第6話 Ⅱ

 シュネルドルファーにとってアンクレイスは楽園に等しかったらしい。

 考古学的には特に見どころのないただのどかなだけの田舎王国でも、食という生きる上で欠かすことのできない欲求を満たす分には彼はこの上ない満足を得ることができていた。お陰で完全に見下していた態度もすっかり反転してたった一日で親アンクレイス派である。

 食に関してひとつ驚いたことがあるとすれば、それはモンスターの肉が当たり前のように食卓に上がったことであった。

 冒険者は常に食との戦いであるといってよく、遠征中は味を犠牲にした保存食か狩りで得た獲物を焼くなどの簡単な物しか口にすることができないため、モンスターでも食べられるものなら食べるという習慣が身についている。

 しかし一般家庭や飲食店でモンスターの肉をわざわざ提供するところは非常に珍しい。そんなことをしなくても町なら食用の動物がいくらでも手に入るからである。

 アンクレイスでモンスターが通常食とされているのはやはり、かつての惨状から生まれた、限りある食料を大事にするという思いのためであった。それだけにモンスターでも食べられる種を無闇に狩ることはせず、味付けもしっかり研究されていてシュネルドルファーたちが不満を覚えたものはなかった。

 唯一あるとすれば、レッコウが飲むのはともかく食べることを師弟から全力でとめられたことくらいで、いくら味を感じるといっても咀嚼したものがそのまま床に落ちる様はとても見たいものではないし、そもそもそれについては今さらであるから問題はなかったといっていいだろう。

 そういうことで一行はストーの町で四日も無計画に滞在し、ジャガイモとワインをお供に記録執筆に夢中になってしまったシュネルドルファーを置いてオイゲンとレッコウで情報収集に回り、アンクレイス入りから八日目の今、ようやく一行はストーを離れて柵もない田舎道を北北東に歩いていた。

 ストーの町を出たのは、オイゲンがある噂を入手したためである。

「最近このあたりで外国人の封術師が活躍してるらしいですよ。それも女性の二人組だとか」

 それを聞いて、ようやくシュネルドルファーは筆をとめたのだ。

 なぜならアンクレイスでは封術師も国家資格だからである。この国の封術師の主な仕事は先日の露天商がいったように五〇〇年前の死者たちの鎮魂のために各地を回るという歴史的に重大な国家行事であるから、半端な封術師に出しゃばられると困るのだ。

 それなのに外国人が活躍しているとは、よほど腕がいいに違いない。

 オイゲンが訊いて回ったところ領主など一定以上の権力者に認められれば臨時で外国人が雇われることは毎年のようにあるからそれほど珍しい事態ではないとのことだが、シュネルドルファーにとってはようやく考古学に関わりのありそうな出来事との遭遇なので、せっかくだから見物に行こう、ということになったのであった。

 そうして一日野宿をし、もう目当てのアフリス村が目と鼻の先というところまでやってきて、一行は足をとめた。

 村の境界線となっている川に、橋がなかったからである。

「近く洪水に見舞われたのであろうな」

 あたりはそれを思わせる荒れ具合で、まだ水が引いて間もないらしく岸付近は広い範囲が湿っていた。

「これでは修理が終わるまで渡れぬな。水深もなかなかに深そうであるし……」

 幅も一〇メートルはありそうなのでいくら身体能力自慢のトゥーラでも人を乗せて跳び越えるのは不可能である。

 しかし。

「まったく、おまえはおれをなんだと思っているんだ」

 シュネルドルファーが呆れ返った顔で進み出た。

「ジャガイモ狂いの学者であろう?」

「間違ってはいないが正確ではないな」

 そういって両手を広げ、錬魔に入る。

「オオ、そうであったな!」

 シュネルドルファーの求めに応じ、いまだ嵩の高い水位が橋のあった場所だけさらに盛り上がり、みるみるうちに凍りついていったではないか。

「正しくは、ジャガイモをこよなく愛する考古学者にして魔術師、だ」

「ンム、見事!」

「だいたいおまえ、クガナの助けを借りて船で山に上陸したこともあるんだろうが」

「そうであった。やはり真っ当な魔術というものは得難い才能であるな!」

「無式でここまでできる人はそんなにいませんけどね」

「水と冷却はおれの得意属性だからな」

 三人と一頭は滑ることもなく氷の橋を渡り、道に従って森に入るとすぐにアフリス村の入り口を発見することとなった。

「森の中に人里があるなんて、なんだかエルフの隠れ里みたいですね」

「エルフは別に隠れているわけではないがな」

 その村は意外に広かった。切り開いたのかもともと開けていたのかは不明だが、二、三〇〇人ほどは生活していそうな居住区と畑があり、北東側の奥は果樹園らしき小高い丘へと続いている。ひとつ物申すなら森林の中の隠れ里のような風情にはそぐわない石造りの建物だが、国の事情を考えればこれもまたこの国特有の風情というべきだろう。

「しかし予想外なほど田舎だ……宿はあるのか?」

 レッコウとトゥーラに注がれる奇異の目より、それが問題だった。

「尋ねてみればよかろう」

 レッコウはそばの家の前で雑草取りをしている中年女性に声をかけようと一歩踏み出した。しかし二歩目は続かず、別の方向へと顔を向ける。

 村の中心あたりから歌声が聞こえたのだ。師弟も同じく不思議そうな顔をしてそちらに気を取られていた。

「とてつもなく独特な調子だな……」

 シュネルドルファーが、褒めているのか貶しているのか判断つけがたい評を笑みと苦笑の中間くらいの表情で漏らしたのは、その歌声と伴奏楽器の奏でる旋律が人生で初めて耳にするくらいうねっていて、それでいて声には有無をいわせない迫力があったから、彼の乏しい音楽的感性では計り知れなかったためである。

「これは……」

 オイゲンも同様の反応を見せる中、レッコウはまったく違うところに気がついて口を震わせた。

「海陽語ぞ!」

「なに?」

「この唄は海陽語ぞ! 海陽人が唄っておるのだ!」

 なぜこんなところに海陽人が、と師弟が思う間もなくレッコウはトゥーラも置いて駆け出していた。それに腹を立てたのか、トゥーラはすぐさま追いついて頭突きをかまし、転がされたレッコウは二人に引き起こされて全員で歌声響く村の中心へと足を運んだ。

 広場、というにはあまりに質素だが、花壇とベンチが設置されここが村人の憩いの場となっているのは確かなようである。

 その人物はベンチのひとつを占領し、三人が見たこともない楽器を抱え、対面のベンチや地べたに座る村人たちに囲まれ、よくとおる力強くも美しい声で唄っていた。

「あの顔つき、やはり海陽人ぞ……!」

 レッコウが感動を覚えるほど、その人物は海陽人らしい容姿をしていた。短い黒髪に彫りの浅い顔、襟元の緩い白い着物をまとい、紫の太い帯を締めた、二〇代後半ごろのまごうことなき海陽人女性。ただ前髪の一部だけが真っ赤に染められているのが、違和感といえば違和感だろう。

「ラウテ……にしては、あまりにも小さいな」

「先生、共用語ではリュートっていうんですよ」

「そうだったな」

 どうでもよさげに返して、ひとまず一曲終わるまで音楽にさほど興味のないシュネルドルファーも観客に徹することにした。どう見ても彼女が目当ての封術師には見えないが、それでもシュネルドルファーの興味を引くには充分すぎるインパクトを彼女はぶつけてきたのだ。

 そもそも、シュネルドルファーが生の海陽人を見るのはこれが初めてである。その初めて見る海陽人が初めて目にする楽器を弾き、初めて耳にする音を発し、海陽独自の文化を目の前で披露してくれているのだから、好奇心の塊であるシュネルドルファーが興味をもたないわけがないのだ。

 途中、村人たちの様子がおかしいことに気づいた彼女は三人に目をやってやはり驚いていたが、唄をとめることなく唄い切った。

「ご清聴ありがとね」

 女性にしては低くややハスキーな声で区切りをつけたそのタイミングで、レッコウが飛びついた。

「そなた、海陽人だな!」

 もちろん海陽語であるから、師弟には理解できない。

 女性は目を見開いて驚いた。

「ありゃっ、あんたも海陽人なのかい?」

「そうだ! わが名は烈黄、ゆえあって向こうの二人と旅をしている」

「へえ~、そりゃまた奇遇というかなんというか……」

「まさに奇縁というほかないな! まさかこんなところで同国人に出会えるとは思わなかったぞ!」

「そういえば、村に入るには橋を渡らなきゃいけないはずだけど、もう直ってたのかい?」

「いや、あの者が魔法で川を凍らせたのだ」

「へえっ、そりゃすごい」

「おいレッコウ、そうはしゃぐな。おれたちにもわかる言葉で喋ってくれ」

「おお、すまぬ。つい舞い上がってしまった」

「あんたがたはこの国の人かい?」

 女性は小気味よいテンポでレッコウよりよほど流暢な発音の現代共用語を発した。

「いや、おれたちはハイデルベルク人だ」

「う~ん、すまないねえ、聞いた覚えはあるんだけど、どこだっけ?」

「ここよりもっと西の魔術師の国だ」

 女性はパアッと明かりが灯ったように顔を綻ばせた。

「ああ、ああ、思い出したよ。確か魔術師連盟ってのがある国だったね」

「そうだ。おれはその連盟に所属する魔術師、イザーク・オイゲン・シュネルドルファーという。こちらは弟子のオイゲン・クラウス・リヒトホーフェンだ」

「ど、どうも」

「あたしはギンってんだ。見てのとおり旅の芸者だよ」

「ゲイシャ……?」

 三人は一様に首をかしげた。

「二人はわかるけどなんであんたまで首ひねってんだい?」

 この言葉で芸者なるものが現代海陽人なら誰でもわかるものなのだと気づいたシュネルドルファーは慌てて言い訳に入る。

「こいつはわけあってあまり今の海陽について詳しくないんだ。その楽器も海陽では珍しくないものなのか?」

 ギンはあまり気にした様子もなく頷きながら楽器を持ち上げて見せた。

「こいつは三味線っていってね、近年生まれたものなんだけど、今海陽はどこに行っても戦続きなもんだからこういう芸事はなかなかはやらなくてねえ。だからつまんなくて飛び出しちまったのさ」

「おなごの身で単身国を出たと申すか!?」

「まァね。昔っからこうと決めたらそうしないと気が済まないタチでねえ。せっかく音楽っていう万人を楽しませるモノがあるのに、あの国の男どもときたら戦に夢中で見向きもしないモンだから頭にきちゃってね」

「うむ、それはなんとも嘆かわしいことよ。吾輩も音楽は好いておった。琵琶や笛の音が今さらながらに恋しくなってきおったわ……」

「おっ、話せるねえ。琵琶も笛ももってるよ。なんだったらうちに寄ってくかい?」

「おおっ、よいのか!?」

「それ以前に、ここに住んでいるのか?」

 ギンは音楽的な響きでけらけら笑いながら手を振った。

 口調といいテンポの速い話し方といい無謀なほどの行動力といい、並の男よりよほど男臭い印象を与えるはずの女性だが、涼やかな笑顔で手を振る姿やその居住まいは不思議と女性らしい色気を発しており、視覚と聴覚で奇妙なギャップを三人に感じさせる。

「住んでるといってもちょいと空き家を拝借してるだけだよ。ちょうど住人が出てって取り壊そうか倉庫にしようかってなってたところにあたしが流れてきて、そのあともう一人やってきたもんだから一緒にね」

「短い期間に旅人が五人か。こんな田舎にはさぞ珍しいだろうな」

「だろうねえ。それも化け物みたいな馬を連れた髑髏の戦士なんて、この国じゃあまずお目にかかれないだろうからねえ。あんたたちはなんでこんな田舎にやってきたんだい?」

「近頃この近辺で外国人の封術師が活躍していると聞いてな、仕事ぶりを拝見したいと思い探しているのだ」

「あれまっ」

 ギンは大袈裟に目を開いて口に手を当てた。

「こりゃまたそりゃまた奇遇だねえ。その封術師ってのはきっとあたしの同居人のことだよ」

 今度は三人が目を見開く番となった。

「ではまさか、二人組の女封術師というのは……」

「片割れはあたしだねえ」

 三人に、ギンの家に寄る以外の選択肢はなくなった。

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