんはトマト好きだよねー」

「ん」

「この前のトマト鍋、おいしかったねー」

 夏休み中に2人で食べた鍋のことを思い出して、俺はうなずく。

「へー、鍋食ったの?」

「はい。2人で作って食べました。──あ、先輩、トマト鍋ってトマト入れると思いますか?」

「は? トマト味のスープなんだから、トマト入れなくてもトマト鍋だろ」

「ですよね。でも、なっちゃん、トマト鍋にトマト入れるんですよ」

「うまいの?」

「煮えたトマトの味です」

 などと、当たり前のことを言う陽佳に、小沢がけらけらと笑っている。

「不毛な会話だな……」

 市谷が呆れたようにクリームパンをかじった。俺はうなずいて、弁当を食べる。

「──どうした、夏基。今日は大人しいな」

「別に、どうもしない」

「嘘つけ」

 どうせ隠しても見抜かれる。俺は少し不機嫌になる。陽佳がくるんと俺を振り返り、

「なっちゃん、怒ってるの?」

「怒ってない」

「……でも、この前から時々怒ってる」

「お前のせいだ」

「えー、俺、何もしてないよ」

「──自覚、したか?」

 俺の問いに、陽佳が首を傾げる。

「何を?」

 今だって、現に。

 お前は少し、自覚するべきだ。

「いい加減、自分がどれだけモテるのか、自覚しろ」

 そう言い放つと、陽佳はぽかんと口を開けた。俺たちの正面にいる市谷と小沢も、一瞬呆気にとられたような顔をして、それから顔を見合わせて笑いをかみ殺す。

「──なっちゃん」

 陽佳が、弁当を地面に置いた。そこで一拍。まるでかみしめるような間を置いた。

「それって、やきもち?」

「──だったら何だ」

「うわー、なっちゃん、かわいい!」

 ぎゅう、と俺を抱き締めた陽佳が、すりすりと俺の首に鼻先をこすりつける。

「この前からずっと怒ってたのって、それが理由?」

「うるさい」

「なっちゃん好き好き好きー」

 陽佳の身体を支えきれなくて、俺はこてんと後ろにひっくり返った。それでも陽佳は離れない。

「──馬鹿らし」

 小沢が珍しく呆れたように言った。市谷はと言えば、さも当然のような顔をして、

「夏基が嫉妬深いのなんて、昔から知ってる。それこそ今更だろう。陽佳、何でお前が気付かないんだ。──こいつは、お前のことになると、死ぬほど狭量だぞ」

「なっちゃん大好きー」

 陽佳は人の話を聞いていないのか、まだ俺を抱き締めたままだ。きっと、市谷と小沢には、尻尾を振った大型犬に飛びかかられてべろべろ舐められているように見えているのだろうな、と思った。

「お前が、悪い」

 俺の言葉に、陽佳が顔を上げて俺を見る。

「お前が、どんどんかっこよくなっていくから──」

「な、なっちゃん……」

 わなわなと震えるように、陽佳がつぶやく。突然がばっと起き上がり、俺の腕を引っ張って身体を起こすと、陽佳はぐりんと振り返った。

「先輩、校内に、人が来なくて鍵がかかる場所ってありますか?」

「────」

 2人が、心底呆れたような顔をした。

「なっちゃんがかわいすぎて、我慢できませんー」

「アホか。学校で盛るな」

 市谷がひやりとするような視線を向けた。

「夏基、この馬鹿犬を暴走させんな」

 俺は、陽佳に倒されたときに歪んだネクタイを直す。

「そういうのは、家に帰ってやれ」

「は、そうか。──なっちゃん、早退する?」

「──しない」

「えええー」

 陽佳がこの世の終わりみたいな顔で嘆いた。

 陽佳の弁当は半分以上手つかずで、その横には、さっきもらったクッキーの包みが置かれていた。俺はそれをちらりと見て、小さく溜め息をつく。

 ──陽佳が、俺以外の誰かを好きになるなんて、あり得ない。

 それは分かっていた。

 分かっているのに、自分の感情をコントロールすることは難しかった。

 俺以外の誰も、陽佳を見なければいい。

「待てくらい覚えろ、この馬鹿犬」

 市谷が陽佳を怒鳴りつけている。陽佳はしゅんとしつつ口を尖らせ、

「犬じゃないですう」

 その一言に、再び市谷の説教が始まった。俺は大人しく、残りの弁当を食べることにした。

 当たり前のように、俺に差し出したプチトマト。弁当の彩りだったらしいそれは、陽佳の好物のハンバーグの横にちょこんと乗っていた。

 俺は、自分の弁当に入っていたプチトマトを食べた。母親がいつも入れてくれるそれは、彩りというよりもおかず並みに場所を取っている。だから、本当は、陽佳からもらうまでもなく、俺はそれを結構満足するくらい食べている。

 ぬるい風が吹いて、陽佳の髪を揺らした。かなり明るい茶色のその髪が、揺れるたびにきらきらと光る。浅黒く焼けた肌に良く似合う色だと思った。

「陽佳」

 俺は、まだ怒られている陽佳を呼んだ。こちらを向いたその口に、ゴマで目をつけられ謎の生物みたいになっているウズラの卵を突っ込んだ。

 陽佳が一瞬息を止め、それからゆっくりとそれを咀嚼して飲み込んだ。

「おいしい」

 陽佳の弁当のプチトマト。俺の弁当のウズラの卵。

 昔から、当たり前のように、それをお互いに差し出す。

 まるで決まり事みたいに。

「お前ら……」

 市谷が頬を引きつらせる。

「人の話、聞いてるのか?」

「き、聞いてます」

 陽佳が慌てて市谷に向き直り、ひいい、と声を上げる。

 俺は、弁当の残りを食べ、両手を合わせてごちそうさま、と言った。

「……平和だなー」

 小沢が、しみじみとつぶやいて、ずず、と豆乳をすすったのが聞こえた。


 了


 今までも、多分、充分かっこよかったんだけど、チャラついてさらに話しかけやすくなってしまった、という。

 陽佳が無自覚なのは、夏基しか見てないからです。

 だから、夏基のせいなんですけどね。


 ふわふわ金髪は、さらに陽佳を犬化させてます。

 わんわん。

 市谷、いつもツッコミありがとう。

 お前は紛うことなき犬だぜ、陽佳。自覚しろ。

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