第7話 Ⅲ

 さらに翌日のことである。

 シュネルドルファーらが川を凍らせて渡ってきたことを聞いた大工たちが村長をとおして、シュネルドルファーに橋の修理作業の手助けをしてほしいと依頼してきたので、シュネルドルファー、オイゲン、レッコウの三人は川岸まできていた。

「おれを頼ったということは魔法が目当てなのだろうが、具体的にどう手伝えばよいのだ? あいにく土木工事は経験がなくてな」

 老齢の、もはや力仕事は無理だろうと思われる細身の棟梁がすっかり水位の下がった川面を指差しながら答える。

「橋を架けるにはまず橋脚を作り直さにゃならんのだが、見てのとおり川の中での作業になる。そこで、橋脚の周りだけ水が入らんようにしてもらえんかな」

「それは可能だが、アーチ状にすれば橋脚は不要なのではないか?」

「そうしたいのはやまやまだが、わしらのような田舎モンにあんな洒落た橋を作る技術はないんだよ。それに川幅は一〇メートルもある、村の物流を一刻も早く復活させるには昔の図面通りに作るのが一番だ」

「ふむ……ならば仕方ないか」

 完全に門外漢であるためシュネルドルファーにこれ以上の提案はできなかった。

 ところが。

「待て」

 割って入るズタ袋がひとつ。

 服装はダロアで購入した海陽の小袖と袴、そしてブーツと長手袋にマフラーと完璧に白身を隠しているが、頭部全体を自然に隠せる物が見つからなかったためいまだに平時ではズタ袋を着用しているのだった。

「この川は洪水が多いのか?」

「いやあ、あっても四、五年に一回、橋が壊れるほどのは一〇年に一回ってとこだ」

「吾輩の感覚でいうならばそれは多い部類といえるな。五〇〇年もかけて蘇った大事な木を一〇年に一度も伐採していては割に合うまい。どうであろう、ここは吾輩に任せてもらえぬか?」

 見慣れない民族衣装とズタ袋を身にまとう正体不明の男に任せろといわれて即座に頷ける人間が一体どれほどいるものか。少なくともアフリス村の棟梁と若い衆は隠す気もない怪訝な顔を見合わせ、肯定意見は皆無だった。

「おまえ、橋作りなどできるのか?」

 代表してシュネルドルファーが問うと、レッコウは、顔が完全に隠れているからだろう、大袈裟にため息をついて見せた。

「おぬし、吾輩には己が何者か忘れたのかと問うておきながら、おぬしこそ吾輩が何者であるか忘れたと申すか」

「馬狂いの寝坊助だろう?」

「間違ってはおらぬが、以前教えたではないか。治水や土木をはじめ内政に力を入れていたと」

「ああ、そういえばそうだったな」

「おぬし……それに、海陽人は水の民ぞ! 水問題では世界で吾輩の右に出る者などおりはせぬわ!」

 骨しかない薄っぺらな胸を張って、レッコウはふんぞり返った。もちろんそれに感激するシュネルドルファーではない。

 その代わり、棟梁たちがざわめいた。

「もしかしておまえさん、元領主かなんかだったのか……?」

「さよう、ユウハとギンの故郷を整えたのは吾輩であるといっても過言ではない」

 当然、ざわめきは驚愕に変わる。

「まじかよ……!」

「も、もしかして、あの二人の故郷を治める貴族かっ? それとも王族……!?」

「だったらどえらい身分の人じゃねえか、なんのもてなしもしてねえぞ……」

「あ~よいよい、かつてはともかく今はただの旅人ゆえ」

「もしかして、お顔を隠しておられるのは身分を隠すためで……?」

 もちろん違うが、瞬時に視線を交わした三人は瞬時に同じ結論へ至った。

「さよう」

「こいつは失礼をばっ!」

 棟梁たちは一歩下がって平伏してしまった。

「そういうのをよせというておるに……」

 しかしお陰でスムーズにことが運びそうであった。外国人とはいえ支配者階級の人間などアフリスのような田舎でなくとも完全に雲上人扱いであるし、相手が外国人であるがゆえに礼儀の尽くし方もわからないから余計に畏まってしまう。

 それになにより、村の若い衆がほぼ例外なくになったというユウハとギンの主君とも呼べる立場の人間とくれば、男たちが地に額をこすりつけるのは無理からぬことだろう。

 それを思ってシュネルドルファーは苦笑し、オイゲンは肩を落とすのであった。

「そんなことより、吾輩にはやってみたいことがあるのだ」

「へえ、なんでしょう?」

「これまで治水工事を行う際は地形そのものに手を加えるのが主で、やってもせいぜい巨大で頑丈な橋を作る程度であったのだが、後年思うようになったのだ。そもそも洪水に耐えうる橋など作る必要がないのではないか、無理に自然に抗わず、その力を利用するなり避けるなりしたほうが賢いのではないかとな」

「珍しく回りくどい言い方をするな」

「茶化すな、ここも重要なのだ」

 真面目に返せば返すだけその姿がおかしく見えてしまうのはシュネルドルファーだけではない。村人たちもレッコウの恰好と語りのギャップに決して反応すまいと努めて無表情を作っているのだ。

「つまるところ吾輩が作ってみたい橋とは、跳ね橋である」

「跳ね橋……?」

 全員が一様にきょとんとした顔を向けた。

「跳ね橋ってそんな上等なもん、こんな田舎村にはもったいないですぜ」

 若い衆の一人がいう。

 続けて棟梁も、

「アーチも作れないわしらのような素人大工にゃあ無理な話ですよ」

 と手を横に振る。

「その点は心配無用、作り方は心得ておるし図面も吾輩が引く」

「ですが普通の橋を作るより時間がかかるでしょう……?」

「多少はな。しかし村の行き来に関しても心配無用ぞ。完成するまではイザークに氷の橋を架けてもらえばよいからな」

 この言葉により棟梁たちの目は期待に輝き、その視線を一身に集めることになったシュネルドルファーは小さく肩をすくめて見せた。

「やれやれ、とんだ大仕事になりそうだな」



 翌日から、アフリス村は大賑わいであった。

 レッコウが一晩で書き上げた図面は村人どころかシュネルドルファーすら見たことのないものであったため、こんな立派な橋がこの村にできるのかと期待に胸を膨らませ、アフリス村開拓以来の大工事に湧いたのだった。

 レッコウが考案した跳ね橋の構造は、城郭の堀に架けるものと基本的には同じものだが、大きく異なる点がみっつある。

 ひとつは橋脚の存在。

 本来跳ね橋に必要ないはずの橋脚を作る理由はただひとつ。川幅が広すぎるため中心部の負担を減らし、普段は下ろしっ放しの橋を支えるためである。

 しかも形が考えられており、川のど真ん中に水流に対して水平になる細長く平べったいものであり、こうすることで洪水が起きても激しい水流とぶつかることなく受け流せるようになっているのだ。

 ふたつ目は、跳ね橋を川岸の左右両方に設けるという点。

 これは一〇メートルもの橋を持ち上げるのが大変だからという理由だが、これでは片方を上げたらもう片方を上げるために川を渡れなくなってしまう。

 そこでレッコウは、もうひとつ組み立て式の簡易的な橋を作ることを考えた。それは長さ七メートルほどで上りと下りの階段を背中合わせにしたような形をしており、まずそれを組み立ててから数人が向こう岸に渡って跳ね橋を上げ、橋の中心部から川を跨ぐように階段橋を架けてもらって戻る。そして階段橋を取り村側の跳ね橋を上げれば、問題解決である。

 なにもここまでややこしいことをせずとも跳ね橋を完成させること自体は可能だったのだが、レッコウの計算ではまた橋が壊れてしまうため、このような構造となったのだ。

 なぜか。

 それが、みっつ目の特徴にある。

 通常の跳ね橋はどんなに上がっても地面と垂直である。しかしこの跳ね橋はなんと、一八〇度反対方向へと倒れるようにできているのだ。つまり上げた状態とは橋が地面に寝そべっている状態となる。

 こうしなければ、橋を上げても水流で破壊されてしまうほど酷い洪水だと、一昨日の惨状を見てレッコウは判断したのである。

 それゆえに、一八〇度回転させるためと労力を減らすために橋の付け根に車輪をつけ、しかも水流の被害を受けにくいように岸から少し離れた地面に半ば埋まるように設置し、橋の先端にはフックをつけられるようにし、吊り上げ構造を廃した世にも奇妙な跳ね橋となったのであった。

 この図面を見たとき、シュネルドルファーは初めてレッコウの戦いぶりを見たとき以来久しぶりに、心底敬意を表したものである。

「素晴らしい……おまえはこんなものを千年も前に考案していたのか……」

「これならば一〇人もおれば簡単に操作できようぞ」

 一〇メートル以上もの橋を反転させようとすれば、垂直を越えたとき橋が倒れないようにするために支える人間が相当数必要になるうえ、橋を下ろすときには向こう岸から引っ張り上げる人間、持ち上げて補助する人間、倒れないよう支える人間とさらなる人数が必要になる。

 しかしこの構造ならば橋を半分ずつ上げるため、持ち上げるのに五人、支えるのに五人。それを二回やるだけで済むのだ。

 そのぶん部品を作る大工にはかなりの苦労を強いることにはなったが、レッコウの設計図はその点も詳細に記されており、そもそも多少時間がかかってもシュネルドルファーの氷の橋があるためなんの問題もない。

 そういうわけで、彼らはすっかり歓迎されて早くも英雄扱いであった。


 そんなこんなの三日後のこと。

「ごめんください」

 五人で昼食をとっているとき、聞き慣れぬ声の主が来訪を告げた。

 ユウハが応対しに出てゆくと、すぐに客を伴ってリビングへ戻ってきた。

「ユウハさん、そちらのかたは……?」

 オイゲンにとってはまったく面白くないことに目鼻立ちの整ったダンディな壮年男性だったため、少々警戒心が声に乗ってしまっていた。

「こちらは領主さまの使いのかたで、オロフさんといいます」

 シュネルドルファーの目が好奇に輝いた。

「もしや……!?」

「はい、お待ちかねのことですよ」

 よし、と拳を握るシュネルドルファーを横目に、オロフもまた怪訝な顔で三人(特にズタ袋)を見やる。

「ユウハどの、このかたがたは……?」

「同行者が増えました」

 と、一人ずつ紹介していき、最後にシュネルドルファーが連盟魔術師であることをつけ加えると、オロフの表情は綻んだ。

「おお、連盟の魔術師ですか、それは心強い」

「あいにく封術師ではないが、おれに手伝えることがあるなら喜んで手伝おう」

「是非ともお願いしたい。なにせ次に向かっていただく場所は女性二人にお願いするには少々気が引ける場所でしてな……」

「ますます興味深い。早速話を聞かせてくれ」

 引きずり込むような勢いでオロフを座らせたシュネルドルファーは、まるで自分が受けた仕事であるかのように仕切り始めるのだった。

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