31 雫~Disease another~


 俺とは正反対な人間だ、と思った。

 黙っていれば少し冷淡にも見える、整った顔。笑うと、その気障にも見える表情が柔らかく変わる。

 自分のかっこよさをちゃんと分かっているらしく、多少自信家なところもあるけれど、それが嫌味にならないのは、多分、元々の人の良さのせいなのだろう。

 端正な顔と、180センチの長身。この進学校に入学できる頭脳。人見知りせず誰にでも打ち解ける性格。ひがみっぽい人間ならば、引け目を感じて近寄ることすら避けそうなハイスペック。

 警戒心だけは人一倍のこの俺が、不覚にもあっさりと本性を見せてしまったのは、きっとその人柄を疑うことなく受け入れてしまったからなのだろう。

 俺の変わりようにも、すごいスピードで順応した。あまり人と関わろうとしない夏基(なつき)が入学早々に親しくなった理由も、納得できた。

 女好きで、実際よくモテる。据え膳はしっかりいただく。明るく裏表のない性格。けれど、なぜか、深入りする前に女にふられる。

 小沢淘也(おざわ とうや)という男は、そういうやつだ。


 子供の頃から、周りの人間はみんな利用できるかできないかが基準だった。

 俺の家は曽祖父の時代から続くちょっとした老舗企業で、一線を引退した祖父が会長になり、父親は現社長。小さい頃から何不自由なく育ってきた、周りからすれば「良いところのお坊ちゃん」である。

 父は、英才教育というものには関心を示さなかった。子供にはやりたいことを、という方針の下、結構自由に育てられた。だから俺も、2人の兄も、義務教育は公立に通い、高校も、大学も、自由に決めることが出来た。

 上の兄は父の会社に入社し、後継者としての道を歩んでいるが、下の兄はふらふらと大学で金にならない研究を続けている。

 将来、自分が何をしたいと思うのか、何ができるのか、そればかりを考えていた。

 そして、俺がまず決めたことはひとつ。

 将来のために、20代まではひたすら人脈作りをするということだった。

 俺は本性をひた隠し、自分の本来の性格にはまるでそぐわないこの穏やかな見た目を最大限有効活用し、地盤を固めていくことにした。

 俺のかぶった仮面は、出会う人間全てをだまし、その信頼を手に入れていく。

 元々、勉強は得意だった。何時間も机にへばりつかなくても、一定の点数をキープでき、努力することなく優秀な成績を取ることができていた。

 夏基に出会って、俺は自分と似てる人間がいると感じた。しかし、付き合ってみれば、俺と夏基は、本当は少しも似ていないんじゃないと思うようになった。。俺が周りを警戒し、隙を見せないように生きているのに対し、夏基はどこか無防備で、先のこともあまり考えていないように見えた。確かに頭はいいが、俺のようにその頭脳を何かに役立てるつもりもなさそうだった。

 いつも無愛想で、けれど打ち解けるとそっけないその口調や態度にも、どこか甘えを感じる。無意識のものらしく、夏基にはその自覚は皆無だが。

 全ての物事にあまり関心を持たない夏基が唯一溺愛するもの。それは2つ年下の幼馴染みの陽佳(あきよし)である。185センチを超える馬鹿でかいこの後輩は、いつもにこにこ能天気にも見える笑顔で、人目もはばからず「なっちゃん大好き」とまとわりつく。相思相愛なのは結構だが、陽佳の無邪気な笑顔と、いつもは無愛想の塊の夏基が見せる穏やかな表情は、時々微笑ましいを通り越して鬱陶しい。

 今も、陽佳は夏基に背中から抱きついて、二人で一冊のノートを覗き込んでいる。

 俺はデニッシューロールをかじりながら、目を据わらせていた。

「ここで計算ミスをしてる。──考え方は間違ってないんだから、ケアレスミスをなくそうな」

「そっかー。ありがとう、なっちゃん」

 陽佳がますますぎゅうっと夏基を抱き締めた。

「陽佳、苦しい」

「うん、ごめん、なっちゃん」

 口ではそう言いながら、陽佳は夏基の身体を離すつもりはない。いくら俺たちが2人の関係を知っているとはいえ、目の前でいちゃついてもいいと許可した覚えは一切ない。

 昼休みの屋上は、俺たち以外に人気がない。一応は立ち入り禁止、ということになっているが、俺たちは時々この場所を利用する。人目を気にしなくていいので、夏基と陽佳も──不本意ながら俺も、居心地がいいのだ。

「なあ、柴、それ、鬱陶しくないのか?」

 さすがの小沢も、呆れたように背中にへばりつく陽佳を指差した。

「別に、鬱陶しくはない」

「──マジか」

「なっちゃーん」

 きゅうきゅうと、夏基の左肩に顔を押し付けるようにして、陽佳が自分の身体をもっと密着させる。細い夏基の身体は陽佳の長い腕にすっぽりと包まれてしまっている。

「それに、冬は暖が取れる」

「──今は6月だが」

 俺が言うと、夏基は、ん、とうなずいた。

「真夏は、ちょっと暑いな」

「ちょっと、なのか?」

「──ちょっと」

 夏基が再びうなずいた。

 猛暑日に、見るからに体温の高い、暑苦しいこのでかい男にべたべたくっつかれるところを想像して、俺は頭が痛くなった。いつもひんやりしている夏基は、暑さを感じる機能が抜け落ちているのかもしれない、と考えることにした。

「今日は、広瀬はどうした?」

 夏基の問いに、陽佳が顔を上げて夏基の顔を覗きこむようにして答えた。

「生徒会の当番だって」

「そうか」

 実は、広瀬を生徒会に勧誘したのは俺である。人格的に優れ、生活態度も良好、成績も優秀な人材は、早めにスカウトしておくに限る。

「ねー、なっちゃん、それ食べたい」

 夏基は箸つまんでいたウズラの卵を、自分の肩越しに陽佳の口に運んでやった。陽佳が嬉しそうにそれを食べ、えへへー、と笑った。

 バカップル。

 デニッシュを食べ終えた俺は、ペットボトルの紅茶を一口飲んだ。

「甘味が足りない──」

 俺は立ち上がる。夏基たちが俺を見上げた。

「いや、お前、今、甘ったるいデニッシュ食ったからね」

 小沢の突っ込みは無視した。

「購買、行ってくる」

「ああ」

 夏基がうなずいた。陽佳もいってらっしゃーい、と手を振った。

 俺には、執着というものがない。夏基が陽佳を溺愛するような、そんな対象を、今まで一度も持ったことはなかった。

 屋上を出て階段を下りると、後ろからばたばたと走ってくる音がした。振り返ると、小沢だった。

「俺も行く」

 俺は小さくうなずき、小沢と並んで階段を下りた。

「機嫌、悪いわけじゃないよなあ?」

 ひょいと俺の顔を覗きこみ、小沢が訊ねる。

「別に」

「でも、なんだか今日、イラついてるだろ」

「そういう日も、ある」

 ふうん、と小沢が意味ありげな返しをして俺を見て笑っている。

「何だ」

「生徒会の後輩に、告られたんだろ?」

「──個人情報を漏らしたのは誰だ」

「それは内緒」

 俺は溜め息をついて、その話をこれ以上続ける気がないという態度を見せる。小沢はにやにやしながら黙って隣を歩く。

 1年後輩の女子生徒に告白されたのは確かだが、その場で断った。誰かと付き合う気はなかった。

 はっきり言ってしまえば、俺には性欲というものがない。

 初体験は14歳。すぐ上の兄の同級生だという女が相手だった。寝る前も、寝たあとも、俺には何の感情もわきあがってこなかった。こんなものか、と思ったことを覚えている。

 だから、性行為に関しては、溜まったから出す、という程度にしか考えられず、ただ生理的に処理しているだけなのである。

 これまで、女性から付き合って欲しいと言われたことは何度もあるが、興味すら持てなかった。多分、俺にはそういう感情が欠落しているのだろう。

「なー、アイス食おう」

 売店の前で、小沢がクーラーボックスを覗き込む。6月に入って設置されたそれは、まだ盛夏には間があるせいか、売り切れになることはない。真夏には競うように取り合いになるそれが、買出しのピークを過ぎたこの時間でも、結構な数が残っている。

 俺はカップのバニラアイスを、小沢はスティックタイプのソーダアイスを買った。屋上には戻らず、途中の渡り廊下から土足で裏庭に出て、校舎の壁に寄りかかるようにしてそれを食べることにした。

「市谷って、女に興味ないのか?」

「そうだな」

「男は?」

「──それは何かの冗談か?」

「あー、聞いてみただけ」

「まあ、男も女も同じだ。別にどうでもいい」

「枯れてんなー」

「放っておけ」

 木で出来た平らな匙でかちかちになったアイスを削るように食べていると、ぼんやりと空を見上げていた小沢がつぶやいた。

「俺、また別れちゃった」

「そうか」

「優しすぎんだってさ」

 俺とは正反対、と思った。

 小沢はいつだって優しく、明るく、その整った顔と長身を武器に女性を惹きつける。

 2年も一緒にいれば、こいつのよさはよく分かっている。俺の横暴さに文句を言いながら、それでも俺に向かって楽しそうに笑う。

 俺は多分、一生かかってもこいつのようにはなれない。

 俺の笑顔は作り物。

 俺の見た目は人に警戒心を抱かせない。油断している隙に懐に入り込む。

 俺は小沢のように、優しくはなれない。

「優しくて、マメで、大事にしてくれるけど、いつもそれが不安なんだって」

「分からないな」

「俺も、分からない。優しくしちゃ駄目なのか──大事にしちゃ駄目なのか」

 小沢には、いつもやつを慕う女性がいて、不自由していないように見える。現に、別れてもすぐに次の彼女が見つかる。けれど、結局はいつも同じことの繰り返し。俺から見れば、小沢は付き合っている相手には誠心誠意、気持ちを捧げているように見える。大事にして、ちゃんと愛してやっているように見える。

「不満がひとつもないって、変なんだってさ」

 小沢は少し、寂しそうに笑った。

「だって、本当に大好きなんだ。だから大事にしたいし、不満なんてひとつもないんだよ。──でも、それが変だって言われたら、どうしようもないよなー」

 女というものは、とてもわがままなんだな、と思った。

 不満がないことが不満、なんて、もはや禅問答に近い。きっと、不満だらけなら、それを許せないと怒るのだろう。

 俺はアイスを食べる。安っぽいミルクの味が、舌の上で広がる。小沢も、隣でアイスをかじった。

「俺、どっか変?」

「──いや」

 俺は、まぶしいくらいに誠実だ、と思った。

 俺は小沢や夏基には嘘を吐かない。なぜなら、無駄だからだ。

 けれど、利用できるものに対しては、平気で嘘を吐く。それがセオリーだから。

「──なんで付き合わないの、お前?」

「言っただろう。興味がない。どうでもいい」

「楽しいかもしれないぜ」

「一過性の楽しみなんて求めてない」

「すげーな、お前」

 小沢が苦笑した。

 恋人を作ることで俺の人生が有利になるという事態にならない限り、俺は特定の相手を持たないだろう。恋人と過ごす時間よりも、今は自分のためになることを考える。

 20代までは人脈作り。

 そして、俺は、今、小沢や夏基と過ごすこの時間を、楽しいと感じている。

 だから、今はそれを大事にするつもりだ。

 これが一過性のものではないと言う証明は、どこにもないけれど。

「俺、いつもうまくいかない」

「──今さらだな」

「言うなよ。──結構、悩んでんだよ」

「そうなのか?」

 俺が問うと、小沢は再び苦笑し、それから少し真面目な顔になった。

「好きってとこから始まってんのにな」

 小沢のアイスは半分ほど減っている。溶け始めて、斜めに傾けているその先からぽたりと雫が地面に落ちる。

「好きになって、デートして、キスして、セックスして、愛してるって言って──そんで、大事にされすぎてるってふられる。もう、どうしていいか分かんねーよ」

「俺にだって分かるはずがない」

「そうだよな」

 甘いものがたいして好きじゃない小沢がアイスを食べようと言ったのは、俺に話を聞いてもらいたかったからなのだろうと気付いた。

「──俺」

 ぽつりと、小沢がつぶやく。

「あいつら、羨ましい。──いつもしつこいくらい好き好き言っても、陽佳は柴にちっとも鬱陶しがられない。あんなにそっけなくて、無愛想にしてても、柴は陽佳に愛想をつかされない。──なんかさ、すげー、いいなーって」

「目の前でべたべたされるのは困るがな」

「はは、それはちょっとそう思うけど」

「でも──幸せそうだ」

 小沢が意外そうな顔をして俺を見た。

「市谷でも、そんな風に思うんだ?」

「多少はな」

「──なあ、男同士って、どうやってヤんの?」

 俺は眉をひそめて小沢を見返す。小沢は急に慌てたようにぶんぶん首を振って、

「いや、そういうんじゃなくて。なんとなく。──あいつら、ヤってんだよなー、と思って」

「そりゃ、な」

「そっかー。──もしかしたら、一生プラトニックだったら、俺、ふられないのかなーって思ったんだけどさ……」

「関係ないだろ」

「やっぱ、そう思う?」

 ぽたり、ぽたりと、アイスが水滴になって地面に染みこんでいく。俺のカップアイスはもう空っぽだ。

「今までの女はみんな──見る目がなかっただけだと思ってろ」

 びっくりしたように俺を見てから、小沢が笑う。

「おお、市谷が俺に優しい」

「俺はいつだって優しい」

「そっかー?」

「そうだよ」

 俺はアイスを持ってる小沢の左手をつかんで引き寄せた。アイスの雫はスティックを伝ってその指先にまで垂れていた。俺はその手を自分の口元に寄せ、ぺろりと舐めた。

「──いち、」

 小沢が、驚いたように言葉を詰まらせた。

 俺が腕を持ち上げたせいで、その水滴は手から半袖の制服のシャツから伸びた腕を伝った。肘の先で、ぽたりと雫になって落ちる。

 俺は再び、小沢の腕を流れたその水滴が作った筋を舐めた。

「──ただの砂糖水だな」

 にやりと笑うと、小沢がいきなり赤面した。

「な──なに、してん、だよ」

「溶けたアイスは、甘いだけの、水だ」

「そうじゃ、なくて」

「アイスはやっぱり、冷たい方がうまいな」

 俺が腕を離すと、小沢は背中を壁にくっつけたままずるずると腰を抜かしたように崩れた。

「ば、馬鹿やろ──」

 多分、俺を怒鳴りつけたかったのであろう小沢は、思ったよりも自分の声に力が入っていないことに気付き、赤面したまま俺を見上げ、怒っていいのか、困っていいのか分からないような、複雑な表情をしていた。

 俺には執着というものがない。

 なのに、夏基や陽佳、そして小沢といる今のこの時間を、失いたくないと考えている。

 俺には性欲も、恋愛感情も欠落している。

 けれど、俺はこいつを多分一生、手放せない。

 俺とは正反対の、いつもまっすぐな、こいつを。

「小沢」

 俺はまだへたり込んだままの小沢を見下ろして、口元を持ち上げた。

 これが俺の初めての執着ならば──

「失恋したお前を慰めてやる。放課後は空けとけ」

 俺はきっと、こいつのおかげで、変わったのだろう。

 俺の顔は、人を穏やかにさせるらしい。

 色素の薄い髪も、目も、そして力強さの欠片もない温和な見た目も、俺は何一つとして好きにはなれない。

 けれど、そんな俺をふくれっ面でにらむ小沢は、そんな見た目にもだまされず、いつも俺と向き合う。

「たまには俺が、おごってやるよ」

 俺は笑ってみせる。

 小沢の持つスティックから、溶けて形を留めていられなくなったソーダアイスが、ぼとりと地面に落ちたのが見えた。


 了



 個人的には、恋愛感情じゃない方が、よっぽど本物だと思ってしまう私です。

 友情だけど、それ以上。

 よく、「友人以上、恋人未満」とか言いますが、ああいう安っぽいのじゃなくて、必要不可欠な感じが。

 絶対的に必要な相手なんだけど、依存とかじゃなくて。

 何か、よく分からないけど、っていうのが、一番強力なんじゃないかなーと思わけです。

 夏基と陽佳とは違った意味で、離れられなくしてやりたくなっちゃうんです。

 人を愛せない市谷と、愛せてるはずなのにそれが本物か分からない小沢、という対比。

 だから、多分、好きになりました、っていうのがスタートじゃなくて、ゴールでもない2人、と書こうかなーと思って。

 面倒くさくてすみません。

 今後のanotherで、少しずつ、理解してもらえるといいなあ、と思います。


 くっつきませんよ?

 BL好きだからって、何でもくっつけたりしませんよ(笑)

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