第17話 【パルス】 忠実な番犬 その1

転校してすぐに同じクラスの村上圭が問題を抱えていて、良くない事が彼女自身に起こっているのが分かった。なにせ一人だけ制服を着ていなかったし、透明人間として徹底して存在を否定されていた、だから、むしろ存在感は抜群だった。




 それに頼んでも無いのに悪意と偏見に満ちた詳しい説明を丁寧にしてくれる奴が別々に三人も現れて、それこそ宗教の布教の様に、俺にも皆と同じように振舞っていれば何事も無く過ごせると言い、中には彼女の存在自体を訳知り顔で謝ってくる奴も居て、それを聞いて何と答えれば良いのかさっぱり分からなかったけれど、俺の事もいずれこんな風に村中に知れ渡るのだろうと思うと、心の底からげんなりした。




 それに対して「ずいぶん親切なんだな。」と皮肉を言ってやっても、「分からない事が有れば何でも聞け。」と笑顔で返される始末で、文面通りに受け取る素直な田舎者共と、これからどうやっても上手くやっていける気がしなかった。




 いじめは何処にでも有る。空から魚が降って来るほどに珍しくは無い。


前の学校にもいじめとまで行かなくても、似たような事は有ったし、たぶんこれは伝統文化の継承よりも確実に受け継がれていくのだと思う。人間のDNAに組み込まれているのではないかとすら思う。


 だけど少し経って、俺が思っていた漠然とした印象と、彼女の印象が違っているのが分かった。


 彼女は自ら世界を拒み続けているのだ。




 だから俺は彼女に少し興味を持つ様になった。


 たぶん暇だったのだと思う。


 ここには恐ろしく退屈で暇なのだ。コンビニで立ち読みしたり、お菓子の新商品を衝動買いしたり、CDショップで試聴する事も、目的も無く店を見て歩いたり、路地裏にひっそりとある専門店を発見したり、買いもしないサングラスを選んでみたり、商店街のコロッケを食べながら歩いたり、買う予定の無かったものと運命的に出会ったり、すれ違った見ず知らずの可愛い女の子の後を少しの間、友達とつけて歩いたり、人ごみに紛れて忙しく行きかう人達をただ眺めて過ごしていたいのに、ここには何も無いから何も出来ないのだ。




 爺と婆と動物とデカい虫しか居ない。


 しかも、やる事が無いから、ここの奴等は過度に干渉して来るのだ。俺に干渉してくる暇が有ったら、身に付けている服の毛玉を指で一つ一つ取るのに時間を消費すればいいのにと思う。よくもまあ、そんな恰好で人前に出られたものだと思うのだが、笑った前歯が無い時点で俺は考えるのを放棄した。考えた所で分からない。トラクターを買う金は有っても前歯を入れる頭は無いのだ。




 何も無いこの村に越してきて、俺が感じた凄まじい虚無感と絶望感を、この村の奴に説明したところで共感は得られない。


 うず高くそびえる蒼い山々がぐっと押し迫り、じっとりとした目で俺を見下げては、ぐるりと俺を取り囲んでぐるぐる回る、この感覚をどう説明すればいいのか分からない。


 遠くの風は俺を見つけると、わざわざ肩を押して嘲笑う。見上げた空は広すぎる。




 それは小さい頃、高熱にうなされて見た夢を思い出させる。


 直径三メートルは有ろうかと思われる得体のしれない大きな花が、すぐ目と鼻の先に在る夢だ。


嗚呼、嫌だ。




 だから、こんな何も無い所で自ら世界を拒み続けている村上圭に、俺は敬服の念すら感じていた。孤高で強靭な精神を持っている。そうでなかったら、とてもじゃないけれど、あんな風に過ごせない。こんな所で世界を拒めば、何も手元に残らない。首の座らない赤ん坊の様なアイデンティティーだけを抱きかかえて、毅然と前を向いていられるか?


俺には無理だ。




 弾丸飛び交う戦場を乳飲み子を抱えて血だらけで歩いている。


 その腕の中の赤ん坊は、まだ息をしているのか?アイデンティティーを亡くしてしまったら、どうする?




 彼女は自分が男だと言う。


 複雑で繊細な問題だ。


 ここの奴等に理解できる訳がない。




 理解し難い事は不安を生む。理不尽に不安をまき散らす彼女を怖がっている。


 彼女の孤独はどれ程の大きさに膨れ上がっているだろう?彼女は矛盾を抱えたまま、偽りの孤独を信じているのだ。堂々と胸を張って誰よりも自分を愛している。誰も自分を愛してくれないから、自分で自分を愛さざるを得ないのだ。




 中学なんて三年間しかない。


 いつか皆他人になる。期限付きの全世界だ。偽りの、借り物の、気味の悪い全世界だ。


 すぐに友達でも何でも無くなってしまう。ここは旅の途中で、ふらりと立ち寄った小島だ。旅の恥はかき捨て。こんな所にモラルは無い。




 村上を見ていると、何故だか自暴自棄になって失っていた俺の自尊心を、少しづつだが回復する事が出来た。


 手放さなくたっていいのだ。


 俺は俺で、世界に一人しか居ない。




                      ◇◇◇




 両親が離婚して、父は疎遠だった実家の椎茸栽培を継ぐと言ってここに俺を連れて来た。


 俺の人生はまだ俺の物では無い。理不尽に抗う術がない。




 父は疲れていた。


 仕事も上手くいっていない様だったし、二度の離婚で精神的にも参っていたのだ。同じ屋根の下で寝食を共にすれば嫌でもわかる。そんな父を見て俺も疲れてしまった。




 慣れない仕事に四苦八苦しているのだろう。


 ここに来て父は毎日、夕方から酒を飲むようになった。爺ちゃんと婆ちゃんは飲み過ぎる息子に良い顔をせず、初めは何だかんだと言い合っていたが、とうとう何も言わなくなった。見守る事にしたのだろうが、要はあきらめたのだ。




 そんな思いを知ってか知らでか、父はロング缶を逆さにして垂れた滴をぺろりと舐めると、大きなため息を一つ付いてから、コップになみなみと焼酎を入れて戻って来た。


婆ちゃんの「最後だよ。」と、言う声が聞こえる。




「東京なんてな。人口の半分が糞田舎から出て来た田舎者の集まりだよ。」


 この部屋には俺と父しかいないが、俺はスマートフォンの画面から顔を上げてやらない。相手にするだけ時間を無駄にする。




「それを悟られまいと、皆片意地を張って生きている。肩肘張って生きてるんだ。お前も分かるだろう?」




 風呂から上って来た爺ちゃんがのれんから顔を出して「まだ、飲んどるのか?」と、言いながら台所に向って「母さん。ビール。」と、言った。




 俺は爺も飲むのかよ!と、ツッコミを入れたくなったが、生地が伸び切ったランニングから覗く、骨ばった弾力の無い腕を見て目を逸らした。




「おい。邦正、そんなに飲んで湯船で溺れても知らんぞ?」


 やれやれと首を振りながら婆さんからビールを受け取ると自室に引っ込んでしまう。


 酒の入った父さんと、話すと喧嘩になるから自室の小さなテレビでナイターを見ながら一人で飲むのが、日課になってしまったのだ。




 爺ちゃんが行ってしまうと、また父と二人残されてしまった。誰も見ていないテレビは世界情勢を伝えている。


「父さん風呂入ったら?」


 わざわざ時計を見て言ってやると、父さんもつられて時計をちらりと見やるが、酒をずずっと吸い込んだ。


「会社なんてな。もっと凄いぞ!金が絡むからな、営業なんて事務員を奴隷かなんかだと思ってる。大した金も取って来ないくせに、偉そうに!書類は不備だらけ!言うのも面倒でこっちで直してやってるのにいい気なもんだよ。半角入力も出来ない!愛想は良いがな。見え透いてる!すっけすけだ!面倒事は全部こっちに押しつけて大して忙しく無いのに、忙しいフリしてんだよ。期限も守らんしな!そのくせこっちがちょっとミスすると途端に高圧的になるんだよ!自分の数字のマイナス要因に対しての変わり身の早さったらない!もっと他に言い方があるだろうに。お前がそれを言うのか?ってな。人間性を疑うよ。それかあれだな!記憶喪失なんだろうな。そんな奴相手に仕事出来んよ。嫌な奴から出世していくしな。嫌な奴じゃないと出世出来ん仕組みになってるんだよ。」


「父さん、風呂入らないなら俺先入るよ?」


 机に突っ伏してしまった父から返答は無い。




 ほっといて風呂に入る事にする。


 俺はこの話を何回聞いただろう?要するに父は都会に馴染めず、その上母さんと別れて田舎の極みのこの場所で好きでもないシイタケ農家を嫌々継いだという話だ。


自分への言い訳をつらつらと述べているのだ。


俺の人生を巻き込まないでほしい。




 俺は椎茸が嫌いだ。


 人間は食った物で出来ている。


 聞いた話によると三カ月でだいたいの細胞が入れ替わるらしい。俺も田舎臭い飯のせいで田舎者になってしまう。身体も脳細胞も作り変えられてしまう。ここに来る前の俺と、ここを出る時の俺は別の人間だ。今の俺の細胞は何パーセント浸食されてしまっただろう?




 脱衣所で服を脱いで腹を撫でた。


 横浜へ戻らなくてはと思う。全寮制の高校へ行こう。


 風呂場の窓にヤモリのシルエットが張り付いている。拳でガラスを叩くと慌てて逃げて行った。歩き方が気持ち悪い。風呂ぐらい静かに入らせて欲しい。休まる場所が俺には必要だ。


 湯船につかりながら今日起こった出来事を思い返して、今頃村上は何をして過ごしているのだろうと思いを馳せた。












 日の傾き始めたトラックを村上圭が走っている。


 それを俺は校舎の二階から眺めている。


 彼女は誰よりも綺麗なフォームで早く走る事が出来る。少なくとも俺の目にはそう映った。サバンナなんかに居る猫科の祖先の様に走った。見ている方も気持ちが良くなる走り方だ。




 いつだったか、走っている時に何を考えているのか聞いた事がある。


 村上は変な事を聞く奴だと言って笑った。村上は滅多に笑わない。でもその時、本来はそうじゃないのかもしれないなと思った。あまりに自然に薄い唇が大きく横に広がって、えくぼが二つ現れたからだ。




 何だかその時の首の角度や、複雑な形の耳からこぼれた髪の本数や、額に光る汗の一つ一つが、大切なメッセージを含んだものに思えた。


 何と呼ぶのか分からない感情が、泉の様に沸き出てきて、波紋が広がる様に俺の先端まで均一に広がった。




 それからというもの、どんなに遠く離れていても彼女を近くに感じる事が出来た。


 トラックの向こうを走る姿を目で追いながら、短く切った癖の無い髪を思い、真っ直ぐ射る様に人を見る瞳を思う。




 陸上の専門的な知識はないけれど、遠くから見ていてもフォームだけで村上だとすぐに分かる。


 走り終わった村上は皆の輪には入らない。無視されているのだ。だけど遠目にはそんな事は分からない。有村先生が笛を吹いて、生徒が引き上げて来る。どうやら部活が終わった様だ。


 俺も帰ろう。




 サッカー部を辞めてしまった俺は暇を持て余している。


 本気でプロを目指している訳でもないのに情熱を持って取り組めないし、何より程度の低い田舎者共と仲良くする気が起きない。


 サッカーはチームワークと信頼関係が必要だ。残念ながらここでは俺に適したスポーツでは無くなってしまった。




 だから俺は今日もかけがいのない時間を、山奥のかけ流しの源泉の様に垂れ流している。


 焦ったってどうしようも無いのは分かっているが、時々無性に走り出したくなる。そういう時、俺は村上が走っている姿を見に来る。要は俺の代わりに走ってもらって、勝手にリフレッシュさせてもらっているのだ。




 何も入ってない鞄を背負って、かかとを踏んだ上履きで薄暗い廊下を歩いていると、沼田先生が前からやって来た、視線の先が俺の上靴に吸い込まれていくのを見て、舌打ちしそうになる。


「上靴のかかと踏むな。ちゃんと履きなさい。」


 案の定どうでもいいことをさも大事な様に注意してくるから、頭に来てしまう。


「あっ。さ~せ~ん。」


 手早く上靴を穿き直して小走りでその場を立ち去る。正直、関わりたくない。




 あんなに太っている上に、こんな田舎のしょぼくれた中学校の先生に偉そうに言われる筋合いが分からない。ブクブクに太って自己管理も出来ていない。


 そもそも日本の学校の校則はナンセンスだと思う。制服自体が不必要だ。何故毎日同じ服を着なければならないのだ?非衛生的だと思う。




 先生の姿が見えなくなったら上履きを踏んで歩く。


 将来先生と言われる職業にだけは就きたくない。毎日先生なんて呼ばれて過ごすなんて気味が悪い。そもそもアイツのどこら辺が先生なのだろう?




 昇降口に向かうと、村上が自分の下駄箱を前に立っていた。


 他の奴等は皆引き揚げて誰もいない。


 村上は立ち姿が良い。姿勢が良いから走るフォームが綺麗なのかも知れない。




 村上は俺の足音に気が付いて振り返ると、思いのほか厳しい顔をしていた。


 様子が変だ。


 足元を見ると上靴をはいていない。どうしたのだろうと思っている内に、靴下が汚れるのも構わず、そのまま歩いて行ってしまった。




 周囲に人が居ない事を確かめて村上の下駄箱を開けると、上靴が無い。


 静かに扉を閉めて、村上が立ち去った辺りを見た。


 たぶん上靴を隠されたのだ。




 あたりまえだけれど、俺の知らない所でも世界は動いている


 あの様子だと、こんな事は日常茶飯事なのかもしれない。もしそうなら、もはや靴を隠した奴にも明確な理由は無いだろう。衝動的に隠したのであれば、そんなに遠くまで捨てに行かないはずだが、計画的ならば人目に付く所にわざと晒されているか、二度と出てこないかのどちらかだろうなと、思った。




 俺は気まぐれに下駄箱の上を確認して、生徒数が減って使われていない下駄箱を順番に開けていった。何故そんな事をしようと思ったのかはわからない。


 だけど、まぁ、暇だったのだ。




 職員用も見て回ったが上靴は見当たらない。闇雲に探しても見つかる訳が無いかと、あきらめかけた時、裏手の旧校舎が目に入った。


 確か物置として使われているはずだ。


 人気の無い薄暗い校舎は、何かを隠すにはもってこいの場所に思われた。近づくと木造の校舎の窓ガラスは、砂ぼこりで曇りガラスかと見紛うほどに曇っている。


 入ってすぐに扉の無い木製の下駄箱があり、そこに村上の上靴は当たり前の様にきちんと揃えて入れてあった。


 しかも何故か二つもある。答えは明白だ。今回が二回目なのだ。犯人はこの下駄箱を村上の上靴でコンプリートするのが目標なのかもしれない。




 俺は村上が支度を終えて再び現れるのを待つ事にした。


 待っている間、恋人との待ち合わせとは、この様な気持ちだろうかと勝手に思い、随分気持ちの悪い事を考える様になったなと我ながら思った。








「張り込みしようぜ。」


「はりこみ?」


 帰り支度を済ませて降りて来た村上に一連の経緯を話した後、上靴を回収してから、俺はそう提案した。


「そう。隠し場所が見つかったと知ったら、馬鹿な奴等は今度こそ分からない所に隠してやろうと、のこのことやって来るだろ?そこを現行犯逮捕するんだよ。」


「どうして佐々木がそんな事するの?」


「面白そうだから。」


「何が面白いのか全然分からないけど。」


「そう?村上さんがやらないんだったら、俺一人でするけど?」


「佐々木に関係ないじゃない。」


「関係は作るのも、壊すのも、その人次第だと思うよ。」


「・・・でも、そんな事しても意味ないよ。」


「意味があるか無いかを決めるのは俺だと思うけど?」


「現行犯逮捕して、その後どうするの?先生に突き出すの?」


「そんな事はしないよ。どんな顔をするのか馬鹿面を拝んで笑うんだよ。」


「その後は?」


「向こう次第だよ。」


「佐々木は暇なの?」


「そりゃそうだろ。こんな過疎地に本当に忙しい奴なんて居ると思う?」


「私は暇じゃない。」


「だけど、俺は暇なんだよ。」


「佐々木の好きにすればいいよ。私はやらないけど、上靴の事教えてくれて、ありがとう。」




 脇をすり抜けて行ってしまいそうになる村上の腕を慌てて掴んで引き留めた。


 村上は驚いた顔をしたが、目をそらさずに俺をじっと見た。


 村上は人と話す時、いつも目をそらさずにじっと目を見る。それは癖なのかもしれないが、見られている方を不安にさせる事をきっと知らないのだろう。




 たぶん、それを学ぶ機会が少なかったに違いない。


 誰も彼女に話しかけないのだ、無理も無いと思う。だから俺はわざと村上と同じように目をそらさない様にした。




「じゃあ、結果報告するから連絡先を教えてよ。」


「そんなの要らない。」


「本当に?俺の行動一つで村上さんに降りかかる火の粉の量が変わるって話をしているんだけど?」


「何それ?」


「選択肢は二つしかないと思うけどなぁ?村上さんが止めてくれと言っても張り込みをする事は決定事項だから、それに参加するか、事後報告を聞くかのどっちが良い?」




 村上は俺の顔を真っ直ぐ見て意図を計ろうとしている様だったから、敢えてにっこりと笑ってやると、僅かに怪訝な顔をして「私にメリットが無い。」と言った。そりゃそうだ。




「無いよ。今より事態が悪くなる可能性を回避する為にも、俺を見張っておいた方が良いってことだよ。今ので分かったと思うけど、これはお願いでも相談でもないんだよ。」


「佐々木にもリスクが有ると思うけど。」


「問題が発生すれば、横浜に帰るのが、早まるだけだよ。」


「佐々木は私の味方という訳じゃないんでしょう?」


「俺は誰の味方でもないけれど、今のところ村上さんの敵でも無いよ。」


「今のところ?」


「そう、今のところ。」


「敵になった時に通知は来る?」


「どういう事?今から敵になりました。宜しくお願い致します。って事?」


「まぁ、そうだね。佐々木は変な奴だな。」


「そうでもないさ。いいよ。約束しよう。そうなった場合必ず通知を入れるよ。」




 何が心に響いたのかは不明だが村上はスマートフォンを取り出すと「ID。」と、言った。


 村上は味方が欲しかったのだろうか?なんにせよ、気の変わらない内に表示されたIDを入力した。


 俺は手早く「結果報告をお楽しみに。」と打って送信した。


 村上は画面を確認して「何も報告する事が無い方が嬉しいけど。」と、大して興味の無い様に言ったけれど、意外と内心は面白がっているのではないかと思った。




「そうだな。現行犯逮捕は五分五分ってとこじゃないかな?からぶった時は次を考えるさ。」


「次?・・・。」


「そうだよ。そのくらいしなきゃ、暇つぶしにならないだろう?」


「サッカー部行きなよ。」


「都会から来た奴が一番上手かったら、お山の大将がやっかむだろう?」


「上手いの?」


「サッカーは一人上手くてもダメなんだよ。」


「まぁ、そうだね。」


「靴箱に南京錠かけた方が良いよ。」


「うん。買ってあるんだけど、めんどうで付けて無かった。」


「でも二回目なんだろ?」


「そうだね。そうする。」


「じゃ。またな。」


「うん。ありがとう。」




 校門を出ると、村上は自転車に乗って一番星が輝いている空に向かって帰って行った。ここは空が広すぎる。その後姿を見送って、俺は力強く自転車を漕ぎだした。




 ぽっかりと空いた胸の空洞にふわりと何かが充満した気がする。


 それは吹けば消えてしまう不確かなものだけれど、確かに質量の有る何かだ。宇宙の九十五パーセントは人類の知りえない物質で出来ているらしいから、きっと、そのどれかの物質だろうと思う。


 口笛が風に乗って響く。










 村上はどんな時も周りに誰もいないかの様に過ごす。


 休み時間にベランダに出て校庭を眺めたり、教室の後ろに開いたスペースで簡単なストレッチをしたり、本を読んでいたり、音楽を聴いていたりする。




 それはまるで込み合う車内で一人、車窓を眺めている様でもあるし、開けた芝生の上でストレッチをしている様でもあるし、海を眺めながら日よけの下で本を読んでいる様でも、小洒落たカフェで音楽を聴いている様でもある。




 一人に慣れてしまうと、一人だけ先に大人になってしまうのかもしれない。


 だから誰かが村上の事を見ていても村上は気が付かない。ガキ共に関心が無いのだ。同じ土俵に上がるのを拒んでいるのかもしれない。




 村上がそんな風だから、上靴を隠した女子共の行動は大胆で、事情を知っている者が注意深く見ていればすぐに当りを付ける事が出来る。




 彼女等からすれば、昨日隠したはずの上靴を何食わぬ顔で履いて来た村上が気に入らないのだ。


 わざわざ確認をしに傍を通り過ぎては、国政を預かる者の様に渋い顔を寄せた。馬鹿共はプランを立てて、近々行動に移すだろう。




 彼女等は何を欲しているのだろうか?


 優越感?支配力?確固たる地位?影響力の拡充?


 もしかしたらユーモアのセンスを磨いているつもりかもしれない。その場合絶望的にセンスが無いと言わざるを得ないが。




 手始めに、その日一日彼女等を付けて歩いた。無防備な人を付けて歩くと対象が阿呆に思えて来る。たぶん彼女等にも村上が阿呆に見えているのだろう。対象者は自分よりも阿呆でなければならない、そうでなければ立場が逆転してしまうからだ。


 阿呆な彼女等の行動は早かった。


 昼休みにそろって下駄箱に向うと村上の下駄箱を躊躇なく開けた。今度はスニーカーを隠すつもりなのだろう。


「あれ?なにこれ?」


 抑えた声だが戸惑った声が響く。


「開けて見てよ。」


「え?えぇ?怖!」




カシャ。




シャッター音が響くと、ハッとした面々が振り向いて、ユーマでも発見したかの様な驚愕の表情に変わった。


「ハハッ。案外よく撮れたな。」


 思わず笑ってしまった。


「佐々木!アンタここで何してんの?」


 女三人は俺の姿を見て仰天している。




「何って、スニーカーを盗んでいるとこを写真に撮ってたんだよ。」


「何が?そんな事してませんけど?」


「嗚呼、いいよそういうの。別に断罪しに来た訳じゃないから。それは俺からのラブレターだよ。じゃ。」


 写真が撮れたら、もう用は無い。




「はぁ?どこ行く気?写真消してよ!」


「どの写真を消すの?」


「さっき撮った写真に決まってるでしょ?」


「だから、どの写真さ?歩いてる所の写真もあるけど。」


「何それ?盗撮?先生に言うよ!」


「消してもいいけど、もうPCに送ったから意味無いよ。」


「パンツ盗撮されたって言うわよ。」


「そうしたら、しょうがないから、見たままを言うよ。証拠もあるしね。」


 打開策を思案している様だが、何も思い浮かばないのだろう。押し黙ったまま睨まれた。


「じゃあな。」


 立ち去る俺を、追いかけて来るかと思ったが、彼女等は追いかけて来なかった。今頃暗い顔を突き合わせているだろう。


ラブレターを読み返してくれているのかもしれない。




『泥棒達へ ここに靴はないよ』




 写真を撮った時の、あの顔!


 馬鹿共の、あの顔!笑いが込み上げてくる。




 俺は喜び勇んで村上に写真を添付して送信した。


山門「見ろよ!この馬鹿面!」


 既読が付くが、なかなか返事がない。上手くいきすぎて戸惑っているのかもしれないし、実際に現場を目にしてショックを受けているのかもしれない。


 教室に戻ると、村上は俺を見ようともしなかった。


 これには少しがっかりしたが、俺は馬鹿三人が意気消沈しているのを眺めては、爽快な気分で過ごした。






 放課後、馬鹿共はプランを変更したらしく、俺を取り囲んだ。


「ねえ。佐々木。あんた誤解している様だから言うけど、私達は散々村上さんに迷惑を被ってんの。心の底から迷惑しているのよ。ここに来たばかりで知らないだろうけど、あの人、人の言う事なんて聞く気が無いのよ。言葉が通じないの。だからさぁ。ややこしくなるから関わらないで欲しいのよね。」


「要は写真撮られてビビッてんだろ?」


「そんな写真意味無いよ。私達何もやって無いんだから。」


「やろうと思ったけど、出来なかったの間違いだろ?」


「やって無いものは、やって無いんだから、どうでもいいよ。とにかく、盗撮とか気持ち悪い事止めてくれる?」


「村上さんはお前等の事は知ってるみたいだったよ。」


 村上とはまだ、話せていなかったが、無かったことにしようとする態度に腹が立って、でまかせを言ってしまった。でも、もう村上は知っているのだから全くの嘘という事も無いだろう。


「チクったの?」


「俺は俺のしたい様にするよ。誰の味方でもない。お前等もしたいようにすればいいよ。」


「何それ?キモ。」


「お前と俺は同じだろ?気持ち悪いくらいに欲望に忠実だ。」


 三人はお互いの顔を見合わせると、肘で突き合って怯えるような顔をした。ヤバい奴だと思ったのだろう。




「何それ?本気でキモい。」


「お前らと俺は同じくらいキモいよ。自覚無いのか?めでたい奴だな。欲望に忠実じゃ無い奴が人の物を盗んだりしないだろ?お前等には自制心が無い。欲望に忠実な人間だ。善良な市民だとでも思ってんのか?」


「欲望!欲望って何なの?わかった様な事偉そうに言わないでくれる?それに盗んだりしてないし!とにかく。首を突っ込まないで!分かった?」




 半ば互いを引きずる様に三人は駆け足で去って行った。


 いい気味だ。彼女等のプランは次の段階に移行されるのだろうか?もう少し脅かしてやればよかった。


 欲望に忠実。


 我ながら良い言い回しをしたものだ。少しは彼女等の心に突き刺さっただろうか? 言葉は呪いだ。人間は無自覚に人を呪って生きている。




 親にいい子だと言われ続ければ、それは呪いになる。いい子でいなければならないと思うかもしれないし、自己との乖離が深まるきっかけになったりする。今晩にでも彼女等は思うだろう。自分は欲望に忠実な人間なのだろうか?






 放課後、トラックを走り終えた村上がこちらを見たタイミングで手を上げて合図すると、驚いた事にこちらに向かって歩いて来た。てっきり無視されると思っていたのに意外だ。


 何か心境に変化があったのだろうか?


グラウンドに居る奴らがこっちを見ている。




「みんなこっち見てるけど、こっち来ちゃって大丈夫?」


「ちゃんと言っておけばよかった。」


 村上は俺に問いには答えず、浮かない顔でそう言った。


「何を?」


「もう、いいよ。」


「何が?」


「だから、こんな事やっぱり、止めよう。」


「怖気づいちゃった?」


「キリが無いよ。」


 脳がピリピリする。


「新たに事件発生?」


「ついて来て。」


 村上はタオルを首に掛けるとスポーツバッグを担いで歩き出した。

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