第7話 ファンタスティック海陽人

第7話 Ⅰ

 シュネルドルファー一行がアフリス村に到着して一夜が明けた朝。オイゲンは村長の家で借りた馬小屋までトゥーラの餌やりに行くレッコウとともに目覚め、朝日を浴びるついでに庭の水樽で顔を洗おうと玄関を出た。もちろんユウハとギンの家である。

 昨晩は同郷人と、しかも自分の事情を隠し立てする必要のない者たちと出会えたことですっかり気をよくしたレッコウが晩くまで飲みながら語り、シュネルドルファーもシュネルドルファーで海陽について根掘り葉掘り二人を質問攻めにするものだから、話に入れなかったオイゲンは仲間外れになるのが嫌で苦手な酒に耐えつつ限界まで意地を張ってしまい、そのため寝起きは最悪、爽やかなはずの朝日が拷問のように目から全身を痛ませた。

 物置小屋の脇に置いてある、昨日シュネルドルファーが自らの魔法で満杯に補充した水樽へとふらつきながら足を運ぶ。

 すると、豪快な水飛沫の音がして聴覚でもオイゲンを苛んだ。

 誰か先に起きて水浴びでもしているのかと、オイゲンは眉をしかめながら覗き込む。

 考えれば誰がいるかなど、すぐにわかるはずであった。

 レッコウは馬小屋に向かい、シュネルドルファーはオイゲンが起きたときまだソファーで眠っていた。

 となれば、家主である女性二人のうちのどちらかであることは明白なのだ。そんなことにも気づけずそれを見てしまったオイゲンは、やはり残っている酒のせいなのか、わざわざ自分の存在を教えてしまうのだった。

「わっ、すみませんっ!」

「あら?」

 そこにいたのはユウハだった。

 さすがに裸ではなかったが、真っ白な薄い着物は水をかぶったせいで完全に透けて肌に貼りついており、初心な少年の顔を真っ赤に染め上げるには充分すぎる威力をもっていた。

「おはようございます。昨夜はだいぶ飲まれていましたが、お加減はいかがですか?」

「だっ、大丈夫ですっ……!」

 むしろたった今心のほうが大丈夫でなくなった。

「そうですか。もし具合が悪くなったらお薬を調合しますのでいってくださいね」

「ど、どうも……」

 立ち去って台所の水樽に向かえばいいのに背を向けて留まるのは酒のせいか、動揺のせいか。

「すみません、すぐにどきますので少々お待ちくださいね」

 いって、ユウハはもう二回肩から水を浴びて立ち上がると、またもや少年を驚愕させる行動に出た。

 なんと、その場で着替え始めたのだ。

 うしろを向いていても音でなにをしているのかははっきりと伝わり、オイゲンは振り返りたくなる衝動を必死にこらえなければならなかった。

 昨晩判明したことだが、海陽人は性に対する価値観が大陸人とはあまりに違う。ユウハとギンが揃って、金に困ったときは体を売って路銀を稼いでいたとあっさり告白したものだから、オイゲンは思わず口に含んでいた酒を吹き出してギンに笑われた。

 ギンはまだしも、いくら他国とはいえ宗教の関係者が平然と体を売るという行為はオイゲンには到底受け入れがたく、知っていたシュネルドルファーすらも顔をしかめたほどである。

 しかし、そもそも海陽が主神として崇める伊守流姫命いするひめは豊穣と子孫繁栄を司っており、その伝道者であり守護者である神官も巫女も古くから性に関する知識や技術を修めているため、海陽人にとって宗教と性の関係は切り離して語れるものではなく、レッコウの時代から海陽人の貞操観念は非常に開放的であった。

 さらにいえばその影響で温泉も混浴しかなく、大陸ではギルドが管理する娼婦も普通に宿屋で働きながら客を取るなど自由に活動しており、挙句の果てには夜這いの風習すら全国的に存在するというから、性に厳しい大陸で生まれ育った師弟に多大なるカルチャーショックを与えても不思議はないだろう。

 ただ、オイゲンにとって釈然としないのは、ユウハやギンほどの美人がそういう生き方をしているということであった。

 師とともに各地を回って多様な文化や伝統に触れてきたもののまだ一七の少年であって、幼いころから刷り込まれてきた価値観の枠を超えた考え方というものが身についていない。

 だから、美人なら体を売らずともいくらでも嫁の貰い手はいるだろうし、そもそも女一人で国を飛び出して旅をする必要もないだろうと思うのだ。

 それに、少年の女性の好みの問題も強く絡んでいる。

 オイゲンは初めてギンを見たとき、そのエキゾチックな顔立ちに一瞬心を奪われ、ユウハに会ったとき、それが決定的となった。

 早い話が、好意を抱いた女性が娼婦の真似事をしているというのが許せなかったのである。

 しかし、自分の価値観を無遠慮に押しつけるほど彼は子供ではないし、かといってシュネルドルファーのように人それぞれだ文化の違いだと割り切れるほど大人でもないから、今こうして一目惚れといっていい相手の限りなく裸に近い姿を見てしまい背中越しに着替えをされているという状況が、初心な少年の心を無造作にかき乱すのである。

「お待たせしました」

 着替えが終わり、オイゲンは恐る恐る振り返って、その優しい笑顔に癒された。

 ユウハとギン、同じ海陽人でもタイプはほぼ真逆というほどに違う。

 ユウハは髪が長く、目は大きくて二重の垂れ気味。ギンは髪が短く吊り気味の切れ長の目。内面的にも淑やかで温和なユウハに対し、ギンはさばさばとして男っぽい。

 近いところといえば体型くらいだろうか。胸の主張はそうでもないが尻が大きく、着ている服の構造が腹部で帯をきつく締めるというものだから余計に下半身の女性らしさを目立たせる。

 年上の女性に憧れる年頃といえばそうかもしれないが、オイゲンにとって海陽人女性自体が琴線に触れるもので、中でもユウハが心に描く理想の女性像という額縁にぴったり収まったのだった。

「おや、お二人さん、お早いねえ」

 オイゲンが水樽に近づこうとすると、今度はギンがやってきた。彼女もまた白の薄い着物一枚という恰好で、せっかく和みかけた少年の心を刺激する。

「ぼうや、覗きはいけないよ?」

 物置の軒先に干してあるユウハの肌着を見て、ギンはからかうようにそういった。

「覗いてませんよ!?」

「男ならそんなこすいことせずに、堂々と正面から押し倒さないとね」

「なにをいってるんですかっ、もうっ!」

 オイゲンはまた赤くなってしまった顔を隠すため、大袈裟に水をかぶる。

 それをにやにや笑いながら眺め、ギンもまた水樽に手を突っ込んで顔につける。そのさい、水がこぼれて胸元を濡らしてしまい、

「おっと、いけない」

 透けたその部分をわざとらしく引っ張ってさらにオイゲンを追い詰めた。

「もうっ、やめてくださいよ! お二人ともそんな薄着で外に出るなんて、はしたないですよっ!」

「自分の家の庭でなにを遠慮する必要があるってんだい」

「朝の水浴びが日課ですので」

「ううっ……」

 文化の違いの前に、少年は完全に無力だった。

 だいたい貞操観念に限らず、海陽人はあらゆる面で大陸人とは一線を画す。そのうえこの二人はそんな海陽人においても飛びぬけて特殊な人間なのだ。

 ギンは自らがいったとおり、音楽の素晴らしさを国の連中が理解しないからというだけで海を渡るほどの無鉄砲さであるし、ユウハは国内での影響力を失って久しい神道の可能性を広げるため、そして持ち前の博愛精神がゆえに自分が役に立てる場を求めて大陸に目を向けた、立派過ぎるほどの国際人である。

 それほどまでに精神的に自由な人間をひとつの価値観の枠に収めて説教しようなど、身の程知らずというべきであろう。

「そういえばユウハ、夕べだいぶ食べちゃったけど朝食の分は残ってるのかい?」

「いえ、ほとんど使い切りましたので今からパンを買ってこようかと」

「あ、それならぼくが行きますよ」

「おや、そうかい?」

「突然押しかけて泊めてまでいただいたんですから、それくらいは」

「そいつは助かるねえ。ここのパン窯の奥さんにあたしたち睨まれちゃってて顔出しづらいもんだからさァ」

 ギンとユウハは顔を見合わせて苦笑いした。

「どうしてですか?」

「いやさ、あそこの息子二人が気前よく貢いでくれるもんだからさ、ついね」

 形のいい眉をさげてぱたりと手を振る姿は、オイゲンに異国情緒に富む新鮮な色気を感じさせた。

「つい?」

「もう、野暮な子だねえ。筆下ろししてやったんだよ、あたしとユウハでさ」

 オイゲンの悲鳴は声にならなかった。

「そしたら余計に懐かれちゃってねえ。旦那も旦那で明らかに気があるし、さすがに奥さんも気づいてるし、そりゃあ気まずくもなるってモンだろ?」

「なななっ、なにをしてるんですかあっ!」

 オイゲンはもう泣きそうであった。

「そんなっ、よその家庭にヒビを入れるようなことっ……ユウハさんまで……っ!」

「おや、あたしならやりかねないってかい?」

「そうじゃありませんけどっ!」

「いつまでもただで頂くわけにはいきませんし、ああも熱心に求められて拒絶するのは申し訳ないので応じたのですが……」

 ユウハも眉毛をハの字にして息を吐く。

「妻子もちは断ったとはいえ、さすがに食い過ぎたかねえ」

「食いっ……!?」

「まあ、そのお陰で特に働かなくても食べるには困らなかったんだけどさ」

 オイゲンは頭が真っ白になり、口から魂が抜けるのを見たような気がした。

「ちょいとぼうやには刺激の強い話だったかね。でも男なら覚えときなよ。女は結局のところ苦い初ものより熟れた食べごろのほうが嬉しいのさ。知らぬは白なす、半端な灰なす、玄人好みは黒なすびってね」

「もう、おギンさんったら」

「ここには黒なすなんて生ってやしないから、あたしはちょいと消化不良気味さね。レッコウさんに体があれば是非ともお相手してほしかったんだけどねえ。あの人かなりの手練れと見たね」

「お妾合わせて一六人ほど奥さまがいらしたようですからね」

「う~ん、もったいない! ホラホラぼうや、呆けてないで早くパンを買ってきとくれ。あんたの先生もきっと腹空かせて待ってるよ!」

 茫然自失のままアンデッドのような足取りで買い出しに向かったオイゲンが、戻ってきたときには両目を真っ赤に腫らしていたことは、いうまでもない。

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