第6話

 彼は、胸の奥で描き出しながらも、とどめておこうかともしていた思慮を、打ち明けてみた。


「なあ、君はこの東京で、そこまで見通しているんだから………」


「兵器開発に手を貸すなって言いたいんだろ? 正義とか悪とか、どうでもいい、……お金だよ。お金。人間は嘘をつくが、金は嘘をつかない、って誰かが言っていたなぁ……」


 返事をと切らせた友人は、ジャンパーのポケットに手を入れて立ち止まってみせた。歩く先の地面を見つめる。そして厭わしい顔で口を動かしはじめた。


「そうか……君はそう感じたのか。もしかしたらそうだろうな……」


 前から通りすぎる通行人を一瞥した友人は、話をつけたす。


「動機のよくわからない殺人事件がときどき起きるだろう? 小学校を襲ったとか、繁華街で通行人を次々と刃物で刺したとか。大きな集団感情が、外国人を標的に殺意を溜め込んでいる。それを汲み取り、吸収してしまい、代弁者として殺人事件を起こす。ただし対象は外国人ではない。犯人はいつも言うだろう? “誰でもよかった”と。そうすると、日本という大きな集団の深層心理も、殺意の方向は外国人ではなく本当は、“誰でもいい”のかもしれないな。……そういえばチャップリンの『殺人狂時代』という大昔の映画があった。主人公が最後に残す台詞は、そのことも含めて暗示していたのかもしれない……」


 別の街路に入ってしばらく。ここは、商店が並んでいる。といってもシャッターで閉めきられている店舗が目につく。いわゆるシャッター街らしい。しかし、その光景は彼の脳裏でひっかかっていた。過去に見た景観と違う。ある一店は、シャッターの表面に「外国人の店」とペンキで大きく書かれている。シャッターは開いているがガラス窓を割られている別の店舗。割られていなくとも、窓に「外国人」とか「反日」とやはりペンキの文字。「血の共同体を脅かす敵」、「交じると血が濁る」とも。みよがしに、日の丸を掲げている店舗もある。 


 錆びついたシャッターを下ろしてある一軒の店舗。その前の歩道で、三人の女の子が、地面に腰をおろしていた。手も地面について、エプロンに長いスカート。後ろにまとめた髪。そのまま伸び放題の髪。それで女の子とわかる。けれども、全身の服装は小さな穴もあってほころんだ生地がまとめている。大人の井戸端会議ふうで、身を輪に囲み話し合っていた。一人が前を横切る彼の方を振り返った。子どもの幼い目は、大人の良心のありかを品定めしてやろうとしているかのじっとした眼差しだ。


 彼は目をそらしてしまった。友人が耳元にささやいた。


「あれはね、ホームレスの子供だよ。見つめるなよ。物ごいされるから」


 そのまま、歩いてまた子供が二人。今度も身を寄せあっていたが、会話はない。同じ姿勢でしゃがみ、遠くを見ている。


 手足が細った小さな体躯。着のみ着のままというたたずまい。ひととおりの服は着ているものの、最後に洗濯したのはいつだったのかわからないくらい、ところどころ汚れている。


 少女たちは、行き交う通行人を眺めていた。


 荒れすさんだ都会の片隅で、季節はずれに咲く小さな野の花が二輪、狂態を演じる風雪の臭いがただよう中で、耐えしのんで咲いている様子を想像させた。


 彼はまたそのまま無視して通りすぎるつもりだった。しかし、気になった。どうしても気になる点が脳裏をかすめる。理由は彼自信にも明確に定められない。ついに立ち止まってしまう。


「おい、どうしたんだよ?」


「それが、その……心配なんだよ。というか……」


「まさか、ここで科学者の直感かい?」


「………うむ………」


 友人が、からかい半分に問うてきたが、彼の顔色はやはり答えに戸惑っている。少し離れたところで立ち止まり成り行きを熟視した。


 小学生の姉妹だろうかと彼は詮索したが、目鼻立ちは異なる。年上のように見える少女はパーカーに半ズボン。被り物はない。もう一人は、飾り気のない長目のワンピースだ。熊だか猫かのぬいぐるみを抱いている。


 ワンピースの子は、人慣れしない幼い目であたりを眺めていた。ボンヤリして力のない目。一方、半ズボンの少女は何かを観察でもしているふうで、澄んでいる大きな瞳を定めるように輝かせていた。


 そのとき子供たちの前を、高価そうな背広を着こなした初老の紳士が歩いてきた。すると半ズボンの彼女は立ち上がり、背広の男性がすすむ前に飛び出た。小さな肩をこわばらせる。


「あ、あのう……」


 自分よりもはるかに背の高い大人へ上目でうかがう。


 紳士は、片方の足で踏み付けるように彼女を突き飛ばした。


 そのまま女の子は後ろへ倒れてしまう。悲鳴は出さない。しゃがんで見ていたもう一人が表情をひきつらせ、横たわる彼女へ駆け寄った。折り曲げた膝を地面につける。


「サヤちゃん!」


「……う、うう……」


 突き飛ばした紳士は二人へ冷笑する。


「ふん! ノラネコめ」


 一言吐き捨てた紳士は、なにもなかったように歩き去る。これには見ていた彼も、たまらなく目を釣り上げてしまった。


「あいつ!」


 彼は、拳を握りしめ紳士を捕まえようと走りだしかけた。だがすぐに友人が片腕を掴んでくる。


「やめとけよ! よくあることなんだから」


 周辺を見渡すと通行人たちはやはり見て見ぬふりである。もう今まで何度も経験しているかのような熟練した無視のふるまい。二人の女の子をわざわざ上手に避けて歩く大人もいる。


 そういった通行人の中で、身なりの良い女性が小さな男の子の手を握り、通りの向こうから歩いてきた。母親らしい。もう片方の手には商品の詰まった白いビニール袋を下げていた。買い物帰りだろうか。手をひっぱられる男の子が、路上の孤立して固まる女の子二人へ不思議に思う視線を向ける。


「ママ、あれ……」


 男の子は人差し指をのばした。


 寄り添うワンピースの子は、蹴飛ばされて倒された女の子をなんとか助けたく涙を流しているところだ。


 母親は男の子へ目の端を吊り上げて睨む。握っている手は散歩に連れてきた犬を無理矢理リード線でひっぱるしぐさである。


「見ちゃだめ!」


「でも、あの女の子は、女の子だけど……」


「いいから、黙ってママに付いてきなさい!」


「う、うん……」


 そのまま母子も通り過ぎて行くだけである。


 横たわる半ズボンの女の子は、背中をアスファルトの地面に着けたままの仰向けである。眉の間にしわを寄せながら目を閉じている。痛いのをこらえている。ワンピースの子は彼女をゆさぶり続けた。


「サヤちゃん! サヤちゃん!」


「ん、んんっ?……」


 ようやくまぶたを開いた。周辺をうかがってから、心配しているワンピースの子を見つめ返す。ベッドから起き上がるような振る舞いでゆっくり立ち上がった。唇をむすぶ。意思の強そうな瞳。


 ワンピースの少女はまだ目に涙をあふれさせていた。


 その彼女の頭を、立ち上がった半ズボンの子はなんでもなかったような顔で、柔らかくなではじめた。


「ごめん、恐かった?」


「……うん……この子と二人きりになると思った……」


「ごめん、ごめん。お腹がすいているだろ? 三人で公園に行ってみようか? アカリちゃん」


「……うん……」


 なぐさめをかけた半ズボンの彼女は、ポケットから桜色のハンカチを取り出した。たよりなく返事をして立ちすくむ幼い顔の目尻からこぼれた涙を、丁寧に拭きとってあげる。


 ワンピースの子は、涙でしめった唇を噛み締めた。ぬいぐるみを強く抱き締める。とはいえ、まだ頭をなで続けられていたから、険しい顔色は、はにかんだ笑みに変わった。


 女の子二人は手をつなぐと冷たい視線の交差する、といっても彼女たちに注目している訳ではない、その街路の遠くへと歩いていく。


 またどこからか風がよどむように流れてきた。アスファルトの匂いが混じっている。友人が隣にいることも忘れて静かに少女たちを見送る彼の頬を冷やす。ふいに背中を指がつついてきた。


「おい、いくぞ」


 一声がかかり、ひっぱられるようにして昔なじみの後を付いていく。友人によると初めは非正規雇用からはじかれた者が、次に老人や障害者、気づいたときには子供が路上生活するようになっていたという。そして友人はジャンパーの襟をなおしながらつけたした。


「そう遠くないときに、路上で餓死したり病死した死体が日常風景としてあっちこっち転がることにでもなるだろう。他のゴミと一緒に。まあ、悪いものを見たばかりでなんだが、とりあえず俺の研究室へ来いよ」


 大学へ向かう彼の重たい足取りが途中で止まった。建物の壁に貼られている大きなポスターを目にとらえる。政府の宣伝省公認が明記されている。この国の首相が、芝居っけたっぷりに遠くを叙情的に眺めている一枚。軍服の男性が観る者へ扇情的に人差し指をつきさしてくる一枚。もしかしたら自分は特別なヒーローに変身できるのではないかと錯覚させる。そしてもう一枚は、読みやすい字体で歌を連ねてあった。



神々すまふ祖国を守ろう。

常に民族の団結があるならば、

占守島から台南まで、

アムール川からカロリン諸島まで。

日本、日本、日本が一番。

東亜のすべての民族に君臨する大日本。


 

 空は少し晴れてきた。西陽がいくつものカーテンとなりその一筋が彼の背中を照りつける。地面に現れた輪郭のはっきりしない自分の影を見つめていると、その人型の闇の奥へと誘い込まれ、底なしに落ちてしまいそうな目眩をおぼえた。たまらず彼はつぶやく。


「……危険なのは日本人だ……」


 地面に向かって声を落とした彼は踵を返した。


「ちょっと、どうした? どこへ行く?」


「大学の研究室へは行かない。用事を思い出した。後で連絡するよ」


 呼び止める昔なじみへ愛想のない別れの言葉を告げると、彼は遠くの街並みへ姿を消した。


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