第2話 Ⅲ
シュネルドルファーは髑髏マークの奇妙な箱をつぶさに観察する。髑髏マークをはじめ他の部分にも骨を思わせる白が見えるが全体としては黒を基調としており、ところどころに配された深い紫とのコンビネーションでより毒々しさを増幅させている一見箱のように見えるそれは、実際には確かに甲冑のようで、表面を見るだけでも肩当てや具足など甲冑としてのパーツを確認できる。ただしそれらがパズルのように複雑に組み替えられており、まともな甲冑としての姿を成すにはまずすべて分解する必要がありそうだった。
「店主、完成予想図はないのか?」
「残念ながらそれは壁画だったんでねえ」
「そうか」
完成させることが目的なら写しがあってもよさそうなものだが、そこがジブラスタ人の商売根性ともいえる。できる限りこの甲冑パズルで稼ぎたいのだろう。
しかしそんな事情などシュネルドルファーには関係ないし、興味もない。なぜなら彼には、自分ならばこれが解けるという絶対の自信があるからだ。
そう、破眼である。シュネルドルファー家の血継術はまさにこういうときのための能力なのだから、むしろこれが解けねば一家の恥という思いすらある。シュネルドルファーは早速瞳に赤紫色の光を宿し、改めて甲冑を見た。
「ぬ……」
意外な事実がそこには描かれていた。たしかに呪物の類であることには違いないが、パーツのひとつひとつに性質の異なる魔力が流れており、すべてを正しい性質の物と合わせればいいのかと思いきや、具足と膝当てなど直接繋がるはずの部位で性質が矛盾していたのだ。
「思ったより面倒だな」
経験上、この手のパズルはパーツを取り外すにも正しい方法が必要である。すべてのパーツを正しい方法、正しい順序で分解し、そしてまた正しい方法と順序で正しい部位同士を繋がなければならないものと思われた。
しかしこの程度で音を上げてはそれこそ一家の名折れ、レッコウの墓に入るために三日かけたことも苦ではなかったのだ、夜までには終わらせてやると袖を捲った。
レッコウが両手にどっさり商品を抱えてやってきたのは、四つ目のパーツである右の膝当てを取り外したころだった。
「あまりにも目移りして困っておる、なんとか厳選してみたがどれがよいと思うか?」
当然シュネルドルファーの耳には届いていない。代わりに既に見物人となっていたオイゲンが至極真っ当に返した。
「厳選してそれですか……」
「ウム、どれもこれも素材から作りから意匠から吾輩の時代とは比べ物にならぬほど改良されておるのでな、とても決めきれぬ。せめて五着ほどに絞りたいのだが……イザークはなにをしておるのだ?」
オイゲンは律義に一着一着目をとおしながら説明してやった。
「ホォ! あれが甲冑とな! これまた面妖な……!」
「近づかないでくださいね、殴られますから。あれ、海陽のじゃないのも選んだんですね」
「ウム。興味本位で見てみればなかなかどうして異国の着物もよくできておる。特にこの風蛮装束などこれ一枚で帷子と袴を兼ね備えているようではないか。なんともはや、舌を巻くとはこのことぞ。舌はなくしたがな!」
「だったらこの黄色いジブラローブはどうですか? 黄色がトレードマークとのことですし、刺繍も凝ってて上品な感じです」
「オオ、やはりそれがよいか。ウム、吾輩もそれは是非とも着てみたいと思っておったのだ」
「黄色はやめておけ」
と、意外にもシュネルドルファーから意見が上がった。
「なにゆえだ?」
「おまえが着ることになる甲冑はこれだ。こいつに黄色は似合わん」
作業の手をとめることもせず素っ気なく言い放った。
「なんと!?」
「解けそうなんですか?」
「おれに解けぬはずがなかろう。問題があるとすれば時間だけだ」
懐中時計を取り出さずとも既に一時間は経過していることがシュネルドルファーにはわかっていた。飲食店以外はだいたい夜六時か七時には閉まるので、長くてあと五時間しかない。それまでに完成までもって行けるかというと、甚だ疑問といわざるを得ないペースである。
もうひとついえば体力――魔力や精神力も含めた意味での――の問題もあった。シュネルドルファーはずっと破眼を発動させた状態でいるが、およそ血継術というのは限定的な状況下において絶大な効力を発揮するものの、術者の消耗が激しいのである。破眼などはまだ長時間使用に向いた能力であるためましといえるが、それでも常時魔法を発動させっ放しに等しい状態は時間が経てば経つほどシュネルドルファーに重くのしかかっていくのである。
「吾輩にも協力できればよかったのだが……」
「人にはそれぞれに相応しい舞台というものがある、気にするな。オイゲン、今のうちにレッコウのインナーを見繕ってやれ。この甲冑に合うやつをな」
「わかりました」
二人が試着室のほうへ消えてから、再びシュネルドルファーは目前の謎に集中した。時間も体力も厳しい戦いではあるものの、彼はこの状況にいささかも苦痛を覚えてはいない。むしろ楽しさが彼の内心を満たしていた。
シュネルドルファーはこういう過去の遺物と出会ったとき、いつも思うのだ。これを作った者はどういう目的で制作を決断し、どういう思いを込めて作り上げたのかと。
レッコウの墓のときもそうだった。効率を重視すれば日程を半分は縮められたにも関わらず、隅から隅まで、人の手が入っていないのをいいことに心行くまで調べ回った。トラップを解除するときでさえそうである。その魔法に込められた思いは、死者に対する敬愛なのか、悲哀なのか、あるいはもっと別のものなのか。それとも侵入者に対する怒りなのか。そういった作者や術者の思いが直接感じられることは稀であるが、感じられなくとも調べながら思いを巡らすことはできる。そういう時間が、彼はなにより好きなのだ。それこそが考古学に心を奪われた人間の性なのだ、と常々思う。
だからこの髑髏の甲冑を分解するにも謎解きを作業的にも楽しみつつ、過去に思いを馳せることで精神的にも楽しんでいるのだった。
掛け時計が午後六時を告げる鐘を鳴らしたとき、店内はシュネルドルファーを応援する客でごった返していた。初めはたまたま居合わせた客や噂を聞きつけたかつての挑戦者が労いの言葉をかけにやってきただけだったのだが、シュネルドルファーの驚異的な早さに思うところがあったらしい店主が『髑髏の箱挑戦者応援キャンペーン』と称してセールを始めたのである。内容は、『箱の挑戦者に応援の言葉をかけたら一五〇バト以上のお買い物で一割引き』というもの。一五〇バトといったら安いナイフなら二、三本は買える金額なので冒険者のみならずそこらの主婦まで節約のために押し寄せている始末であった。
「ウム、三点で一六二バト九八アーリである。ホウ、一七〇バトからの支払いであるか。ならば七バトとんで二アーリのお返しとなる、受け取るがよい」
せっせと客を捌いていくのはボロ布を卒業して臙脂色のジブラローブまとうズタ袋ことレッコウとオイゲン。なぜ二人が接客の手伝いをしているのかというと、ただ単に暇だったためである。ボケッと突っ立って挑戦者を見ている買い物を終えた客が二人、どんどん増えてゆく客の列に対応しきれなくなった店主の目に留まれば猫の手代わりに駆り出されても仕方あるまい。オイゲンなどは実に女性受けのよさそうな顔をしているのでそれを期待してのことでもあったが、商家の生まれである彼はそれ以上に役立っており、不思議なことにレッコウも客受けがよく老若男女問わずあっという間に仲良くなって売り上げに貢献しているため店主からしてみれば嬉しい悲鳴がとまらないという状況であった。
「おたくらの先生、すごいね。あんなに早く分解し終えた人は初めてだよ」
シュネルドルファーは現在パーツの分解を終え、並べたそれらをじっと見つめたりパーツ同士をくっつけてみたりしている。
「でも残念だけど組み立てる時間はなさそうだ。あと一時間じゃねえ」
そう、もはや時間切れは確定的。しかし明日の朝一番にまたやってきて挑戦すれば今度こそ完成像が拝める公算は大であろう。
「そろそろ店仕舞いの準備をしたいところだが、あんたたちのお陰で今日はとことんやることになりそうだ。五〇バトずつ払うからもうひと踏ん張り頼むよ」
「ンム、任されよ」
ドンと皮一枚ない胸を叩いてレッコウは張り切るが、オイゲンはどうしてもシュネルドルファーの様子が気になってそれどころではなかった。
実はもう一時間ほど組み立て始めるでもなく眺めたり少しいじったりを繰り返すだけなのである。見物客からもなにをしているのかと声が飛んだが、それらを「うるさい」「黙れ」「やかましい」とぶった斬り、彼自身ずっと腑に落ちないような顔を続けている。
やがてそれに飽きたのか気分を変えようと思ったのか、
「オイゲン、水!」
とオイゲンにとってはなんともありがたいタイミングで声がかかり、嬉々として水筒を差し出しに出向いた。
「さっきからどうしたんですか?」
ずっと訊きたかったことをようやく訊け、それだけでオイゲンはだいぶ楽になれた。シュネルドルファーは一気に水を飲み干し、口元を拭いながらいう。
「こいつはどうにも奇妙だ。なんど観察しても、考えつく並べ方や順番を試してみても、正解が見当たらん」
「破眼をもってしても正解が見えないんですか?」
レッコウやキルケの性質すら見抜いた破眼が通用しないというのは不思議以外のなにものでもない。この甲冑がキルケ以上に現実離れした存在でない限りそんなことはありえないはずなのだ。
「何度も確認したが、これには危険な呪いの類は仕掛けられていない。おそらく制作者の遊び心によってこのような形をとっているだけの魔術的に少々贅沢な甲冑に過ぎん。その程度の物であるにもかかわらず正しい組み合わせ方が見えんのだ」
「それは確かに奇妙ですね。まさか部品が足りないわけでもないでしょうし……」
「なに?」
シュネルドルファーの目が破眼とは別種の光を帯びた。
「え?」
「足りない……?」
「そんなことあるんですかね、この状態で見つかったのに」
「ありうるな」
「ええっ!?」
オイゲンは驚き、シュネルドルファーは頭を抱えた。
「ああ、おれは馬鹿か……もっと早くに気づくべきだった……なにもおれが最初の達成者とは限らんではないか……!」
「そりゃあ、昔の人が使ってたでしょうから……」
「そういう意味ではない。この鎧は既に何者かの手によって解明された状態でここに展示してあるということだ」
オイゲンは首をかしげた。
「まったくもつべきものは気の利いた弟子だな」
いって、甲冑ではなく店内に向けてシュネルドルファーは破眼を使用した。
「やはりな……ジブラスタ人を甘く見ていた」
「ま、まさか、店内に部品が隠されていたんですか……?」
さすがにオイゲンも呆れ顔である。そうであればこれは完全に詐欺でしかないのだから。
「店主、そいつをもってこい。今すぐにだ」
いうことを聞かなければ首を叩き落とされそうな威圧感を感じた店主は、降参とばかりに両手を上げ、そしてカウンターの下に隠していた小さな箱をもってシュネルドルファーのもとへとやってきた。
「なんでわかった?」
「シュネルドルファーの目を侮るなよ。いずれかの源力をもつ限り、この目に見破れぬものなの存在しないのだ」
「シュネルドルファー!?」
店主と、冒険者らしき客の何人かが過剰な反応を示した。後者はむろんその名がどういう意味をもつのかを知っているからだろうが、店主のほうはいかにもばつの悪そうな顔でシュネルドルファーを仰ぎ見たではないか。
「も、もしかして先生、マルクス・シュネルドルファーさんのご一族で……?」
今度はシュネルドルファーのほうが驚く番だった。
「なぜその名が出て……いや、そうか……!」
シュネルドルファーはついに真相に辿り着いてしまった。
「実はこいつを買い取った本社が最初にマルクスなんちゃらシュネルドルファーさんっていう連盟の偉い人に解析を依頼してね。それでこういう商売を思いついたわけでして……へへへ……」
シュネルドルファーは思い切り自らの額を叩いた。
「マルクス・ヒルデブレヒトはおれの親父だ」
「ああ、やっぱり」
「まさか先生のお父上が一枚噛んでいたなんて……」
「あの人が商売に関わるはずはない。よってこの詐欺まがいの企画はすべてこの商会の企てということだな。店主、振り向かんほうが身のためだぞ」
「ああ、うしろから何人かの殺気をひしひしと感じるよ」
「で、これが最後の部品だな?」
店主のもっている小さな箱を奪い取り、中身を確認するシュネルドルファー。出てきたのは小さな赤い石であった。
「ああ、なんでもあんたの親父さんがいうにはその石が甲冑の所有者を示す契約書のような物なんだとか。そいつを髑髏の裏の窪みに入れればそれで契約が完了するらしい」
念のためにシュネルドルファーは破眼で確認し、その石とともに改めて甲冑を見た。するとどうか、今まですべてが独立した別物のようであったそれらが石を中心とした規則性と関係性をもつひとつの生き物のように見えるではないか。
「くそっ、すべて揃っていれば一時間足らずで解析できそうな単純な代物ではないか……」
今までかけた苦労はなんだったのかと思わず膝を折る。
「ええい、この恨みを晴らすのはあとだ。レッコウ! いつまで接客している! さっさとこっちにこい!」
「ハ~イ、タダイマー」
「頭蓋骨をカチ割るぞッ!」
「ヒェッ! イザークであったか! 完成したのか?」
今まで呑気に接客を続けていたレッコウはまったく状況が掴めておらず、シュネルドルファーにいわれるがまま赤い石と髑髏のフェイスガードをもたされた。
「フム、これをこの窪みにはめ込めばよいのだな?」
手で触ってみなければ気づかないような小さな窪みを数秒かけて発見したレッコウは、それがどういう意味をもつのかもわからないまま、はめた。
すると……
「オオっ……!?」
ばらばらに分解されていたパーツのひとつひとつが赤い光を発し、ひとりでに宙に浮いたではないか。そしてそれらが次々とレッコウ目がけて飛来し、足から順に正しい形を成してゆく。
足、腰、胴、腕、肩、最後に角のついた兜がズタ袋の上に収まり、中から髑髏のフェイスガードが醜いズタ袋を隠すように下りて、完了である。
「おおおっ」
と歓声を上げるのはレッコウ本人はおろか店主も客たちも同様であった。客はもちろん店主も完成像を見たのはこれが初めてだったのだ。
「骸骨が骸骨を着る……これなら少々骨が見えても問題あるまい」
「こ、これが吾輩の新しい甲冑であるか! なんとも奇抜な意匠……しかし、よい! 実によいぞ、イザークよ!」
「陛下のお気に召したようでなにより。さて、残るは店主の処遇だな」
ぎろりと鋭い視線で突き刺された店主はややひきつった笑顔で手を揉んだ。
「まあまあ、こうして無事お望みの品が手に入ったわけだから……ねえ?」
「ジブラスタ人の商魂たくましさは理解しているが、だからといっておれや今まで挑戦して敗れてきた者たちが納得すると思うなよ。そうだろう、諸君」
シュネルドルファーの煽りに応じ、魔術師らしき者たちから次々に声が上がる。
「おう、そうだそうだ!」
「おれがこいつに何百バトつぎ込んだと思ってるんだ! この商会は詐欺師だと触込むぞ!」
「そ、そればかりは勘弁を……!」
「今日明日全品三割引きでどうだ」
シュネルドルファーは慈悲の代わりにとびきり悪い笑顔をくれてやった。
「ご無体なっ! 本社からいわれただけなのに!」
「赤字が出れば本社から補填してもらえ。さあ、おまえたち、どれもこれも三割引きだぞ、なんでも好きな物を買っていくがいい」
「魔術師先生は話が分かるぜ!」
「仲間を呼び戻してこよう!」
「ヒィィ~~!」
ということで、哀れサマバン商会ダロア支店は血涙飛び散る大安売りセールへと突入するのであった。
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