第6話 占い馬鹿にするべからず

第6話 Ⅰ

 ――アンクレイス王国。

 ジブラスタ北の内陸部にひっそりと存在するその国の歴史は、血の色をした悲劇に彩られている。

 原因は地理的条件にあるといっていい。なぜなら、豊かな自然に恵まれながらも四方八方を他国に囲まれていたからである。そのせいで絶え間ない防衛戦に明け暮れるか、何枚もの舌を使い分ける外交戦略かという厳しい二者択一で諸国と渡り合わねばならなかった。

 ひとつの小さな綻びがやがて大きな歪みを生み、滅亡へと至るまでにそう長い時間はかからなかった。

 最初に西のクラルザルト王国の大侵攻を呼び、王都を落とされ王族があらかた処刑されると、漁夫の利を狙ってアシェド王国が攻め込み、王都周辺は徹底的に蹂躙される。

 その後も他の国が手中に収めんと幾度もアンクレイス内に攻め込んでは奪い取りを繰り返した結果、三〇年の間にこの地の支配者は四度も変わり、緑の絨毯と呼ばれた清涼で広大な草原は九割がたが焼失し、険峻がなく青々とした風光明媚な山々は伐採や要塞化で半ばが姿を消した。

 国民も時の征服者によって奴隷同然に扱われ戦争と飢餓によって激減し、もはや大地の彩りとともに死滅するのは時間の問題というほどに追い詰められていった。

 そこで、一人の男が立ち上がる。

 剣をもって民を奮い立たせるような英雄的行動ではない。彼は、国境接する五ヶ国と、その向こうにある縁のない国々の王に手紙を書いたのだ。


『もはやわが民、わが国土ことごとく痩せ細り、今日を生くるため親を殺して食ろうては明日に兄弟を切り刻む有様にて、滅亡に抗うが如き望みを抱くは人の業にあらず。この上は在りし日の美しき大地を想いながら骸連なる焼け野原を棺とわれらが本懐を遂げん。

 どうか、どうかお願い申し上げる。

 アンクレイスのすべてが死に絶えたのちも、どうか野に晒し続け給わんことを。

 アンクレイスのすべてがアンクレイスの大地に還るまで、どうかわれらに真なる安らぎを許し給わんことを』


 この遺書というべき手紙の主は、かつて処刑を免れ辺境に流されていた王族の生き残り、セラン・シュルデット。これが脅しでない証拠に、彼は国民にも、


『王族と最期の寝所を共にしたいと願う者はわがもとに集え。共にわれらが大地へ還らん』


 と呼びかけた。

 一家一族どころの話ではない。民族心中である。

 この凄絶なる決意に突き動かされたのは、アンクレイスとは直接関わりのない国々であった。

 その国々はその国々の事情で互いに争ったり奪い合ったりしていたが、それを一時的にやめてまでアンクレイスを救うための同盟を築き、食糧支援はもちろん外交圧力や武力行使などで窮地を救ったのである。

 そうして救世主たちの後押しもあってセランが新アンクレイス王国の初代国王となり、周辺諸国と不可侵条約を結び、焼け野原となった大地で現在に繋がる新しい歴史を始めたのだった――


「なんとも惨い話よ……」

 トゥーラの手綱を引きながら、レッコウは重い息を吐いた。シュネルドルファーが暇潰しを兼ねて披露したアンクレイス王国史簡略版は、かつて王だったレッコウにはかなりこたえたらしい。

 一行は既にアンクレイス入りを果たしており、駅馬がないため三人仲良く徒歩で一番近い町を目指しながらの道中である。

「この青々とした景色が、かつては屍の山だったとは……」

 現在のアンクレイスにかつての地獄絵図を思わせるような面影はなく、とてもジブラスタの隣国とは思えないほど緑豊かな国に戻っていた。

 死体で溢れ怨嗟と毒素の染み込んだ大地には春の陽のもと寝転べば至福の眠りを得られそうなほど美しい草花が蘇っているし、あの時代を忘れぬようにと緑の逆侵攻に任せるままあえて砦を残された山も砦を排除された山もすっかり逞しい木々をまとって温かそうである。

 街道も主要な道以外はほとんど舗装されず、柵の向こうでは野生動物がのんびり草を食む姿が散見できるし、伐採や狩猟も厳しく制限されていて国家資格になっているほどである。

 事実上の永世中立国となって五〇〇年。五〇〇年かけてようやくこの風景を取り戻すことができたのだ。

「ちなみに、これがきっかけでアシェド王国は滅亡の道を辿ることとなった」

「ホゥ……」

 レッコウは数秒間顎をつまんで思考を巡らす。

「もしやそのころのアシェドは武力偏重の拡張思考にあったのか?」

「さすがだな、ほぼ正解だ」

 アシェド王国は海陽から東部地方を取り戻して以来、特にこれといった動きもなく国内情勢が停滞し、やがてそれを憂いた一部の過激派が変革を唱え、王家や軍部を焚きつけて侵略戦争を始めてしまった。アンクレイスへの侵攻はまさにその最初の行動であり、一度はクラルザルトから奪い取った領土を今度はオーブラットに奪われ、ますます火が勢いを増したところへ無関係の国から横槍が入り、とうとうなにも得られずじまいでアンクレイスから手を引かなければならなくなってしまった。

 となれば当然、矛先は邪魔をした国々へと向けられる。

「そうして領土ほしさに方々に喧嘩を売った結果、とうとう国民が悲鳴を上げて王都でクーデターを起こしたというわけだ」

「奪い返した東部だけで満足できぬとは、強欲なことよ。現にこうしてジブラスタは巧くやっておるわけであるし……」

 ひとつ息をついて、

「しかしそれは、吾輩が島国の王ゆえやもしれぬな。吾輩がもし大陸の王であれば、やはり領土ほしさに戦を始めたやもしれぬ」

 とあっさりアシェドを擁護した。

「レッコウさんがそんなことするとは思えませんけど」

「少年よ、おぬしにはまだわかるまいが、手を伸ばせば届くところにほしいものがあれば、人はそれを掴みたくなるものなのだ」

「はあ……」

「それに王とはな、民に豊かな暮らしをさせてやりたい、国を強く大きくして何者にも侵されぬ楽園を築きたいと願うものなのだ。己一人の欲望ならばいくらでも抑えられるが、世のため人のためという思いが王を暴走させても不思議はない」

「はあ」

 とオイゲンは半端な納得を見せ、シュネルドルファーはため息をついた。

「そういえる者が王であれば、アシェドが滅びることはなかっただろうな。世のため人のためを口実に己の欲望を叶えるべく権力を振りかざす王の、歴史上なんと多いことか」

 そんな話をしながら、一行は日暮れ前にストーという町に到着する。

 ジブラスタから最も近い町であるため商人をはじめとするジブラスタ人の姿も多く、しかしジブラスタとは別の理由で規模に反して装飾性の低いただ大きいだけの田舎といった風情の町である。

 極力伐採をしないという自然保護の方針に従って建物のほとんどは石やレンガでできており、町の中心でも道は砂地が剥き出しで、個人宅でも店舗でも必ず木や生け垣を作るスペースが設けられていて、なんとも牧歌的な穏やかさを訪れる者に与える。

「よい町ではないか!」

 レッコウはジブラスタとはまったく違う異国情緒にあてられ、閉店間近の露天を遠慮なく見て回る。そのさいレッコウの不気味な甲冑に怪訝な視線を送る者より彼の連れた巨大な馬に目を奪われる者のほうが多かった。

 アンクレイスにももちろん馬はいるし農地ならトゥーラほどの馬体も珍しくはないが、どう見ても冒険者のレッコウが農耕用としか思えない馬を連れているのが不自然に思えたからである。

「これトゥーラ、それは売り物ぞ、食ってはならぬ」

「荷馬にしちゃあ、随分と立派だねえ。鎧まで着ちゃって」

 露店のおやじは片付けの手をとめてトゥーラの小生意気な上から目線を見返した。

 そして吹き出す。

「物をねだる顔じゃないねえ。わかったよ、売れ残りだがその図々しさに免じてこいつをやろう」

 といっていびつな野菜の入った籠からニンジンをひとつトゥーラの前に置いた。

 するとトゥーラは、なんと一本のニンジンではなく籠のほうに頭を突っ込んであっという間にすべて平らげてしまったではないか。そして最後に、目の前に置かれていたニンジンを「ああ、忘れていたわ」とでもいうように一口で呑み込んでしまう。

「すまぬ、店主よ……」

「はは、まあいいさ。どうせただ同然でしか売れないようなやつだからね。ところでどこからきたんだい?」

「ジブラスタである」

「へえ、それじゃあ着いたばかりか。でもジブラ人じゃないよな?」

 店主は肌の白い師弟を見てそう判断した。

「おれたちはハイデルベルク人で、そいつは海陽人だ」

「カイヨウ……ああ、ファイネンか」

 一般的に海陽はファイネンの名で呼ばれる。いつ誰がそう呼び始めたのかは不明だが、それは大陸中部のエルフ族の古語で海と太陽を指す言葉であり、なぜこうも離れた地域の言葉が浸透したのか、いまだ解明されていない歴史上の謎であった。

「ハイデルベルク人ってことは、お二人さんは魔術師?」

「そうだ」

「そっか、そういう時期だもんなあ」

「うん? どういうことだ?」

「あれ、仕事もらいにきたんじゃないのかい?」

「一応冒険者でもあるからいい仕事があればやるが、この時期と魔術師になにか関係があるのか?」

「魔術師というより封術師限定だけど、慰霊祭のシーズンなんだよ」

「ああっ」

 シュネルドルファーは手を打った。

「そうか、毎年秋には認定封術師が各地を巡って慰霊の儀式を行うのだったな」

「そう、それ。もうすぐ再建五〇〇周年になるし、王都のほうじゃあ年々忙しくなってるみたいだよ。あんたらは封術師じゃないのかい?」

「あいにく封術は得意ではないな。ここへはただの観光だ」

「そうかい。だったら」

 店主は空になった籠を引っ込め、別の籠を取り出した。

「ベルジャガなんて久々なんじゃないかい?」

「ベルジャガ……?」

 三人は一様に目を丸くし、籠の中身を覗く。

 そこには色の濃い大きくてごつごつしたジャガイモが。

「これはもしや、オットーか?」

 シュネルドルファーの瞳が輝いた。

「そのとおり」

 正しくはオトフリートという品種で、かつてハイデルベルクが飢饉に見舞われたとき、ある地方の領主だったオトフリート氏が、大きくて皮まで食べられるこのジャガイモを栽培し食すことを勧めたのでその名がついた。

 今では調理形式ごとに品種を改良するほどハイデルベルクではジャガイモが愛されており、おそらく大陸中の人間がハイデルベルクと聞けば、「魔術師とジャガイモ」と答える程度にはその風習が広く知られている。

「アンクレイスが各国から食糧支援を受けてた時期、じわじわと人気を広めていったのがこのオットーでね、それ以来わが国でもハイデルベルクのジャガイモ、略してベルジャガと呼ばれて国民食になってるんだよ」

「それは知らなかった。ハイデルベルクは地理的に遠いためあの件には関わっていなかったはずだが……」

「ああ、広めたのはランザール王国からやってきた旅人だったって話だ。こいつはとにかくでかくて日持ちがいいからありがたかったんだよ。そして煮崩れしにくいから煮てよし、焼いてよし。だけど一番のお勧めはやっぱり……」

「ジャガバターに決まっている!」

「だよねえ!」

「ハイデルベルク人でオットーのジャガバターを食さず育った者などいはしない! そしてハイデルベルクにきてオットーのジャガバターを食さず帰る旅人もまたいない! それほどハイデルベルクでは貴賤問わず愛される素晴らしいイモなのだ!」

「イザークが歴史以外でここまで熱くなるとは……」

「先生、ジャガイモに関してはもしかすると本業よりうるさいかもしれないんですよ」

「どうだい、先生とやら。旅人だから買って行っても料理する場所がないだろうけど、実はおれの息子夫婦がすぐそこでレストランをやっててね」

「つまり、当然……」

「久々に故郷の味を思い出したいんじゃないかい?」

「ゆくぞ、オイゲン! ここはハイデルベルク人の第二の故郷だ!」

「あ、ちょっと、その前に宿を取りましょうよ~!」

 一人ずんずんと店に向かってゆくシュネルドルファーを必死に引き止めるオイゲンとレッコウであった……

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