~序章~ 『力の少年』
体育館の中はとても蒸し暑かった。
無理もない。ここはそこらにあるような体育館ではない。全国大会が開かれる程規模の大きい体育館だ。この暑さの原因が今の気温とこの巨大な体育館の観客である。観客席一面人だらけ。見ているだけで暑苦しい。
だが、そんな暑さを気にかけている暇は少年にはなかった。今は、あと少しで始まる決勝戦に向けて集中しなければならない。
少年の目の前では、今準決勝の試合が行われている。勝者はほぼ決している。
背中に赤い
準決勝を見つめる少年、
太刀浦と津稲は真逆の性質を持った選手だ。太刀浦はスピードで圧倒するのに対し、津稲は力で相手を圧倒する。ただ、過去二年間、津稲は太刀浦に二分もかからずに二本の面を取られて敗北した。
今年こそは、勝たなけらばならない。これが中学校生活最後の試合だ。どうせやるなら勝ちたいに決まっている。
準決勝が終わった。太刀浦の二本勝ち。小手と面。対して相手は一本も取ることが敵わなかった。
「俺と同じだ」
津稲は呟く。
会場に張られているトーナメント表には、各試合の取った本数と何を取ったかが記されている。津稲は準決勝までの四試合、小手と胴を一本ずつ取られたが決勝戦まで来た。
しかし太刀浦は一本も取られていない。そして、すべて二本勝ちだった。
全国大会に行けるのはほんのわずかな一握り。三年連続全国大会に出場し、決勝戦まで行くなんてそうできるものではない。
津稲もそうだが、太刀浦もそうしてここまで来た。多くの人たちから勝利し、勝ち進んできた。それは同時に、勝った分だけ負けた人間がいることを意味している。恐らく、太刀浦と戦ってきた選手は皆二本負けだろう。
負けるわけには、いかない。
今まで負けてきた選手の思いも背負って、全力で戦う。
今年こそは絶対に勝つ。
「さて、と」
津稲は面を付け始めた。視界はいっきに狭まり、面の中では自らの汗の臭いと、自分の吐息の音、聞こえづらくなる観客の声援が感じられた。
三年連続で全国大会の決勝戦で同じ相手と戦う。普通あり得ない。漫画の中の世界で起こるようなことが今自分自身に起こっている。そう思うとなんだか少し緊張もほぐれた。
楽しもう。そして勝つんだ。
津稲は立ち上がり、開始線へと足を進める。
試合が始まった。
開始早々、太刀浦が面を打ってきた。去年も一昨年もこれで一本目を取られた。津稲はそれを読み取りすかさず竹刀を自分の面の位置に斜めに置き、太刀浦の面を防いだ。そして竹刀を返し太刀浦の胴へ打ち込んだ。
太刀浦はこの返し胴を自らの右ひじで防いだ。瞬間、「うあっ」と声がした。津稲は様子をうかがうため一旦間合いを取った。太刀浦はかなり痛そうにしている。普通に構えているように見えて、正面から見ると右腕が少し下がっている。これだと恐らく太刀浦の自慢の早業も出せないはずだ。
そう踏んだ津稲は力いっぱいに太刀浦に面をうちこんだ。が、どうもそれは逆に一本を取られる要因になってしまった。
面を打つ瞬間、太刀浦が視界から姿を消し、彼の竹刀の先だけが自分の小手に向かってくるのが一瞬だけ見えた。同時に「コテェェー!!」という声が聞こえたかと思うと太刀浦は既に自分の後ろで残心(打ち込んだ後相手の反撃に対する心構えのこと)を取っていた。三人の審判のすべての赤旗が上がっていた。
一本取られるのは想定済みだったが、開始三十秒ほどで取られるとは思ってもみなかった。
だが、太刀浦には弱点がある。去年と一昨年の太刀浦の全国大会でのビデオを見て分かったが彼は体力がいまいちない。決勝戦ではアドレナリンのおかげかよく動けているがそれまでは上へ進むごとに若干動きが鈍っていたのに気づいた。
これを活用する手はない。恐らく太刀浦は最初からフルスロットルで試合を行っている。体力が後半まで持たないのが原因だろう。ならば、三分を過ぎたころに確実に一本を取っていけばいい。そうすれば恐らく太刀浦は焦っていつもの剣道ができなくなるだろう、とそう考えた。
津稲は粘り強く太刀浦の攻撃をすべて防いだ。開始から三分が経過したころ、太刀浦は既にへとへとの状態で息を荒げていた。
(今しかない)
津稲はチャンスを逃すまいと面を打ち込んだ。満身創痍の太刀浦はこれに対処しきれず、とうとう一本を許した。会場は異様な熱気に包まれた。
そして思惑通り、太刀浦は焦って三本目で体力がないのにも関わらずいきなり面を打ち込んできた。
既に太刀浦の打突は今までと違い速さの無いものだった。ここまで太刀浦が疲れ切った状態から面を打ってくるのを初めて見たので、少しだけ驚いた。
先ほどまで速すぎた太刀浦の面は、非常に遅く感じられた。これなら合い面(双方がほぼ同時に面を打つこと)勝負でも勝ち目がある。
津稲も面を打ち込んだが、お互い一本にはならなかった。直後ぶつかり合ったが津稲の持ち味の力のある体当たりが勝り、太刀浦を試合線ぎりぎりまで吹っ飛ばした。
間合いを詰めようと足を前へ出したとき、制限時間の四分が経ったことを知らせるブザーがなった。
太刀浦は息を荒げて開始線へと向かう。それを見て津稲は安堵した。そしてその安堵は勝利への確信へと変わりつつあった。
勝てる。
その一言が津稲の心の中で暴れた。
連敗してきた太刀浦に、勝てる。優勝ができる。
同じ相手に二連敗してきた全国大会。今までたくさんの剣士と試合をし、負けたことはほとんどなかった。特に、同じ相手に連敗するなど太刀浦を除いて他にはいなかった。
やっと、勝てる。
さっきまで聞こえていた観客が出す雑音も、自分の呼吸する音も聞こえない。ただ、目の前にいる太刀浦だけははっきりと見えた。
主審の「延長はじめ」の声と同時に、今度は逆にこちらが開幕で面を打ちに行った。ただそれは太刀浦も同じだ。あっちも今すぐに勝負をつけたいと思っているに違いない。
やはり太刀浦も面を打ってきた。
延長戦には時間の区切りがない。どちらか一方が先に一本をとれた方の勝ちだ。
三本目終了から延長開始までの時間はおよそ十六秒あった。太刀浦はその短い時間の間で呼吸をいくばかりか整えたのかもしれない。先ほどの面よりも格段に速さは取り戻していた。が、いつも通りではなかった。
合い面勝負。この一撃にすべてを懸けた。
互いの激しい気のぶつかり合いと、剣がさく裂する音、そして残心を取っていく両者の身体。
白の旗が上がった。
それは、津稲が背中につけている襷と同じ色。
三人の審判の上げる白旗は、まるで太刀浦の心を表しているかに見えた。
津稲は、とうとう太刀浦から勝利をもぎ取ったのだった。
試合が終わり、表彰も終わった後、太刀浦は津稲の元へ来た。
「やられた」
太刀浦は少し嬉しいかのような話し方だった。太刀浦の髪は汗でぐちゃぐちゃになっていたがそれは津稲も同じだ。
「やっと勝てた」
津稲も太刀浦に笑顔で返した。「楽しかった。また今度やろう」と太刀浦は笑顔で言った。津稲はそれに頷いて答えると太刀浦は顧問の元へ歩いていった。
「なあ太刀浦!」
津稲は歩いていく太刀浦を呼んだ。太刀浦はその声に振り返りはせずに立ち止まった。
「高校でも全国来るよな?」
「当り前だろ」
太刀浦は左腕を上げて答えた。その声はとても嬉しそうだった。
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