異世界モノはストレス解消ツールなのか?

ぷっつぷ

『異世界モノ』の根元にあるもの

 『異世界モノ』という流行がはじまって久しい。『異世界〜』のような題名は、今やネット小説のランキング上位を占め、ラノベのテンプレとなり、書店でも数多く見られるようになった。

 こうした『異世界モノ』がどれだけ世の中に溢れているか、というのは別の方々が散々に述べてくれているので、ここでは触れない。どのようなテンプレがあるのか、ということにも触れない。どうしてラノベ作者は異世界を書きたがるのか、というのも作者目線の考察なので触れない。

 私はただ、『異世界モノ』が流行る要因を——浅はかながら——考察し、そこから『異世界モノ』の根元にあるものを探りたいのだ。その答えの一部は、すでにタイトルで示してしまっているのだが。



 まず『異世界モノ』にありがちなストーリー、つまりテンプレを切り出してみよう。すると大半の『異世界モノ』は、大まかに以下の要素が含まれているはずだ。『チート』『俺tueee』『ハーレム』『成り上り』『まったり』『復讐』。もちろんこれらの要素だけで『異世界モノ』は語れないし、これらが含まれていないものも中にはある。だがほとんどの『異世界モノ』、特に人気のあるものほど、先ほど挙げた要素が大なり小なり含まれているものだ。



 異世界に転生あるいは転移したとして、その際に高確率で女神的なフワッとした何かと出会い、『チート』能力を授かり、魔族をバッタバッタと殺し『俺tueee』を見せつける。

 現代の知識を活用し異世界のサル——住人たちを驚かせ、なんやかんやと領主なりなんなりの偉い地位につく『成り上り』の人生を満喫する。

 必ずしも人間と魔族が戦争をしている世界である必要もないだろう。異世界で悠々と、『まったり』した生活を送る場合もある。

 せっかくの異世界だというのに不幸な目に遭い、どん底に落とされかもしれない。だが『チート』を使い『俺tueee』を見せつけ、不幸な目に遭わせたクズに『復讐』を果たす。

 そして何をしても主人公はヒロインに惚れられ、複数のヒロインと関係を持とうと許され、特に人間関係がこじれることもなく、素晴らしい『ハーレム』生活を送る。



 こうしてみると、なんてご都合主義で甘えた話なんだと思う方も多いかもしれない。実際、それが理由で『異世界モノ』を好まないという方も少なくはないだろう。しかしこのご都合主義が、『異世界モノ』の『流行りの根底』ではないかと、私は思うのだ。



 さて、世の中を生きていると様々なストレスを抱える。これについては、今や社会人だけでなく、小中高生大学生も頷いてくれることであろう。ある調査では、子供達の8割以上が「イライラしている」「疲れている」と答えるほどである。それだけ世の中は、ストレスに溢れている。



 ストレスを抱えた人間はどうなるか。心に大きな不満を抱え、満たされぬ思いを抱き、それを必死で抑え、不満が怒りや憎しみに変わろうと、必死で耐え続け、空虚な人生を終えるのか。

 無理だ。そんなことをしていては、よっぽどの変態でない限り早死にするのがオチだ。皆、早死にしないよう、どこかでストレス解消を行っているのだ。


 

 ではここで、先ほど述べた『異世界モノ』の各要素と、それによって得られるであろう快感を簡単に、ざっくり挙げてみよう。


 『チート』によって誰よりも強い力を手に入れる満足感を得られる。

 『俺tueee』によって自分の強さを人に見せつける満足感を得られる。

 『ハーレム』によって男性のさがを満たすことで満足感を得られる。

 『成り上り』によって自己肯定感や出世欲、支配欲という面で満足感を得られる。

 『まったり』によって心にゆとりを与えられることで満足感を得られる。

 『復讐』によって不満や憎しみの対象が苦しむ姿を見ることで満足感を得られる。


 こうしてみると、『異世界モノ』の各要素は人々に満足感を与える、つまり人々のストレス解消に一役買っていることが分かる。主人公に感情移入した上で、先ほどの各要素が含まれた作品を読めば、さらにストレス解消が捗ることだろう。



 ここで私なりのひとつの結論を出す。



「読者が求めている(つまりは売れる)『異世界モノ』とは、ストレス解消ツールとしての『異世界モノ』である」



 『異世界モノ』は話がご都合主義だとか、リアリティがないだとか、甘いだとか、そんなことを言っても無駄なのだ。読者が現在の『異世界モノ』に求めているのはストレス解消ツール。ストレスを解消しようとして、現実的な問題や現実的な解決法、現実的な人間関係など厳しい現実をこれでもかと見せてくる内容の本を手に取る人は、変態じゃない限り存在しない。

 嫌な現実を忘れて、自分の知らない世界・・・・・・・・・で、ただ痛快さとスッキリ感を味わい、そして読んだ後に、ただ単純に『楽しかった』と思いたいのだ。甘えが許されぬ現実を忘れ、しばし甘えたいのだ。自分の叶えられぬ夢を、せめて『異世界モノ』の中で実現したいのだ。



 私はこうしたストレス解消ツールとしての『異世界モノ』を否定する気は一切ない。というのも、エンターテインメントには、そもそもストレス解消ツールという側面があるからだ。どこぞの先の副将軍のような『勧善懲悪モノ』は、その典型的な例であろう。



 では最後に、『異世界モノ』はストレス解消ツールでしかないのか? という疑問に触れておこう。最初に答えを言ってしまえば、ストレス解消ツールという側面はあるが、『異世界モノ』の根元にあるものは、ストレス解消ツールではない。

 先ほどわざわざ圏点をつけて強調したのだが、異世界とは『自分の知らない世界』である。自分の知らない世界がなぜ楽しいのか? 月並みな言い方をすれば、そこにはロマンや夢、冒険が待っているからだ。そしてそれこそが、『異世界モノ』の最も楽しい部分なのである。



 「現在の『異世界モノ』は、読者のストレス解消ツールとして求められている。しかし『異世界モノ』の根元にあるのは、『冒険心』である」



 以上が今回の私の、思いつきと勢いだけで行った考察の結果だ。



 最近では『異世界モノ』の流行が終わりつつあると囁かれている。だからといって、『異世界モノ』が終わったわけではない。単に皆が読み飽きたことで、ストレス解消ツールとしての機能が薄まった、というだけであろう。『異世界モノ』ブームが終わったところで、人間に冒険心がある限り、冒険心を満たしてくれる本来の『異世界モノ』は終わらない、と私は信じている。

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