14 冬空とサンダル~different~
クリスマスは夏基(なつき)の家と合同でちょっとしたパーティをした。と言っても、お互いの母親が料理を持ち寄り、親たちはお酒で、俺と夏基はジュースで乾杯をして並んだ料理やケーキを食べただけのものだが。
我が家のサンタクロースは、なんと分厚い問題集をくれた。俺の苦手な数学。うんざりするほど並んだ数字やグラフが頭を痛くする。朝食を食べるために下りてきたリビングで、俺は枕元にあった問題集を手にして両親をにらむ。父親は無言で新聞を読み、母親は知らん顔で朝食を並べた。
こうなったら、この問題集も、クリアするたびに夏基にご褒美をもらおう、と思った。
正月は、夏基と2人でのんびり過ごした。怪我をした夏基に理由をつけて散々べったりとくっついていた。うたた寝しているときにまでしっかりくっついていたままだったので、あとで母親に「ナツくんに迷惑をかけない!」と怒鳴られた。
こたつでうたた寝なんて、受験生の自覚はあるのか、と説教されてしまった。夏基が見かねて自分が悪いと言ってくれたが、母親は自分の息子よりも夏基を信頼しているような人である。勝手にべたべた引っ付いていたのはアキでしょ、と決め付けたように言い──まあ、実際そうなんだけど──夏基に困ったような顔をさせていた。
冬休みいっぱい、俺は真面目に勉強をした。夏基がいないときも、自室にこもってひたすら机に向かった。去年までの俺の成績は中の下。それが、9月の期末テストで急に100番以上順位を上げ、翌月の実力テストではついに50番以内に入った。
そして、11月の期末テスト、実力テストともに学年10位。自分でも驚くほどの伸びっぷりである。
それもみんな、夏基のため。
昔から成績優秀で、学年トップクラスの夏基が、県内1、2を争う学校に入学したのは当然の成り行きだった。受験のときも、別に気負った様子もなく、いつもどおりの勉強しかしていなかったはずなのに、合格するに決まっているだろうといわんばかりの余裕だった。
そんな夏基と肩を並べるために、俺は必死で努力しなくちゃいけない。
夏基が近所の小学生の家庭教師を始めたとき、とても羨ましかった。少なくともその時間は、夏基を独り占めできるのだ。
駄目元で、夏基に勉強を見てほしいと頼み込んだ。夏基はいとも簡単に、別に構わない、と答えた。
だって、お前が合格してくれないと、俺が困るんだよ。
夏基が笑いながらそう言った。
ああ、俺、夏基のためなら何だってできるよ。
頭のいい夏基は、教えるのもとても上手だった。そんなわけで、俺の成績はうなぎのぼり。学年10位だってさ。母親が小躍りしているのを始めて見た。
冬休みが終わったら、また実力テストが待っている。なんだか今なら、学年1位も取れるんじゃないかと思うくらい、頭が冴えていた。有難迷惑なサンタクロースがくれた問題集も、どんどん回答が書き込まれていく。これは、あとで採点してもらうために、回答集の方を夏基に渡してある。
正解率8割で、ご褒美。
これでもかというほど、夏基を抱き締めるつもりだった。
夏基の右手の怪我は完全によくなり、今日は友人と遊びに出かけている。
俺は昼からずっと勉強。途中、ココアを入れて部屋まで持ってきてくれた母親が呆れるくらい、ひたすら問題集を解き続けた。
夕食のあとも問題集とにらめっこ。頭の中に数字が踊り、X軸とY軸の世界が広がる。軽く背伸びをして、カーテンを開けたままの窓を見たら、向かいの夏基の部屋には明かりがついていなかった。多分、まだ帰ってきていないのだろう。
夏基にも友人がいて、付き合いというものがある。それはちゃんと理解している。もちろん表向きは平気な顔で言ってらっしゃい、と送り出す。けれど、内心は嫉妬の嵐。
夏基が俺だけを見てくれればいいのになあ、といつも思う。
俺だって、仲のいい友人は沢山いて、遊びに行ったり、意味もなくだらだらとつるんだりする。けれど、いつも、俺の優先順位は夏基が一番。夏基が行くなというのなら、俺はきっとその友人たちとの約束を簡単に反故にする。それを分かっている夏基は、多分、よほどのことがない限りそれを口にはしないだろう。
友人を軽視しているわけではない。ただ、夏基の方が大事なだけだ。
時計は22時を少し回ったところだった。今日一日で、10時間以上机に向かっていたことになる。
椅子から立ち上がってもう一度、今度は大きく背伸びをした。どこかの関節がぱきっと音を立てた。急に身体中に滞っていた血液が流れ出したかのように、すっきりした。
休憩がてら何か飲み物でも取りに行こうかと思ったとき、机の上に置かれたスマホかがじゃかじゃか音楽を鳴らした。着信音で夏基からだと分かった。
「なっちゃん?」
急いでそれを取り上げる。
『──陽佳(あきよし)?』
耳元から聞こえる声が、少し、暗い。
「どうしたの、なっちゃん」
『ん──今、何してる?』
「勉強してたよ。今は、休憩しようとしてたとこ」
『そうか』
「──なっちゃん?」
電話の向こうの夏基の声の歯切れの悪さに、俺は心配になって呼びかけた。
『陽佳、ごめん──』
突然謝られて、俺はひやりとしたものが背中を走るのを感じた。
「なっちゃん、今、どこ? どうしたの?」
『駅前。──なんか、もう──』
「なっちゃん?」
『────』
「な、なっちゃん? なっちゃん! 今、行くから! すぐ行くから!」
そう叫んで、俺はコートをつかんで急いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。ばたばたと玄関に走ると、リビングから母親が顔を出して、どうしたの、と訊ねてきた。俺は答える時間も惜しんで、玄関に出ていたクロックスに足を突っ込み、家を出た。
駅までは歩いて約15分。俺は全速力で走る。
電話はいつの間にか切れていた。
なっちゃん、なっちゃん、なっちゃん。
ずっと、頭の中で繰り返しながら走っていた。だほっとしたトレーナーにジャージという部屋着の上から羽織っただけのコートがばさばさと煽られる。俺は構わず地面を蹴った。
駅前のロータリーで、夏基を見つけた。ベンチに座った夏基は、友人らしき3人に囲まれるようにしてうなだれていた。
「なっちゃん?!」
「おー、5分も経ってないぞ」
その中の1人が、俺を見て驚いたように言った。夏基が顔を上げる。
「なっちゃん!」
俺は急いで夏基に駆け寄り、しゃがみ込んで夏基の手をつかむ。息を切らしたまま顔を覗きこむと、どこかぼうっとしたような目をして俺を見、笑顔になった。
「あきよし」
「ほら、柴、お迎えだぞー」
「よかったな」
「──ん」
夏基がうなずく。
「なっちゃん、一体どうしたの?」
「陽佳──」
夏基はぼんやりとした目で俺を見て、またかくんと頭を落とした。
「──疲れた」
俺は、ぽかんと口を開けた。
──疲れた?
俺は周りを囲むようにしている夏基の友人を見回す。その中に、中学時代からの夏基の友人がいた。俺も何度も顔を合わせたことのある先輩だった。俺を見て笑顔になり、説明してくれた。
クリスマスも正月も俺との約束を優先した夏基に、今日はとことんまで遊び倒す予定を立てたから絶対付き合え、と呼び出しをかけたらしい。それこそ午前中から、ボーリング、食べ放題のランチ、バッティングセンター、カラオケ、ゲームセンター、そして最後のとどめで再びボーリング。
最初のうちは面白がって一緒にはしゃいでいたらしいが、ゲームセンターでゾンビを撃ちまくっていた頃から少しずつ口数が少なくなり、2度目のボーリングにいたってはふらふらでガターばかり出していたという。
そして、駅までやってきて、体力の限界だった夏基はベンチに座ったまま立ち上がれなくなり、うとうとし始めた。友人たちがどうやって家まで送ろうかと悩みだしたところで、夏基が大丈夫、と言い切り、俺に電話をかけたらしい。
「──じゃ、なっちゃん、本当にただ疲れてるだけですか?」
「うん、そうみたいだ」
先輩はうなずいて、夏基を揺する。
「おい、夏基。陽佳くん来たから、帰りな」
「──ん」
夏基は短く返事をし、俺を見る。とろんとした目で、また、笑った。
「右手、痛い」
「あー、もう、なっちゃん。怪我治ったばっかりなのに」
「ん」
先輩たちが苦笑しながら俺たちを見ていた。
「じゃ、俺らは帰るな。また新学期にな、柴」
2人が夏基の頭をぽんぽんと軽く叩いて駅に去っていった。夏基が力なくゆらゆらと手を振った。
「──陽佳くん、それ、サンダル?」
先輩が俺の足元を指差した。俺は自分の足元を見下ろした。ベンチに座ったままの夏基も、同じように目線をよこす。
俺が履いているのは紺色のクロックス。しかも、俺は、部屋では靴下を履かない。素足に防寒用の下敷きもついていないサンダルを履いているだけの俺の足は、そういえばさっきからとても冷たい。
「この真冬にそれは……」
先輩が苦笑した。
俺は改めて自分の格好を見下ろした。元々暑がりな俺は、真冬でも結構薄着だ。スウェット地のトレーナー一枚にジャージ、素足にサンダル。そして羽織っただけのコート。髪の毛はサイドと前髪だけを頭のてっぺんで括っている。
「陽佳──」
夏基がくすくすと笑った。
「だ、だって、なっちゃんがごめんとか、言うから。何かあったんじゃないかって心配で──」
「うん、ごめん」
夏基の手が俺の頭に伸び、撫でる。
「こんなに早く飛んできてくれるとは思わなかった」
「──来るよ。なっちゃんのためなら」
「でも、サンダルは、見てるこっちが寒いな」
あはは、と声を出して笑うと、俺たちのやり取りを呆れたような、微笑ましいような顔で見ていた先輩も笑った。しょうがなく、俺も笑った。
「じゃ、俺も帰るよ。陽佳くん、あとは頼むね」
「はい」
俺は先輩にうなずいた。俺たちとは反対方向に向かって歩いて行く先輩を見送ってから、俺は夏基の隣に座った。
「ちゃんと言ってよ、なっちゃん。あんな電話じゃ、何かあったと思っちゃう」
「ん、ごめん」
「──なっちゃん、体力なさすぎ。先輩たちは平気だったのに」
「そうだな」
「はしゃぐなっちゃんて、あんまり想像できないね」
「あれは、大げさに言ってるだけだ」
「でも、楽しかったんでしょ?」
「ああ」
「──そっか」
俺は爪先に引っ掛けたサンダルをぶらぶらと揺らした。
「──帰ろっか」
「ん」
夏基がうなずいて、先に立ち上がった俺に手を伸ばした。俺はその手をつかんで立ち上がらせてあげる。
「勉強してたのに、ごめんな」
「休憩しようとしてたんだって」
「──心配させてごめんな」
「うん」
「陽佳」
「何?」
「──疲れた」
おんぶしようか、と言ったら、さすがに拒否された。照れたような、恥ずかしそうな顔でぷいとそっぽを向く。けれど赤くなった頬は隠せていない。
俺は、その場で立ち尽くした夏基の手を取り、ゆっくり歩く。
「風邪ひいたら、俺のせいだな」
「丈夫だから、平気」
「いくら丈夫でも、真冬に素足サンダルはさすがに、な」
うーん、と俺はうなる。確かにさっきから足の先は感覚がなくなるくらいに冷えている。
真冬の夜空はきいんと冷えた空気が澄んでいる。きらきら輝く星の下を、2人並んで歩く。手をつないで、ゆっくりと。
「なっちゃん、星、きれいだねー」
「んー……」
夏基はふわふわと揺らぎながら歩いていた。睡魔に襲われているらしい。
「寒くない、なっちゃん?」
「──寒い」
コートにマフラー、手袋の重装備でもそう感じるくらい、夜の空気は冷たい。俺は再び自分の格好を見下ろした。コートはまだ前のファスナーも閉めずに開けっ放しだ。けれど、夏基とつないだ手だけは、少しずつ暖かくなっていく。変わりに足の爪先からは尋常じゃない冷えが襲ってきてはいるのだが。
「帰ったらお風呂入って温まらなきゃ」
「そう、だな」
「きっと足先びりびりしびれて痛いくらいだね」
「そう、だな」
「入浴剤入れてさ、顎までつかろう」
「そうだ、な」
夏基が同じ台詞を繰り返す。一応話は聞いているようだが、理解しているかどうかは微妙だ。
「柚子がいいかな、ヒノキがいいかな」
「そう、だな」
「なっちゃんはラベンダーかローズかなあ」
「そ、うだな」
区切る場所が少しずつ変わるのも、なんだかおかしい。
ちらりと夏基を見下ろしたら、目は完全に据わっていた。きちんと歩けているのが不思議なくらいだ。
「お風呂でぽっかぽかー」
「そう、だな」
「100まで数えてねー」
「そうだ、な」
「なっちゃん、一緒に入ろうか」
「そうだな」
突然はっきりと答えられ、うひゃあ、と思った。
夏基がぼんやりした目で俺を見上げ、いたずらっ子みたいに笑った。
「ななな、なっちゃん?」
「ん──疲れた」
夏基は俺の上に身体を倒すように寄りかかり、どこかおかしそうに笑っている。
──からかわれた。
俺はむうっと唇を尖らせた。
冷たい冬空の下を、素足にサンダル履きで、俺は顔中真っ赤にし、むすりとしながら歩いたのだった。
了
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