第二夜 日常と邂逅

 やかましい目覚ましの音で眠りの世界から引きずり出され、起床そうそうに三度寝の悪魔と戦う羽目になった。すでに二度寝の後だ。毎度のことながらなぜ寝起きというものはこんなにもつらいのか、という単純だが回答のない思考をする。寝ぼけ眼で箪笥から着替えを手に取り、シャワーを浴びるため一階へ降りる。僕の部屋は二階に上がって廊下を左に進むと突き当りにあるのだが、浴室から一番遠い場所にある。つまり家の中で僕の部屋とは上下左右前後正反対の位置に浴室があるわけだ。眠気覚ましにはよい距離だ、と割り切って生活しているが冬には容赦なく健康とは程遠いほどに凍てつく寒さで足つぼマッサージをされるため、近い内にふかふかのスリッパでも買おうかと悩んでいる。はじめは良くても次第に長距離移動(ほんの数十秒だが)には徐々に辟易していくものだ。

 シャワーで眠気を洗い流し、朝食という名の昼ご飯を食べる。時刻はすでに13時を過ぎている。こんな生活をしている今は夏休みだ。大学生の特権をフル活用して午前中を惰眠に使い込み、今日の午後の予定はなんだったっけと先日にスーパーで買いだめをしておいたココア味のコーンフレークを食べながらスケジュールを頭の中で確認する。テレビは見ない主義だ。というより興味をそそられる番組が最近まるでない。バラエティも気が向いたら見る、というレベルである。本の世界のほうが流され映像よりも格段に楽しい。

 暗めの青いシャツに黒いズボンという恰好をし、予定を完遂すべく指定の場所へ赴く準備をする。今日はバイトの日だ。バイトと言えば世間一般の大学生は扶養という103万円の税金と称する国の搾取政策と戦わなければいけないらしいが、両親と死別している僕には無関係だ。稼がなければそのうち飢え死にしてしまうので、103万の壁なんていう僕にとって発泡スチロールよりも脆い壁は、アルバイト3つ掛け持ちという正拳突きを使い容易くぶっこわす。今日のバイトは事務のバイトだ。データ入力が主な仕事なのだが、これのおかげで僕のタイピング力は同世代の文系よりも数段上の次元にいるだろう。と、まぁこれは自称だ。確実な話ではない。ほかにもカフェでのアルバイトと、指定されている内容に沿った記事を書くという歩合制の在宅バイトをしているが、主な収入はデータ入力バイトとカフェバイトだ。独り身の人間にとってカフェアルバイトで出される賄いは非常にありがたいし、食費の節約にもなる。別段お金に困っている、というわけではないのだけれども。

 バイト先に着くなり、タイムカードを押してさっそく仕事を始めようとしたところで、現場管理者の田中さんから作業中断の合図があった。いったい何事だろうと訝しげる面々を田舎駅を通る通勤快特の如くスルーし、話を切り出した。

「お疲れさん。今日から新しくバイトで入ることになった子がいるから、みんなに顔合わせも含めて紹介しておこうと思ってね。一応長期雇用ってなっているから、みんないろいろ教えてあげてくれ。それじゃ霧里さん、自己紹介してもらっていいかな?」

「初めまして。本日からアルバイトとして働かせていただくことになりました、霧里あやめ、と申します。22歳の大学生です。よろしくお願いします!」

 声は溌溂、雰囲気は軽快、恐らく僕と正反対に恐ろしく外交的であろうその女性がこのバイト先に来た。全く、人間どこで誰と会うかわからないものだな。

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