23 egoist~different~
下駄箱に入っていた小さなプレゼントの包みと添えられたメッセージカードをポケットに突っ込んで、俺は教室に向かった。扉を開けておはよー、と声をかけると、クラスメイトが何人か、振り返って挨拶してくれた。
窓際の一番後ろの席に座った俺を、近くにいたクラスメイトが数人近付いてきて、取り囲んだ。
「ねえ、沢村くん、今日、帰りにみんなで遊びに行こうよ」
女子生徒がそう言って、隣の子と顔を見合わせて笑った。
「帰りはなっちゃんと一緒だから」
「──毎日、柴崎先輩だね」
「たまにはこっち優先してよー」
冗談めいて笑いながら言った彼女らに、俺は無理だよ、と答えた。その声が少し、きつくなってしまた。
「俺の一番は、なっちゃんだから、それはできない」
彼女らは一瞬顔をこわばらせ、俺を怒らせたのかと不安そうに俺を窺う。俺はにこりと笑って、
「だから、ごめんね」
幾分ほっとしたような顔を見せ、彼女らがそっかー、とか、残念、とかつぶやいた。前の席に座っていたクラスメイトが、たまには付き合ってやれよ、と呆れたように言った。入学してからの新しいクラスメイトたちは、俺と夏基(なつき)のことをよく知らない。だから、平気でそんなことを言う。
同じ中学からこの学校に入学したのはたった2人。そのどちらも男子生徒で、俺とは話したこともない、顔と名前の一致しないやつらだった。だから、俺の今の友人は、入学してから新しくできた人たちばかりだ。
まだ、誰と親しくなっていくのかは分からない。流れに身を置いていたら、男子3人、女子3人のグループがなんとなくいつも近くにいた。どちらかと言えば、この進学校には珍しい、派手で目立ったタイプ。俺はあまりそういうことに興味はないが、よく遊びに行こうと誘われる。
俺がしょっちゅう夏基に会いに行くのを、また? と呆れたように見ている。
あまり、居心地がよくないな、と俺は思っていた。
「そういえば、いつも柴崎先輩と一緒にいる小沢先輩ってかっこいいよね」
「あー、分かる。遊んでそう」
小沢先輩は、とてもモテる。夏基も市谷先輩も、ころころ彼女を変える小沢先輩に呆れつつ、なんだかんだで親しく付き合っている。一見、2人とは気が合わなそうなのにね、と言うと、市谷先輩が不敵に笑った。夏基も肩をすくめ、そうでもない、と言った。
見た目のイメージではちゃらちゃらしていて女をとっかえひっかえ、と言う感じだが、実はいつもふられるのは小沢先輩の方なのだという。
あいつはここぞってときにヘタレだからな、と市谷先輩は邪悪な笑みを浮かべていた。
「生徒会の市谷先輩も優しそうで素敵だよねー」
中学までは俺もそう思っていた。けれど、あの人の本性は見た目とはまるで正反対。最近ようやく慣れてきたところだ。
「あの3人、特進ぽくないよね。すっごく目立つ」
確かに、夏基たちがあの教室にいるのはなんだか不思議だ。3年の特進クラスと言えば、国立大志望のエリートコース。真面目が服を着て歩いているような人たちの集まりである。普通科と比べると、その雰囲気は雲泥の差。そんな中、夏基たちはいつも、どこか穏やかにのほほんとしている。
小沢先輩はよく知らないが、夏基も市谷先輩も死に物狂いで勉強をしなくても、常に成績優秀者である。中学時代は、あの二人がトップ2を争っていた。
俺は立ち上がった。周りのクラスメイトが、どうしたの、と声をかける。俺は笑ってごまかして、教室を出た。男子トイレで、ポケットからさっきのプレゼントを取り出した。小さく左右に振ったら、かたかたと音がした。包装紙を破り、中を確認したら、3粒入りの高そうなトリュフチョコだった。メッセージカードには、好きです、の文字。この前、チョコレートをおいしそうに食べていたので、よかったら食べてください、と書かれていた。
俺はカードを握りつぶし、そのチョコレートの箱を、ごみ箱に捨てようとした。
「ちょっと待って」
と、声がして、俺は顔を上げる。トイレの入り口に、男子生徒が立っていた。慌てて中に入ってきて、
「それ、プレゼントでしょ? せっかくもらったのに、捨てちゃ駄目だよ」
「──いらないから」
「いらなくても、駄目だよ」
恐る恐る、といった感じで話しかけてきたその男子生徒の顔に、見覚えがあった。同じクラスだ、と気づいて、俺はゴミ箱の上に伸ばしていた手を引いた。
「捨てるにしたって、学校では駄目だよ」
「──うん」
俺はうなずく。俺が素直にうなずくとは思わなかったらしいそのクラスメイトは、驚いたような顔をした。
「何?」
「あ、うん、素直だなとおもって」
「素直だよ」
にっこり笑ってみせると、クラスメイトもようやく笑顔になった。
「イメージ、違うね。沢村くん」
「そう?」
「いつも一緒にいる人たち、ちょっと苦手なんだ、俺」
確かに分からないでもない。自己主張の激しい、やたらと騒がしく目立つあのメンバーに馴染めそうなタイプではないだろう。
身長は夏基と同じくらい。取り立てて目立つところのない、けれど感じのいい笑顔だった。そして、その笑顔で、はっきりと俺はこのクラスメイトの存在を認識できた。
「名前、憶えててくれたんだ、俺の」
「だって、目立つでしょ、沢村くん」
「そうなの?」
「──自覚ない?」
夏基も似たようなことを言っていたな、と思い出した。
「一部の女子からは王子様かアイドルって言われてるって話だよ」
「何それ」
「かっこいいからね」
くすくす笑いながらそう言って、それから思い出したように、
「俺、広瀬」
「広瀬くん?」
教室で、おとなしくクラスメイトと話をしている姿を見かけた。目立ちはしないが、その穏やかそうな笑みは、少し、俺の目を引いた。市谷先輩の本性を知って小さくはないショックを受けていた俺が、広瀬のその優しそうな笑みに癒されていたのを思い出した。
「じゃ、教室、戻るね」
広瀬がそう言って背を向けた。俺はなぜか、慌ててその腕をつかんだ。
「──何、どうしたの?」
「あのね、これ」
俺は手にしていたチョコレートの箱を持ち上げた。
「今まではこんなことしなかったんだ。ちゃんと持ち帰って、食べて、お礼と断りの返事も書いてた」
「──うん」
広瀬は驚いたように俺を見上げ、よく分からないままうなずいているようだった。
「でも、高校入って、余裕なくなっちゃって。──好きな、人が……好きな人に、心配かけたくなくて」
ああ、と広瀬はうなずき、笑顔になった。
「そうなんだ。それなら、よかった」
「え?」
「いつもそうやって手紙とか、もらったもの平気で捨ててるような人だったら、軽蔑したかも」
「してないよ。だから、軽蔑とか──」
「うん、しない」
俺は広瀬の腕を離した。
居心地の良しあしって、一体どこで決まるんだろう。
「沢村くん」
広瀬が笑う。
「そろそろ予鈴だから、教室、戻ろう」
間違いなく、俺は今、居心地がいいと感じた。
俺はうなずき、チョコレートの箱をポケットに入れた。
チョコレートは、あとで広瀬と一緒に食べよう、と俺は思った。
昼休み、俺は夏基の教室に押し掛け、いつものランチタイム。夏基のクラスメイトは俺たちを奇異の目で見ているが、最近それにも慣れてきた。コーヒーをすする小沢先輩をからかうようにちくちくいじめている市谷先輩の姿も、何だか当たり前の日常になりつつあった。
「あのね、俺、友達できたよ」
「──いっぱいいただろ、今までだって」
夏基が不思議そうに聞き返す。
「うん、でも、居心地全然違うんだ。広瀬って言ってね、すっごくいいやつ」
「へえ」
「昔の市谷先輩みたいに穏やかで、優しくて、頭いいんだよ」
「陽佳、けんか売ってるのか?」
耳ざとく、市谷先輩がターゲットを小沢先輩から俺に変えようとした。俺は慌てて首を振り、難を逃れる。
「一緒にいるとね、ほのぼのーってするの。休み時間に、一緒にチョコ食べたんだよー。甘いの好きなんだって」
「よかったな」
夏基は笑顔で聞いている。
「──男には嫉妬しないのか、夏基」
「なぜ」
市谷先輩の問いに、夏基が首を傾げる。
「いや、だって──まあ、いいか」
夏基は眉間にしわを寄せて市谷先輩を見て、結局意味が分からないかのように首をひねったままだった。
「あ、小沢先輩、俺のクラスの女子が、かっこいいって言ってました」
「マジか」
嬉しそうに笑う小沢先輩に、市谷先輩が冷めた目を向けた。
「どうせまたふられるそ」
「うるせ、市谷」
「でも遊んでそう、って」
「──遊んでねえ」
途端にむっとした小沢先輩が、再びコーヒーを飲んだ。
「こう見えて結構真面目だからな、小沢は」
「そうそう、こう見えてな」
「どう見えてんだ、俺は」
夏基と市谷先輩がおかしそうに笑い、市谷先輩が慰めるように小沢先輩の頭を撫でる。お前に撫でられても嬉しくないんだよ、とその手を振り払う小沢先輩に、市谷先輩は嫌がらせのようににやにやと何度も手を伸ばしている。
夏基はその様子を見て、さっきから楽しそうだ。
いいなあ、と思った。
俺も、夏基たちのような友人関係を築けるだろうか?
中学時代の友人は、みんなばらばらの高校になってしまった。時々連絡を取ってはいるが、前のようにはしょっちゅう会うこともなくなった。
夏基がいればいい、と思っている。
もし、親しい友人と夏基のどちらかを選ばなければいけない事態が起きたら、俺は迷うことなく夏基を選ぶ。だから、心のどこかで、今までの友人とも、少し罪悪感を感じながら過ごしてきた。
夏基がいればいい。
俺が望むのは夏基だけだから。
「──陽佳」
俺ははっとして正面の夏基を見た。心配そうに俺の顔を覗き込む夏基が、大丈夫か、と問う。
「うん」
俺はうなずいて、弁当を食べる。シナモンロールをかじりながら、市谷先輩がどうした、と夏基に訊ねた。いや、と答えた夏基は、まだ少しその表情を心配そうに曇らせたままだ。
夏基は、どう思っているのだろう。
お前以外いらない、と言われたことがある。俺も、夏基以外何もいらないと言った。
普段は不愛想な顔をしている夏基が、市谷先輩や小沢先輩の前では楽しそうに笑う。
もちろん、俺に向けてくれる笑顔が一番まっすぐで、嘘のないものだと分かっている。
けれど。
突然、俺の頭がすぱーんと叩かれた。正面の夏基と、斜め隣に座っている小沢先輩がぎょっとして俺を見た。俺は叩かれた頭を押さえて、その手が伸びてきた方向を見た。市谷先輩が丸めたノートを持って目を据わらせていた。
「え。ええ?」
何で叩かれたのか分からない。
「ない頭で考えすぎんな、アホが」
その言葉は容赦なく俺の胸にぐさりと突き刺さった。
「──市谷」
夏基が市谷先輩をにらむ。勝手に俺を殴ったことを怒っているのだろう。
「市谷ー、お前バイオレンスすぎんだよ。俺の見た目をどうこう言うなら、お前だって俺以上に、見た目と中身がアレだぞ」
小沢先輩が俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら言った。
「最近、この忠犬っぷりがかわいくなってきたのに。大丈夫か、陽佳」
殴られた頭を乱されながら、俺はこくりとうなずく。
「お前ら、お互いに考えてること、確認し合った方がいいんじゃないのか?」
小沢先輩を無視して、市谷先輩が俺と夏基を交互に見た。
「俺に言わせりゃ、堂々巡りしてるだけだ」
「────」
俺は夏基を、夏基は俺を見て、それからそっと市谷先輩に視線を戻した。
「もっと暑苦しいくらいいちゃついて、俺たちなんて蚊帳の外になるかと思ってたのに──案外根暗だな、お前ら」
俺の頭に手を乗せた小沢先輩が、1人、意味が分からない、という顔をしている。
俺の考えていることが分かったのか、市谷先輩はそれから呆れたように溜め息をついた。
「糖分が足りない」
そう言って、俺と夏基の腕を引っ張り、椅子から立たせた。
「貢げ」
無理矢理背中を押しやられた。つまり、2人で何か甘いものを買って来い、ということらしい。俺と夏基は顔を見合わせ、仕方なく教室を出た。小沢先輩が、ひでーなお前、とつぶやいているのが後ろで聞こえた。
廊下を並んで歩きながら、俺は相変わらず姿勢よくまっすぐ前を見つめる夏基を見下ろした。
「なっちゃん」
「何だ」
「俺ね、嫌なやつなんだ」
夏基が俺を見上げる。
「せっかくできた友達と、なっちゃんを、比べちゃうんだ」
広瀬と友達になりたい、と思ったのは俺なのに。あの居心地の良さを求めたのは俺なのに。
けれど結局、俺は広瀬を裏切る。何かあったときは、間違いなく夏基を選ぶ。
「──そんなの」
夏基がつぶやく。
「俺も同じだ」
「だって、なっちゃん、あの2人のこと好きでしょう?」
「ああ」
「楽しそうだもん、大事なんだなって思うもん」
「そうだな。──でも、俺は、お前のためなら、あいつら2人、簡単に切って捨てられる」
俺は足を止めた。
「──なっちゃん」
夏基も数歩先で立ち止まり、俺を振り返る。
「小沢はどうか分からないが、市谷はそれを知ってる。そんな選択をする場面が訪れたら、俺がお前を選ぶということを」
「そんなの」
「だから、いいんだ、陽佳」
その言葉が免罪符だとは思わない。けれど、もうそれが理屈でないことを知っている。
「誰も許してくれなくても、俺が許すよ」
「なっちゃん……」
「お前も、俺を許してくれればいい」
理屈じゃない、と言うのは簡単だ。しかし考えることを先延ばしにしているだけにも思える。
「俺はね、陽佳」
俺の正面まで戻ってきた夏基が、顔を上げて俺を見上げる。
「そんな自分勝手で、自分本位で、エゴイストなんだ。──だから、お前が許してくれれば、それでいい」
「ずるいよ、なっちゃんは」
「そうか」
「俺が許さないわけないのに」
「そうだな」
「俺だって、なっちゃんが許してくれるなら、それでいいって思っちゃう」
「うん」
夏基が笑う。
「でもな、陽佳」
夏基は優しい笑顔を俺に向けたまま、続けた。
「お前がどうしてもそれを辛いと思うなら、必ずしも俺を選ばなくても、恨んだりはしない」
「──なっちゃん」
「お前は優しいから。そう思っていても、実際そんな場面になったとき、友達を選ぶことがあるかもしれない」
「ないよ、そんなの」
「うん、だから、もし。──そうなっても、俺は構わないんだよ、陽佳」
「どうして?」
「俺が好きになった陽佳は、そういうやつだから」
昼休みの学校は、がやがやと賑やかに、教室や、中庭で生徒たちがランチタイムの真っ最中だ。これから向かう学食も、その一角の購買も、きっと人があふれているだろう。もしかしたら、購買の商品はほとんど品切れになって、市谷先輩の望む甘いものは手に入らないかもしれない。
「──俺は」
廊下は、人気がなかった。時々ふざけたように走り抜ける男子生徒が、俺たちを気にも留めずに去っていく。
「なっちゃんを選ぶよ、絶対」
「ん」
夏基がうなずく。
「それだけで、充分だ」
夏基は再び笑い、俺の制服の袖を引いて歩き出した。俺は持ち上げられたその袖を見つめながら、夏基に合わせてゆっくりと歩く。手をつなぎたい、と思った。そして、その手を引き寄せて、抱き締めたい、と思った。
「なっちゃん」
「何だ」
「大好き」
俺の声はきっと、誰にも気付かれない。夏基だけが、それを聞き取る。
「俺もだよ」
そして、夏基の声も、俺だけに届く。
ゆっくりと、俺たちは購買に向かった。
大好き、大好き。何度も頭の中で繰り返して、俺は、夏基の背中を見つめる。
できるなら、そんな選択の場面がやってこないといい。
夏基は簡単にあの2人を切って捨てると言ったが、それをさせたくないと思った。
夏基は俺の袖をつかんだまま、学食へと向かう。
誰も許してくれなくても、俺が許す。
夏基の言葉を思い出して、俺はなんだか泣きたいような気分になっていた。
了
優先順位って、ありますか?
それを、友人につけてみたことがありますか?
多分、家族がある人は、何よりもまず、家族優先なんだろうなって思います。
家族と言っても、自分の親兄弟の家族と、自分の結婚相手と子供、というものは、また違うんでしょうね。
私は旦那も彼氏もいませんので、それに関しては悩むことなく切り捨てられますが、家族や友人をどう考えているのかは、ちょっと、難しいです。
切って捨てる、ということはありませんが、切って捨ててくれ、とは思います。
何かあったときに、私を選ばなくていい、と思っているのです。
誰かの一番になりたい、と願っているのに、一番になってしまったら、きっと躊躇するような気がします。
私にそんな価値ないです、って思ってしまうからなのかな。
だから、切って捨ててください。
恨んだりしません。
その方が、楽なだけです。
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