第41話 『オンタリオに着くまでは』

 ※以下のあとがきは『殺伐百合アンソロジー Edge of Lilies』が発行された際に某所で公開した「オンタリオに着くまでは」のあとがきを丸ごと移したものです。裏話やらなんやらを明かしているので長いわ、そのせいで文章とっちらかってるわ、まあ読みづらい文章ではありますが、本作に少しでも興味をお持ちいただいた方へのお礼になっていれば幸いです。

 なお『殺伐百合アンソロジー Edge of Lilies』は今夏(二〇二二年)に再販されるそうです。火力の強い作品がそろっていますので、この機会にぜひお手元へ。すごい本ですよ。


 ◇◆◇


 2020年代百合小説界のマイルストーンになるであろう一冊、れむれむさん主催『殺伐百合アンソロジー Edge of Lilies』の末席に加えていただく栄誉に浴しましたピクルズジンジャーと申します。「オンタリオに着くまでは」という南北戦争直前のアメリカ南部らしい場所が舞台のヒストリカルな百合で参加しております。普段は魔法少女ネタの百合で活動しております。


 さっそくですが、この作品を書くに至った経緯や紆余曲折、あと裏話的なものをこちらで明かしてみることにいたします。──気を抜くと締まりのない文章をダラダラ書いてしまう癖がありますのでなるべく短めに。



【執筆にいたる経緯】

 殺伐百合アンソロジーに参加すると意思表明した以上、何を置いても殺伐とした女と女の短編を書かねばなりますまい。


 ちょうどその頃(2020年末あたりだったかな)、逃亡奴隷女と奴隷狩り女のパルプなアクション小説を書いてみたいなあ……とぼんやりした構想を練っておりました。

 コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』を読んだ時の衝撃が数年経っても忘れられなかったことが大きいのですが、直近で読んだジェスミン・ウォード『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』がもたらした感動やBLMデモのニュースなどの影響も少なくなかった筈です。

 世の中どうかしてることばかりなので、フィクションの世界ぐらい虐げられる側が理不尽な敵とバチバチの殴り合いを演じた末に勝利を収めて尊厳を取り戻さずしてどうする? 男と男ならそういう話もあるだろうけれど、私は女と女の話が欲しい。何も持たない逃亡奴隷と倫理観のおかしい奴隷狩りがバチボコにやりあう血みどろ痛快アクションがほしい。誰か書いて。誰も書かないなら自分で書くか。

 ……実際にはここまで意気込んではいなかった筈ですが、書きたいストーリー案の一つにこういうものがあったのですよ。

 よって「奴隷制があった時代のアメリカ南部を舞台の逃亡奴隷女と奴隷狩り女による殺伐パルプフィクション百合」、これで行こう! と決断するのも自分の中では自然な流れでありました。ストーリーを練るうちに生まれた「理想主義者の白人お嬢様」要素も付け加えるなどしたプロットを提出したのでした。


 ──ここまでお読み頂いた方のうち拙作に目を通して頂いている方におかれましては、疑問がいくつか生じたのではないでしょうか? たとえば「奴隷狩り女なんて出てこなかったぞ?」や「自分の読んだ話はそんな話じゃなかったぞ?」等。

 その通りですね。ご本に収録されたものとは全然違いますね。何故でしょうか?

 答えは単純に「書いているうちに文字数がとんでもないことになってしまい、にっちもさっちも行かなくなったので本来書きたかったストーリーのプロローグをメインにしてもらえるように泣きついた」からです。

 つまり、「黒人奴隷少女が成り行きで殺人を犯した白人お嬢様を連れて逃げる」という本作のストーリー全体は、本当は「足手まといなお嬢様を連れて逃げざるを得なかった奴隷少女が奴隷狩りと遭遇して対決する」という本筋の背景として遠回しに語る予定のサブストーリーだったのですよ、実は。


 そんな複雑なストーリーが短編に収まる訳がない(仮に収められる人がいてもそれを書けるのはお前じゃない)ことが今なら分かるのですが、その時の自分は非常に見通しが甘かった。

 その上、短く収められるはずの変更後ストーリーでも文字数を超過しまくり、削りに削ってもアンソロジー最長作になってしまう始末。その他にも執筆中には大小さまざまなご迷惑をおかけしましたので、当時のことを思い出すととにかく申し訳なさでいっぱいになります。本当にあの時はお手数をおかけしました。重ね重ね申し訳ありません……。



 なるべく短くする予定だったのに、しっかりダラダラと長くなっていました。

 以下は舞台設定やキャラクターに関する裏話です。



【ハリエット・タブマン】

 何も持たない女子二人だけで、四方八方敵だらけなアメリカ南部一帯を北上して、奴隷制の無い北部まで逃げ続けるのは現実にはまあまず不可能でしょう。成功率を上げるためにも反奴隷主義者たちによる秘密組織「地下鉄道」の協力が不可欠になります。というか、元々『地下鉄道』に影響を受けたストーリーである点からも地下鉄道を出すことは決定していました。

 しかしこの組織に関する適当な資料がなかなか見つからない。というか見つけられない。

 ああだこうだと検索をかけて手に取ったのが上杉忍『ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた女奴隷』という評伝です。タイトル通り、ハリエット・タブマンという元黒人奴隷の活動家の生涯と功績をコンパクトにまとめた本なのですが、恥ずかしながらそれまでタブマンについてまるで知らなかったので読みながら感銘を受けまくったのでした。

 自身も元逃亡奴隷で、地下鉄道と協力しながら自分の家族も含めて多数の奴隷を北部やカナダへ逃した(彼女が逃がした奴隷は誰一人も強制送還されることがなかった)。

 南北戦争では北軍に協力して勝利に大きく貢献した(しかし「軍に協力した民間人」という扱いだったので何度も嘆願書をださなければ軍人恩給すらもらえなかった)

 戦後は行倒れた人々や身寄りのない老人の福祉施設を私財を投じて創り上げた──等、人生どの局面でも精力的に活動し続けたという正に傑物です。こんな人が現実にいたとは、と瞠目せざるを得ない生涯は、近年映画化されて2020年には本邦でも公開されたとのこと。コロナ禍もあってあまり話題にならなかったようですが……。日本では知名度があるとは言えないタブマンですが、アメリカでは子供でも知ってる偉人の一人であり、トランプ政権時代に白紙撤回されなければ新しい二万ドル紙幣の肖像は彼女をモデルにすることが半ば決定していたそうです。

 歴史上で果たした役割も小さくなく、波瀾万丈でバイタリティー溢れる生涯もストーリー映えするのに、どうしてこれまで本邦の子供向け伝記シリーズは彼女を取り上げようとしなかったのでしょう。不思議でなりません。偉人の伝記は白人男性に隔たっていると結構前から批判されていますし、今後新しい伝記シリーズを立ち上げる予定のある児童書出版社にはぜひとも彼女を加えて頂きたいものです。

 

 ──話がまた派手に逸れてしまったので、修正します。 

 タブマンの凄さに圧倒されたことの他にも、これぞという資料が期間内にみつけられなかったというポンコツな理由から、彼女の生涯を参考にしながらストーリーの細部を組み立てておりました。


 たとえば、ケイラの兄はメリーランド州の製材業者に買われ原始林を伐採していたという設定になっていますが、これらはそのまんまタブマンの生涯から引き移したものです(タブマンは北部に近いメリーランド州の奴隷で、本来なら家政を請け負うべきなのに家の中の仕事が性に合わず、父親とまざって原始林で体を使う作業に従事していたとのこと。それによって体力がついて地理に詳しくなり、自身の逃亡や地下鉄道活動の際に大いに役に立った)。

 固有名詞は出さずにぼかしておりますが、作中の主な舞台は綿花のプランテーションがあるようなアメリカの南部も南部です。対してタブマンのおもな活動域は北部に近いメリーランド州、しかも本人が知悉しているエリアです。

 タブマンの活動の成功率が高いのは、自分がよく知っているメリーランド州限定で活動していたからであることも大きいようです。

 なおかつその当時の感覚としては、メリーランド州と真南部の間で直接やりとりをする例はあまりなかったとされています。北部に近い地域と真南部との奴隷の売買もないわけではないものの(タブマンの姉の一人も何度か所有者が変わるにつれて南へ南へと移動し、最終的には行方知れずになっている)、そう頻繁ではなかったとされています。

 というわけで、メリーランド州の製材業者がわざわざ綿花畑のあるような地域で奴隷を調達していたりするのは本作のツッコミどころの一つであります。所有者が変わり続けるうちに北へ北へ移動したことにすれば良かったのですが、ケイラ兄の半生についての言及は最低限に留めておきたかったので、敢えて嘘を通すことにしました。完全にこちらの都合です。詳しい方がご覧になれば真っ先にチェックが入りそうな所なので、その前に自分から明かしておきます。

 なお、南部のお屋敷の天井裏はいくらなんでも暑すぎて奴隷が暮らすにしても不適切だろ、とか、馬車は何頭だてなんだ?、とか、当時の南部のお屋敷の構造は? ファッションは? とかチェックを入れるべき場所は山のようにあります。本来そこも完璧に調べた上で書くのが当然であるのですが、「緻密な歴史小説ではなく、分かり合えない女と女が共に逃げ出さざるを得なかった話が書きたいんだ!」の一念でねじ伏せました。──未熟者の言い訳でしかありませんね。お恥ずかしい。

 

 教会でケイラに声をかける地下鉄道の関係者らしき女が口にだす「モーゼス夫人」も、タブマンは「女モーゼ」と呼ばれていたことを借用したものです(モーゼは英語化するとモーゼス、女性であるので夫人)。

綿花畑があるようなド南部にタブマンのネットワークが到達していたとは考えにくいけれど、ケイラと地下鉄道が繋がるもっともらしい理由が他になかったこともあり、「モーゼス夫人」なる人物を代理に立てました(あとから、「モーゼス夫人」というのはタブマンの息のかかった別個の秘密組織の符丁であった等こじつける手もあったなと気付いたりしました)。


 そのような事情で激しく嘘をつきまくっている本作です。決して鵜呑みにはなさらぬよう。まあ、そんな粗忽な人はそうそういないと思いますが。


タイトルにも含まれているカナダのオンタリオは、地下鉄道の協力のもと逃れてきた奴隷たちの一般的な入植先だったということからケイラの目指すゴールに設定しました。タブマンの家族たちもそれぞれ呼び寄せられてオンタリオで過ごしたそうです(以下は蛇足ですが、タブマンの努力の甲斐あって救えた家族は奴隷じゃなくなって新天地でめでたしめでたし……とはならず、タブマンは南部とカナダの気候の違いやそれまでの生活習慣や仕事をリセットした生活に馴染めない両親から不平不満をぶつけられたりしたそうです。幸福と尊厳と生活と社会について思いを巡らせてしまうエピソードでした)。



【登場人物について】

 オミットしたものも含めた簡単な設定など、せっかくなので書き残しておきます。


・ケイラ

 失敗してもすぐにリカバリが出来る程度には賢く、いわゆる奥様と呼ばれるタイプのご婦人から「息子の嫁にはこういう子が欲しい」と目をかけられるくらい有能で、自分の意志を表に出さず粘り強く機会を待てる程度には自制心も強い子として設定しました。これらは過酷な社会でなるだけ傷付かずに生き延びるために後天的に獲得した資質です。有能で従順な召使いとして生きることで人生をサバイブしようとしていたのですが……。

 慎重で用心深い分、行動に移す時はよくよく考えて実行可能だと確信してから行動に移します。そういった態度は信頼を寄せていた側の人間にとっては手酷い裏切りでしかなく、時として人よりも怒りや恨みを買いやすい面もあります(本人は一旦腹を括ったら頓着しない)。

 とはいえ根っから無情でビジネスライクな性格だというわけではなく、下手に振る舞うと即ち死か破滅という環境で育ったがゆえに情に流される衝動的な生き方に対する警戒心の強さが表れているだけともいえます。

 この設定の段階で既に二十歳未満の女子としてかなり現実離れしておりますが、もともと邪悪で最悪な女と対決する予定だったのでポテンシャルは高めに設定していた結果でもあります。あと遠回しに描写しているとおり、白人男性が戯れに手を出したがる程度には「そそられる」容姿の持ち主だということになっています。以上のことが概ね伝わっていればよいのですが……。


 作中でも語っておりますが、ケイラという名前はミカエルが由来です。本作の主人公の名前はミカエル=マイケル由来にすることには拘っていたので、プロット段階ではミシェルという名前をつけておりました。しかしどうにもしっくりこないので、「英語圏で人気のある名前」といったサイトを参照にケイラ(ミケイラ)に落ち着きました。

 ミカエル=マイケルに拘った理由は、有名な黒人霊歌「Michael, Row the Boat Ashore」に沿いたかったからでした。


 性暴力にまつわる過去は入れるべきかどうかかなり迷っていましたが、白人男性の所有主から奴隷である黒人女性の性暴力はかなりありふれたものであるからこそ非常に根深い問題があり、一切触れずに語るのもなにか違うのでは? という点からストーリーの根幹の一つにしました(先にあげたタブマンも、南北戦争時代に北軍に従軍し洗濯などを請け負う黒人女性が白人兵士の性暴力に遭うことを懸念し、専用の宿舎をつくるなどの対策しています)。

 百合小説に男性を登場させること、不用意に男性から女性への性暴力を書き込むことの憂慮や批判をたびたび目にする昨今の流れに逆行するような要素を入れる判断をしたのは私です。百合小説というジャンルでは危険球になりかねない要素をそのまま受け入れて下さった主催者さまに改めてお礼を申し上げると同時に、本作を読んで気分を害されたかたに置かれましてはお詫びを申し上げます。


 この後エピソードの後に最悪女と対決する予定だったので、身体能力が高くて接近戦に強いという設定があるのですが描写できる余裕がありませんでした。

 さらに明かすと実はカポエイラ使いにしたかったのですが、アメリカ南部の奴隷少女がどこでどうやってカポエイラを習得するのかという問題を片付けられなかったので死に設定になりました。



・キャシーお嬢様

 知識先行型、現実をしらず理想と理念だけで物事を解決しようとするわりに幼稚で衝動的な世間知らずのお嬢様です。書いているうちに、裕福な家で何不自由なく暮らしていた所、ある日突然ヒッピーやニューエイジな思想にかぶれてアジアに旅だって禅やヨガにとりくんだりネイティブアメリカンに教えを請いだしたりする、1960~70年代にいそうなフラワーチルドレンなお嬢さんを想像していました。

 このように書くと、こういうタイプのお嬢さんに悪意を抱いているかのようですが、実際はその逆です。ソリの合わないものを感じつつも、尊敬してしまうタイプなのですよ、私は。理想や思想、信仰に実生活を投じられる人はなんだかんだでやっぱりすごいのですよ。とはいえ計画性のない理想や理念が地獄をさまざまな地獄や悲劇をもたらしたことは歴史が語っていますので、衝動や上熱のまま極端に走ってはまずいと思いますが。

 そもそも、キャシーお嬢様のコンセプトは「何があっても悪堕ちしない女の子」でした。自分の描いた理想を実現をするのがとんでもない難事業であり、現実は都合よく変化せず人間は愚かだという場面に何度も立ち会い続けてビービー泣き続けることはあっても、絶対に現実に屈せず「こうあるべき」という理想を捨てない往生際の悪い女の子。呆れるほど頭が悪くてしつこくてしぶとく、攻撃力は高くないけどライフだけは常に満タンなので敵に回したらひたすらめんどくさい上、いざとなったらテロじみた攻撃にも出てくるので味方として自軍に引き入れるのも御免被りたい……という。「あんた本当にこういう子を尊敬しているのか?」とツッコまれそうな無茶苦茶を言ってますが、本当にしてるってば。友達にはなれそうにないけれど。

 そんなわけで、キャシーお嬢様は本作中で一番書いていて手応えを感じるキャラクターになりました。読まれた方の好感度はわかりませんが、変なヤツだなあ……と呆れたり面白がっていただけたら幸いです。

 ケイラに執着するのはそれまで自分の面倒をみてくれた乳母や世話係の奴隷に懐きすぎたせいで価値観が歪んだのだと周囲は解釈していますが、シンプルに黒人の女性がタイプなだけだと思います。本人もまだ明確に意識してはないんじゃないんでしょうか。

 

 ジェーン・オースティンをやたら批判していることに関しては、似たような時代を生きていたマーク・トゥエインがオースティン嫌いだったことが元ネタです。

 繰り返し主張しますが、私は好きですオースティン。めちゃくちゃ面白いよ。ロマン

ティックコメディ小説でしょ? 等と敬遠しないで読んでみてください。本当に面白いので。


 名前に関しては、白人系の保守的一族のお嬢様っぽい名前をイメージしてつけただけなので由来や意味などは特にありません。キャサリンってどっちかというと中西部っぽいイメージがあるので、もうちょっとしっくりするものを考えたほうがよかったかもしれません。



 キャシーお嬢様の両親にあたるパターソン夫妻についての設定もそれなりに色々とあるのですが、興味もある方も少ないでしょうし割愛します。語りたくなったらどこかで適当にダラダラ語るでしょうし。

 一つだけ明かしますと、パターソン夫人はキャシーお嬢様につぐ書きがいのある人でした。なんならケイラと夫人の殺伐百合にしてもいいな、と危うく本筋を見失いそうになる程度にはお気に入りでした。



 ──最後に白状しなければならないことをひとつだけ。

 最初の章でキャシーお嬢様が例えていたものは、第一稿ではチョコレートでした。イメージしていたのは一口サイズのトリュフタイプのチョコレートです。

 しかしこの当時は固形のチョコレートがまだ開発されていないと第一稿提出後にご指摘頂きました。致命的にもほどがあるミスです。そういうことこそ調べろよ最初に! って話でもあります。

 なんとかかんとか調べた結果、チョコレートケーキのようなお菓子なら当時にもあったということでつじつまを合わせた次第でございます。が、やはり不自然さはいなめない……。 

 この経験は「考証を怠ってはならない」という大きな戒めとなりました。今後の活動に活かさねばと決意する反面、各方面にお手を煩わせたことに関しては申し訳ないことやらなんやらで人体発火現象でも起こして燃えカスになりたいような気持になってしまうのでした。こればっかりですが、本当にすみませんでした……。


 ここ以外でも、既に述べている通り不勉強故のつじつま合わせや、フィクションとはいえ歴史へ十分な敬意を払いきったとはなかなか言い切れない大嘘の横行する作品となりました。自分の力不足を痛感するばかりです。

 それでも、力の足りない者なりに殺伐百合というテーマには全力で取り組みました。通いあわない感情を抱き合う女子二人に関する小説である点においては一つも嘘がない、その点でだけは後悔しないようにその時持っていたものを注ぎ込んでおります。

 

 機会があれば、本来書く予定だった物語も書きたい意欲だけはあります(意欲しかないと言い換え可能ですが)

 いつになるかは私自身わからないけれど、オンタリオにたどり着けるかどうかの物語が公開されるまで本作の二人のことを心の片隅にでも置いてやっていただければ……と、厚かましい夢をみながら本稿を閉じることにいたします。

 

 書くきっかけを下さったれむれむ様、拙作をお読み下さった全ての方、皆様に感謝いたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る