第19話 境界のパルス
あれから山門は一週間僕に話しかけて来なかった。
もしかしたら、あれは悪い冗談で、本気にしてビビっている僕を見て楽しんでいるだけなんじゃないかと、楽観的な考えが脳裏に浮上して来ては泡の様に弾けた。
そんな考えが湧いて来る度に、僕は歯を食いしばって、そんな筈は無いと否定しなければならなかった。
それは僕を酷く疲弊させて、まるで白蟻に内側から浸食されていく様な気分だった。このままでは、気が付いた時には僕の内側は虚の様に沈黙で満ちてしまう。
自室のベットに横になって天井を眺めていると、スマートフォンが震えた。
山門「写真は?わかってると思うけど、俺あんまり忍耐強くないよ?お前、無視したら
次はオナニーしてるとこ拡散希望で動画アップするからな。」
後頭部に鳥肌が走って目の前の風景が散漫になる。
どういう事だ?今度はオナニーさせられるのだろうか?
狭い自室をぐるぐる歩いた。
早く歩けば時間が少しでもスピードを上げて進んでくれるのではないかと馬鹿げた事を馬鹿みたいに切実に心の底から願った。
時が経てば悲しい事も、悲しかった事になる。苦しい事も、苦しかった事になる。すべてを過去に済んだことにしたい。
目を閉じても画面の文字がくっきり見える。焼き付いて離れない。言われた訳でもないのに、メッセージは山門の声で再生される。リバース。リバース。
たぶん山門はうすら笑いを浮かべている。
息苦しさに窓を開けたが、ますます閉塞感が強くなった。ここは空と大地の監獄だ。
囚われ、逃げ出せない。澄んだ空気で肺が焼ける。
◇◇◇
一睡もせずに明け方まで暗闇を見て過ごした。
暗闇は僕を隠してくれる。
優しく僕を包み込んで境界が混ざり合う。
風の無い湖面の様に凪いでいく。
聞こえるのは僕の心音と呼吸音。
このまま時が止まれば、僕の心音は僕を悩ます全ての事と一緒に止まる。だけど、そんな馬鹿げた事は起こらない。僕は知っている。
未明に空気が動く。
温まった空気は膨張して全てを揺り動かす。
鳥達は僅かな変化に目を覚ましてしまう。
世界の片隅の僕の部屋にも容赦なく光が射す。
僕は身をよじって隠れた。目を瞑る。
僕を見つけないで欲しい。
嗚呼。待ってほしい、少し待ってほしい。
今日も時刻通りに太陽は昇る。
僕の都合なんてお構いなしに、一日は始まる。当たり前なことが僕にはとても恐ろしい。瞼の向こうが明るくなっていく。
待ってくれよ太陽。
目を開けると涙で視界がぼやけた。
昨日の夜、カーテンをきちんと閉めていなかったから、サーチライトの様に光が僕に向かって伸びてくる。
これが最後の朝だ。
いつもより整頓された部屋を眺めた。
昨日の内に要らない物は処分して、畳まずに入れてあった服を畳んで整頓し、本を作者別に並べた。
いろいろなものが僕に優しく語り掛けて来る。貰ったもの。お金を貯めて買ったもの。僕の部屋。
イヤホンをとりだして音楽を聴いた。
再生時間がカウントされていく。
それから目ざましのアラームが鳴る二分前に解除して、身支度を終えると、部屋を出る前にもう一度部屋を見わたした。
ここに警察が来るだろうな。
僕が何も語らなくたって、真の真実は、不都合な真実は、公になるだろう。・・・僕がヘマしなければ。・・・僕が逃げ出さなければ。・・・いいや、違うな。逃げ道はないのだ。何処にもないのだ。
皆に都合の悪い、歓迎されない真実を。
真の真実を、僕の手で今日作る。
いつもの時間に一階へ降りて、いつも通りに出された朝ごはんを食べ、いつもの時間に家を出た。僕は出来るだけ何も考えない様に、頭の中で歌を歌って過ごした。歌を歌っていないと余計な事を考えてしまう。
ご飯がおいしいとか、もう、ここへは戻って来ないんだとか、家族に会うのは最後だとか。
いつか見た戦争映画の、特攻前夜の少年兵が、肩を組んで歌を歌って泣いていたみたいに。
僕は高らかに歌を歌い。目を伏せて、耳を塞ぎ、僕だけを信じた。彼らが祖国を信じた様に。僕には僕の他に信じるものが無い。
歌え。歌え。高らかに
それから「行ってきます。」と言って、「さようなら。」と呟いて、家を出た。
通学路の向こうに学校が見える。
歌え。歌え。高らかに。
八時過ぎに、山門に連絡を入れた。
聡 「写真渡すから十七時に二組の教室で一人で待ってて。」
すぐに返信が来る。
山門「はあ?お前写真添付しろよ。」
僕は返信しなかった。山門は既読を見て怒っているだろう。
学校へ着くと教室には寄らずに職員室へ行き、具合が悪いから保健室へ行く。と担任の山崎先先に告げて保健室へ行った。
保健室は無人だったが、手早く保険ノートに時間とクラスと名前と、出鱈目な体温を書いて、ベットにもぐりこんだ。
しばらくして保険の先生がやって来て保険ノートを片手に具合はどうだと聞いてきたので、「熱は無いんですけど、吐き気がして具合が悪いんです。」と、さも具合が悪そうに言ったが、実際に僕は吐きそうだった。
「熱は無かったのね?いつから吐き気がするの?」
僕の顔を見ないで話す先生は、機嫌が良く無い様だ。朝から予定が狂ってイライラしているのかも知れない。
「学校に来る途中から具合が悪くなったんです。」
「そう、確かに顔色が良く無いわね?朝ごはんは食べたの?」
チラリと僕を見ると、腕時計に目を落とした。
「食べました。」
「そう、しばらく様子を見てみましょう。他に具合が悪い所は無い?おなかを壊しているとか?頭が痛いとか?」
「頭がガンガンします。」
「頭のどこが痛いの?」
頭の何処が痛いかなんてどうでもいい様に思ったが、「前の方です。」と、素直に答えた。心拍数が上がって来る。
「これから熱が上がるかも知れないわね。とりあえず様子を見て、駄目そうなら病院に行くか考えましょう。それでいい?」
「はい。すみません。」
「先生、朝の職員朝礼あるから、いったん職員室に戻るわね?」
「はい。すみません。良くなったら、教室へ戻ります。」
「一応、ここに袋を置いておくから、急に吐きそうになったら、ここに吐きなさい。」
「はい。ありがとうございます。」
先生が後ろ手に扉を閉めて、廊下を歩いて行く。
保険の先生の名前は知らないけれど優しく無い先生なのは皆知っている。あの先生は日中何をして過ごしているのだろう?
布団を顔の半分まで引っ張り上げて、丸くなった。保健室の布団はノリが効きすぎていて体に沿わない。僕を拒否している。偽物の患者を拒否しているのかもしれない。
憂鬱だ。
そっと片耳にイヤホンを付ける。静かなボリュームで音楽は流れて行く。
保健室は体育館に近い。
どこかのクラスが体育でバスケットの授業をしている。球を突く音とホイッスルの音が良く聞こえる。
しばらくして職員室に行き、吐いたら少し楽になったが、酷くならないうちに家に帰ります。と言って、夢遊病患者の様に学校を出た。
家には戻らず駅に向かい、駅舎の外で目立たぬように身を潜めて、頃合いを見てホームへ滑り込むと電車に飛び乗った。
通勤通学時間を過ぎた電車は平和で、乗っている人達はいつもより健全な人達に見えた。
善良な市民。
僕とはもう交わる事の無い人々。向こう側の人々。向かいに座る婆さんが、大事そうに風呂敷を抱えてうとうとしている。何が入っているのだろう。中身が拳銃だったらいいのに。そうすれば僕と同じ側の人間だ。
『健全なる精神は健全なる身体に宿る』圭はこの言葉が嫌いだと言った。今なら圭の言った意味がよく分かる。あの時、僕は腹を立てたけれど、圭の言う通りだ。僕は間違っていた。
僕の精神は随分遠くまで来てしまった。向かいに座っているのに、婆さんと、僕の距離は何億光年も離れたところにある様に思えた。実際に何億光年も離れているのかも知れない。
天気が良い。
紅葉した山肌に日差しが当って綺麗だ。
高らかに歌を歌うには良い季節だ。
人生を賛歌する歌を。素晴らしい日々を。かけがえのないこの時を。
僕と山門君と、圭以外の健全な、善良な市民の為に歌を歌おう。
僕は病院行のバスを見送った。
間際になってバスには乗らない事にした。圭に会うのは止めておこう。上手くさよならを言える自信がない。このまま、どこかへ・・・。拳を握る。上空の高い所にウロコ雲が連なっている。
・・・・・・・・・。
時間は前にしか進まない。僕は僕を信じよう。
それから僕はでたらめに電車に乗って時間をつぶした。健全な人々と同じ車両で過ごしている間、僕の逸脱してしまった精神を、僕は少しだけ取り戻せる様な気がした。誰も僕を見ていない。田んぼの稲はすっかり刈り取られている。コスモスが咲いている。だんだん見慣れた景色になって来る。
後二駅だ。僕にはいつだって時間がない。
五限目が終わる頃に山門君に再び連絡を入れる。
聡 「写真渡しに学校へ行くから、十七時に教室で待ってて」
すぐに返信が来る。
山門「オマエ殺すぞ?写真添付しろよ」
僕はこれにも返信しなかった。
金色の廊下は半分ほど黒い影に覆われている。すぐ其処に夜がやって来ている。
歩く僕に合わせて僕の影も歩く。従順についてくる。
とても長い影だ。黒い木々のシルエットが左右に揺れてザワザワと騒ぐ。
僕の中もザワザワと騒ぐ。それは何かの音に似ている。
風が出て来た。
思い切り息を吸うと冬の気配を感じる。秋が終わる。僕の秋が終わる。
何もかもが終わる。
嗚呼そうだ・・拍手だ。・・・風に揺れる木々の音が拍手に似ている。
大勢の人々が賞賛や賛意を持って、手を叩いている。
腕時計の針は十七時を指している。
さあ、終焉だ。幕が下りるよ。
世界が固唾を呑んで僕を見ている。世界がやっと足を止めて振り返り、僕を見ている。
僕は口ずさむ。風が心地良い。
「僕等は皆生きている~生きているから唄うんだ、手の平を太陽に透かしてみれば~」
実際に右手を挙げるが、其処には太陽は無い。
「真っ赤に浮かぶ僕の血潮」
太陽は今しがた黒い山の向こうに沈んだばかりだ。
「オケラだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ~」
カチカチとカッターの刃を出す。
カチカチとカッターの刃をしまう。
カチカチとカッターの刃を出す。
「僕の血潮・・・。」
立ち止まって息を止めて、左手の人差し指をぐっと切る。鋭い痛みと共にぷっくりと赤い血が出る。山門のカッターは良く切れる。
「僕の血潮。」ジンジンと脈を打つ。
「みんなみんな生きているんだ~友達なんだ~」
廊下を左に曲がると1-2はすぐ其処だ。視界が狭い。手を丸めて目に当てて、そこから覗いてるようだ。大丈夫、僕は落ち着いている。
耳に水が入った様に僕の歩く振動が体に響く。無理も無い。
見上げればもう其処に1-2のプレートがあるのだから。
大丈夫、僕は落ち着いている。
僕の学び舎。
カッターを見る。
扉を開けると、僕はなぜか少し驚いた。
そうさ、僕が呼んだんた。そりゃあ其処に彼はいるさ。左手がジンジンと脈を打つ。日に焼けたカーテンがはためいている。
驚いたな、僕は彼を殺すよ。
心臓が僕の胸を叩く。うるさいな、静かにしてくれ今大事な所なんだ。
大丈夫、僕は落ち着いている。
「お?遅せ~よ・・・。お前さ、無視すんのな?わざわざ呼び出さずに添付してくれりゃ良いんだけど?愛しの圭ちゃんのおっぱい写真。」
両脚を机に乗せたまま、山門はスマートフォンを僕に向かって振る。
うすら笑い。大丈夫、僕は落ち着いている。
目に見えない毛足の長いカーペットは、山門の所まで続いている。ふわふわと歩く。
僕は山門の左側に立つ。
僕は封筒をポケットから取り出して左手で山門に渡す。血が付いている。
山門が封筒を見る。
まだだ。
山門が僕を見る。「はぁ?データでくれよ!」
心臓の音が大きくてよく聞こえない。
僕が封筒を見る。
山門も封筒を見る。
僕は山門の首を見る。
すかさず首めがけて右手を力いっぱい振りおろす。
刃が山門の首に入る。
血が馬鹿みたいに吹き出る。
彼は何か言ってバランスを崩して、空を掴み椅子と共に倒れる。
首を押える。
折れて突き刺さった刃を引っこ抜く。
僕の顔を見た山門の顔に、今まで見た事の無い恐れが浮かぶ。
血が馬鹿みたいに吹き出ている。
驚いたな。
君は本当に死んでしまうんだね。
彼の脈に合わせて血が噴き出る。
床も山門も赤く染まって行く。
いつだって時間は無い。
僕は力いっぱい拳を握る。
「・・・山門。」
僕の声は震えている。不思議だ。どこか遠くから僕の発した声は聞こえて来る。内臓がバカみたいに震える。腹を押さえる。
落ち着け。
「人生をかけて、全てをかけて!それぞれに信じるものがあって!それぞれに違った正義があるんだ!」
僕はいつの間にか叫んでいる。涙が出る。
内臓がバカみたいに震える。
「僕は君を殺す事にした!」口が渇いて、のどが詰まる。
僕は何を言っているのだろう?訳が分からない。
山門は何か話したいのか口から大量の血の泡を吹く。ゴボゴボと何か言う。僕に呪いの言葉を吐いているのかも知れないし、ただ苦しいのかも知れない。きっとただ苦しいのだろう。
眼球がうろうろと動く。泥酔したオッサンの様に動きが鈍い。大きな血だまりが出来ている。
彼は後悔なんてしていない。悔い改めもしていない。そこにあるのは怒りと恐怖だ。僕に殺される怒りと、死んでいく恐怖。
他には何も無い。
それから山門は全身を震わせてバカみたいに痙攣してから、動かなくなった。虚ろな顔で死んでしまった。
山門が死んだ。僕が殺した。
人間ってこんなに簡単に死ぬものなんだな。
その時、何か落ちた音がして僕は驚いて身を固くしたが、・・・何のことはない手からカッターが落ちたのだ。
血って体温と同じ温度なんだな。暖かい。
落ちている封筒を山門に握らせる。
明日になればまた、マスコミが大勢押し寄せて来るだろう。この惨事を見つける人も、父さんも母さんも姉ちゃんも、山門の家族もクラスメイトも、山崎先生も、皆不幸になるだろう。とてつもない不幸だ。
だけど僕は謝らないよ。謝るくらいなら最初からこんな事はしないからね。
僕は頭のおかしい人殺しだ。頭がおかしく無けりゃ、こんな事はしない。
血だらけの自分を見てそう思う。僕は頭がおかしい。
・・・でもさ。僕だって好きでこんな事をした訳じゃないんだ・・・。
僕は上を目指して走る。何処までも走っていたい。風を切って何処までも、いつまでも走っていられたらどんなに良いだろう。圭の様に風を切って走りたい。
永遠にこの階段が続いていて、いつまでも着かなければいいのにと思う。
息が切れる。旧校舎との渡り廊下を目指す。
いつも自殺の練習をさせられる、あの場所を目指す。
暗い校舎に僕の靴音が響く。太陽は沈んでしまった。
息が切れる。苦しい。
涙で前が見えない。しゃくりあげながら走ると、息が出来ない。
苦しい。激しく咳込む。吐きそうだ。気持ち悪い。生唾を何度も飲み込む。
手で口をふくと血の味がする。山門の血だ。手を着くと階段に僕の手形が付いた。てらてらと光る手。
気持ち悪い。僕は頭のおかしい人殺し。
本当に?
本当に?
どうして今日という日が来たのだろう?
どうして太陽は昇り、今日が始まってしまったのだろう?
本当に山門は死んだのか?
死んださ!
さっき僕が殺したんじゃないか!
本当に?
本当に?
僕は頭のおかしい人殺し?
そんなはずはない。
嫌だ。
助けて欲しい。
・・・よそう、考えるのはよそう。
これじゃあ、あまりにも僕が可哀そうじゃないか!
はは、本音が出たな。
嗚呼、僕は、なんだかんだ言って自分が世界で一番可愛い偽善者なんだ。
山門が書いた貼り紙通りだ。
最後に思って泣くのは自分の為なんだ・・・。
そうさ、僕が人生最後に思って泣くのは己の為だ。
・・・もうよそう、考えるのはよそう。可哀そうな僕。
暗い廊下の向こうに渡り廊下が見えた。
山門君のスマートフォンのカードを抜く。
僕は・・・。僕は他でも無い僕の為に、かけがえのない僕の為に山門を殺したんだ。そうさ、何が正義だ。
・・・もう、よそう、考えるのはよそう。
僕の世界も今終わる。不安な未来も悲しい過去も何も無い。何も無い世界さ。
僕のいない世界が始まる。
何事にも初めてはあるさ。でもじき慣れる。じきに其れが、当たり前になる。
僕に待っている未来は僕が望んだものではないけれど、僕が招いたものだ。僕が苦労して、手繰り寄せた未来だ。
ペンキがはげて茶色にさびている手すりを掴む。
てらてらと光る赤い手が震えている。
嗚呼。
本当に?
本当に?
山門のスマートフォンを屋上に向って投げる。
注意深く柵を越えて、淵に立ち、下を確認した。僕が落ちる場所。そんな事したって意味はないけれど僕の死体が何処にどんな風になるか、もう一度確認しておきたかったんだと思う。
でもそれは出来なかった。下を向いた途端に眼鏡がずり落ちて、慌てて眼鏡を押さえにかかったら、あんまり淵に立ってたもんで、バランスを崩してそのまま落ちた。
あっと思った時にはもう世界が逆さになった。いつだって僕には時間がない。
待ってくれ、待って欲しい。待ってくれよ。お願いだ。
そうだ!
僕は死にたくない。
僕は死にたくない!
僕は死にたくないんだ‼
◇◇◇
濡れた落ち葉で、足場の悪くなった石段をあがる。
こんな事になると誰が思っただろう。
墓石の横に新しく掘られた文字を見て。本当なんだなと、思った。
これは本当に起こった事で嘘じゃない。
もう、何処をどんなふうに探しても、聡は何処にもいないのだ。
「聡。退院したよ。」
頭上の木の葉に溜まった雨粒が傘にバサバサと落ちて大きな音を立てた。
傘を見上げてから、まるで僕の傘だと言われている様な気がした。
「傘、忘れて行ったろ?使わせてもらってるよ。」そう言ってから、墓石に話かけるのが酷く滑稽に思えた。
ふと最近同じように何かに話しかけてから、同じように自分の姿が滑稽に思えた事があった気がして、辺りの並木に視線を漂わせたが、黒い鳥が一羽飛び立ったのが、目の端に見えただけだった。
私は一度にたくさんのものを失い過ぎた。大好きだった、爺ちゃんと、素晴らしい友人と、私だけのものだった母親と、家族二人で慎ましくも満たされた未来。
「聡の顔写真がネットに上がってたよ。」
その写真は春祭りの集合写真をくり抜いたやつだった。殺人犯のくせに奉納の舞を踊って伝統を汚したと書き込みがしてあった。だけど私はネットに写真を流すような奴がよく知りもしないのに偉そうに書き込みをしているのが我慢ならなかった。
「皆、私が死ねば良かったのにと思ってる。」
私は生れて来る弟を愛せるだろうか?
いいや、きっと無理だろう。だけど代わりに彼の父と母が私の分まで彼を愛してくれるだろう。理想的な子供。彼らが欲しかったものだ。
私に残されたものは、私の未来だけだ。薄ぼんやりとした未来。
他には何も無い。
それだけを残して全てのものが私の元を離れてしまった。今度こそ私は生涯を通して私の未来を愛し、慈しむ。
死んでしまうその時まで、生れてきたことに感謝して精一杯生きよう。
後書き編集
『境界のパルス』を最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
なにぶん初めての事なので、拙い文章、誤字脱字、多々あります。それでも最後までお読み頂いた方々には感謝しかありません。
(途中、危ぶまれましたが、なんとか完結して良かったです!)
この小説を書こうと思ったきっかけは、切に中学生や高校生に命を大切にしてほしいと思ったからです。どういう訳か日本は自殺者が多い国です。私には想像もつかない苦悩の末に答えを出したのだと思います。でも、無責任に、楽観的に、偽善者ぶって言わせていただきたい。自殺しては駄目です。
伝えたい事の半分も書けなかったけれど、僅かでも濁らずに届けば幸いです。
願わくば、いじめによって命を絶つ人が世界から居なくなりますよう。
題名にあるパルスとは脈搏の事を指しています。
もし次に小説を書くことがあったなら、ハッピーエンドの物を書きたいです。
では、またいつかどこかで。
本邊侑
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