第7話 Ⅱ
昼過ぎのこと。
ユウハとギンの厚意により家を共同使用できることとなったシュネルドルファーたちは、当面の食料を買い込んで各々自由に過ごすこととしていた。
レッコウはギンの唄を聴きたがって別室にて独占中。シュネルドルファーは前々から興味のあった海陽文化を紐解くため、他に行くところのないオイゲンとリビングにてユウハから聞き取り調査を行っていた。
「そもそもイスルヒメとはなんだ?」
手始めにして核心であるこの質問に、ユウハはしばし考え込み、言葉を選びながら二人に説明する。
シュネルドルファーがユウハに対し最も好意的になれたのは、彼女のこういうところである。質問の意図を正しく理解し、それでいて誤解されたくないところははっきりと主張しつつも押しつけがましくしない賢さがあるのだ。
ユウハのほうでも昨日一晩で、シュネルドルファーが異国文化に興味津々ながらも宗教に対しては冷淡であり、宗教も文化も魔法もすべてを論理的に分析し学術的な価値で判断する人間だということを理解しており、だからこそ宗教的な精神論や宗教的立場からの見解を説くことが無意味であることも悟って、できるだけ客観的に説明することが結局は互いにとって一番有益だという結論に達している。
「われわれとしてはあまりこういう呼び方は相応しくないと思うのですが、大陸でいうところの精霊の一種だと思います」
ただ、精霊といっても地域や学者によって解釈は様々あり、それは海陽内においても同様である。また、海陽には
伊守流姫命というのはそれらの頂点に立つ存在のことであって、宗教的にも学術的にもそこだけは揺るぎない事実といえる。
「それはイスルヒメが海陽の精霊のすべてを支配しているということか?」
「そうともいえますし、そうでないともいえます」
確かに伊守流姫命の力は絶大で、それ以上の力をもつ精霊は今のところ確認されていないし、他の精霊が伊守流姫命に逆らうことはない。しかし精霊を人間と同じレベルで分析し理解しようとするのは根本的に的外れであり、そもそも伊守流姫命を一個の人格として捉えること自体が間違いである。
精霊とはいわば世界そのもの。世界に流れる大いなる力それ自体が一個の精霊であり、そういう意味では伊守流姫命も八百万の神たちも、シュネルドルファーが契約を結ぶ精霊なども同一の存在といえる。
「ですが精霊によって違いがあるのもまた事実です。それに関してはイザークさんもお詳しいと思いますが」
「ああ」
たとえば今ここでシュネルドルファーとオイゲンがそれぞれ水の精霊と契約を結んだとして、それらがまったく同一の形をなしまったく同一の効果をもたらしてくれるとは限らない。
また、ここで召喚した水の精霊とジブラスタのダロアで召喚した水の精霊が同一の個であるということもない。
精霊も人間も等しく世界と繋がっており、互いが互いと、そして世界そのものと影響し合うものであるため、場所の違いや術師の違いで精霊もまた変化するのである。
実に矛盾しているが、こういう言葉がある。
「精霊とは千変万化にして不変の存在」
「クガナさまですね」
「さすがに知っているか」
「レッコウさまと所縁の深い魔術師ということは知っていましたが、まさか大陸ではあれほど高名なかただったとは最近まで知らなかったので驚きました」
世界に広がる奇縁に感心するような、呆れたような、しかしオイゲンの表情を綻ばせるには充分な笑みをこぼした。
「ですがこういう表現はご存じですか?
いったいなにをいっているのかと、シュネルドルファーは首をかしげた。
「ユニバーサル、インパーシャル、アンチェンジングのみっつの単語は、海陽語ではすべて“ふへん”と発音するんです」
「ほう……!」
どこにでもある普遍性をもちつつ人格がないゆえの公平さという不偏性もあり、そして不変不滅の存在――確かに理に適った表現だと、シュネルドルファーは強く頷いた。
「海陽人も上手いことをいう」
「いえ、こう表現したのはクガナさまなんです」
「なんだって!?」
「実は伊守流神宮にはクガナさまの残したものがいくらか保管されていまして、その書物の中に海陽語の洒落を思いついたと、そう記されているんです」
「なんということだ……!」
シュネルドルファーは机に突っ伏して拳を握りしめた。
「海陽は宝の山ではないか……!」
「やっぱり行ってみます、海陽?」
からかうようなオイゲンに、シュネルドルファーは言葉で返さず恨めしい視線で答えてやった。
「レッコウさまの呪いを解くためならば喜んで協力させていただきますよ」
「うぬぬ……今はだめだ、今は……! しかしいずれ必ず……!」
「頑固だなあ」
「ですが、伊守流姫命の力をお借りするというのであれば、なにも海陽に戻らずともできますよ。場所や道具は念入りに選ばなくてはならないでしょうが……」
「場所はともかく道具など満足に揃えられるのか? 昨日使っていた物はあからさまに間に合わせという感じだったが」
ユウハは眉をハの字に下げて苦笑した。面白いことに、普段は垂れ気味の目がこの表情を作るときだけは頬に押し上げられて逆ハの字になり、眉と対称になるのだ。
「この国にきてから廃材などで職人さんに作ってもらったものですからね」
「いいんですか、神さまを呼ぶのにそんな材料で……」
「あまりよくはありませんが、材質が高級であればよいというものでもありませんから。それに、そのときはあまりお金もなかったので……」
さすがに神と繋がるための道具を体を売って揃えようとは思わなかったかと、オイゲンは胸を撫で下ろした。
が……
まったく同じことを、シュネルドルファーが平然と訊いてのけたのでオイゲンは飛び上がった。
「先生っ! なにいってるんですかっ!?」
「神道の性質を考えれば別に不敬にはあたらんだろう」
「そんな馬鹿な! そうですよね、ユウハさん!?」
救いと希望を求めて見やると、本人は下げた眉と上がった目を細めて、ためらいがちに一言、
「いえ……」
短く、少年の心を打ち砕いた。
「そのときはちょうどギルド証の発行待ちでして……」
娼婦が職業と認められている国では、たとえ一般人が副業として売春をする場合でも娼婦ギルドで登録手続きを行いギルド証を所持していなければならないのが基本である。
「しかも、言葉も文化も勉強不足で、そのことを知らずにお客を取ってしまって、ちょっと揉めてしまったんです。お陰で発行まで時間がかかってしまって……」
「海陽人ならではの失敗談だな。これも記録しておくとしよう」
「ああっ、勘弁してくださいっ……」
シュネルドルファーから見ても恥じらいながら慌てる姿は実に可愛らしいものだったが、ハートブレイキングな少年はそれを脳裏に焼きつけることができなかった。
そんな少年を横目に笑いながら、シュネルドルファーは用意していた本とペンを取り出してさらさらと書き始める。
「以前にも見たことがあるのですが、それはどういう魔法なのですか?」
ユウハのいうそれとは、シュネルドルファーの筆記。
少し離れたところから見ればただ普通に書き記しているだけに見えるが、近くで見ればその異様さが一目瞭然である。なぜなら、ペンの跡にはなにも記されていないからだ。
「一応、筆記魔法と呼ばれてはいるが、霊術や封術のように系統立てられたものではない。ほとんどが錬魔運用術の応用だ」
「錬魔運用術……?」
「三大源力にはそれぞれを運用するための基本技術があるだろう、そのことだ。しかし、生命力は術者が死ねば効力を失うし、霊力はそもそも使い手が少ない。その点、魔力は使用できる人間が多くなおかつ世界の力というある意味では不死の力を用いるため非常に汎用性が高い。その特性と基本技術を応用して、インクよりも保存性が高くなおかつ秘匿性に優れた、より効率的な記録術として生み出されたものだ」
「つまり魔力で文字を書き、書いた人にしか見えないと?」
「記録者にしか見えないようにするすべもあるし、魔力があれば誰にでも見えるようにすることもできる」
「まあ、便利ですね!」
「学者にとってはなによりも必要な技術だ。特におれのように世界各地を自分の目で見て回る実践派は旅をするための道具だけで手いっぱいになり、とても本を持ち歩く余裕などない。だからこうして筆記魔法で書き記し、書き終えれば文字を圧縮して保存することですべてを一冊にまとめることができるのだ」
それだけでも充分すぎるほど便利だというのに、シュネルドルファーはさらにオリジナルの界術と封術を本にかけて自分にしか開けないようにしているうえ、魔力文字の圧縮率を限界まで高めてある。しかも項目分けや索引といった便利機能まで付与し、この一冊の中にシュネルドルファーの知識のすべてが詰まっているといってもいいほどの濃密な情報量を誇っていた。
「なるほど……!」
ユウハはまるで鱗が落ちたように目をきらきら輝かせた。
「魔力でできるということは、霊力でもできますよね」
「できるだろうな、おれには霊力はわからんが」
「普段われわれが祝詞を奏上するときは心と霊力を込めてまず奉書紙に書き記すのですが、筆記魔法を応用すれば紙や筆がなくともすぐに読めますね!」
「紙もなくてどこに書くんだ?」
「ここです」
ユウハはなにもない目の前を指差した。
その意図を理解し、シュネルドルファーは戦慄した。
「まさか、物質に頼らないというのか!?」
「見ていてください」
にっこり笑って、ユウハはゆっくり丁寧に空中で指を躍らせる。
「あの赤い目でご覧になって結構ですよ」
いわれるまま、シュネルドルファーは破眼を発動させ、空中に海陽文字が浮かんでいるのを確認した。
そして一文だけ書き終わったユウハはその文に向かって手を合わせ、精神を集中させる。
すると空中の一文は吸い込まれるようにしてユウハの中へと消えたではないか。
「そして奏上のときには……」
手を合わせたままもう一度集中する。
「おおおっ……!」
先ほどと同じ位置にまったく同じ文が現れた。
「神に対する感謝と畏敬の気持ちが込もっていれば、こうして紙に書かずとも祝詞は祝詞としての効果を発揮します。大変よいことを教えていただきました」
「むしろこちらの台詞だ、大変いいものを見せてもらった……ううむ、直接物質に干渉しない霊力だからこそ可能な、物理法則を無視した記録保存……まさかこんな形で応用できるとは……やはり霊力とはこの世界を越えた……」
自分の世界に入ってしまった師の代わりに、復活したオイゲンが素朴な疑問をぶつける。
「だけど、その理屈でいけばそもそも詠唱も必要ないってことになりませんか?」
「あるいはそうなのかもしれませんね」
「待てよ、ということは……いや、そもそも術式とはなんだ……? もしかするとおれは、いやおれたちはとんでもない勘違いをしているのか……? それとも未熟がゆえに必要な儀式なのか……?」
「あの、イザークさん?」
「ああ、先生はこうなったらしばらく帰ってきませんから。そっとしておいてあげてください」
「はあ……」
しばらくリビングには別室から漏れ届く海陽音楽を背景曲に、シュネルドルファーの独唱が断片的に響くのだった。
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