第5話 Ⅱ

「実に風情ある野宿となったな」

 シュネルドルファーは誰にいうでもなく呟いた。

 ここは巡検隊キャンプである。キャンプは比較的広い砂地の中にあるオアシスに設営されており、泉を中心にジブラスタでも砂地でしか見られない熱帯系植物が群生し、ある程度は慣れているのか動物も人間のいないところを選んで水を飲みに集まっている。その周囲に巡検隊のテントが十個以上並んでいて、テントの周りを篝火が煌めいて夜のオアシスを温かく彩り、空からは満天の星が無数の瞬きを零している。

 これで海があれば南国リゾートの理想形だな、などと思いながらシュネルドルファーはヤシの木のひとつに背を預けた。

「先生」

 と、同じく宴会を抜け出してきたオイゲンが頬を上気させながら声をかけた。上気しているのは酒を飲んだからで、故郷でもこの国でも飲酒可能な年齢であるが彼は体質的にあまり合わないようであった。

「ここ、とてもいい場所ですね」

「景色のことか?」

「景色ももちろんそうですけど、ここ、精霊点ですよね?」

「ほう、酔っていてもそれくらいはわかるか」

「酔う前からわかってましたよ」

 やや拗ねるようにいって、師の隣に腰を下ろす。

「レッコウはまだはしゃいでいるか」

「完全に英雄扱いですね。トゥーラが妬いてるかも」

 夕食が始まった途端、この軍事施設内はレッコウを中心としたお祭り騒ぎとなった。国を代表する戦士でさえ振り向かせることのできなかった女帝の心を見事に射止め、しかも馬文化というには程遠い海陽人で目を見張るような剣技の持ち主とくれば、ジブラスタ人が騒がないはずがない。レッコウ自身の愉快な人柄もあって場はあっという間にできあがり、馬鹿騒ぎが好きではないシュネルドルファーと酒に弱いオイゲンは早々に撤退を余儀なくされたというわけである。

「馬はどうでもいいが、いくらあいつでも人前で鎧を脱ぐようなことはせんだろうから、特に心配はあるまい」

「というかあの人、あの体で酔うんですかね?」

「あとで確かめてみるか。それより」

 シュネルドルファーはオイゲンに正対するよう向きを変える。

「ちょうどいい、久々に魔法の訓練でもやるか」

「はい」

 実をいうと、オイゲンはここに到着したときからそれを期待していたのだ。

「オイゲン、精霊点とはなんだ?」

 オイゲンは答える。

 精霊点とは、世界を血液のように巡る魔力の最も強い通り道である霊脈(正しくは精霊動脈)の交わる地点と、なんらかの理由で霊脈のないところに発生した強い魔力の生じる地点をいう。そういう場所は古い時代から人間のみならずあらゆる生物や鉱物、ひいてはこの大地そのもののオアシスとなってそれらの発展を助け、歴史上大きく栄えた文明はすべて霊脈か精霊点の上に築かれている。

 そして個人レベルにおいても大きな影響を及ぼし、魔術師にとっては最も強く力が行使できる場所であり、魔力の回復や調整にも最大限の効果を発揮する。

「九〇点だな」

「ええっ?」

「学校の授業としてなら一〇〇点をやってもいい。だがより学術的に捉えた場合、無視できん要素がもうひとつある」

「あ……性質、ですね」

「そうだ」

 それはかのクガナがその書の中で「あまり気にしなくていい」と書いているので単なる豆知識程度の扱いになってはいるが、三大源力すべてにそれぞれふたつの性質があり、便宜上、陽質・陰質と呼ばれているものの別に相反する性質というわけでもなく、どちらかの性質しかもたない術師などいないし誰しも特に意識することなくその両方を扱っている。

 この性質は世界に溢れる魔力にもあり、精霊点も場所によって陽質が強かったり陰質が強かったりするのだ。

「もちろん個人にも多少の偏りはある。たとえばおまえは陽質型だ」

「それはどうやって判断するんですか?」

「それなりに経験を重ねれば誰にでもわかるようになるが、精霊点にいるときの反応でも判断できる。ここにくるまで、実は一ヶ所陰質の精霊点があったが、どこだかわかるか?」

 オイゲンは目をぱちくりさせた。そう、まったく気づかなかったのである。

「ダロアだ」

「ええっ!?」

「まあ、無理もない。あれだけ人が多いと精霊点の気配はかなり薄れてしまうからな。場合によっては汚染され、消えてしまう」

「そんなことがあるんですか?」

「歴史上何度もあったぞ。精霊点や霊脈に人が集まり、人が集まると邪な意思が蔓延り、やがて大きな戦へと発展し、大勢が恨みや憎しみ、悲しみや後悔を残して死ぬ。そういった負の強い感情はいわば強力な霊術だ。それが精霊点や霊脈に流れ込み、世界が汚染されるのだ」

「じゃあ、そうか、クガナのいう美しい世界って……」

「そう、人々がそういった死に方をすることもなく、世界が汚染されることもない、自然な世界の営みのことだ」

 なんとスケールの大きなものを見ていたんだろうと、オイゲンは熱っぽい息を吐いた。

「そういうわけで、その人間のもつ性質によっては精霊点に気づきにくかったり恩恵を受けにくかったりすることもあるということだ。もっとも、クガナもいうようにそう気にする必要もないがな」

「先生はどっちなんですか?」

「おれはおそらく中道型だ。特に偏りはない」

「そのほうが便利そうですね」

「かもしれんが、いったように微々たるものだし、おれ自身得をしているという自覚はまったくないな」

「レッコウさんは陽質型ですよね、絶対」

「おまえ、それは性格で判断しているだろう。名称はあくまで便宜上のもので、別にAアー型、Bベー型でも構わんのだ」

「そっか……」

「それにあいつは呪いのせいでそのあたりがかなり混沌としている。精霊点の影響自体ほとんど受けていないのかもしれん」

 どの道あのはしゃぎようなら関係あるまいが、とつけ足し師弟は笑う。

「ではオイゲン、せっかく自分に合う精霊点にいるのだ、なにか得意な術をやってみろ」

「得意な術、というと……」

 オイゲンは苦笑いを師に向けた。

「ああ……おまえは火属性だったな」

 シュネルドルファーもまた苦笑いを返した。こんなところで火の魔法を使えるわけがない。

「先生は火属性があまりお好きではないですよね」

「好き嫌いの問題ではない、あまり必要を感じないだけだ」

 日常生活において火が扱えるのは便利な場面も多いが、こと冒険となると事情はまるで異なる。

 たとえば戦闘において敵を攻撃しようとする場合、ただ火を噴きつけるだけでは盾や風魔法で簡単に防がれてしまう。もし敵を確実に足止めしたい、戦闘不能にしたいと思うなら一瞬で致命傷となるほどの熱を生み出さなければならないのだ。物質の運動は冷却のマイナス方向よりプラスの高温へもっていくほうが楽ではあるが、それでも人を一瞬で戦闘不能にしてしまえるほどの熱量は一〇〇℃やそこらでは到底足りず、同じ一〇〇℃なら熱湯のほうが遥かに効果的である。

 また、獣にはそれなりに有効だが対人戦で防御に使う場合の火はほとんど役立たずといっていい。なぜなら固形の障害にならないからである。固形でなくとも風なら強風やカマイタチ、水なら激しい水流や水圧で充分に足止めも戦力低下を望めるほどのダメージも期待できるが、火の壁を作ったところでよほどの高温でない限りはほんの数秒我慢すれば突破できてしまうのである。

 さらにいえば延焼という術者の意図しない厄介な現象がつきまとい、それも考慮して術を使うとなるとかなり場所を制限されるか、意図したもの以外は焼かないようにするための高度な技術が必要となってしまう。

 つまり、戦闘での使い勝手は最悪。

 では戦闘以外の冒険での使いどころはというと、焚火と料理くらいしかない。それはようするに日常生活となんら変わらない場面である。

 改めて自らの得意分野がどういうものか現実を突きつけられ、オイゲンはしゅんと肩を落とした。

「まあ、そう落ち込むな。確かに火をその自然な特性だけで使うには不便だが、他の要素と組み合わせればそれなりに役立つ場面もある」

「複合属性ですか?」

「それもむろんあるが、それより励むべきは、錬魔運用術だ」

「錬魔運用……」

 オイゲンはわかりやすく嫌そうな顔をした。

「そういう反応を見せるのはみな子供のころから基本的な訓練を受けているやつでな、おまえも早く恰好いい魔法が使いたいのにチマチマと基本的なことばかりやらされて嫌になったクチだろう」

「はい……」

 酒で赤くなっていた頬をさらに赤くし、少年は篝火を反射させて輝く栗毛の頭をかいた。

「ではおれが改めて、錬魔運用術とそれを応用した火属性魔法について解説してやろう」

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