第6話 Ⅲ
ギンが借りている家は町の西の端にあった。前の住人が出ていって何年もなるというが彼女たちが手入れしているのか庭も畑も綺麗に整えられており、確かな生活感が漂っている。
ひとまず庭にトゥーラを放し、物置小屋に荷車を突っ込んでから三人は女性二人の仮住まいに上がり込んだ。
「ユウハ、いるかい?」
ギンが玄関から声をかけると、すぐに奥から返事があった。その声はギンとは逆に女性らしい柔らかさと穏やかさを感じさせたが、たいして大声を上げたわけでもないことがわかるというのにやけにはっきりと聞こえる、とおりのよさという意味ではギンと同様の魅力をもっていた。
すぐに奥の部屋からその人物が現れて、三人は、特にレッコウは驚愕した。
「海陽人か!?」
そう、そのユウハなる女性封術師もまた、海陽人だったのだ。
長い黒髪を束ねて赤い鉢巻をしており、服は上が白地に赤模様、下は袴で赤地に白模様というもの。その出で立ちに、レッコウは思い当たるものがあった。
「ねえ、びっくりだろ? あたしもユウハと出会ったときはまさかこんなところで同郷人にって驚いたもんだけど、それがもう一人ってんだからさァ」
「あら、そちらのかたも海陽人なのですか?」
ユウハは垂れ気味のぱっちりした大きな瞳でレッコウを見つめる。
「うむ、レッコウと申す。ときにその出で立ち、そなた、
「はい、伊守流神宮で巫女を務めております、ユウハと申します」
床に正座し、太腿の付け根に手を置いて頭を下げた。
「おお、おおおっ……!」
「どうしたんだい、この旦那?」
ギンはシュネルドルファーに問うが、問われたほうはどう答えたらいいかわからず天を仰いだ。
まさかこんなところで海陽人、はいいとして、まさか一番解呪に近いと思われる伊守流の関係者に出くわすとは、予想外にもほどがあるというものだった。
そしてふとここへ至るきっかけとなったあの老婆を思い出す。
「ぐうの音も出んとはこのことだな……」
「レッコウさま……とてもよいお名前ですね」
「おおっ、この名のよさがそなたにはわかるか!?」
ユウハは春の木漏れ日のような柔らかさでにこりと微笑んだ。
「はい。一般のかたにはあまり知られていませんが、海陽を統一した最初の海皇陛下のお名前もレッコウさまというんですよ」
シュネルドルファーの顔が真っ青になるのと、レッコウの歓喜が爆発するのは同時だった。
「さすがは伊守流の巫女、よく知っておるな! どうだ、見たかイザークよ! こうしてきちんとわが名を知る者が今もおるではないか! なにが忘れ去られた古代の王ぞ、やはり吾輩の名はその偉業とともに今もなお光り輝いておるのだ!」
師弟はすっかり諦め顔で肩を落とし、女性二人は頭上に巨大なクエスチョンマークが見えそうなほどの怪訝な顔を向ける。
こうなってはもはや誤魔化しようはなかった。慌てふためきながら苦しい言い訳を並べ立てて説得するより、真実を打ち明けて納得してもらったほうがよほど楽だし建設的な努力といえよう。それに心霊関係には寛容な海陽人で伊守流の巫女なのだから、他の国の人間に露見するよりはましなはずである。
「レッコウ、顔を見せてやれ」
シュネルドルファーはすっかり生気が失せてため息まじりで呟くように許可した。
「ンム! 隠し立てする必要を感じぬ!」
「二人とも、少々衝撃的なモノが今からお目汚しするので、驚かんように」
「なんなんだい、いったい?」
レッコウはフェイスガードの顎当てを外して、そのまま兜を脱いだ。
「…………」
「…………」
さすがは女の身ひとつで国を出た傑物二人というべきか、どちらも表情ではしっかり驚愕しながらも、悲鳴を上げることなく目を逸らすこともなくその完璧なまでの髑髏を見つめていた。
「えっと……コレ、本物かい?」
「触って確かめてみるがよい」
ギンは恐る恐るだったが、なんとも大胆なことに左目の空洞に指を突っ込んだではないか。
「うわっ……」
この反応がなによりの答えだった。
「レッコウさま、と申されましたね……?」
ユウハは驚きの表情で固まったまま問うた。
「いかにも、レッコウである」
「お生まれはどちらで……?」
「西の果ての
「えっと、ご家族は……?」
「后の名はタタラ、長男の名はレッセイ、次男がレッシン、長女がヒナミで……」
「あ、いえ、もうけっこうです」
ユウハは音もなくすっと立ち上がり、なにか決意したような目でいった。
「申し訳ありませんが、少々おつき合い願えますか」
三人はひとまずリビングまでとおされ、ユウハの準備が整うのを待った。
なにやら大がかりな儀式を行うつもりのようで、テーブルをどけて床の上に様々な道具を置き、何度も自室と往復して一五分ほどでようやくユウハもレッコウと向き合って床に正座した。
「伊守流の祭具であるな」
二人の間と周りには、二人にとっては見慣れた、シュネルドルファーとオイゲンにとっては初めて目にする儀式道具が規則的に並べられている。ただ、やはり旅先だからか見るからに簡素な物ばかりで、器や燭台は安物、それらを置いている木の台は形はいいが材質がそのへんの廃材にしか見えない。
シュネルドルファーにとってはせっかく初めて目にする海陽の伝統的な術だから、こんな道具で大丈夫かと心配になるのは無理からぬことだろう。
「申し訳ありませんが、今から確認させていただきたいと思います」
「まだ信じておらぬのか」
「私一人が納得するだけで済まされることではありませんので……」
「フム、致し方あるまい」
二人がやり取りしている間、のけ者にされた三人は部屋の隅でひそひそと囁き合う。
「あの骸骨さん、本当に龍皇さまなのかい?」
レッコウ亡きあと海陽では息子のレッセイが最初に海皇を名乗り初代であるレッコウもまた初代海皇とされたが、その偉業の大きさから初代だけは特別に異名にちなんだ龍皇という称号で呼ばれることとなった。これがレッコウという本名を市井から忘れさせる一因になっており、王を名前で呼ぶことが不敬とされる習慣ができたことも相俟ってシュネルドルファーが調べたところでは五代目までは名前の載った記録が見つかっていない。
「間違いなく列海の龍王、鋼の黄龍と呼ばれた海陽の大王だ」
「死んで千年以上経ってるはずだけど、なんで生きてるのさ?」
「一度は死んださ。とある変態によって蘇らされただけだ」
「芸者も三味線も知らないワケだねえ……」
「ギンさんは信じるんですか?」
「まあ、海陽じゃあ怨霊が暴れ回ったり死者が鬼になって甦ったりってのがけっこうあるからねえ」
「まるで外法の楽園だな」
「あたしもアレが異常なんだって国を出てから知ったよ」
「それでは、始めます」
よくとおる綺麗な声が厳かな雰囲気をまとい、儀式が開始された。
「
異様なほど平坦な詠唱が海陽語で始まり、同時にレッコウとユウハの間に置かれた白い布にぼんやりと丸い陣が浮かび上がった。
ユウハは詠唱を続けながら陣の上に丸い鏡を置く。
それはなにも映せないだろうと思えるほどやけに暗い鏡面をしていたが、陣が光を増すにつれて鏡面にも明るさが宿り、徐々に部屋の天井を映すようになっていった。
「信じられん……」
シュネルドルファーがなにに驚嘆しているのか、オイゲンとギンにわかるはずもないので二人は顔を見合わせた。
「おれにもはっきりとは感知できんほどの霊力に満ち溢れている……これが本物の霊術なのか……」
「破眼の出番ですね」
「そうらしい」
頷いて、アクアブルーの双眸に赤紫の光を宿す。
しかし、目を瞑って詠唱していたユウハが目を開き、視線でやめるよう訴えたのでシュネルドルファーが儀式の正体を見極める時間は与えられなかった。
それがなんとも歯がゆいシュネルドルファーである。
彼にとって今目の前で行われている儀式は、見た目は安っぽいとはいえ易々と海陽へ渡れない今のご時世では滅多にお目にかかれるものではない、非常に希少価値の高いものなのである。考古学というより民俗学の領分ではあるものの、魔法の進化や伝統についてはその方面の造詣も深い学者であるから、なんとしても神秘に包まれたその秘法をこの目で分析したかった。
ユウハは間違いなく、霊術師である。それも封術師としても外国に認められるほどの腕前をもち、単身海を渡って活動する、その道のスペシャリストだ。封術はともかく霊術はさまざまな地域を旅して回ったシュネルドルファーでさえ片手の指で足りるほどしかお目にかかったことがないから、これは千載一遇の好機といえた。
それなのに、ただ見ることしかできないとは、人智を超えた霊術の妙を解析することが許されないとは、彼にとってこの上ない苦痛である。
そんな思いが、オイゲンにはわかりやすすぎるほど明瞭に見て取れた。
なんのかんのといいながら、彼の師たるこの男はなにかと謎の多い海陽の文化や技術に興味津々なのだ。きっと今が戦乱期でなければこのあとすぐにでも「やはり海陽へ行こう」と言い出すに違いないと、少年は思う。
その様子を想像して思わず笑みがこぼれる少年だった。
「むッ!?」
と、シュネルドルファーが唸った。
オイゲンにも感じられるほど、場の空気が変わったのだ。
「なにか、急に冷えませんか……?」
「そう感じるだけだ。少し静かにしておこう、今いいところだ……!」
シュネルドルファーは儀式を凝視したまま心まで釘付けにされているようだから、オイゲンも従うことにした。
場の空気が変わったのは、ユウハの儀式が終わりに近づいていることの証である。この儀式がそもそもどういった目的で行われているものなのかはユウハ以外にはわかっていないが、今そこにとてつもない力が集中していることは、全員が理解していた。
暗かった鏡がまるで夏の太陽を反射しているかのように輝き、部屋全体を光で包み込もうとしている。
目を開けるのがやっとという中、シュネルドルファーたちは見た。
鏡の周囲の景色が気持ち悪くなるほど歪むさまを。
「精霊……!」
シュネルドルファーの呻きは、ユウハのひときわ力のこもった詠唱でかき消された。
「
唱えきったその瞬間、部屋を満たしていた光が鏡へ吸い込まれるように消えた――と思えば、今度はレッコウがその肉なき体から同様の光を発したではないか。
「ぬおっ!?」
レッコウが驚いて体勢を崩すと、ユウハがパンと手を叩き、光は消えた。そのまま彼女は二度お辞儀をし、それが終了の合図だったのか場を支配していた霊圧もまた、消え去った。
「大変失礼を致しました」
ユウハは海陽語で、最初に見せた挨拶とは違い床に手をついて深々と頭を下げた。
「あなたさまはまごうことなき龍皇烈黄さま。
レッコウも海陽語で応える。
「よい、面を上げよ。おれも久しぶりに神の気配を感じることができて懐かしい気持ちになった。礼をいうぞ、伊守流の巫女よ」
「もったいなきお言葉……」
「あー、すまないが……」
言葉どおり申し訳なさそうにシュネルドルファーが割って入る。
「いったいなにが起こったのか、説明してもらえるか?」
ユウハは姿勢を戻し、すっかりもとの顔つきに戻ってにっこり微笑んだ。
「われらの神、伊守流姫命にこのレッコウさまがご本人かどうか確認したんです」
「イスルヒメは海陽土着の精霊だろう、こんなところまで足を運んでくれたのか?」
「正確には伊守流姫命の一部ですが、場所や距離は関係ありません。この世界はすべてが大いなる力によって繋がっており、神を畏れ敬う気持ちさえあれば必ず応えてくださいます」
「むう、確かに……」
納得したのはあくまで『大いなる力』に対する虚心な態度であって、宗教的な意味での姿勢に頷いたわけではないことは、オイゲンにしか伝わらなかった。
「それで、イスルヒメが保証してくれたわけか」
「はい。鏡の光がレッコウさまを照らしたので間違いありません」
断言して、ユウハは改めてレッコウに向き直り頭を下げた。
「われら神道は伊守流姫命同様、龍皇陛下も神として崇め奉るものです。現世へお戻りになられたからには、われらのことはどうか手足としてご存分にお使いください」
「よせよせ、崇めてくれるはありがたいが伊守流姫命と同格に扱われるなど恐れ多きことぞ。吾輩は吾輩、今はただのレッコウである」
「そもそも龍皇さま、なんで生き返ったのさ?」
「それにはおぞましくも忘れがたき深いワケがあってだな……」
この日は日が暮れるまでたっぷり互いの事情を語り合うのだった……
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