36 ブルーベリーヨーグルトフレーバー~different~


 夏も盛りに入って、毎日うんざりするくらい暑い。

 夏基(なつき)の首の包帯も取れ、薄くなった傷跡は、少し大きめの絆創膏で隠れている。市谷(いちがや)先輩に時々呆れたような目をして見られたりしているが、なるべく目を合わせないように逃げていた。

 俺は半袖のシャツを第二ボタンまで開けて、襟元をつまんで片手扇いで風を送っていた。

 暑いのは嫌いじゃないけれど、この蒸し暑さにはうんざりしている。からりと快晴の暑さなら歓迎するが、湿度の多いむしむしとした毎日に、俺はかなり体力を削られている。

 隣を歩く夏基が、いつも通りの涼し気な顔で、珍しくよそ見をしていた。いつもはまっすぐ前を向いているのに、まるで後ろ髪引かれるように、通り過ぎた店のウィンドウを振り返るように。

「なっちゃん」

 俺が呼びかけると、夏基ははっとして俺に視線を向けた。

「何だ」

「どうしたの、何か気になるの、あった?」

「──いや」

 そう答えた夏基は歯切れが悪い、俺はにっこり笑って夏基の手をつかみ、元来た道を引き返した。

「陽佳(あきよし)──」

「何見てたか気になるー」

 俺に手を引かれて、夏基が渋々という感じでついてきた。俺は夏基が見ていたウィンドウの前で立ち止まり、そこを覗き込んだ。

 ガラス張りのカフェ、そこに貼られていたのは大きなポスター。新発売、夏限定・ヨーグルトスムージー。フレーバーはブルーベリーとマンゴーの2種類。

「なっちゃん、入ろう」

「え、いや、陽佳?」

 夏基は珍しく躊躇した。けれど俺は夏基の手をつかんだまま自動ドアをくぐった。蒸し暑い外の空気から、冷房で冷やされた乾いた空気の店内は、まるで別世界のように心地いい。肌をべたつかせていた汗が、すっと引いていくのが分かった。

 俺はレジでアイスカフェモカと、新発売のブルーベリーヨーグルトスムージーを注文した。隣の夏基が財布を出そうとしたので、それを制して俺が払った。いつもごちそうになってばかりいるから、たまには払いたかった。

 空いてる席を見つけ、俺はトレイを運ぶ。夏基は大人しく俺についてきて、奥の椅子に座った。

「はい、なっちゃん」

「ありがとう」

「いいえー」

 俺はストローの袋を破り、グラスに刺した。大き目の氷がからんと音を立てる。夏基のスムージーはどうやら滑らかというよりはしっかりとしたフラペチーノタイプで、ストローでさくさくとかき混ぜて口をつけた夏基が、その冷たさに少し顔を歪ませた。

「冷たい?」

「ん」

 夏基はうなずき、グラスを俺に差し出した。俺は身を乗り出すようにしてストローをくわえ、吸い込む。氷の混じる冷たくさわやかな感覚が喉を落ちていく。

「あ、おいしい。なっちゃん、好きでしょ、これ」

「ん」

 夏基は再びうなずき、ぱくんとストローをくわえた。両手で持ったグラスにはすでに水滴が出来ていた。ブルーベリーでヨーグルト。夏基の好みぴったりの飲み物だな、と俺は思う。思わずポスターに目が行くのはしょうがないだろう。

「暑いね、毎日」

「そうだな」

「部屋にいるとクーラーつけっぱなし」

「身体に悪いぞ」

 もっともらしいことを言った夏基に、俺はおかしくなる。俺が部屋を訊ねると、ちゃんと俺に合わせた温度設定にしてエアコンのスイッチを入れてくれるのは、夏基だというのに。

「もうすぐ夏休みだね」

「ああ」

「なっちゃん、いっぱい遊ぼうね。──花火大会行って、夏祭り行って、海行って、プール行って」

「欲張るな」

 呆れたような顔をした夏基に、俺はへへっと笑って見せる。

「あ、でもなっちゃんは水着着れないかな」

「そうだな」

 夏基の身体には、普段目につかない場所に傷がある。その全てが俺のつけたもので、かなりきわどいところにも、俺が噛んだりひっかいたりした痕が残っていた。

 昨日、俺が夏基に残した小さな内出血の痕は、尾てい骨の上、腰の下辺り。裸にならなければ見つからない場所に、ぽつりと赤く、それは色を付けている。

 夏基がそれに気付いているのかどうかは分からない。夏基を抱いたあと、俺は必ずひとつ、その痕を残す。はた目には分からないような場所に、ひっそりと。

 それは俺の独占欲。

 誰にも気付かれないように、夏基を縛る。

「──少し」

 夏基がつぶやく。俺ははっとして夏基を見た。

「冷えるな」

「なっちゃんは、すぐ寒くなるね」

「お前みたいに常時燃焼してないんだ」

 確かに俺は平均より体温が高い。友人にも、夏は暑苦しいと言われ、冬はカイロ代わりにされたりしたものだ。

「外じゃなければ」

 俺はグラスの氷をからからと音を立ててかき混ぜる。

「なっちゃんのことぎゅってして、あっためてあげられるのにね」

 少し小声でそう言って微笑むと、夏基がすっと頬を赤くした。時々、夏基はこんな風に恥ずかしそうな顔をして赤くなる。いつも俺が平気でなっちゃん好き好きと言っているときには呆れたように相手をしてくることが多いが、人目を気にして声を小さくしたり、周りに見つからないようにそっと触れたりすると、そんな反応になるのだ。

 ねえ、夏基。俺だって、いつまでも無邪気にくっついているだけじゃないんだよ。

 誰が見ていようと、誰が聞いていようと、俺は平気でなっちゃんと呼びかけ、抱きつき、好きと言う。それは多分、周りから見たらた俺が一方的にじゃれついているだけに見えるだろう。夏基は仲のいい幼馴染みをかわいがっているだけと思われているに違いない。

 俺のイメージはフレンドリーな大型犬らしい。でかい図体でぱたぱた尻尾を振って、遊んでほしくて仕方がない、レトリーバーみたいなものに見えるらしいのだ。だから、俺はそれを否定しない。そのイメージを利用して、わざと夏基に擦り寄っていく。

 なっちゃんなっちゃん。なっちゃん大好き。

 夏基が優しく撫でくれるのを、そうして待っている。

 でもね、本当の俺は、もう純粋なだけの子供じゃないんだよ、夏基。

 今だって、夏基の恥ずかしそうな顔を見たくて、わざと声を低くした。誰にも聞こえないように。

 そうすることで夏基が、普段の俺とのギャップに戸惑うことを知っているから。

 俺はね、夏基。本当はずるいんだ。

 いつまでも子供みたいに夏基にくっついて、夏基が受け入れてくれるのをいいことに図に乗って、夏基を束縛してるんだ。

 誰にも夏基は渡さない。

 俺以外の誰にも、触れさせたくはない。

 俺は夏基に痕を残す。

 真っ赤に染まった、小さな痕を。

 俺のものだという所有印のように、くっきりと、それは色を付ける。

 俺の独占欲の塊が、そこに刻まれる。

 ──俺はもう、夏基の思うような無邪気な子供じゃないんだよ。

「帰ったら」

 夏基が再び小さくつぶやいた。

「ん?」

「帰ったら、してもらう。──ぎゅって」

 目線をそらして、すねるようにつぶやく夏基に、俺はくらりとめまいがしそうだった。

 俺を萌え死にさせる気ですか、夏基さん?

「……どうしよう、なっちゃん」

 夏基がそっと俺に視線を向け、ストローをくわえたまま首を傾げた。その姿も、かなりやばい。

「家まで待てないかも」

「──馬鹿陽佳」

 一瞬だけ焦ったような顔をした夏基が、すぐに俺をにらんで冷ややかに言った。

 俺はずるずるとカフェモカをすすりながら、その冷たさを取り込んで冷静になろうとした。溶けた氷で薄まったそれは、喉から胃へと落ちていく。冷たいはずのそれも、俺の体温を下げるのには足りない。

「うわーん、なっちゃん、今すぐ帰りたい」

「今日は、母さんいるからな」

「うう、うちもいる……」

「──まあ、ぎゅってするくらいなら──」

 まんざらでもなさそうな言葉が返ってきた。俺は嬉しくなって、えへへと笑った。夏基もつられて、少し呆れたような笑顔を見せた。

 夏基の機嫌が直り、どこか嬉しそうにスムージーを飲んでいる。俺はテーブルに頬杖をついてそんな夏基を見つめながら、さっきからこちらをちらちらと窺っている周りの客に時々注意を向ける。

 夏基は、俺が見られているのだと言う。

 お前がかっこいいから、みんながお前を見るんだよ。

 そんな風に言って、不機嫌そうに眉をひそめたりする。

 俺だけ、じゃないと思うんだけどな。

 ストローから離れた口元、その薄い唇を、舌でちろりと拭った。赤い舌はなまめかしく、俺はどきりとする。

 夏基は、やたら色っぽい。

 切れ長の目が向くのはいつもまっすぐに前。少し物憂げにも見えるその視線と、どこか面倒くさそうに気だるげなその態度や仕草は、時々、やばいんじゃないの? と思うくらいに色気がある。

 それにあてられるのは、男女問わず。思わず、と言った感じで、すれ違いざまに振り返る人もいるくらいだ。そのたびにはらはらしながら、俺の前以外でそんな雰囲気醸し出したりしないでほしい、といつも思う。

 まあ、夏基の場合はすべてが天然である。今更やきもきしてもどうしようもない。

「陽佳」

「何、なっちゃん」

「どうして、ここに入ろうと思ったんだ?」

 夏基の問いに、俺はきょとんとする。

「どうしてって……」

 夏基が新発売の、そのブルーベリーヨーグルトスムージーに目を奪われていたから。

 俺は、夏基の手の中で半分以上減ったそのグラスを見つめていた。

「ブルーベリーだから」

「は?」

「ブルベリーヨーグルトだから。──違うの、なっちゃん?」

「何が?」

「それ、飲みたかったんじゃないの?」

 俺がグラスを指さすと、夏基は顔をしかめる。

「いや──別に」

「えええー」

 俺は頬杖を外して、思わず声を上げた。客が何人か、驚いたようにこちらを見た。

「だって、なっちゃん、それのポスター見てたんでしょ?」

「ポスター?」

「お店の入り口に、でっかいポスター貼ってあったでしょ。夏限定、新発売」

「そう、なのか?」

 俺の勘違い?

 夏基は不思議そうに俺を見たままスムージーを飲む。ミルキーパープルのそれには粒々のブルーベリーの濃い紫がところどころに浮いていた。

「じゃあ、なっちゃん、一体、何を見てたの?」

 俺が訊ねると、夏基は一瞬ためらうように口を閉ざした。

「なっちゃん?」

「貼り紙、してただろ? バイト募集の」

「バイト?」

「ああ。入り口に、スタッフ募集、って」

 それには気付かなかった。俺はええ、っと大げさなくらいに驚いてみせた。

「なっちゃん、バイトするのー?」

「家庭教師のバイト、減ったからな」

 夏基は、去年から近所の子の家庭教師をしている。中学受験のために週に2回、きっかり2時間。めでたく私立の難関中学に合格したその子の家庭教師は、今も続いていた。ただし、週に一度だけ。授業について行けないところをフォローするための、予習復習のようなことをしているという。

 だから、バイト代は今までの半分になってしまった。俺としては、夏基と一緒にいる時間が増え、万々歳だったのだが。

「でも、なっちゃん、受験生でしょ」

「ん──そうだな」

 夏基なら、必死に勉強しなくても余裕で大学には合格できそうだが、俺は無駄に強調した。

「受験生は、余計なバイトとか、駄目だよー」

「──お前」

 夏基が呆れたような目を向けた。

「また、会う時間なくなるから嫌って思ってるだろ」

「うっ」

 当たり前だが、見抜かれていた。俺はしょぼんとして肩を落とす。

 夏基が手を伸ばし、うなだれた俺の頭を撫でる。

「花火大会も、夏祭りも、金かかるしな」

 俺は目だけで夏基を見上げる。

「お前と一緒に遊ぶための軍資金、作れるだろ」

「それは、俺も払うもん。なっちゃんが全部出してくれなくたって、大丈夫」

「うん、そうだけど──今のうちから、ちょっと貯めておきたいんだよ。旅行代金とか」

「──どっか、行くの?」

「市谷たちと卒業旅行」

「…………」

 卒業なんて、まだまだ先だ。けれど夏基は、その代金を自分で工面するつもりらしい。

「小沢もバイトしてるしな。親戚がやってるカフェバーらしいんだけど、今度一緒に行ってみるか?」

「うん……」

「市谷は──トレーダーの真似事して、結構稼いでるみたいだし。あいつはまあ、常軌を逸してるから参考にならないが」

 市谷先輩の家は、結構なお金持ちだ。けれど市谷先輩自体はそのお金を一切当てにしている様子はない。将来、何があってもいいように、とやたら稼いでいるらしいと小沢先輩が話していた。もしかしたら起業でもすんのかな、とぽつりとつぶやいた小沢先輩の顔は、何か考え込むように不安が見えた。何でそんな顔するのかな、と思ったのを覚えている。

 それにしても市谷先輩は多才な人だ。尊敬を通り越して、そのうさん臭さに少し呆れる。どこに穴があるんだろう?

「それにな」

 夏基の手が止まり、ふっと笑った。

「お前とも、どこか行きたいと思ってる」

「俺と?」

「ああ。2人で、どこか」

 夏基が手を引き、俺の頭が軽くなる。

「一緒に行こう、陽佳」

「なっちゃん……」

「2人で電車に乗って、2人で歩いて、2人でおいしいものを食べて、2人で眠ろう」

 なぜか、突然、俺には夏基の声が少し寂しそうに聞こえた。

「誰も俺たちを知らない遠くの場所で、2人で」

「──なっちゃん」

 俺は、思わず呼びかける。

「何だ、陽佳」

「──ちゃんと、帰ってくるよね」

「──なぜ」

「2人で歩いて、おいしいもの食べて、たくさん楽しんで、笑って、2人で眠って──2人でまた、帰ってくるよね」

 急に不安になった。

 夏基の声が、寂しそうだったから。

 夏基の目が、とても優しく俺を見ていたから。

「──当たり前だ」

 夏基が、噛みしめるようにつぶやいた。

「ちゃんと帰ってくる。2人で」

 そのままその遠い場所で、誰も俺たちを知らないその場所で、2人で立ち止まったりはしない。

 けれど、どうしてだろう。俺は一瞬、夏基はそう考えてはいないんじゃないかと思った。

「帰ってくるよ」

 夏基がグラスを空にした。ことんと音を立ててテーブルに置かれたグラスから水滴が落ち、テーブルはいつの間にか濡れている。

「だったら、俺も、バイトしようかな」

 夏基が驚いたように俺を見る。

「なっちゃんが働いてる時間、俺も働こうかな。そうしたら、お金なんてすぐ貯まるよ」

 俺の言葉に、夏基が小さく微笑む。

「そうだな」

「──なっちゃん」

「何だ」

「一緒に、行こうね。それで、一緒に帰ってこようね」

「──ああ」

 夏基がうなずく。

 もうすぐ夏休みだ。

 夏基とやりたいことがたくさんある。短い夏の間に、いっぱい遊んで、いっぱい笑いたい。

 2人で行きたい、と言ってくれて嬉しかった。

 例え夏基がそのまま帰らない、とほんのわずかでも考えたとしても。

 俺と2人で、行きたいと言ってくれたから。

 帰り際、人気のない路地裏で俺は夏基を抱き締めた。昨日俺がつけた独占の印に制服の上から触れたら、夏基がぴくりと身体を震わせた。

 俺は夏基を縛る。その小さな印で。

 もしいつか、本当に夏基がどこか遠くへ行くことを望んだら──俺は間違いなく、夏基について行く。夏基をけして放しはしない。

 どこか遠くの場所でも、きっと──

 俺の指先は夏基の背中をたどる。ゆっくりと。

 堪えられずに俺を見上げた夏基にキスをしたら、さっきまで飲んでいたブルーべリーヨーグルトの香りがした。深く息をして、もう一度夏基の身体を強く抱き締めたら、それはすぐに、どこかへ消えた。


 了



 いちゃこら……?

 夏基は、本当に不安定なやつですね。

 こっちが心配になりますよ。

 排他的つーか、破滅的つーか、何も考えてないつーか(これが正解)。

 陽佳もさぞかし落ち着かないことでしょうな。

 夏基の大好きなブルーベリーヨーグルト、ってことで、このタイトル。ちと長いですね。

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