本編

第1話 列海の龍王と恋い焦がれた魔女

第1話 Ⅰ

 我思ふ、故に我在り――

 などと哲学的命題に思いを馳せている場合ではなかった。いまだ子供の域を脱し得ていない一七になったばかりの少年には少々酷なことかもしれないが、あまり呆けている余裕はなさそうな現実が眼前に広がっているのである。

 どうにか理性の手綱を引き寄せられたのは、隣にいる師の存在によるところが大きい。尊敬するこの人物はこの状況をいったいどんな顔で捉えているのだろうと期待に近い好奇心が働いたのだ。

 ちら、とその横顔を仰ぎ見ると、凛々しい表情で堂々と現実を迎え入れて……などいなかった。

 好奇心百パーセントというべき満面の笑みでアクアブルーの双眸を真夏の太陽に照らされた水飛沫のように輝かせていたのだ。

(ですよねー!)

 少しでもこの師に現状打開の期待を抱いた自分が馬鹿だったと、少年は引き寄せたはずの理性を握る手を緩めかけてしまった。

 この師、自称『知的好奇心という名のロマンを追い求める戦う考古学者にして現代における実践主義の第一人者たる学芸魔術師』イザーク・オイゲン・シュネルドルファー博士は、自称のとおり知的好奇心には勝てないようにできている男なのだ。ゆえに今の命の危険がある……と思われる夢ではなかろうかという現状に対しても、感動する以外のリアクションなど取れようはずもなかった。

「素晴らしい……いったいどんな原理でこのような……!」

 シュネルドルファーにとっては感極まる奇跡の光景なのかもしれないが、彼の弟子、オイゲン・クラウス・リヒトホーフェン少年にとっては一目散に逃げ出したい状況である。

 今彼らがいる場所は、世界最大の大陸ドルグラッドの東の果て、ジブラスタ王国にある大陸の外縁に沿って続くリュウオウ山脈のひときわ眺めのいい場所に建てられた古代の建造物。オイゲン少年がシュネルドルファー博士から賜ったご高説によると、この地域はかつて、今は東で諸島国家となっている海陽という国が支配していた地域で、およそ千年前に初めて海陽を統一国家としてまとめ上げた列海の龍王やら鋼の黄龍やらと呼ばれた大王の墓所なのだとか。

 そう、墓所なのである。

 考古学者が墓所を訪れる理由といえば当然ながら調査しかないが、そこで一目散に逃げ出したくなる状況といえば、いわずもがな。

 見事に引き当ててしまったのだ、起こしてはならないものを。

 そもそもこの部屋に入ったときからオイゲンは嫌な予感がしていたのだ。なにも第六感が働いたわけではなく、明らかに墓の主の寝所と思しき広くて豪華絢爛な部屋の中央に横たわる棺に、もたれかかるようにしてひとつの白骨死体が添えられていたからである。

 いくら年若い少年でも考古学者に弟子入りしているのだからそれがどれだけ異常な光景かは考えずとも理解できる。

 お供ならば同じように棺に入れられ主の周囲に葬られていることだろう。

 墓荒らしにしては服装がそれらしくないしここに至るまでそれらしき痕跡を見た覚えもない。

 ここまで単独でやってきてなぜかこの場で息絶えた同業者?

 ますますありえない。

 この部屋に辿り着くまでにはいくつもの物理的・魔術的トラップがあり、それらをシュネルドルファーの膨大な知識と卓越した技術とそれらによって裏打ちされた経験によって三週間もかけて踏破してきたのだ。

 そのシュネルドルファーが三日かけて入口を破ったとき、いったのだ。

「この穴、間違いなく処女だな」

 ……表現はいささか修正の余地ありだが、この道では既に世界的評価を得ているシュネルドルファーが未踏の遺跡だと判断したのだ。建造物や周囲の状態、魔法結界に含まれる魔力の年季、その他もろもろの情報から彼はそう判断し、奥に進むにつれあまりの状態のよさからオイゲンもそう確信した。

 そんなところに、王の寝所に、正体不明の白骨死体がひとつ。

 あまりに不気味といわざるを得なかった。

 だからオイゲンは進言したのだ、真っ先にその死体を調べようと近づく師に。

「なにかおかしいですよ!」

 聞き入れてもらえるはずがなかった。いや、聞こえてすらいなかったのかもしれない。

 ただ、謎の死体自体にはなんの問題もなく、期待外れだったことに腹を立てたシュネルドルファーが次にとった行動こそが現状を生み出したのである。

「謎の死体なら謎の死体らしくアンデッドになって襲いかかったりできんのか、無能者め! ここは古代の墓所だぞ!」

 単なる考古学者の口からは決して聞こえてこないであろう暴言も、魔術師であり冒険者でもある彼の口からならいくらでも出ようというものだった。実際にアンデッド程度なら今までいくらでも向こうに送り返してきた男である。

 そして、その声に応える者があったのだ。


 ――Ya Ka Ma Shii Wa!


 続いて王の棺が闇色の光をまとったかと思うと、次の瞬間蓋が弾け飛んで、現在にいたる。

 ただのアンデッドならシュネルドルファーが感動するはずはない。彼が感動しているのはそれがまごうことなき骨でありながら人語を喋ったことと、その骨が放つ闇色オーラの強烈さゆえであった。

 後者に関してはまだ見習いのオイゲンですらはっきり感じ取ることができるほどの高濃度かつ凶悪な負の迫力があり、実物を見たことはないがシュネルドルファーから聞いた外法の類の産物であることは疑いようがなかった。

 この骨が外法によって生み出されたものであるならば、かかっている術は呪術か妖術か、あるいは秘術か……喋るということは霊体憑依などの霊術も充分ありうる。いずれにしてもオイゲンの手に負える代物ではない。いや、たいていの魔術師では一人二人でどうにかできるような相手ではないはずなのだ。

「☆◎#×$▲%◇&※¥!」

 棺の中で仁王立ちする骨が誰を見るわけでもなく謎の言語で怒鳴りつけた。見たところで眼球がないので視認できるかどうかは疑問だが。

「なんだこいつ、寝ぼけているのか?」

 いいつつ楽しそうな困った博士である。その声で骨はようやくシュネルドルファーを認識したらしく、

「Mu! Na#◆%!」

 と腰に手を当てた。威嚇のポーズらしいが、そんなことより言葉がわからないのでどう反応したらよいか、さすがのシュネルドルファーも困って頭をかくしかない。

 しかし、

「Hou……異国人か」

 なんと、骨が言葉を変えてきたではないか。古い大陸共用語である。これはつまり彼(?)には確かな知性があることの証明であり、シュネルドルファーの瞳はますます輝きを増すばかりである。

「おれはイザーク・オイゲン・シュネルドルファーという。冒険を嗜む考古学者だ」

「ほゥ、わが寝所に忍び込んだ賊にしては礼儀を心得ておるな。しばし待て、剣が見当たらぬ。ああ、寝ておったのだから当然か。剣はどこだ? ム? 剣はないのになぜか甲冑はまとっておるぞ。これいかに」

 確かに、骨は甲冑姿である。室内の状態ゆえかかけられている魔法ゆえか、どこにも傷みはなく鋼鉄製らしいことがはっきりと窺える、ところどころを黄色に染め翡翠が埋め込まれたいかにも古代的なデザインであった。

 それはそうと、オイゲンはいまいち状況が理解できないでいる。てっきり問答無用で襲いかかってくるものだと思っていたら、なにやら寝ぼけているようなひょうきんな反応。それに強烈な負のオーラもいつの間にか薄れてきているのだ。

「あれか?」

 シュネルドルファーは骨が飛び起きた衝撃で弾け飛んだ棺の蓋のそばを指差した。

「おお、おお、あれだ、あれだ! あれこそわが相棒、天地も鬼神も大海原をも斬り裂くと評判の烈鋼ぞ!」

 肉がないため不明瞭ではあるが声から察するに子供のような満面の笑みを浮かべながらガシャガシャ音を立てて剣に走り寄る骨。その姿にそこはかとない愛嬌を感じたのは、どうやらオイゲンだけではなかったらしい。

「オイゲンよ、ああいうペットも悪くないな」

「いや大問題でしょう……ていうか剣を取らせたらまずいんじゃ……」

「よし、待たせたな、なんちゃらいう異国の賊よ」

 準備完了とばかりに骨が構える。負のオーラがなくとも甲冑姿の骸骨が子供の身の丈ほどもある大剣を真っ直ぐ構える様はそれなりに迫力があった。

「ふむ……古代の王と一戦交えてみるのも一興か」

「正気ですか!?」

「おれが正気を失ったのは初めて酒を飲んだ一五の一夜だけだ。あの失敗以来、絶対に酔いが回らぬよう心がけている」

「いってる場合ですか!」

「どうした、こぬのか。いずこの手の者か知らぬがわが首を取れば海陽は汝が物ぞ」

「王よ、その前にひとつ尋ねたいことがあるのだが」

「なんだ?」

「おまえの名は……」

 いいかけたシュネルドルファーが突如消えた――ようにオイゲンには感じられた。師が自分を抱えて咄嗟に後方へ跳んだのだということを体の痛みとともに理解したのは数秒も経ってからである。そのときには骨も同じように警戒心を剥き出しに本気で構えていることも、二人がなにに対して警戒しているのかも、把握していた。

 なんでもなかったはずのもうひとつの白骨死体が、信じられぬほどの妖気を発していたのだ。

 魔力ではない。こんなものを魔力とは呼ばない。そう、オイゲンは思った。

 あまりに禍々しいそれは、王の骨がまとっていたものより遥かに強力な、強烈な、そして凶悪――いや、醜悪ななにかであった。

 やがてどす黒い妖気が形を取り始め、白骨死体を覆ってゆく。

「&★¥……」

 王が何事か呟いたが、海陽語に戻っていたため二人の魔術師には不明である。ただ、なにが起こっているかは視覚的に明瞭だった。妖気がぼんやりと人の姿を成しているのだ。

「おのれか、キルケ!」

 王の声は怒号というより悲鳴に近かった。

「おおおお……おおお……」

 不気味に唸りながらそれは、確かに王を捉えた。

「おお、レッコウ……わが愛しのレッコウ王……」

「馴染みの客かね、レッコウ王とやら」

 シュネルドルファーの頬から冷や汗が滴り落ちる。オイゲンから見れば雲の上の人であるかのように実力差のある間柄であるのに、そんなシュネルドルファーから見てもあのキルケという骨の化け物は規格外らしい。師が本気で焦っている顔を初めて見たオイゲンであった。

「吾輩が魔術師嫌いになった元凶だ」

「そいつは悲しい。ソレを魔術師だと思ってもらってはすべての魔術師が困る」

「承知しておる。あれは、妖魔の類ぞ」

「おお、レッコウ……死してなお勇ましき列海の龍王よ……」

 キルケの闇色の瞳が光る。

「死してなおわがものであれ!」

 二つの烈風が衝突した――

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