第7話

 西空の太陽が側面を黄色に照りつける高層ビル群。


 ビルの谷間を通る幅広い車道がある。一両の四輪駆動車が他の車の流れにあわせて緩やかに走っていた。それでも目立ちがちである。


 野戦用の車体は深緑色に塗装され、車体の側面に白い星形のマークをつけている。


 ハンドルをにぎる色白の男性は、略帽を被り、とくに大きくもない体の、上半身だけをときどき神経質そうに動かす。どこか芝居をしている雰囲気がある。そういったしぐさであるから糊のきいた緑色の軍服がよじれて細かい皺を生む。


「なにをキョロキョロしているのだ?」


 後部座席には一人の女性が座っていた。紺色の髪にベレー帽を被せる彼女は、士官の制服をシワもなく着こなしている。左胸に一本の細長い勲章。運転手よりも年下にみえる、その褐色の肌で彩られた顔がいぶかしくなり、つややかな声で尋ねたのである。白人の兵士は、バックミラーを通して、後ろで口をとがらせる女性士官をちらっと見た。いじわるそうに白い歯を見せる。


「いやそれが……どうも、紛争地帯の町ならどこでもありますから。どこかから狙撃されはしないかと……やっと陽はでてきましたが、もうじき暮れますし……建物の影から狙撃なんてことがあったりして」


「それは期待しているのか?」


「大尉殿のご活躍を拝見できればと思いまして……」


「ここは各地方が分裂して内戦となった中国大陸ではないのだぞ」


「ああ失礼。古今東西、独裁政治が崩壊した後に起きるよくあるパターンですからね。この島国もそのうちにと妄想したんです。……第二次大戦の前、三十年代からでしたか? その時代の中国は、各地の軍事指導者が割拠して有力な商人にたかっていたとはいうものの、特に上海では、貧しい暮らしに耐えていた人々がいる一方で、医者に商店経営者などの中間層、ホワイトカラーも人口が増えていたとか。学生の姿も街路でよく見られて、都市の消費文化が発展していたそうです」


「中国の歴史か……袁世凱が死んだ後からだな。北京でも様々な知識人が意見を明らかにできた。儒教などの伝統を再び広めようとした識者。それに反して西欧思想の影響を受けた大学教員に文筆家」


「自由な空気がいくらかあったということでしょうか? 映画産業も生まれて、ファッションは、その時代に流行ったんですよね? ワンピースのチャイナドレス。それなのに、日本が侵略しなければ、もっと商業と文化が伸長して、色んなところで味わいのある国になったかもしれないのに……」


「宗代にまで遡れば、宮崎市定が、“東洋のルネサンス”と呼んでいたが……日本からも“ちょう然”をはじめとする数百人規模の仏僧が民間貿易船に乗って留学していた」


「ええ、貿易船といえば……泉州は貿易で潤い、マルコ・ポーロ、イブン・バトゥータも世界有数の港だと驚いたということです。ふうむ、大尉殿もよくご存じで……」


「この国はどうなるかな? 王国維よりも梁啓超のような歴史観を持つことが人気を得ているようだが」


「変化球ですか? ナショナリズムが目覚めたころの清代末期を例に、日本が時代を逆行していると?」


「康有為の弟子、梁啓超。日本で本を読み漁ったのはいいとして、ダーウィンが認めたこともない社会ダーウィニズムにかぶれてしまったのがいけない。列強が侵略していたころとはいえ。いやだからこそ、歴史の見方がネジ曲がったのだろうな。のちに第一次世界大戦で荒廃したヨーロッパを視察して考えが変わり、科学万能思想とナショナリズムに対して懐疑的になったが……」


「……どうでしょうか、自分は大尉殿のように聡明ではありませんので、先は読めません」


「ハンドルは任せてあるのだ。渋滞に巻き込まれたくはない。道は読んでくれよ」 


 会話のしめくくり、褐色の肌が映える端整な女性士官の顔は、蒼い瞳で車の前方を眺めたまま、こともなげに忠告を返した。


 しばらく無言が続く。


 だが運転手は、数分と持たない。かゆくもないのに片手で首をかいた。この空気にはなじまないらしい。先に口をひらいた。


「……大尉殿……」


「うん?」


「この国は昔、まあまあ居心地はよかったんですけれどね」


「住んでいたことがあるのか?」


「いや、自分は観光旅行だけでした。従兄弟がいわゆる留学みたいなことを。というのもそれは偽装でしてね。“日本の神社やお寺は素晴らしいです。伝統文化を学びたくて”、と偉そうなこと言って本当はアニメが大好きでね。メールとか動画とか音楽を天国にいるような顔で頼んでもいないのに、こっちは中毒になりそうだった……。今はどうしてこうなったのかな? いつクーデターが起きてもおかしくないし。しかも日本の政権は蚊帳の外、四ヶ国の間で分割統治するための密かな政略が練られていたり……地方の退職官僚と名望家を含めた権力闘争。それに疲れて切羽詰まった一部の閣僚は“日本を、復活したEUの飛び地にしろ”だとか。断末魔のあがきというか、落ち方はなんでもありですな」


「うむ、政治家の頭の中はどうすることもできない。我々の役割は決まっているからな」


「すみません。世間話のつもりが、難しくしちまいました。何か面白いことはないですかね?」 


「わが軍は無人機や獣型ロボットのほかに、人型ロボットの部隊編成を計画通りにすすめているのは知っているな?」


「ええ、それはもちろん。この国では特にアニメを見てプラモデルを作って、軍事関係の本を読み漁るマニアなんかがよく知っていて、ネットでもはしゃいでます。大尉殿も見てますよね? 基地のイベントでもカメラを手にうじゃうじゃ。それに世間知らずの科学者がヘラヘラと。我々にとっては、仕事を無事すませて家族が待っている故郷へ帰ることを頭に入れなければなりませんからね。放射性物質で汚染された島国への配備となると、生身の兵士であれば士気が衰えますから」


「軍曹はどうなのだ?」


「そう来ましたか。自分ですか? ……やっぱり故郷でのんびり暮らしたいですね。地中海の見えるおだやかな空気のところで、魚介類の料理を食べながらワインを飲むとか」


「地中海か? 出身地はニュージャージーだったな?」


「ええ……」


「北東部といえばエリートの多いところだ。合衆国南部だと“バイブル・ベルト”ととも呼ばれるキリスト教原理主義者の教育で、頭がバカになって人生を棒にふるからな」


「その教育ですが、科学者といえば、一通りの教養を身に付けるとリベラルな方向の知見を持つはずなのに。日本はどうも違うみたいですね。なぜかな?」


「世界の様子が奥深くまでどうなっているか知りたいのではなく、自分の主観内面を大事にするばかりのマニアが多いのも一因だろう。見分ける一つの方法は歴史修正主義者との付き合いがあるのか、騙されているかどうかだろう。それが日本の科学者を見るときのリトマス試験紙となる。ところで、話は戻るが、ロボット部隊の編成の件。私は気がのらないのだ」 


「そりゃまた、なぜです?」


「ウイルス戦争でほとんどガラクタになってしまうだろう」


「そのときはどうなるんです?」


「電子部品のない武器で戦う。原始時代へと逆戻り、は極端かな。軍曹、すまない。あの角を曲がってくれ」


「おや、少し遠回りですか?」


「うむ」


 四輪駆動車は、片側一車線の車道へ入る。細くゆるやかな曲がりがのびる。運転手は速度を落とした。


「あれ、少し車がありますね。流れてはいますが」


「夕方だからな」


「また何でここへ?」


「このあたりにはまだ少し緑があるのだ。もうじき大きな公園を通る」


 汚れた外壁にヒビが目立つ、補修の行き届いていないアパート。放棄され、人の出入りがうかがえない朽ちた木造家屋。ほとんど骨組みだけで、元は何の建物だったのかすら分からない雑草に囲われた姿など、あちらこちらに廃墟の景観をさらしている。建物の影で、あたりを警戒しながら走る野良猫や、切り妻屋根の上を低く飛ぶカラスの群れがときおり視野に入った。誰も訪れない古寺の墓地も車の窓から見える。死者の語らぬ、陰鬱な墓石が並ぶ景色は、唯一この一帯にふさわしく溶け合って見えた。それらの隙間に樹木が立っている。


「古い建物が並んで、なんかせせこましくて、ああ、生まれ住んでいたところに似ているとかですか?」


「……あそこは、もっと汚なかった……」


「……ほう……」


 ほんの一瞬だが、寂しそうな目をしてみせた女性士官の反応に、軍曹はそれ以上、無遠慮に口をきく気配をみせなかった。


 しばらく、角から飛び出しがないか注意しながらも車を走らせる。速度は控え目に努めた。遠くに緑のしげる一画が見えてくる。


「ああ、あそこですね。ホームレスが集まって配給を受けているところですね。以前は植物をよく管理して、人の出入りも厳しいところだったけど、今は荒れ放題。無法地帯みたいになっていまして、そこで民間団体やらがこっそりと……」


 やがて様々な樹木が葉や枝を思いのままにのばす公園の一つの出入口が見えた。朽ちかけたバリケードだけで人影はない。


「軍曹、ちょっと止めてくれ」


「なんですか?」


 ブレーキを踏んですぐに停車すると後部のドアが開いた。通常勤務用の軍服をそつなく着ている彼女は、黒のブーツを地面につける。


「大尉殿、中へ入るんですか? まってくださいよ」


 ふくらみのある胸の左側に一本ばかりの略勲章を付けている彼女は、座席に置いてある中身の入ったうす茶色の紙袋をつかむ。


「駐車禁止の切符は切られたくないだろう? ここで待っていろ」


「へへ、外交特権がありますので」


「そうかい。無理はしなくていいよ」


「あ、本当に行くんですか? 大尉殿!?」


 軍用車から離れていく女士官へ、部下はもう一度声をかけようとした。だが、そこへ後方から日本製の黒塗り高級車が、米軍車の後尾へ近づき止まった。


「ああ、もう。このタイミングで。……これだからラテン系は……上品な容姿をしているのに……」


 軍曹は眉をゆがめて、急いでハンドルを切り、後方の黒塗りがなんなく通ってもらうため路肩へ車を寄せた。


 すでに公園の中へとはいった女士官は、遊歩道をみつけてその奥へとすすむ。周りは樹木が入り組んでいる。迷い込みをさそう三差路もあり、方向によっては葉が夕影まじりに密度濃くしげるところもある。それが動物とは異なる怖ろしい風情をなしていた。


「魔界入り難しか……」


 しだいに耳を澄まさずとも、複数のさわぐ男の声が聞こえはじめた。やがて道の先に平坦な広場が現れた。


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