第1話 Ⅱ

 その衝撃は棺も王の間の歴史的に貴重な装飾品もシュネルドルファーとオイゲンも分け隔てなく吹き飛ばしてしまった。ごろごろと無様に転がって頭を打ちつけたオイゲンは数秒間意識を手放してしまったが、なんとか自力で手繰り寄せて復活したときには師による防御結界に護られていた。

 なんという光景だろうと、オイゲンは半ば消失しつつある己の現実感に問いかけた。

 今目の前にはアンデッドと化した元魔術師の化け物と同じくアンデッドの剣士が所狭しと駆け回りながら死闘を繰り広げている。彼らの一挙手一投足が大なる破壊とより大なる破壊を生み、その余波ですらシュネルドルファーの結界をみるみるうちに削り取ってゆく。

「オイゲン、気がついたのなら少しの間代わってくれ。このままではもたん」

「は、はい」

 これが初めて会った他人同士ならこうはゆかない。術には術ごと、あるいは個人ごとに発動に至るまでの錬魔といわれる複雑な仕組みがあり、それを承知している者同士でしか術の引き継ぎは不可能なのだ。

 オイゲンはもてる最大限の魔力を振り絞って結界の維持に努めた。本来結界は一度張ってしまえば効力を失う寸前まで魔力を注入する必要はないのだが、化け物たちの放つ衝撃があまりに激しいため、維持に努めなければ数秒で破壊されてしまう。その数秒でも、今のオイゲンには限界ぎりぎりの過酷な試練となった。

 その間にシュネルドルファーは素早く正確に刻印・詠唱の複合式防魔結界の術式を完成させ、師弟は束の間の安息を得ることができた。

「まさかこの術を使うことになるとは……鍛錬は嘘をつかぬとは金言だな」

 二人は改めて二人の化け物を見やる。キルケは魔術師らしく離れた距離を維持して無式の攻撃魔法で牽制しつつレッコウ王を捕えようとしているらしい。レッコウ王のほうでは剣での立ち回りにこだわっている様子から、魔法は使えないか得意でないことが窺えた。

 どう考えてもレッコウ王が不利である。

 剣対魔法の場合、剣の勝機は魔法の発動の隙を突くしかない。しかしキルケはそれをさせないために術式不要の簡単な無式魔法で次から次へと攻撃を繰り出しており、とても近づく余裕はない。そもそもいくら無式とはいえ矢継ぎ早に魔法を連発することが常識外れなのだ。それを可能とするには膨大な魔力と、魔力を攻撃魔法に変換し発動にまでもっていく錬魔の理論上の限界値ほどの最適化技術が必要となる。そんな錬魔技術を有する魔術師を、オイゲンはおろかシュネルドルファーでさえ初めて見た。

 あれで外法に染まらなければ歴史に名を残す偉大な魔術師になっていただろうに、などと考える余裕が生まれたオイゲンは、想像上の師の表情と現実のそれとを一致させるべくちらりと仰ぎ見た。

 今度は期待通りであった。もはやすっかり危機的状況を忘れ、キルケの技術的には偉大な魔法に見惚れているらしい。

「オイゲン、見ているか、この光景を……」

「ええ……まさにこの世のものとは思えない術師ですね……」

「そうではない!」

「えっ?」

「レッコウ王だ! 見ろ、彼はあの魔法に剣一本で渡り合っているのだ! こんなことがあるか!? あれは気術だぞ!」

 オイゲンは思わず耳を疑い、聞き間違いであろうと思い込もうとしたため反応が遅れてしまった。

「気術?」

「そう、気術だ! あの骨の王は気術でこの破壊的な魔法の数々を凌いでいる!」

「そんな馬鹿なっ!? 気術は生命力を使うんですよ、命を失ったアンデッドに気術が使えるはずないじゃないですか!」

「そんな理屈は机かじり虫どもに任せておけ!」

 オイゲンは自らの魔術師としての価値観をハンマーでぶん殴られたような気がした。

「やつらに話したところで誰も信じないだろうな。だが重要なのは理屈ではない、現実だ! 現実に今、われわれの目の前でアンデッドが気術を用いて怨霊と化した魔術師と互角に戦っているのだ! これを奇跡といわずなんといおうか! いや、もしかすると死して高次の存在となり霊術も混じっているのやも……」

 やはり今日はとんでもない日だと、オイゲンは確信した。目の前の死闘もそうだが、師が本気で焦る顔、そして本当にわれを忘れて興奮する様を一度に拝めたのだから。

 だから今日一番のアシストをしようと、少年は進言した。

を使ったらどうですか?」

 今度はシュネルドルファーがハンマーで殴られる番だった。自分より十歳以上も若い弟子にいわれるまでイザーク・オイゲン・シュネルドルファーがイザーク・オイゲン・シュネルドルファーたる所以をすっかり失念していたのである。

「生きて帰れたら褒美をやろう」

 苦笑いを浮かべたシュネルドルファーのアクアブルーの双眸が、赤に近い紫色の鋭い光を放った。

 術師――古くは魔術師の中にはあらゆる術系統に属さない特殊な技をもつ者がいる。その多くは先祖代々受け継ぎ磨き続けてきた特異体質ともいえるもので血継術と呼ばれており、これをもつ一族は魔術師連盟から優遇され、様々な分野で多大な功績を挙げてきた。古くから連盟に属し、探索や解析で数多の実績をもつシュネルドルファー家もまた、そのひとつである。

「ふっ、ははは……信じられん……本当に気術のみで戦っているぞ……!」

 シュネルドルファー家がもつ血継術、破眼。三大源力の流れを視覚的に捉えることができ、どれだけ巧妙に隠されていようとそこにいずれかの源力が含まれている限り必ず見破るという、幻術・界術殺しの技能である。

「もはや気合いというべきか……海陽人はもともと気術と霊術に長けた民族だからな。キルケのほうは……うむ、やはりあれはもう人ではない」

「そんなのぼくでもわかりますって」

「アンデッドだとかそういう次元の話ではないのだ。やつがまとう源力がもはや人間のもつ性質ではなくなっている。どうやらこの状況を作り出したのがやつと見て間違いないな」

「それはどういう意味で?」

「おそらくキルケは自身とレッコウ王とに霊術・呪術・妖術の複合魔法をかけて不完全ながらも蘇らせたのだ」

「まさか、反魂……!?」

「それに近いのだろうな。いや、あるいは死後も霊魂を肉体のある場所に留まらせておきなにかのきっかけで復活するように仕組んだか……いずれにしてもここまでくればもはや秘術の域だ……素晴らしい……まさか生きているうちに拝めるとは……!」

 師の赤紫色に輝く瞳に説得力を覚えながらも、オイゲンは彼ほど無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。どれだけ素晴らしかろうとあれは人をやめた魔物であり、しかもその原動力が邪悪な禁術。今はレッコウ王に執着しているようだが、その暴虐な魔法の矛先がいつこちらに向くかも知れない状況なのだ。そのうえレッコウ王はあくまで剣でのみ戦っており、劣勢であることに変わりはない。

 キルケが叫ぶ。

「死してなおわがものとなれ、レッコウ王!」

「もとよりおのれのものになった覚えなどないわ!」

 キルケが魔力を込めた腕に、レッコウ王の剣が振り下ろされる。それは片手でやすやすと受け止められたが、威力は拮抗しているようであり、二人の間に激しいエネルギーの渦が生まれ始めた。

「いかん、魔衝がくるぞ!」

 オイゲンにリアクションを取る時間は与えられなかった。

 高威力の術がぶつかり合うことで行き場をなくした術力が術同士の中心点で激しく摩擦し、集束することで爆発的エネルギーに変換される魔衝の威力は、魔術師連盟が発表した公式のうち最も単純なものによると(術力A×術力B)÷{(術師力A+術師力B)÷2}-距離(減衰率は1mにつき1%から3%ほど)である。ここで仮の数字を入れて計算したところで意味はない。数学的にどういう答えが出るにせよ、この魔衝のせいで王の間は周囲の部屋ごと完全に吹き飛び、シュネルドルファーにとっての切り札だった防魔結界も飛沫の如く霧散し、あたりは破壊という名の沈黙に包まれたというのが現実なのだ。

「生きているか、オイゲン」

「先生こそ……」

 オイゲンはシュネルドルファーの下敷きとなっていたが、それによって瓦礫の被害を軽減できており、幸いなことに全身打撲程度で済んでいた。一方のシュネルドルファーはというと、

「せっかくの世界遺産級の遺跡が……」

 頭から血をだらだら流しながらも考古学者としての価値観のほうが重要なようである。

「先生、怪我が……」

「死んでいないのならかすり傷だ。それより状況は……」

「かなりまずいな」

 と返したのは瓦礫。

 いや、二人の目の前の瓦礫に挟まっているレッコウ王だった。

「随分と頑丈な骨をおもちで」

 自分たちは満身創痍なのに骨しかないレッコウ王が骨折の一本もなさそうなのが理不尽に思えて皮肉るシュネルドルファーであった。レッコウ王は気づかなかったようだが。

「丈夫なのが吾輩の取り柄である。それよりもこのままでは負けることはないが勝つことも叶わぬ。おぬしら、魔術師と見受けたがあれに対抗できる策はあるか?」

「もしあれに対抗できる魔術師がいたら、それはもはや人間とは呼ばんだろうな」

「ヌゥ、厳しいか……まったくあやつめ、昔から吾輩の邪魔ばかりしおって……!」

 遠くで瓦礫の崩れる音がした。どうやらキルケが這い出てきたらしい。続いてレッコウ王を求める呪詛めいた声も届き、魔法による破壊音がそれに続いた。

「仕方ない、彼奴の頭蓋骨をかち割るまでこの烈鋼で切り結んでくれる」

 瓦礫を押しのけようとしたレッコウ王だったが、

「いや、待て」

 シュネルドルファーがとめた。

「策ありか?」

「通用するかはわからんが……数分の間、時間を稼いでくれ。そして合図を出したらやつをここへおびき出してくれるか」

「フム、その程度のこと、お安い御用だ」

「できるだけ派手に頼む。気取られては終わりだからな」

「承知した」

 頷きながら瓦礫を蹴り飛ばし、レッコウ王は英雄画さながらに剣を天に突き上げ、高らかに叫ぶ。

「外道の魔女キルケよ! 長らくのわれらが因縁に今日こそ決着をつけてくれよう!この鋼の黄龍・烈黄がうぬの邪心を斬り裂いてくれるッ!」

「おおお、レッコウ王……! わが愛しの大王……!」

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