第3話 Ⅲ
「吾輩があやつと出会うたのは、領民の紹介であった。そのころ吾輩は海陽統一まで残すところあと僅かというところまできており、内政の充実を図りつつ大陸にも領土を広げられぬものかと思案しておった」
別段版図拡大の野心があったわけではないが、キルケなど少数の大陸からの旅人や商人と接していると海陽の狭さを痛感し、大陸から攻められたときの対策や海陽をより豊かにするための方策として大陸に目を向けていたのである。
そんな折、領民から不思議な魔術師が流れ着いたと報告があった。
「一人小舟で渡ってきたはよいが、途中で食料が尽きて浜辺に着くなり行き倒れたそうな」
「なんと……」
大陸から小舟を漕いで渡ること自体信じられない行為だが、それ以上に師弟はなんとも情けない神の姿に驚愕した。
「キルケのことがあったゆえ領民にも魔術師らしき者には警戒するよう呼びかけておったのだが、クガナはとにかく爽やかな男でな、あっという間に領民と親しくなり、それゆえ吾輩も会うてみたいと思ったのだ」
会ってみて最初に驚いたのは、その身なりの汚さであった。海陽人の如き黒髪は荒波のようなうねりで無造作に伸び、元がどんな意匠でどんな色だったのかすらわからないほどぼろぼろになったローブをまとい、やはり汚れと傷みが酷くつぎはぎだらけの荷物袋を大事そうに抱えていた。
「ゆえに吾輩の最初の言葉はこれであった」
――臭い! 誰か、こやつを風呂にぶち込んでこい!
「どうした、二人とも。酷い顔をしておるぞ?」
「早くもおれたちの神聖なクガナ像が跡形もなく崩れ去ってしまっただけだ、気にするな……」
「直接あやつを知る吾輩としては神聖という表現は実に違和を感じるが、まあよい」
ともかく、侍女たちによって隅から隅まで綺麗に洗浄され新しい着物を着せられたクガナは見違えるほどさっぱりした印象となって再びレッコウの前に現れた。
「とりあえず吾輩はあやつの海陽へやってきた目的を尋ねた」
するとクガナはこう答えた。
――とても美しい海があると聞いたので見にきました。
「海陽を訪れた異国人はみな海の美しさを褒め称えるが、それを目当てにやってきた者などおらなんだので吾輩はすぐにやつが気に入った」
レッコウはちょうど気分転換がしたかったのでクガナを連れて船で近海を回ることにした。もちろん彼から大陸の情報も得るつもりでいたし、実際観光の最中に得ることができたが、それらはすべてただの雑談からであった。
レッコウ自慢の船から東洋の秘宝と呼ばれる青々とした大海原を眺めたクガナは大変興奮し、それに気をよくしたレッコウはいつの間にやら目的を忘れ、酒を酌み交わしながら他愛もない話を展開してしまったのだ。
「不思議と人を和ませる男であったよ。とにかくよく笑い、よく喋り、よく食いよく飲み、よく寝てよく歩き回った。そうしている間にすっかり海陽に溶け込んだあやつは、もはやいるのが当然と誰しもが思うようになっておった」
そんなあるとき。どうやら伊守流の神職たちとも仲良くなったらしい彼はレッコウが神々の祝福を受けていることを知り、自分も友の助けになろうとあるプレゼントを用意した。
「それが、わが生涯の相棒、烈鋼と鋼龍である」
「なにいっ!?」
「えええっ!?」
「今度はなにごとぞ!?」
「あの甲冑は、クガナが作った物だったのか!?」
「さよう、クガナの魔力と伊守流の霊力によって生まれし至宝ぞ」
シュネルドルファーはひらひらと舞い落ちる木の葉のようにへたり込んだかと思うと、勢いよく立ちあがってオイゲンの肩を掴んだ。その目は好奇心に輝いているというより欲望で血走っているようにしか、少年には見えなかった。
「わかってます、わかってますから。あの甲冑は先生の家に届けるよう手紙を出しておきますからっ」
「やはりもつべきものは話のわかる弟子だな!」
「でも先生、調べるときはぼくにも手伝わせてくださいね!」
「もちろんだ」
「絶対ですよ!」
「まったくなんなのだ、この扱いの差は……」
王としてのプライドを傷つけられたレッコウは肩を落としてすっかり意気消沈してしまった。
「いやいや、そう落ち込むな。おまえはもはや歴史の生き証人だ。それにおまえ自身にも俄然興味が湧いてきたぞ」
「ホウ!」
単純なことにパッと顔を上げる王。表情がないにもかかわらず師弟にはすっかり骨面を見ただけで理解できるようになっていた。
「おまえが海陽の精霊から守護を受けているというのは魔術師としては到底無視できんからな、今度じっくり調べさせてもらおう」
「結局それか……」
「ところでその剣と鎧についてだが、確か鋼でできているといっていたな? 海陽は鋼の産出も精錬技術も世界で抜きん出ているが、そのころには既に精錬技術は確立されていたのか? それが証明できれば歴史的発見になるが……」
「いや、残念ながら鋼の作り方は当時誰にもわからなんだ。当のクガナでさえ理解しておらなんだからな」
「クガナにもわかっていない?」
「さよう。あやつがいうには、鉄に魔術をかけてより頑丈でより鋭くより長持ちする武具に作り変えたとのこと」
「理論を無視した、魔力のみでの錬金術だと……!」
シュネルドルファーが再び倒れなかったのは、クガナならばそれくらいできても不思議はないという認識を最初からもっていたお陰である。
「結局吾輩が生きているうちに確立させることはできなんだが、今では当たり前のように店屋に並んでおったな」
「もう何百年も前に海陽で確立されたのだ。間違いなくクガナが発端となった技術だろう……」
「いや待てよ? あの甲冑はどうなる?」
レッコウは酒を抜くために干している骸骨鎧を指差した。あれもまた鋼鉄製である。
「おれが見たところあれはクガナやおまえよりもっと古い時代のものだが、そういった古代文明は現代より技術が発達していることが珍しくないのだ」
「ホウ、やりおるな、古代人」
「だからこそ、考古学に身を捧げる価値があるというものだ」
ようやく平常に戻ってきたらしいシュネルドルファーはひとつ咳払いをしてレッコウに続きを促す。
「もうあまりこれという出来事はないが……」
「特別なことでなくていい。他愛もない会話の内容だけでも充分だ」
「とはいえ、もはや何十年も前のことゆえ、詳しくは覚えておらぬぞ」
「構わん。そうだ、クガナはなぜ海陽を出て行ったのだ?」
「オオ、それならば覚えておる」
それはちょうどレッコウがフーバーンへの進出を決断したときである。大陸に詳しいことからクガナに参謀になってもらおうと同行を求めたのだが、彼はこれを拒否した。
――あそこは気候と地形が複雑で旅がしにくいのですよ。それに……
どうやら嫌な目に遭ったらしい。思い出しながら珍しく不快な表情を浮かべる彼に、レッコウはわざとらしく呟いた。
――北のオーブラットは美しい雪景色が見られるそうだなあ。
案の定、クガナは食いついた。大陸東側にはまだ南部のダルバンドとフーバーンしか行ったことがないからオーブラットへ行くのならついて行くという。
そういうわけでフーバーンを目的地としながらも一旦は北のオーブラットを目指して船団を進めた海陽軍は、リュウオウ山脈の比較的なだらかではあるものの本来なら船で上陸できるはずもない場所からクガナの魔法の援護で難なく上陸を果たした。
――ここから眺める景色は圧巻でしょう?
クガナの勧めでまず山を登ったレッコウは、東西南北をそれぞれ見渡して感声が尽きなかった。東には太陽の光を浴びて宝石の如く煌めく海陽の青い海が。西には砂地に森林に草原に荒野にと不規則に地形が入り混じった奇怪な風景が。南北にはどこまでも続いていそうな、恐ろしくもあり温かくもある天を突き刺す雄大な山々が。
「死ぬならここがよいと、心から思った」
クガナはいう。
――国を豊かにするのも結構ですが、この美しい世界を壊すことだけは、やめてくださいね。そんな世界を、私は見たくない。
――おれもだ、クガナよ。
――人生とは旅で、旅をするには世界は広い。だけど必ず世界は私たちと繋がっていて、こうして私たちが出会ったのもなにかの縁。この縁をたくさん広げていけたら素敵ですね。
そうしてクガナは新たな美しいものを求め、オーブラットへ旅立っていった……
「再会することはなかったが、今でもあやつはわが友である」
「なんと贅沢な」
シュネルドルファーは怒りすら覚えて羨ましげにレッコウを睨んだ。
「ますますおまえを海陽へ連れて行きたくはなくなったぞ。まだまだおまえからは搾り取れるものが山ほどあるからな」
「この骨からこれ以上なにを搾ろうというのだ!」
「とりあえずその剣を調べさせてもらおうか」
「待て、それは吾輩に唯一残されし大事な相棒ぞ! クガナならばともかく余人に任せるわけにはゆかぬ!」
「ええい、ごちゃごちゃぬかすな! これには人類の叡智が詰まっているのだ!」
「嗚呼っ、無体な!」
そうして夜は更けてゆく……
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