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球技大会で華々しく活躍し、校内の女子生徒だけならず、女性教師の視線をも釘づけにしていた陽佳(あきよし)は、中学時代やっていたバスケだけでなく、その身長を活かすバレーや、多分人数合わせで引っ張られたサッカーにまで出場し、見事に最優秀選手賞などというものを獲得した。
進学校である俺たちの高校は、基本的に学校行事に熱を入れて参加する人種が少ない。それは学年が上がっていくごとに顕著になり、俺たち3年の、しかも特進クラスの連中に至っては、球技大会自体への参加をボイコットだ。
そんなわけで、俺と小沢は、教室に閉じこもって勉強するクラスメイトの中から抜け出し、様々な競技をひたすら観戦した。もちろん、陽佳の出場する試合ばかりを追いかける俺に、小沢が仕方ないな、とでも言いたげな顔でついてくる、という恰好になったのは当然のこと。
生徒会執行部である市谷が、その役割を果たすために走り回っていた。その後ろを、慣れない様子で追いかける広瀬の姿を時々見ながら、小沢が大変そうだなー、と他人事のように言っていた。
サッカーやバレーはともかく、バスケをする陽佳は、それはもう輝いていた。
流れるようなドリブル、軽いフェイントで相手チームの選手を次々に抜き、シュートを打つ。そのフォームがきれいで、ぶれることのない姿勢で放つシュートがゴールに吸い込まれるたび、体育館は一瞬、水を打ったように静まり返り、次の瞬間歓声と嬌声が広がる。
すっと伸びた指先。
まっすぐにゴールを見つめる視線。
それは、やけに色気を放ち、俺は固唾をのむ。
ボールがゴールを通り抜ける瞬間、陽佳は俺を見る。そして、ふっと、やけに大人びた笑顔を向ける。
シュートが決まるたびにそんな笑顔を見せられて、俺の心臓は尋常じゃないほどに動悸し、周りの声すら聞こえなくなった。
ああ、陽佳。
お前、どれだけかっこよくなるんだよ。
多分、市谷が隣にいたら、きっと俺は、思い切り怪訝な目を向けられるんだろうな、と思った。
小沢は面白がって、女子生徒に混ざって陽佳を応援していた。
今までだって、この上なく溺愛していた。
けれど、まだまだ上があるんだな、と俺は、なんだかいたたまれなくなるくらいに赤面しながらそう思っていた。
「なっちゃん、暑いー」
半袖の制服のシャツをつまんでばたばたと動かしながら、陽佳がアイスをかじる。水色のソーダアイスは、見るからにきりりと冷えている。
「今日はちょっと蒸してるからな」
今朝の天気予報では、不快指数は90パーセント。気温はさほど高くないものの、取り巻く空気はべたりと肌を湿らせる。
7月に入っても、梅雨明け宣言はされていない。毎日だらだらと、降りそうで降らない、という怪しい空模様が続いている。
「柴って、いつも涼しそうだよな」
陽佳の隣でミネラルウォーターのペットボトルを傾けていた小沢が言った。陽佳同様、襟元のボタンを外し、ひっかけるだけのようなネクタイがぶら下がっている。どちらもだらしなく見えないのは、その緩め方がきちんと計算されているからである。
「なっちゃんはクールだよね」
「柴とは対照的に、陽佳は見るからに暑いな」
「うー……」
陽佳がうなる。がりがりとかじっているアイスが、すごい勢いで減っていく。一気に食べてしまうと、あうう、と小さくうめいて眉間を押さえる。アイスクリーム頭痛でも起こしたらしい。陽佳が復活するのを待って、俺は言った。
「俺だって暑い」
「え」
陽佳と小沢が同時に俺を見た。
「汗一つかかずに暑いって言っても、信じられないぜ」
「かいてる」
「どこに」
「背中とか、首とか」
俺の、襟元まできっちりと結んだネクタイに視線をやって、小沢が眉間にしわを寄せた。それからおもむろに俺の首の後ろの襟元に指先をひっかけ、その隙間を覗き込むように顔を近づけた。
「あ、マジだ。ちょっとかいてるな」
「だから──」
言っただろう、と続けようとした俺より早く、ああ! と陽佳の声が飛んだ。そして俺の腕を引くようにして自分の胸元に抱き寄せ、小沢の手を振り払う。
「なっちゃんに触っちゃ駄目ー」
陽佳の身体は、熱かった。
「背中は特に駄目ー!」
俺をガードするように、陽佳が大きな手を広げて俺の背中に当てた。するりと、その指先が背筋をなぞった。びくりと反応してから、しまった、と思う。俺は少し赤くなり、ちらりと小沢を見た。小沢はにやにやしながらへーえ、とつぶやく。
「柴は背中が弱いんだな」
「ああー、内緒なのに」
陽佳が頭を抱える。
いや、お前がばらしたようなものだぞ、陽佳。
「うう、俺となっちゃんの秘密だったのに」
「甘いぞ、陽佳」
小沢が勝ち誇ったように笑う。陽佳が迂闊なだけで、小沢はなにもしていないはずなのだが。
「つーか、性感帯知ってるとか──マジでヤってんだなー」
「そりゃあ、するだろ」
「……柴はもう少し、恥じらえよ」
「なんでだ」
「いや、だってさ」
「お前だって、女と付き合ったらするだろう。それと同じだ」
「うわー、なっちゃんが男前だ」
陽佳は分かっているのかいないのか、にこにこと邪気のない笑顔を見せている。
「なっちゃんはねー、とーってもかわいいよー」
呆れるくらいあっけらかんとそんなことを言い出した陽佳に、小沢の方が、負けた。顔を赤くし、視線をそらし、俺が悪かったよ、とつぶやく。
「お前もかわいい」
俺の台詞に、陽佳が少しむっとする。
「えー。かっこいい方がいい」
「もちろん──お前はかっこいい。すごく」
「そっか。なら、いいや」
ぎゅう、と俺を抱きしめて、陽佳はいつものように鼻先を首筋にこすりつける。そんな俺たちを見ていた小沢が、深いため息をついて、勘弁してくれ、と頭を抱えた。
「市谷がいたら、踏みつけられてるぞ」
屋上は、俺たち3人だけだ。市谷は生徒会の仕事で席を外している。
「小沢先輩は、新しい彼女できたんですか?」
「いや。──なんか、ちょっと、お休みだな」
「珍しいな」
「俺だって、たまには一人で考えたいこともある」
笑いながらそう言ったが、その顔はどこか寂しそうにも見えた。
「お前ら見てると、特にな」
小沢には、いつだって隣にかわいい彼女がいて、真剣に付き合っているように見えた。別れても、その相手はすぐに見つかる。いつだって小沢は誰かに好かれていて、その気持ちを受け入れたら、きちんと誠実にその相手に向き合う。
けれど、なぜか、いつもふられるのは小沢の方だ。
こいつの何がいけないのか、俺には分からない。
「柴」
「何だ」
「お前、陽佳に不満とか、あるか?」
「──本人の前で聞くのか」
「あるのか?」
小沢の問いに、俺は顔を上げ、俺を抱えて見下ろしている陽佳を見た。陽佳はほんのわずか不安そうな顔をしていたが、目が合うとにこりと笑った。
「……そうだな」
俺は曲げていた首を戻し、少しだけ考える。
「しいて言うなら、俺を大事にしすぎる。触るときも、割れ物扱うみたいだ。──もっと、荒っぽくてもいい」
「だって、なっちゃん大事だもん」
「そんなに大事にしなくても、壊れはしない」
陽佳は困ったように眉を寄せている。
「荒っぽくても、傷つけられても──陽佳になら、構わない」
「なっちゃん」
「お前は優しすぎる」
「それが、不満?」
小沢が怪訝そうに俺を見た。
「ただののろけに聞こえるぞ」
「そうだな。けど、そのくらいしか浮かばない」
「じゃあ、陽佳は、柴に不満──」
「ないよー」
食い気味での即答だった。さすがに俺も小沢も、同時に「早っ」と突っ込んだ。
「時々無茶するから心配だなあとは思うけど、あとでその分も大事にするから、大丈夫」
「……だから、大事にされすぎるのは──」
「だって、俺がしたいんだよ」
いつもの無邪気な笑顔ではなく、どことなく大人びた、余裕さえ感じる笑顔。時々陽佳は、そんな顔をするようになった。そのたび戸惑うのは、俺がまだ、そんな陽佳に慣れていないからなのだろう。
いつもにこにこと子供みたいに笑っているだけの陽佳しか知らなかったから。
この数か月で、これまでの15年を簡単に覆すような姿を見せるようになった陽佳に、俺はどうしようもなく心が騒ぐ。
多分、俺は、陽佳に惚れ直しているのだろう。
だから、そんな姿に、今まで感じたことがないくらいに胸が高鳴るのだ。
「俺はね、どんななっちゃんも大好き」
日差しの下で、まぶしいくらい、きらきらと。
「なっちゃん以外、誰も好きにならない」
陽佳の笑顔に、思わず見とれた。
──ああ、本当に──
「大好きだよ、なっちゃん」
本当に、どれだけかっこよくなるつもりだよ。
「柴」
「何だ」
「顔、赤い」
「──分かってる」
俺は陽佳の身体を押しやるようにして離れた。さすがに、これ以上密着し続けていたら、陽佳の熱にやられてしまう。
俺の身体はじっとりと汗をかき、その原因が陽佳からの体温のせいだけではないと気付いていた。小沢の言う通り、俺は赤面していて、なかなかそれは引いてくれない。
「──不満がないのが不満、なんて、思わないんだな、お前らは」
小沢は少し、寂しそうに笑った。
「羨ましいよ」
「小沢──」
ひらひらと、なんでもない、とでもいうように、小沢が手を振る。だから俺は、問い詰めることをしなかった。陽佳と顔を見合わせ、黙ってうなずいた。
「小沢先輩」
陽佳が、ぴょこんと顔を上げ、いつもの無邪気な笑顔を見せる。
「学食のオススメ教えて下さい。おごりますから」
「ん──ああ、景品?」
球技大会で獲得した最優秀選手賞。その副賞は、学食の食券3千円分だった。いつも母親の手作り弁当を持参している陽佳は、未だ学食を利用したことがない。
「みんなで、豪遊しましょう」
「学食で豪遊って」
小沢が笑う。その表情に憂いは消え、俺は安心した。
球技大会以来、陽佳は今までに増して女子生徒から告白されるようになった。もちろんそれに揺らいだりすることなく、ひたすらありがとうとごめんなさいを繰り返す。きっと、真剣な顔をして。
俺のもとに戻ってきた陽佳が、いつものように笑う。
なっちゃん、と呼ぶ。
「なっちゃんと、市谷先輩と、広瀬と、みんなで好きなもの食べましょう」
「遠慮しないで一番高いもの食うぞ」
「いいですよー」
二人は楽しそうにそんなやり取りをしている。
途切れることなく、小沢が女子生徒に呼び出され、思いを告げられる。
一見軽薄そうにも見える、嫌味なくらい整ったその顔が、楽しそうに笑っている。
新しい彼女ができるたびに、嬉しそうに俺たちにそれを報告してくる姿は、純粋で──
どうして、羨ましいなんて、言うんだ?
俺は、なぜか、少し、胸が痛んだ。
「──柴?」
小沢が、どうした、とでも言うように俺を見る。
俺が陽佳を好きになるのは、息をするくらい当たり前のことだった。
不満なんて、ひとつもない。
多分、そう言い切れる。
俺はきっと、陽佳のことなら、なんだって許せる。なんだって受け入れられる。
だから、不満になんて、ならないんだよ。
大事にされすぎる、なんて、贅沢すぎるくらいだ。
なあ、小沢。お前だって──
「──なんでもない」
俺は答える。小沢がそうか、とうなずいて笑った。
俺が陽佳を見つけたように。
陽佳が俺を見つけてくれたように。
いつか、お前にだって、見つかる。
口にはしなかった。
それは、口にしたらきっと、だたの気休めへと変わってしまうだろう。
だから。
チャイムが鳴り響き、小沢が背伸びしながらあーあ、と声を上げる
「午後の授業、かったるいなー」
「サボるなよ」
「──分かってるって」
まるで釘を刺されてすねる子供みたいに唇を尖らせ、小沢は俺をにらむ。立ち上がり、ふわあとあくびをしながら歩き出した。
「なっちゃん」
先に立ち上がった陽佳が、俺を呼ぶ。
「行こう」
俺に向かって手を伸ばす。俺はその手を取り、立ち上がる。
「陽佳」
「何、なっちゃん」
「お前が好きだよ、陽佳」
「────」
陽佳は驚いたように目を丸くし、それから右手で自分の顔を押さえて、目をそらした。
「そんなこと、今言われたら──教室戻りたくなくなっちゃうよ、なっちゃん」
困ったように眉を寄せて、陽佳がつぶやいた。
「サボんなよ、バカップル」
くるりと振り向いて、お返しとばかりに釘をさす小沢の声と、えええー、と情けない声を上げた陽佳におかしくなって、俺は声を上げて笑った。
了
平和です。
小沢の抱えるものは「自分の意志で人を愛せない」ということ。
誰かに好意を持たれれば、その人を好きになることができますが、自から誰かを好きになることはありません。
完璧すぎる「彼氏」でいることはできるのに、どうしても相手から別れを告げられます。
初めから「興味がない」と言い切れる市谷のようにはなれません。
次は陽佳。
ちょっとだけ、ざわざわ。
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