第3話 Ⅱ
「それはともかくとして」
大王の尊大な態度をさらりと無視してオイゲンは師に問う。
「レッコウさんの呪いを解く手がかりとしては、海陽はかなり有力なんじゃないでしょうか」
呪術・妖術はともかく、霊術においては世界随一といえるほどの伝統を誇る民族であるし、なにより近い。オイゲンが提案するのも当然といえた。
「しかし今は戦国時代真っ只中だ、戦に巻き込まれてはたまらん。それにきっとレッコウの血が騒ぎ解呪どころではなくなってしまうぞ」
「ンム、違いない!」
「おれとしてはむしろそれを見てみたいのだが、歴史的・社会的観点から見ればやはりそれは大いにまずい」
最初に自分が焚きつけたくせに、などとオイゲンに反論できるはずもない。
「しかし一度出雲に参って神託を乞うのもよいやもしれぬな」
「イズモというと、海陽の首都だったな」
「ウム、吾輩が海陽の神々より神託を受けた地であり、わが居城より力を入れて造らせた
「あるぞ。資料によるとおまえの息子が造営を引き継いで完成させたそうだ」
「ホホゥ! やりおったか、烈清め!」
「イスルヒメを主神とする神道は今でも海陽の国教だが、もしやこれもおまえが制定したのか?」
「いかにも!
「その割には今そのざまだが」
レッコウの背景に稲妻が走ったのを師弟は見た。どうやらいってはならぬことだったらしい。
「で? そのイスルヒメにもう一度助けてもらおうと?」
「し、然り……」
「おれは宗教的な意味での神など微塵も信じておらんが、イスルヒメというのは精霊の類なのか?」
「おそらくそうであろう。吾輩もはっきりと姿を見たわけではないが、それでも人とは思えぬ神々しさと確かな存在を確信した」
ということは、レッコウは人生に大きな影響を及ぼすほどの契約を精霊と結ぶことのできる稀有な素質の持ち主ということになる。本人いわく魔術の才はからっきしとのことなので術式によって呼び出したわけではないのだろう。そうなるとますます類稀な才能の持ち主ということであり、王になるべくして王となった王たる器といえるのかもしれない、とシュネルドルファーは一人得心した。
「それほどの力をもった精霊ならば確かに当たってみる価値はあるかもしれんな」
「ではゆくか、海陽へ!?」
ようやくレッコウは上体を起こした。が。
「却下」
「なにゆえ!?」
「もしそこで本当に解呪できたら、面白くないではないか!」
「お、おぬし、他人事と思うて……」
「だいたいどうやって海陽まで渡るのだ。今は戦争中で、これまで貿易で通じていた国もほとんど寄りつけんような状態なんだぞ。渡るための船が出ていないのだ」
「ムゥ、それは困った……」
本当は多少ながら貿易が続いているためその船に乗せてもらえば行けるのだが、やはり面白くないからいわないのだろうと、オイゲンは理解する。口に出さないのは彼もまたあまりあっさりこの旅が終わってはつまらないと、少なからず師に影響されているためであった。
「おまえとてせっかく蘇ったのだ、千年後の世界をもっと回ってみたかろう?」
「ウム、それは違いない! 思えばあやつもそうであったが、魔術師というものは旅が好きなのだな」
「キルケのことか?」
「いや、あやつもまあそうかもしれぬが、もう一人魔術師の知り合いがおったのだ」
「ほう、そいつはまともか?」
「変わり者ではあったが、キルケのような類ではない。むしろおぬしに近いな。旅好きで、童のように無邪気で、世界中の美しいものを見たいと申しておったわ」
「気が合いそうなやつだ。なんという名だ? 案外歴史に名を遺した偉人かもしれんぞ」
シュネルドルファーはからかうようにいった。
「クガナという」
その言葉は、レッコウの舌なき口から飛び出して空間を走り、師弟の耳に入った瞬間、二人の脳髄を激しく揺さぶった。
「なん……だと……?」
「クガナである。本名は長いので忘れたが」
「まさか、クガナ・シュエル・ヴィルヴァでは……あるまいな?」
「はて……? そのような響きであったような……?」
すっとぼけたように石の天井を見上げたレッコウの襟をシュネルドルファーは掴み上げた。
「思い出せッ! それは本当に、あの、クガナかっ!?」
「ななな、なにを慌てておるか! あのとはどのクガナぞ!?」
「先生、気持ちはよくわかりますが落ち着いてください」
オイゲンに割って入られなんとか手を放したシュネルドルファーだったが、それで興奮が収まるわけではなかった。
クガナ・シュエル・ヴィルヴァ――
その名にはすべての魔術師にとって特別な意味がある。
「いいか、おれたちの知るクガナとはな……」
世界を愛し、世界を旅し、世界を極め、世界を悟った者。
近代魔術の祖。
あらゆる魔法に精通し、魔法の基本である三大源力、術系統、錬魔、術式を確立した、魔術の神ともいうべき存在。
つまりすべての魔術師は彼が確立した理論に則って魔法を習得するのであり、シュネルドルファーとオイゲンもむろん例外ではない。クガナの残した旅日記『美しき世界』は大半が災害によって失われてしまったが、幸いなことに魔術理論に関する書物はほぼ完璧な形で残っており、それこそが魔術の教科書であってすべての魔術師が最初に目をとおす魔術書である。
「そのためクガナとは――」
まだまだ続きそうなシュネルドルファーの熱弁を無視して、レッコウは深く頷いた。
「やったのだな、あやつめ……」
その声は骨にしておくのがもったいないほど、深く、喜びに満ちた声であった。
「やはり、あのクガナなんだな……?」
「おそらく間違いあるまい」
「確かに、年代は合ってますよね……?」
「なんということだ……! われわれ魔術師にとっての神がこんな骨と知り合いで、その神の知り合いが今おれの目の前にいるとは……!」
「吾輩の扱いと随分な差があるな? ン?」
「当たり前だ」
不満げに睨み上げる骨を突き飛ばして、シュネルドルファーは自らのベッドにどっかり腰を落とす。
「聞かせてもらおう、クガナについて」
それはすべての魔術師が知りたくても知りようのなくなってしまった、永遠の謎であった。
「とはいえ、吾輩もそう詳しいわけではないぞ。あやつが海陽におったのは一年にも満たぬはずだ」
「それでもいい。知っている限りのことを聞かせてくれ」
シュネルドルファーがレッコウに対してお願いするという態度を取ったのはこれが初めてであると、オイゲンも、そしてレッコウも気づいたようである。その真剣な表情に彼は茶化すようなことはせず、真剣に過去を振り返り始めた。
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