17 友人Iの苦悩~Disease another~
夏基(なつき)とは中学からの友人だ。
その名前を知ったきっかけは、初めてのテスト。貼り出されたテスト結果の上位30人。そのトップに夏基の名前があった。俺は2位。別に、絶対1位を取ってやる、という野望があるわけじゃない。俺はたまたま勉強が得意なだけの人間だった。
多分、この先もずっと、俺の成績は上位のままだろう。死ぬほど努力しなくても、わりとすんなり点数を取ることができた俺は、たいした感動もなくその結果を見ていた。
その後、何度かのテストで、俺は1位になったり2位になったりを繰り返していた。俺と入れ替わりに順位を上げたり落としたりしているのはいつも同じ名前。
柴崎夏基。
クラスも離れていたし、向こうから何かアクションがあるわけではないので、その名前と、クラスメイトがあれが柴崎だと教えてくれた遠目からの姿くらいしか、認識していなかった。
2年になって、俺は夏基と同じクラスになった。成績トップ2を同じクラスにするなんて、この学校のシステムはおかしい、と思ったのを覚えている。
初めて話したとき、夏基はとてもぶっきらぼうな物言いをして、俺を少しイラつかせた。もちろん顔には出さなかったが。
陸上部にいる、ということしか知らなかったが、本当に運動部なのかと思うほどに細く、華奢な身体だった。思ったとおり、おまり持久力はなく、部活自体も、所属厳守だったから入った、という感じで、あまり真面目に取り組んでいるわけではないらしい。でも、結構優秀なハードラーなんだってさ、とクラスメイトが言っていた。
この頃から、俺は万年3位の生徒にやたら絡まれるようになった。そいつは絵に描いたようながり勉タイプで、成績の良さだけが自分の価値といわんばかりの人間だった。あまり真剣に勉強と向き合っていない俺に何かにつけて絡んでくる。
俺は、よく、優しそうとか、気が弱そう、と誤解されるが実は結構気が強い。と、いうより、自分で言うのもなんだが、性格がよくない。見た目の温和さに反して、俺の性格は破綻していると言ってもいいだろう。そして、わりと、武闘派。まあ、普段は完璧に隠してはいるけれど。
そいつがあまりにもしつこいので、一発くれてやろうかと本気で考えてときだった。たまたま、その現場に夏基が現れ、そいつの矛先は夏基に向かった。俺に言うのと同じように、理屈の伴わない絡み方をするそいつに、夏基はあっさりと、言った。
──別に、取りたくて1位を取ってるわけじゃない。テストを受けたら、1位だったというだけだ。
俺はぽかんとして、万年3位のそいつが漫画みたいに、くっそおおおお、と叫びながら走り去っていくのを見ていた。
俺たちは、もしかしたら似ているのか?
そう思った。
その日から、俺と夏基は、距離を縮めていった。
夏基とは気が合った。無駄なことは喋らないところも、俺が黙っていてもそれを苦にしないところも、一緒にいてとても楽だと感じたし、向こうも同じように思っているらしかった。張り合うこともなければ、どちらかが引け目を感じたりすることもない。そして夏基は、思っていたより、打ち解けるとよくなついた猫みたいなやつだった。何をするでもなくても傍にいて、話しかければ相手をしてくるが、放っておいてもすねたりしない。俺の意思を尊重する代わり、自分の意思も通す。
俺の本来の姿を知っても、夏基は動じもせず、あっさりと受け入れた。
だから、俺は、夏基と一緒にいる時間が結構気に入っている。
──そんな夏基の新しい一面を知ることになったのは、3年になったときだった。クラスはまた、同じになった。新学期が始まって、教室で2人で話していたら、扉の方からやたら元気な大声が聞こえてきた。
「なーっちゃーん!」
初め、何が起こったのかよく分からなくて、教室は静まり返った。そりゃそうだろう。見たこともない真新しい制服を着た、どうやら1年生が、3年の教室にやってきて大声を上げている。
その静まり返った教室で、かたんと音を立て、夏基が椅子から立ち上がった。
「陽佳(あきよし)」
入り口に立つ1年生に、夏基が声をかけた。笑顔で。
──そのときの夏基の顔は、今まで見たこともないくらい優しく、柔らかく、向き合って座っていた俺はその顔を見上げながらとても驚いたものだ。
夏基が、陽佳と呼んだその1年生の元へ向かう。入り口で、笑顔で何か話している。そんな様子を、教室中が固唾を呑んで──大げさじゃなく、本当に──見守っていた。普段はあれだけ無愛想な夏基のあんな笑顔なんて、レア中のレア。俺だけじゃなく、クラスメイトのほとんどが驚愕しているのが分かった。
2人は予鈴が鳴るまで話していた。席に戻ってきた夏基に訊ねると、さらりと幼馴染みだと答えた。
それから、俺は夏基からその幼馴染みの話をよく聞くようになった。
それだけじゃなく、その幼馴染みは、毎日のように3年の教室にやってきては、夏基を呼ぶ。しまいには、教室の中に入ってきて、なっちゃんなっちゃん、とまとわりつく。俺は少し呆れてそれを見ていたが、夏基はそれを鬱陶しがるわけでもなく、当たり前のように受け入れている。
まあ、つまり、この2人にはこれが普通の状態ってわけだ。
陽佳はかわいい。それは俺も認めざるを得ない。人懐こくて、いつもにこにこ笑顔で、邪気なんてものを一切持たない。夏基には特別なついているが、俺のことも先輩としてちゃんと慕ってくれる。
いつの間にか、陽佳が夏基にくっついているのも、それを夏基が許しているのも、当たり前の光景になった。
俺たちは揃って同じ高校に入学した。卒業までの間、俺と夏基は1位、2位を順番に分け合い、それは誰にも譲らなかった。入学してからも、俺たちの成績はいつも上位。さすがにたいして真面目に勉強をしていない俺たちがトップ2を独占、ということはなくなったが、相変わらず10番以内を上がったり下がったりしながらキープしている。
高校生になって、夏基に新しい友人ができた。同じクラスの、小沢という男だ。見た目からして二枚目で、軽そうで、夏基とはあまり接点のなさそうなタイプだった。けれど、なぜか、すんなりと俺たち2人の中に入り込み、いつの間にか居ついている。女好きで、実際よくモテて、しょっちゅう彼女をとっかえひっかえしているが、悪いやつではなかった。
高校生になってから、夏基は時々、思いつめるような顔をするようになった。何かに悩んでいるのだろう、ということは分かったが、聞き出すことはしなかった。俺と夏基は似ている。俺だったら、一方的に踏み込まれて、無理矢理悩みを聞きだされることを望まない。だから、しばらくは様子を見ようと思った。
夏基は、時々身体に刃物を当てている。
その現場を直接見たわけではないが、その切り傷を目にしたことはあった。夏服の袖から覗く、沢山の小さな傷。致命傷になるような深いものではない。とても小さな、すぐにその姿を消してしまうような、浅い傷。
多分、それは、夏基にとって必要なものなんだろう、と俺は思った。
深みにはまらなければ、いい。
俺は注意して夏基を見守る。
陽佳と話しているときのあの笑顔がある限り、多分、大丈夫だろう、と感じながら。
2年になってしばらくして、小沢が「柴がやばい」と言い出した。やべえやべえと要領を得ないので放っておこうとしたら、まるで泣きつくように「いちがや~」とすがられた。
聞けば、夏基が尋常じゃないフェロモンを撒き散らしている、と言う。
……と、いうか、小沢。それは今さらだ。
元々、何を考えているか分からないミステリアスでクールな見た目(大抵は何も考えていないということを、後に知る)、気だるそうな表情(眠いだけだったりする)、やたらに色気のある仕草(これは……天然か?)、そんなものは、昔から気付いていた。だから、密かに夏基を好きなやつがその色気に当てられていることも知っていた。──むろん、男女関係なく。
俺からしてみれば、いつもぼーっとしてるな、とか、今ものすごく億劫がってるな、とか、いちいち分かってしまうのだが、夏基をよく知らない人間にはそんな風に見えるらしい。
駄々漏れている、と忠告すると、夏基は面倒臭そうに、俺のせいじゃない、と答える。少しは自覚した方がいい。
まあ、小沢が慌てるのも分かるくらい、2年になってからの夏基は、少し様子が違った。
その理由を、俺は、実は、知っていた。
夏基には幼馴染みがいる。
夏基にとって、家族以上の存在の。
陽佳と何かがあったのだ、ということは聞かずして分かってしまった。
俺たちは似ている。だからといって何もかもが分かり合えるわけではない。
その頃から、夏基はよく怪我をするようになった。前まではしていなかった絆創膏や包帯を手指に巻き、それは数を増やす。
初めは、ついに深みにはまったのか、と思った。
去年までの、あの小さな傷を思い出し、俺は心配になった。
ある日、少し探りを入れようとした俺は、放課後の教室で、偶然、呼び止めようとした夏基の肩に触れた。薄いシャツ一枚を隔てたその下、素肌ではない感触に、気付いた。夏基も、同時に俺が何に気付いたのは、分かったようだった。振り向いた夏基が俺を見返す。
俺はゆっくりとその感触を確かめ、夏基を見た。夏基は黙っている。
誰もいない教室で、俺は夏基のシャツのボタンを、外した。夏基は抵抗もせず、黙って俺を見ている。露になった肩に、ガーゼが貼り付けられていた。
怪我?
それとも──
小沢が言っていた。最近の夏基はとても楽しそうで、嬉しそうだ、と。
その理由を、俺は知っている。多分、夏基は俺がそれを知っていることには気付いていないが。
俺はその傷を差すように、すっと1本の指を伸ばして触れた。
「これは、陽佳か?」
夏基が黙って俺を見返す。怒っている目ではないが、警戒の色はしっかりと見える。
「それとも──お前の意思か?」
問いを変えたら、夏基は小さく、そうだ、と答えた。
「俺の意思だ。──俺が、陽佳に無理矢理させている」
「そうか」
俺は指を引いた。夏基がシャツを直し、ボタンを留めた。
「暴力じゃないんだな」
「違う」
夏基の答えに、俺はうなずく。それで理解した。
俺は、多分、安心したのだと思う。少なくとも、夏基が自分で自分を傷つけることはなくなるのだな、と思ったからだ。
きっと、あんな小さな刃物傷より、この肩の傷は深く、ひどいのだろう。それでも、俺は、夏基がたった一人であの小さな傷を自らにつけるよりはずっと、良かったと感じたのだ。
「──陽佳は」
俺は溜め息をついて、言った。
「本当にお前が好きなんだな」
俺の答えが意外だったのか、夏気は少し、気の抜けたような顔をした。
「何だよ」
「いや──それだけか?」
「それだけだ。他になにがある?」
「──軽蔑、されるかと思った」
「何で」
さらに、夏基が妙な顔をする。俺の答えがよほど不思議なのだろう。
「市谷」
「何だ?」
「お前は、変だ」
「傷作って喜んでるお前に言われたくない」
俺が言うと、夏基は突然、おかしそうに笑った。腹を抱えて、いつまでも笑っていた。
俺と夏基は似ているのだ。
俺だって、秘密の一つや二つ、持っている。それを口にするつもりは多分、この先一生ない。そして、その秘密を、誰かに理解してもらおうとも、認めてもらおうとも思わない。
きっと、夏基も。
夏基は、俺がそれをとがめたら、簡単に俺を切って捨てるのだろう、と思った。
俺がそうだから。
けれど、少なくとも、俺は夏基を気に入っているし、最近では小沢込みのこの関係にも慣れ、居心地がいい。
それに、夏基がどんな嗜好で、どんな性癖をもっていようとも、あまり関係がない。夏基は夏基で、俺は俺だ。
それだけで、充分なんじゃないか?
「市谷、お前、二重人格だよな」
「表の顔と、裏の顔を使い分けているだけだ」
俺の穏やかそうな外見にだまされる方が悪い。まあ、一応、普段はその外見に合わせて丁寧な物言いを心がけてはいるが。
夏基は再び笑う。普段の無愛想な顔が想像できないくらいに。
「夏基、笑いすぎだ」
俺が言うと、夏基はようやく笑うのをやめ、泣き笑いみたいな顔をして、もう一度、
「市谷、お前は変だ」
と、言った。
──まあ、それは、褒め言葉として受け取っておくよ、夏基。
だから、俺たちは、結局、それからも今までどおり、仲のいい友人をやっている。
ところで、2年になってから夏基が変わったその理由を俺が知っているのには、ちゃんと理由がある。
部活を引退した陽佳が、夏基と駅で待ち合わせをするようになってから、俺は何度かその場面を目撃している。大抵は、相変わらず仲がいいな、くらいに思っているだけなのだが、ある日、俺は、見てしまったのだ。
夏基の、あの傷だらけの指。
陽佳は夏基の手を持ち上げて、絆創膏の巻かれたその指の傷に、そっとキスをしていた。まるで腫れ物を触るように、大事そうに、うやうやしく、陽佳の唇が傷に触れる。
夏基はそんな様子を見て、黙って微笑んでいた。
ああ、そうか。
俺はそんな場面を、なんだかとても納得いったような気分で眺めていた。
そうだったんだな、夏基。
陽佳はその手を下ろして、にこりと笑った。夏基も笑った。2人で、幸せそうに。ただそれだけの場面を、俺は今も、はっきりと思いだせる。
だから、小沢がやべえよ、と頭を抱え込んでいるのを、俺は今さらのように眺めていた。
なあ、小沢。お前、気付いていないのか?
夏基のあんな顔、陽佳以外に引き出せるやつはいないんだぜ?
市谷、と小沢が言う。
──俺、やっぱおかしいのか?
いいや、お前は正常だよ、小沢。
俺は考え込む小沢の頭を撫でてやる。小沢がむっとしたように俺の手をつかみ、男にされても嬉しくねえ、と言う。
そうだな、それが当たり前の意見だな。
けれど俺は知ってる。陽佳は、夏基に撫でられると、この世の幸せ全部もらったみたいな顔をする。
──ああいうのも、悪くない。
夏基の怪我だらけの指先は、きっと、あいつにとっても幸せのバロメーターなんだろう。だから俺は、黙ってそれを見守ってやることにした。
しかし──
俺は、深く溜め息をついた。
多分、この春から、陽佳はこの高校にやってくるだろう。中学同様、俺たちの教室までやってきて、なっちゃーん、なんて大声で夏基を呼ぶのだろう。
今やただの幼馴染みじゃなくなった2人は、果たして人目をきちんと気にしてくれるのか?
まさか休み時間のたびに目の前でいちゃついたりしないだろうな?
クールに見えて、夏基は実は、死ぬほど甘い。それが陽佳相手ならばさらに。
それより、夏基、お前、小沢に説明はしてやらないのか?
お前の色気に当てられて、すごく困ってるぞ。
俺は今、3年に進級するのがとても頭痛の種である。
結局、そのフォローをしなきゃいけないのは、この俺なんだからな。
俺は小沢の頭をぺちんと叩き、小沢が不機嫌そうに顔をしかめて唇をとがらせたのを見、とりあえず、苦笑しておいた。
その後、夏基に言われたことがひとつ。
陽佳は本当にお前のことが好きなんだな、と俺は、あの肩の傷の存在を知った日、そう夏基に言った。
夏基はその日のことを、別に否定するわけではなかったが、これだけは言っておかなきゃいけない、と念を押すように、俺に告げた。
「俺が、あいつのことを好きなんだ」
わざわざ律儀に俺にそんなことを言わなくたって、構わないのに。
「俺の方が、ずっと」
そう付け加えて赤くなった夏基を、俺は初めてかわいいやつだな、と思ったのだが、口には出さずに黙って笑っただけだった。
春からの苦労は、仕方ないから、甘んじて受けてやることにした。
了
夏基の友人、市谷と小沢は、「14 冬空とサンダル(https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054884188214/episodes/1177354054884198100)」にもちょこっと出ています。(小沢は「15 bulrry(https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054884188214/episodes/1177354054884329298)」にもちょこっと)
市谷は中学からの友人で、普段はその見た目を有効活用し、人の良い人間を演じてます。けれど、夏基たちの前では本性バリバリです。腹黒くもある、俺様です。
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