第4話 Ⅱ
路地を出て再び満足に陽光を浴びられる場所まで戻ってきたとき、先頭を歩いていたレッコウが不意に立ち止まった。
「イザークよ」
振り返らずにいう。
「どうした?」
「今おぬしらの懐を潤わせているのはわが財宝を売って得た金であるな」
嫌な予感がしたシュネルドルファーは、嫌な表情と声色を隠すことなく答える。
「確かに一部はそうだが」
一部どころかほぼすべてがそうである。くれるというなら呪いと病気以外は遠慮なく受け取るシュネルドルファーだが、恩を売られるとあらば途端に反抗したくなるという実に大人げない性格の持ち主であった。
「つまりその一部の財産は吾輩のもの……といっても差し支えあるまいな?」
やはりそうくるかと、シュネルドルファーは聞こえないように舌打ちした。
「なにがいいたい」
待ってましたといわんばかりにレッコウは振り向いた。
「やはり馬がほしいのだっ!」
「……馬?」
「そう、馬だ! かつて戦ったあの大きく美しい風蛮の馬! この町にくるときに乗ったあの精悍な馬! やはり風蛮の馬がほしい!」
なにを言い出すのかと思えばまさか子供の駄々のように馬をほしがるとは思わなかったシュネルドルファーは少々肩透かしを食らった。
「馬といっても色々あるぞ。単なる移動用の乗用馬に戦闘もこなせる軍馬、荷物運び用の荷馬など……」
「軍馬であるッ!」
シュネルドルファーは再び眉をしかめた。
「それは必要ないと、昨日いったはずだが?」
「普段は荷を引かせてもよいし、それに吾輩の金で買うのだから問題あるまい!」
「おまえ、馬の世話などできるのか?」
「むろんだ。暇さえあれば単身馬に乗って町や野に繰り出しておったからな、心得ておる」
馬というのは便利な乗り物に見えて、実はかなり面倒なものといえる。生き物であるため当然毎日の水と食料が必要になるし、体調管理や馬具を揃えたりそのメンテナンスをしたりと、同行者が一人増えるようなものということもできるがその世話を別の誰かがやらなければならないため、人が一人増えるよりよほど手間がかかるのである。
「せっかくジブラスタにいるんですから、牧場を覗くだけ覗いてみませんか?」
先日に続いてオイゲンから助け舟が出されたことに、言い合う二人はまたもや両極の反応を示した。
「オオっ、少年よ、やはり馬は男の浪漫と心得るか!」
「あまりこいつをつけあがらせるな、躾は最初が肝心なんだぞ」
「そんな、ペットじゃないんですから……」
オイゲンは苦笑する。
「それに本当にお金は充分ありますし、街道は貸し馬を使うにしてもそれ以外のところだとそろそろ荷物がつらくなってきましたし……」
宿に置いてある、膨れ上がった三人分の荷物を思い出して師弟は表情を曇らせた。
「馬の世話はぼくも慣れてますから」
「さァ、ゆくぞ者ども! 牧場はいずこぞ!?」
まだ乗り気にはなれないシュネルドルファーだったが、レッコウのお陰で潤ったのは確かなので見るだけ見せてやってもいいかと消極的に頷くのだった。
ジブラスタにおいて、馬は重要な産業のひとつである。レッコウがいうように大きく美しく頑丈であるというのも理由のひとつではあるがそれはあくまで海陽馬と比較した場合であり、大陸の他の馬に比べて特に優れているというわけではない。むしろ重要なのは古くから騎馬の民として生きてきたという人間側の矜持と、ジブラスタの奇妙な土地事情に適した馬の体質である。
普通、馬を一頭連れて旅をするならば馬具はもちろんのこと飼料と水も用意しなければならない。飼料の一日の消費量がおよそ体重の二パーセントなので五〇〇キロの馬だとすると一日一〇キロであり、水は三、四〇リットルも必要となる。
ところがジブラスタの馬はその七割程度で済み、しかも食べられる草や水場を見つける能力に優れているときたものだから、商魂たくましいジブラスタ人が目をつけないはずがない。今では用途ごとの品種改良が進み、お陰でジブラスタの馬は世界中どこからも需要があり、生産効率を上げるため土地さえあれば小さな町にも品種を限定した馬専用の牧場があるという盛況ぶりであった。
東部を代表する都市であるダロアにも北部に開けた平地があり、そこに施設を構えるハマダーン牧場の販売用の厩舎に案内されたレッコウは師弟を置き去りに走り出し、憧れだったジブラスタの馬に囲まれて両手をいっぱいに広げた。
「これぞ風蛮の馬ぞ! さあ、いずれをわが愛馬にしてくれようか!」
「愉快な人ですな」
案内してくれた牧場職員はもとから細い目をさらに細めて、どうやら笑っているようである。
「勢いに押されて案内しましたけど、どういう馬をお求めで?」
「おれとしてはあまり買うつもりはない。いくら他国の馬より費用対効果に優れているといってもやはり生き物だ、世話の手間を考えれば容易に手を出すべきではない」
「そうですね。もっと大人数で行動するならともかく三人なら荷馬も乗馬もないほうがよほど楽でしょうね。経済的にも」
この職員は無駄な商売っ気のない常識人だと安心したシュネルドルファーはレッコウを説得する方法について集中することができた。
そのレッコウは用途ごとに見た目も異なる馬を一頭一頭見ては感心し、やがて職員を呼び寄せて詳しい説明を求める。
「先生、レッコウさん本気みたいですよ」
「ううむ、やつの馬に対する執着を甘く見ていたか……」
「せめて愛着っていってあげましょうよ」
現在の懐事情としては馬の一頭くらいポンと買えるのだが、旅というのはいつなんどきどういった理由で金が必要になるかわからないし、そもそも学術研究とは金がかかるものである。馬なら買わずとも馬車や駅馬を利用したほうが経済的にも労力的にもよほど効率的といえた。
……などと説明したところで到底聞き入れそうにないほどレッコウははしゃいでいるから、シュネルドルファーの眉間のしわは深くなるばかりである。
すると、
「なんぞこやつ!?」
厩舎の奥のほうまで行っていたレッコウが驚愕の声を上げた。
「ああ、嫌な予感がする」
「あの人、珍しいものはとりあえず試してみるタイプですもんね」
大興奮の甲冑骸骨が求めるままに足を運んだ師弟は、しかし、レッコウと同じように驚きの声を上げるはめになった。
「なんだ、こいつは」
「うわあ……」
厩舎の一番奥に向かいと隣の房を空けられ、一頭だけ隔離されているかのように佇むその馬は、大きかった。一八〇センチを超えるシュネルドルファーの頭より高いところに
しかし三人が揃って驚いたのはそんなところではなかった。
「なんとふてぶてしく勇壮な面構えか!」
「いやどう見ても性格悪そうだろ!」
馬に表情筋はない。ないが、なぜかその馬は高いところから小さな人間どもを見下して鼻で笑っているように見えるのだ。それも屈折した陰気な嘲笑ではなく、己の強さ、あるいは気高さを信じて疑わない傲岸不遜にして大胆不敵な笑みである。
色もまた表情を際立たせていた。葦毛と思われる灰色の体に漆黒のたてがみ、額には絵具をぶちまけたような白い模様があり、深い青の瞳。文字通りの重厚な体に重厚感ある色彩をまとい、この馬は人間を見下ろし笑っているのである。
馬如きに馬鹿にされたような気にさせられるのは、シュネルドルファーには我慢ならなかった。
「こんなでかいだけの馬などそれこそ無用の長物だ。おまえは自分用の軍馬がほしかったんだろうが」
「いえ、こいつは軍馬なんです」
と職員がしれっというので三人はまたもや驚愕した。
「荷馬ではないのか!?」
「ええ、れっきとした軍馬です」
「あ、もしかして戦車を牽くタイプですか?」
「いえ、騎兵が乗るやつです。こう見えて軽種なんですよ」
「これが騎兵用の乗馬とな!?」
馬の分類にはいくつかあるが、ジブラスタを含め世界中で一般的には軽種、中間種、重種、小型種のよっつに分類されている。その中で小型種以外にはいずれも軍馬が含まれるが、ジブラスタで騎兵用の乗馬といえば普通は軽種、あってもせいぜい中間種までであり、重種というのは戦車を牽引する戦車馬か農耕や重量物の運搬に使われるものに限られている。他の国では重装備の騎士が乗馬とすることもあるが、ジブラスタにはそういった文化がないので重種は乗馬と見なされていない。
ということはこの、レッコウいわく勇壮な、シュネルドルファーいわく性格の悪そうな軽種馬は、突然変異として生まれてきた特殊な馬ということになる。
そう説明を受けて、レッコウはますます燃え上がった。
「ほしい、ほしいぞ! これぞまさしく王の馬ぞ!」
「正直、お勧めできませんねえ。なにせこいつは見た目どおり非常にプライドが高く、うちの人間のいうことすらまともに聞きませんから……」
「さもありなん。相応しい者以外の命令など聞く耳もつまいて」
「なぜそんな馬を売りに出しているんだ。買い手などつかんだろう」
「それが意外と人気でしてね。巨大なだけでなく毛色も特殊とあってなんとしてもこいつを乗りこなしたいという人はたくさんいるんですよ」
それが今もなおここにいるということはつまり。
「全員失敗したのか」
「ええ……王都の高名な戦士も挑戦したんですがね、瀕死の重傷を土産に帰っていきましたよ」
「ますますほしい!」
「ますますいらん!」
「なぜだ!?」
「そんな気位の高い暴れ馬など邪魔になるだけだ!」
「吾輩がいって聞かせるゆえ!」
「聞くものか!」
「まあまあ」
と割って入ったのはオイゲンと職員が同時であった。
「そんなに気に入ったのならとりあえず試乗してみますか?」
「是非に頼む!」
「ただ、いったとおりわが国指折りの戦士ですら重傷を負わされるほどですから、怪我をしても自己責任ということにさせてもらいますが……」
「望むことろよ!」
「瓦礫の下敷きになってもヒビひとつない頑丈な骨が取り柄だからな」
とは完全に皮肉だったが、当人には褒め言葉にしか聞こえなかったようで誇らしく胸を張ったから、シュネルドルファーはさらに毒気づく。
「ふん、むしろ一、二本くらい踏み砕いてもらえ、元通りに治るのか見てみたいわ」
「とはいっても、お急ぎでないなら明日にしてもらいますが」
「ナヌッ!?」
「いやあ、こいつの試乗はすっかりこの町のイベントになってしまってましてね」
つまり、挑戦者が暴れ馬を乗りこなそうと奮闘するさまを見て騒ごうというわけである。馬文化の根強いジブラスタならではの娯楽といえた。
「悪趣味な。どうせ振り落とされるのを見て笑いたいだけだろう」
「確かに今のところはそうなってますな」
「よかろう、その挑戦、受けて立つ!」
そういうことで、翌日、朝から暴れ馬の試乗挑戦会が開かれることとなった。
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