第5話 シュネルドルファー博士の魔法講座 IN オアシス

第5話 Ⅰ

 シュネルドルファー一行がダロアを出発して三日目のことである。

 先頭には幌付き荷車を引く愛馬に跨るレッコウ、その少しうしろで貸し馬に乗るシュネルドルファーとオイゲンが並んで、左右を砂地と草原に挟まれた街道を北に向かっていた。

 トゥーラ――インバラトゥーラでは長くて呼びにくいということでレッコウが改名した――を手に入れて以来、レッコウの機嫌は気持ち悪いほどによく、暇さえあれば彼女と会話したりブラシをかけたりしており、挙句の果てに「トゥーラとともに寝る!」などといって宿の馬小屋に行こうとしたときにはさすがに師弟は全力で引きとめた。しかしトゥーラのほうでもレッコウにぞっこんで、相変わらずの表情ではあるが実に従順であり、撫でれば首を寄せてくるしブラシをかければ舐めてくるし、構ってほしいときにはレッコウの骨身に噛みついて放さなかったりする。ただし、シュネルドルファーに対しては非常に冷たく目も合わせようとしない。オイゲンはそれを、性格が悪そうだといわれたことを根にもっているのかな、などと思っているが、真相は不明である。

 なにはともあれ、つい先日まで師弟二人の学術的冒険だったのが三人と一頭による愉快な旅となり、膨れ上がった荷物も馬力自慢のトゥーラが自身の飼料も含め余裕綽々と引くので道行の苦労は大幅減であった。

「この分だと明後日にはアンクレイスに入れそうですね」

 馬の歩行に合わせて明るい栗毛の髪を揺らしながらオイゲンがいった。ジブラスタ北部に入ったこの街道の周辺はこの国特有の予測不明な天候の被害に遭いにくいので既にターバンはしていない。シュネルドルファーも同様であった。

「向こうでなにがあるのか知らんが、ひとまず落ち着いて記録をまとめたいものだ」

 シュネルドルファーは考古学者であるからして、なにも遺跡を探索して財宝を手に入れたらそれでおしまい、とはいかない。そもそも財宝を持ち帰るなど考古学者としてはあり得ない所業であり、王墓でのことは例外中の例外である。そしてその例外が人の(骨の)形をして同行者となったものだから、ダロアでは研究の記録をまとめる時間がほとんど取れなかった。本当ならもう二、三日滞在してその時間に充てたかったのだが、レッコウとトゥーラが早く旅に出たがったために断念せざるを得なかったのである。

「思えばおまえの魔法の訓練も久しくやっていなかったな」

「そういえばそうですね」

「アンクレイスでできることといえばどうせ観光くらいだからな、しばらく滞在して時間を作るとするか」

「向こうでも今回みたいなことが起きなければ、ですね」

「なに、悪いことは起きんと占いに出たのだ、ならば問題あるまい」

 そういって、シュネルドルファーは腰の道具袋から煙管を取り出した。彼は喫煙者というわけではく、これは魔術師としての習慣のひとつの形である。

 三大源力の中でも主に魔力を使うタイプの魔術師は自身の魔力と世界の魔力との融合や潤滑な連携を保つため、あるいは消耗した魔力の回復を早めるためやなんらかの原因で乱れてしまった魔力を整えるために、さまざまな儀式的な習慣をもつ。そのためには必ず世界から溢れる正常な魔力が必要となり、時間がある場合は精霊点や霊脈と呼ばれる魔力の巡りのよい場所で瞑想したり自身の得意な属性の力が強い場所で訓練を行ったりするのが一般的であり、時間がない場合、もしくは手間をかけたくない場合はそれらの力を道具などに込めておき、任意に実行する。

 シュネルドルファーの場合のそれが煙管ということである。もともとは自国産のパイプを使っていたのだが、レッコウが酒の味を感じているらしいので煙草も試してみようと煙草屋へ行き、そこで海陽式の長パイプ、つまり煙管に出会い、レッコウの分と合わせて購入したのである。それもレッコウにはわざわざ金メッキの施された物を選んでおり、自身は自身で火皿の大きな、パイプと煙管の中間のような物を選んでいた。

 そのおニューの煙管に精霊点から湧いた水に浸して乾燥させた刻み薬草を詰め、指で火をつけて吸えば、お手軽に魔力の調整ができるという次第である。

「この国は地形と霊脈、どちらのせいでどちらが影響を受けたのか知らんが、魔力が複雑に入り乱れているから魔術師は大変だな。まともな魔術が発達しなかったのは土地のせいと見て間違いない」

 などと土地に対する講釈を垂れながら進む。ちなみにオイゲンはパイプも煙管も使わない。シュネルドルファーに憧れて自分もパイプがほしいと思ったのだが、

「いくら煙草ではないとはいえ子供にパイプを吸わせているとおれが非難を浴びる」

 と師から却下されていた。

 それからしばらく師弟の間で『ジブラスタの地形から見る霊脈の姿と魔術の展開』とでも名付けるべき議論が交わされ、太陽が地面に近くなってきたときであった。

 前方のトゥーラが足を止め、レッコウが右を向いた。そちらには少々見通しの悪い茂みがあり、その奥に岩の多い草原が広がっている。

「どうした?」

「少々騒がしい」

 その声にいつもの愉快な響きがなかったことから、シュネルドルファーは察した。

「野盗でも近づいているのか……?」

「近くはないがそう遠くもなかろう。このままではかち合うぞ」

 どうする、と問いたげにレッコウは振り返った。

「やり過ごすのが一番だが……」

 街道の左側を見やる。身を隠せる場所があればよかったが、そちらは見通しの良い草原と、その隣にもっと見通しのよい砂地があるだけで、今から逃げるには無駄足となりそうであった。

「二人は茂みに隠れておれ、ちと物見に参る」

「おい、その図体で……」

 シュネルドルファーの制止も聞かず、レッコウは荷車の連結を解いて茂みに入ってしまった。

「なりそうですね、白兵戦……」

 ないと断言していた手前、シュネルドルファーに頷くことはできなかった。

 こうなっては仕方がないので二人は馬を降りてまず荷車を茂みの中に隠し、再び馬に乗ってレッコウのあとを追った。



 少し進むとなんとか身を隠せる岩場があり、三人は馬上から首を伸ばして迫りくる危険の姿をはっきりと捉えた。

 追う者たちと、追われる者たち。

 追われる側がやや少なく二〇人ほど。どちらも全員が騎馬でジブラスタらしい軽装だが武装しており、ともに街道のほうへと走ってくる。両者の間では矢が飛び交い、どうやら激しく罵り合っているようであった。

 しかし仲間割れでないことは明白である。追う側の装備が正規兵に近い統一感のあるものなのに対し、追われる側は全員がばらばらで、どう見ても盗賊か密猟者にしか見えないのだ。

 トゥーラが低く唸った。

「さすがはわが愛馬よ」

「おい、まさか」

 今度は制止する間もなかった。トゥーラの意思と自らの意思が合致したと悟った瞬間、レッコウはトゥーラの腹を蹴って盗賊らしき者たちの進路へと躍り出たのだ。

 賊たちはジブラスタ語でなにやら喚いたが、そのうしろの兵士らしき者たちから共用語で、

「密猟者だ、手伝ってくれ!」

 との声がかかり、

「心得たッ!」

 猛然と走り出す。

「さあ、わが新しき相棒よ、われらの初陣を飾るときぞ!」

 レッコウはむろん、手に入れたばかりの甲冑・餓者髑髏で全身を武装している。ではトゥーラはというと、こちらも見知らぬ戦士ダウードから贈られた立派な防具をまとっていた。アンクレイスやオルフェスの騎士が乗馬にまとわせるような重装備ではなかったが、ジブラスタらしい曲線模様の入った鋭利な印象を与える青い甲冑である。奇しくもその兜が髑髏を模していたことが人馬の一体感と不気味な迫力を増幅させていた。

 乱入者に動揺したのは賊ではなくむしろその馬のほうであった。前方から猛然と襲いくる暗く巨大なそれに恐怖したように急停止してしまい、騎手は立て直す暇も与えられぬまま烈鋼の餌食となってしまった。

 あっという間に三人も討ち取られた密猟者たちは、レッコウを避けて左右に分かれる。兵士たちも一瞬迷ったのち二手に分かれて追うが、レッコウは迷わず自らの左側に逃げた十人ばかりに狙いを定めた。

 なぜなら、右側にはシュネルドルファーとオイゲンがいたからだ。

「護りに戻ろうとは思わんのか、まったく」

 ぼやくシュネルドルファーだが、レッコウの判断は正しかった。十人足らずの密猟者、それもまだ気づかれていないとあればこの師弟だけで事足りるのだ。

「オイゲン、おまえにも見せ場がきたようだぞ」

「はいっ!」

 オイゲンは馬を降り、愛用の短剣を手に詠唱を始める。ほんの五秒程度で終わると、師の合図で地面を刺した。

 その瞬間、師弟の前にある岩を起点として左右に無数のツタが槍のように飛び出したかと思えば、ツタ同士が絡み合ってあっという間に密猟者たちを籠の中の鳥にしてしまったではないか。

「あと三秒縮められれば合格だな」

 それは純粋に詠唱だけにかかる時間であり、つまりその間に錬魔を完璧に完了させろという意味であるから、オイゲンは肩を落とした。

「さて、こちらは全員生け捕りにできたが、向こうはどうなることやら」

 既に数百メートルも離れてしまったレッコウたちのほうを見やる。遠目でもわかるくらい一方的な展開となっているようだった。

 首がひとつ宙に舞う瞬間を見て、シュネルドルファーは思わず目を逸らす。

「戦はするより終わったものを研究するに限るな」



 一方はオイゲンの、もう一方はレッコウの独壇場となって密猟集団をひとつ壊滅させられた兵士たちは、全員が馬を降りて協力者たちに敬意を表した。

「手伝っていただいて感謝する。われわれはこの地域担当の巡検隊だ」

 精悍な顔つきに顎ひげを生やした三十代後半ごろのこの隊長は、レッコウを見てそういった。レッコウがリーダーだと判断したのだろうが、それは仕方がない。どう見ても見た目だけはレッコウとトゥーラの迫力がありすぎるのだ。

 そして続ける。

「もしやとは思うが、その馬はインバラトゥーラではないか?」

「ホウ! 知っておるか!」

 隊の面々から一斉にどよめきが生じた。

「知っているとも、かのダウードですら御し得なかった暴れ馬だ。しかしそれを乗りこなす者が現れ、出会うことができたとは……奇縁というほかないな」

「ね、隊長、今日の占いは当たるっていったでしょう」

 隊の中でも若い男が自慢げにいった。

「ホウ、おぬしらも占いに導かれてやってきたのか」

「あの者の占いは当たり外れが極端なのであまり当てにはしていなかったのだが、今回のは立派な功績といえような」

「密猟者を見つけたら街道のほうに追いやれ、なんていったときはなにを馬鹿なと思ったものだが」

 別の男がそういい、隊からは笑い声が上がる。

「貴殿らはどこへ向かうおつもりか?」

「アンクレイスだ」

 と、今度はシュネルドルファーが答えた。その馬を見て隊長はひとつ頷く。

「北ということは次の駅はラムサールか」

 シュネルドルファーとオイゲンの馬には貸し馬である印の耳輪がついており、駅馬を利用していることが一目でわかるようになっている。

 駅馬とは馬の乗り換え地点となる駅から駅までの特定の道の間だけ馬を借りるという制度で、これによって馬を所有しなくても早く移動ができ、餌代もかからず、急いでいるときは次々馬を換えながら最速で街道を走ることができる。国によっては身分で使用が制限されていたり民間業者が鎬を削っていたりもするが、馬社会のジブラスタではアシェド王国時代から国営事業として一本化されたまま安定して発展している。

「今日は野宿となってしまうな。どうだ、どうせ野宿をするならわれわれのキャンプに招待したいのだが」

「いいのか? 民間人で、しかも外国人だぞ?」

「なに、手伝ってもらったのだ、構わんよ。それにどうやってインバラトゥーラを手懐けたのか是非とも聞きたい! ダウード殿へのいい土産話になる」

「そういうことなら遠慮なく厄介になろう」

 満場一致ということで、一行は密猟者たちを連れて巡検隊キャンプへと向かうのだった。

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