四本目 『試合開始!』
一週間ほど前、津稲と新崎先輩がちょっとした口論の末に結んだある約束事が青里高校剣道部に衝撃をもたらした。
それは、津稲一人対青里高校剣道部五人の試合であった。試合の目的は、『勝った方が今後の部活の活動目標をどうするか決められる』というもの。
一対五という見るからに津稲が劣勢であるこの試合方法を、当の本人、津稲は快諾した。
中学時代毎年全国大会の決勝まで上り詰めていた超エリートである津稲なりの自信なのか、それとも自分の言い分を通すために無理にでも五人相手に勝たなければいけないと思っているのか、津稲がどのような真意なのか自分には想像できない。
一週間の練習を経て、今日、試合が訪れる。
「今日は俺らと津稲との試合だ。高体連のときと同じようなもんだと思えよ? これ、かなり重要だからな」
新崎先輩が部室で他の部員たちに呼びかけた。既に部室には津稲以外の全員が集まっており、部室のソファーに新崎先輩が腰掛け、大きなテーブルを取り囲むように置かれたパイプ椅子に右側から三年生、左側に二年生が座り、そして今年新しく入部した自分が、ソファーとテーブル越しで相対するようにしてパイプ椅子に座っていた。
今のところ、今年の剣道部入部者は自分と津稲の二人だけらしい。この一週間、部活を見学に来た人は十五人ほどいたが、先輩方は稽古に集中しすぎて見学者のことには気付いていなかった。昨日、そのことを話すと皆、唖然とした表情で「しまった……」「やっちまった」とか嘆いていた。
ともあれ、今日は部内試合日である。先ほどから皆竹刀の手入れを入念にしているみたいだ。
試合をするのは先ほども言った通り津稲一人対、青里高校剣道部の五人だ。
この剣道部は津稲と自分を除くと七人で、うち二人は女子マネージャーである。つまり、この試合は本当の意味で青里高校剣道部そのものと津稲一人の試合となる。
あまりにも部室が静かでなんとも気まずい空気だったので、何か話そうと思った。
「あの」
「ん?」
「津稲には、勝てると思いますか」
先輩方は少しうーんと考え、
「さあな」
「やるだけやってみるが」
と続けて答えた。
「やっぱり三年連続で全国行っているとなればかなりの実力者ってことですよね」
「かなりのってレベルじゃねえな……」
「次元が違う」
次元が違う、そこまで津稲は恐ろしいのか。無理もないとは思う。この剣道部の噂は悪い話は聞かないが良い話しも聞かない。普通の話ばかり流れてくる。
一昨年までは個人戦も地区大会止まり、去年は一人が地方大会の上のほうまで行ったらしいがインターハイのことは聞かなかったのでつまりはそういうことだろう。団体戦は個人よりも悲惨らしく、地区大会の予選リーグ敗退はいつものことなんだとか。
一見悪そうな話だが実際そうでもない。同じ学校の部活動の大会成績など、風のように噂はしょっちゅう耳に入ってくる。そういえば、去年個人戦で地区大会の上のほうまで行った人、というのは誰だろう。去年の先輩か、新崎先輩あたりだろうか。
その結果であるのに、中学時代毎年頂点を決める戦いに臨んてきた津稲 剣という男を相手にするというのは、それだけでも恐ろしいものだと思う。
試合前からその人の活躍ぶりを知っている。だからこそ、試合をする前から萎縮したりしてしまう。こんな相手に勝てるわけがないと、先輩方は心のどこかで思っているはずだ。たぶんそれは、新崎先輩も。
注目されたり強い選手というのは名が知れる。中学一年の時点で全国決勝まで上った時点でかなりマークされたはずだし、対策もされてきたはずだ。全国の決勝まで一体何試合くらいするのか、想像もつかない。多くの選手が津稲に対して対策を練り、結果敗れてきた。
ただ、全国決勝では三年連続で津稲は同じ相手と戦っている。名前はわからないがその人も津稲と同じく『次元が違う』レベルの剣士なんだろう。
そんなふうに考えているうちに部室に津稲が来た。
「試合、三十分後からですよね」
津稲はこの一週間、剣道場には姿を現さず、どこか別の場所で稽古していたみたいだった。練習場所を違う場所にしようと提案したのは新崎先輩で、津稲もその案を呑んだ。本当の試合と同じようにするために、相手の稽古風景を見ないようにしていたんだろう。
なので、津稲の姿をこうしてはっきりと見るのは一週間ぶりか。
クラスは違えど同じ学年、同じ階にいるのでたまに見かけたりはした。が、会話はしていない。
「うん、最後にちょっとアップするか」
新崎先輩がそういうと津稲も先輩方も一斉に準備を始めた。十分ほどで準備が終わり、ここで初めて津稲の稽古を見ることができた。
素振りというのは竹刀を上げた時に右足を前に出し、竹刀を前に出すのと同時に左足を引き付ける。次に竹刀を上げるのと同時に左足を下げ、竹刀を前に出すときに右足を後ろに下げ……というのを繰り返すやつだ。
そしてそれのもう一段階上、早素振りというのがある。素振りの順序を更に速くするのだ。見た目がまるでぴょんぴょんと前後に飛ぶように素振りをするため、別名、跳躍素振りとも呼ばれる。
部員たちは今、皆一斉にその早素振りというのをやっているのだが津稲だけスピードが違う。群を抜いて早く、そして剣線が一切ぶれていない。体の軸がまっすぐに動いてその姿に見惚れていた。
他の先輩たちも然り、唖然、である。
形も違う、気迫も違う、動きも違う、何もかも違って見えた。
これが全国レベル……。
それから少しだけちょっとした稽古をした後に、試合となった。
先輩方は試合の前から皆意気消沈していた。
「なんだあれは」
「恐ろしい」
「化物だ」
剣道を一週間じっと見ていた自分にとって、確かに津稲は先輩たちとは違って見えたがそれだけではどうおかしく、どう恐ろしく、どんなところが化物なのか皆目見当がつかない。
ただ、先輩たちの姿を見るに、津稲の次元が違う、という意味は理解できた。
「ここまで来たんなら、仕方ない。腹をくくれ、全力でぶつかっていくまでだ」
悪い雰囲気の仲、新崎先輩が声をあげた。
「最初にこの提案を出したのは俺だ。みんなの意見聞かないで、勝手に進めて悪かった」
と、新崎先輩は謝った。
「新崎さん、そんなこといってほんとは津稲と試合したいだけでしょ?」
と、先輩の一人が返すと、新崎先輩は笑って「よくわかったな」と言った。
「そりゃわかりますよ、新崎さんいつもより楽しそうでしたし」
「あー、それは俺もわかる! 英、てめぇ俺らとの稽古がつまらなかったんだろどうせ!」
「なっ! お前、よくもほんとのこと言いやがったな! 明日覚悟してろよ!」
はははと、そんな笑い声が部室に広がる。雰囲気はさっきとは真逆、みんなリラックスムードだった。
「さあて、試合だな」
部室の時計を見た新崎先輩が言う。それを合図に先輩方は皆部室から出ていった。自分もあとに続く。
津稲はもう既に準備を終えており、籠手を横方向に縦に並べてその上に面を置き、その上に更に面タオルを敷いて正座していた。
「津稲、お前いろいろ早いよな」
新崎先輩が冗談交じりに言うと津稲は「これくらい俺にとっちゃ普通です」と返した。
先輩方は津稲と対になる形で面を五つ並べていった。
三年生のマネージャーが主審をやり、試合がまだない先輩方が副審に入った。もう一人のマネージャーはスマホで動画を撮る準備をして、自分はタイマーを持たされた。
「一応確認しとくけど、津稲は俺らに三勝しなきゃいけない。勝ち数本数同じだったら代表戦ってことで。あと、一試合ごとに何秒休憩するかだけど、一試合目で十秒、それから試合ごとに五秒増やしていくってのでどうだ」
新崎先輩が提案すると津稲は「休憩は十五秒統一でいいですか」と言った。
新崎先輩は「それでもいいなら構わない」と言った。津稲は白の
当然だが、津稲はこれから十五秒おきに最長四分間五人と連続で試合をする。試合は長くてもあと二十五分はかかる計算になる。ぶっ続けでそこまでやって大丈夫かとも思うが…。
先鋒戦、剣道部側は二年生の原田という人が出た。
お互い蹲踞そんきょし、主審の合図で試合が始まった。自分もその合図とともに四分間のタイマーをスタートさせた。
「メエエェェーッ!!!」
叫ぶような掛け声が道場に響いた。両者互いに面を打ち合った。その意気に驚き、茫然としていると、横にいた3年生の杉原先輩に「おい、タイマー」と言われた。
白の旗が三本上がっていて、面あり、という主審の声かけがなされた。
急いでタイマーを止める。
……何が起こったんだ?
白の旗は津稲の色だ。つまり、津稲が面を入れたという事になる。原田先輩も津稲も同時に面を打ち合っていたが、一体どこをみて津稲の面が入ったと、審判たちは判断したんだろうか……。
わからない……。早すぎる。
主審が「二本目」という合図を出し、タイマーを再開させた。
「オオオオーッ!!!!」
原田先輩が大きく声を上げた、刹那。
津稲の姿はすでに原田先輩の後ろにあった。
「ドゥーーーッッ!!!」
津稲の胴がさく裂していた。
「胴あり!」
白旗が3つ上がり、主審の声が上がる。
? 今何かしたのだろうか。
初心者だからかもしれないが、目の前で行われたほんの数秒の出来事に、脳の処理が追い付いていない。気付いたら1試合目が終わっている、そんな光景を目にしたのは初めてだ。
「すげえ
ぼそっと、杉原先輩が呟いた。
「ぬきどうって、なんですか?」
「貫胴ってのは、えーとあれだ。お前、この一週間ずっと練習見てたろ? そこで胴の稽古やってたじゃん。突っ立ってる相手にささーっと胴打ち込むやつ。あれだよ。まあ普通の胴だな」
「ほえー……」
正直、どの練習かわからない。見てるだけだし、未経験者だし。
気付けば津稲は胴の残心を取ってるし、白旗は上がってるし……先輩が呟かなければ何をしたか気付かずに終わっただろう。
次元が違うとは、このことを言うのか。ここまで差があるものなのか。
こうして先鋒戦は開始四秒で決着がついた。
㋱ド
試合結果を書くホワイトボード、その先鋒のところにその二文字が書き込まれた。
試合はあっけない形で幕を上げた。さっきまで張り切っていた原田先輩もあまりのやられようで、ショックを隠せていない。
かくして、津稲対青里高校剣道部の試合は津稲の二本勝ちからスタートしたのであった。
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