🌈First time 彼と、にわか雨
ロストラブレター
『あなたとはもう無理なの。ごめんなさい。』
便箋を開いたとたん、目に飛び込んできた最初の一文に、
「やっぱりな……」
便箋を片手にそう呟いて、二段ベッドの下段に腰をおろすと、落胆とも呆れともつかないため息が漏れる。
学校帰り、彼女を家まで送り届けた際に、これを渡されたときから、何となく予想はついていた。
特定の相手に対する恋心を綴ったものをラブレターと呼ぶなら、これはロストラブレターだろうか。
自身のネーミングセンスのなさに苦笑しながら、大和は、蛍光灯の白い光に照らされた丸っこい文字を、目で追う。
『この際だから言わせてもらうけど、付き合ってみたら違ったっていうのが正直なところです。私、大和の律儀で優しい人柄が好きでした。人によっては古くさいって思われるようなラブレターを、ちゃんと受け取ってくれて。翌日には返事まで書いてきてくれて。』
今、大和の手にある便箋は、彼女が想いを伝えるために選んだそれと、まったく同じものだった。白地に、かわいらしいパステルカラーの水玉模様が描かれたレターセット。
大和は、そう古くないはずの記憶を、何だか懐かしい気持ちで思い起こした。
いつのことだっただろうか。
眩しいオレンジ色が差し込む学校の昇降口で、靴を履き替えようと下駄箱を開けたとき、隠すようにして隅に挟まれた封筒を見つけたのだ。
そりゃまあ、ひどく驚いたものだった。
――携帯電話が普及したこのご時世に、こんな乙女チックなものを渡す子がいるのか!? っていうか、本当に僕がもらっちゃっていいのか!?
すっかり動揺しつつも、どうにか家に持ち帰り、二階にある子供部屋で誰にも見つからないようこっそり目を通してみる。
するとそこには案の定、『付き合ってほしい』という
差出人の
小学校から親交があった栞奈とも、中学に入ってからはしばらく
千夏は相馬家にちょくちょく遊びに来るようになり、必然的に大和と会話する機会も増えたわけである。
そうして交流を重ねるうち、大和を次第に異性として意識し始めたのか。それとも、彼女にとって何か決定的な瞬間があったのか。
詳しい経緯は見当もつかないが、彼女の確かな気持ちは、ここにあるのだ。
窓から伸びる西日にあたたかく染められた手紙が、ラブレターが、ここにある。
一方の大和といえば、彼女に対して特別な想いがあるわけでもなかったが、そうかと言って断る理由も見つからない。
何より、
『きっとこれが恋なんだと思います。』
月並みだけれど、純粋でまっすぐなこの言葉に、心打たれてしまった。恋愛を始めるきっかけなんて、ほんのささいなことでいいのかもしれない。
翌日の登校時、『よろしくお願いします。』とだけ書いた紙切れを、千夏の下駄箱に忍ばせておいた。自分でも愛想のないやつだと思ったが、女子のように気の利いたレターセットを持っているはずもない。それに、あまり飾り立てた言葉を並べるのは、かえって薄っぺらい気がしたのだ。
実際のところ、何の問題もなかった。
彼らの関係を友人から恋人に変化させるために必要なものは、その一言だけで充分だったのだから。
この手紙は、その関係にピリオドを打つものであるわけだけれど。
たとえあの日と同じ封筒を、彼女から直接渡されようと、まったく違う。そこに書かれた内容も、込められた気持ちも。
『でも、』の逆接の後には、
『人間、優しいだけじゃダメだと思います。私は、多少言いづらいこともきちんと伝え合って、あなたとお互いに信頼できる関係でいたかった。だけど、大和は何も言ってくれなかった。自分の気持ちを後回しにして、何でも、いいよ、いいよって済ましちゃうことがあなたの優しさなら、私はそんなのイヤです。』
彼女の丸み帯びた癖のある文字は、いつだって、その胸の中にある想いをきちんと伝えている。自分とはまるで正反対だ。
『あとね、頼りがいがないの。なんだろうね、あの、常に私が大和を引っ張ってる感じ。私は男の子にエスコートしてほしいタイプなので、それも無理です。』
そこまで読んで、
――なんかもう、頭下げたい。
何とも不甲斐ない衝動に駆られる。
千夏の指摘があまりに的を射ているものだから、丁寧に頭を下げて、何ならひれ伏すくらいの勢いで、「ごめんなさい」と謝りたくなった。
そして、気がついてしまった。
自分は、彼女に恋をしていたわけではなかったのかもしれない、と。
これだけ歯に衣着せぬ言い方をされても、怒りも悲しみも覚えない。ただひとつ、申し訳ない気持ちが募るだけ。こんな感情を、恋と呼んでしまっていいのだろうか。
彼女から告白を受けたときに感じた
だからきっと、こんなにも早く、儚く、散ってしまったのだ。すでに盛りを過ぎてしまった、桜の花のように。
『友だちに戻るなら、早いほうがいいと思います。恋人期間が、友人期間を追い越してしまう前に。』
彼女のユニークな表現に、大和は含み笑いを漏らした。
親しくなってから比較的すぐに告白されたので、千夏の中では、大和との「恋人期間」と「友人期間」がおおよそ同じくらいなのかもしれない。
『それと、この手紙ですが、読み終えたらすぐに処分してください。できれば、もとに戻せないほどビリビリに破いて、ごみ箱の奥に突っ込んでほしい。告白したときのものも残っているようなら、それも一緒に。』
「ものすごい徹底ぶりだな……」
率直な思いが口をつく。
『じゃあ、明日からはお友だちに戻りましょう。千夏』
小さな黒塗りの音符マークでことさらに明るく締められた手紙を読み終え、封筒の中に戻すと、大和はもう一度ため息をついた。
「忘れないうちにやっとくか」
自身に言い聞かせるように、声に出して立ち上がり、勉強机の引き出しを開けた。一冊のノートの下を探ると、右手に持ったものと同じ封筒が、姿を現す。
やたらに破るとゴミが増えるので、しわくちゃに丸めるだけで勘弁してもらおう。
そう思いながらふたつの封筒を右手に持ち、力任せに握り潰そうとした、そのとき、
「お兄ちゃーん」
一階から聞き慣れた声が飛んできて、ギクリと肩をぴくつかせる。
栞奈だ。
双子であるにもかかわらず、栞奈は大和のことを「お兄ちゃん」と呼んだ。たしかに、大和が先に生まれた事実はあるけれど、誰が指図したわけでもない。幼い頃から、ふたりの中で自然に、「お兄ちゃん」と「妹」という関係が成り立っていた。
――どうする? どこに隠す!?
焦って悩んでいるうちに、軽やかな足取りが迫ってくる。
――もうここでいい!
結局、もとあったノートの下にふたつ一緒に無理やり押し込んだ。一刻も早く引き出しを閉めようとして、
「いっ……」
自分の指を挟んでしまう。一瞬、熱でプレスされたような痛みが走った。
「……ったいな、もう!」
「なに机に怒ってんの?」
とっさの怒りを、冷静な声が遮る。
声のしたほうを振り返ると、体と、背中まであるはずの黒髪をタオルで包んだ栞奈が、子供部屋の出入り口に立っていた。
「え……いや別に、ちょっと指挟んじゃって……なに?」
まだ指先にヒリヒリと残る痛みをこらえながら、しどろもどろで答える。
「お風呂、空いたよ?」
「あ、うん。分かった」
「そういえば、食後の薬飲み忘れてただろ。食卓に置きっぱなしだったぞ」
足を止めて言うと、栞奈は「あっ」と声を上げる。
「気をつけろよ? 最近ずっと出てないとはいえ、命にかかわるかもしれないんだから」
呆れ気味で忠告したが、彼女は、「だいじょーぶだよ」と気楽そうに笑っていた。
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