第7話 【境界】誰ともしれぬ血を流した者 その1

 砂嵐は嘘の様に突然終わった。


 開演中の舞台の山場に音楽が止み、カーテンコールも無しに客席の照明が点くように、砂嵐は唐突に何の前触れも無く終了した。




 見上げる空は澄み渡り、雲一つない元通りの空だ。太陽は何も見逃すまいと、全てのものに煌々と光を放っている。


 なんにせよ村を探索するのに適した気候ではない。




 僕は空を一睨みした後、早速、家の具合を見て回ったが、驚いた事に損傷はどこにも見当たらなかった。暴風に晒されたというのに、瓦一枚飛んで行った様子が無い。それどころか庭の植木の葉さえ散った様子が無いのだ。


 しかし、風景は一変してしまった。




 雪の様に砂が積もっている。


 深さは二十㎝といったところだが、雪と違って溶けないのだ。歩くと細かい粒子の砂が舞う。風が吹けば目を瞑らないと激痛に涙を流す羽目になる。それでも、もっと酷い有様を想像していたので、なんだか拍子抜けしてしまったが、言いようのない不気味な焦りを感じた。確実にタイムリミットは迫ってきている。急がねばならない。それに墜落した飛行機も気になる。


 本当に飛行機かどうかは定かではないが、何かが爆発したような音は確実にした。何かが起こったのだ。




 家をぐるりと確認してから倉庫の扉を開けた。


 トラクターなど農機具が収納されている。入ってすぐに自転車が置いてある。砂が降り積もる前なら自転車で探索出来ただろうが、今では砂浜を走る様なものだ。転倒するのがオチだろう。


 軽トラを運転出来ればそれが一番だろうけれど、誰も居ないからと言って狭い農道を運転する自信は無い。やはり地道に歩いて探索する他なさそうだ。




 僕はそこ等にあったリュックにペンとカッターナイフ、方位磁石、例のノートを入れると、台所に置いてあった食パンを見て、全く空腹を感じない事に気が付いた。


 空腹どころか水一滴口に入れていない。


 たぶん食べなくても死なないという事なのだろう。食欲が無いと言うより、食べた後の満足感が常に有ると言った感じだ。便利と言えば便利な体だが、無性にオムライスが食べたくなった。




 ナスとほうれん草の味噌汁。


 明太パスタ、豚の生姜焼き、白身の魚をフライしてタルタルソースを付けて食べたい。


 とんかつに親子丼、カレーうどん、山菜おろしそば。


 なんでもいい。


 炊飯器を開けた時の白米の音と湯気を浴びたい。


 誰かと話をしながら、煎茶が飲みたい。


 水道のじゃぐちを捻ってペットボトルに水を注いでリュックに入れた。


 考えると虚しくなって来る。




 鳥籠を抱えると、家を出た。


 とばりさんが居てくれて良かった。きっと一人では死ぬことばかり考えていただろう。二人だと生きる事を考え始める。




 とばりさんの方はそんな風に思っていないだろうけれど、精一杯生きる努力をしよう。それが、とばりさんと少年に対しての誠意だ。




 制服は全然乾いていないけれど、他に着るものが無いし、それにこの暑さだ。すぐに乾くと思う。門扉を出て真っ直ぐ続く道を数メートル歩いて、あまりの日差しの強さにめまいがした。




 地下道から家まで来る時には感じなかった日差しと暑さに戸惑う。どうやってここまでやって来たのかと首をひねった。僕の身体がおかしくなったか、正常に戻ったか、或いは気候が変化したか。何にせよこれは一度家に戻って対策を講じた方が良い。なにせ歩いて探索するのだ、長い一日になるだろう。




 玄関まで戻って日傘を探したが、鳥籠を両手に抱えているため傘がさせない。別の方法を探した方がよさそうだ。




 キャリーバックの中にフード付きのパーカーが入っていたのを思い出し、キャリーバックの傍に屈むと携帯電話が目に入った。起動させるが何の通知も来ていない。持って行くか迷ったが結局持って行かない事にした。


 パーカーを引っ張り出すと、冬物で裏が起毛していて見ているだけで暑さが尋常じゃない。それに色が黒だというのもますますいけない。砂漠に住む人々の様に白い布を被った方が良い様に思う。




 仏間の押入れから白のシーツを取り出すと頭からすっぽりと被ってみた。


 奇妙な恰好だが、誰に見られるという事も無いし、前を合わせて洗濯ばさみで留めれば両手が空く。


 出来の悪い幽霊の様だけれど道で会ったら十分に怖いだろうなと思った。白いシーツを頭からかぶった子供が黒い鳥が入った鳥籠を抱えているのだ。




 しかし、とばりさんは僕の恰好を見ても特に感想は無いようだった。


 笑ってくれたらと思ったが、とばりさんは笑わない。無理な注文だ。




 色々考えた結果、僕は初めに名簿を見つけるため小学校を目指す事にした。そして歩いた道をノートに記入していこうと思う。場所がはっきりと分からない少年の家を探すのは、大体の村の現状を把握してからの方が良いだろう。


 小学校と中学校で名簿か、出席簿を探す。


 少年の家を探す。


 爆発音の原因究明。


 手紙を探す。


 僕の部屋の荷物はどこへいってしまったのか。


 とりあえずはこんなところだろう。




 玄関を出て振り返り、僕はまたこの家へ帰って来れるだろうかと不安になった。


 誰も居ないから、別にここに戻って来なくたっていいわけだけど、僕はもう何一つ忘れたくないと思った。この家で僕は何を思い過ごしていたのだろう。そして何を思い出せばここから出られるのだろう?




 小学校への道すがら、何か気が付くものは無いか注意深く歩いた。


 とばりさんの言う通り全ての家の表札は叩き壊されている。それに全ての家の雨戸が固く閉ざされていて、村全体に不気味に押し黙った沈黙が充満している。




 僕は寂しさにたまらなくなった。もうすぐダムの底に沈む村はこんな感じかもしれない。


 人は一人じゃ生きていけない。


 例え食べなくても死なない体を手に入れたとしても。そう思うのは僕が若いからだろうか?




 緑豊かな真夏の村に雪の様に砂が積もっている。奇妙な風景だ。


 まさに天変地異。恐ろしくも綺麗な風景だ。




 小学校までは、ゆうに一時間はかかったのではないかと思う。正確な時間が分からないので、僕の体感だから正直誤差が大きいとは思うけれど、とばりさんは空を飛んだことは有っても道を歩いた事が無いので、たどり着くまでに結局道を探さなければならなかった。


 簡単に「この林の向こうだ。」と言ってのけるのだ。




 それとあんなにお喋りだった、とばりさんが言葉少なくなってしまったので少し心配になった。何というか、気もそぞろで宿木を左右に歩いて落ち着きが無い様に思う。何か僕のあずかり知らぬ所で良くない事が起きているのではないかと気になって「どうかしたのですか?」と尋ねても「問題ない。」と言うだけだった。






 ようやくたどり着いた小学校は坂を上がった所に在った。


 そして僕は懐かしさで、しばらく動けないでいた。




 校門前に花壇があり、校庭には遊具があり、校舎には大きく標語が書かれた垂れ幕がかかっている。


(元気にあいさつ。「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」)


 ごめんなさいは挨拶なのだろうか?と笑ってしまう。




 六年も通った通学路を忘れてしまっていた現実が受け止められない。


 雨の日も、雪の日も、暑くて溶けそうな日も、歩いて通ったじゃないか。思い出す嬉しさよりも、忘れていた悲しさの方が僕の胸を締め付けた。


 校内に入ると懐かしい匂いがした。




 皆が騒ぐ声が聞こえてきそうだ。


 廊下を走る足音、リコーダーの音、そうだ、プールが無いから、第二小まで借りに行っていたっけ。




 断片手に記憶がよみがえるけれど、友達や先生の名前は思い出せない。


 教室に入って席に腰かけてみると椅子が低い。僕はここを卒業してしまったのだ。


 ここにはもう僕の居場所はなくなってしまったのだなぁと思うと、記憶が無いくせに感傷的になった。




 ふと、思いついて黒板の日直の欄に圭と書いてみた、苗字が書ける気がしたけれど、やはり思い出せなかった。僕の苗字は何だった?


 たいそうな苗字じゃなくていい。苗字が欲しい。試しに佐藤と書いてみたが、しっくりこなくて消した。日直の欄に好きな子の名前を書いた事が有るような気がする。




 名簿があるとしたら職員室だろう。場所は覚えている。


 記憶通りの場所に記憶通りの物がそこにあると言う事が、こんなに、たまらなく嬉しさが込み上げて来るものだとは知らなかった。宝の地図通りに歩いたら宝があった様な感覚だ。




 そっと引き戸を開けると、悪さをしている妙な気分になってしまう。


 誰も居ないと分かっていても職員室に入るのは緊張する。


 すべての机を見て回っていると、先生の個性が垣間見える。だけど残念な事に先生の名前や、思い出も蘇って来なかった。職員室は居心地が悪い。




 卒業名簿はどこだろう?


 ざっと見た所、棚にはそれらしいものは無い。続いて校長室の扉を開けたが驚いて、扉を閉めた。


一歩下がって再度プレートを確認したが、間違いなく校長室と書かれている。




「何これ?」


「少年がここに入室したことが無いのだろう。入った事が無い場所は再現されない。」


 そんなルールがあるなんて知らなかった。


 校長室は白い空間が有るだけで何も無い。




 という事は僕の部屋に何も無かったのは少年が入室したことが無かったという事だ。


 いや待て、僕の部屋は何も無かったけれど、こんなに真っ白な空間じゃなかった。


 僕の部屋には日に焼けた壁紙があり、傷の付いたフローリングが敷かれてあったし、窓にはカーテンが掛かっていた。


 ここは目の覚めるような白い空間があるだけだ。


 恐る恐る真ん中まで足を進めると、プラネタリウムに行った時の様に辺りを見渡した。空間自体が発光している様に明るい。なんとも言えない居心地の悪さを感じて、廊下に続く扉から出て扉を閉めた。


 何だか怖い。




 とにかく職員室に卒業名簿は無かった。他に思い当たる場所は図書室くらいしか思い当たらないが、たぶん卒業名簿は無いだろうと思う。




 なにより再現されない空間があるとは驚いた。


 きっと曖昧な所は曖昧に再現されているに違いない。だから僕の家の戸棚の中は空っぽだったのだ。


 だとすると少年の家を探すのは、思っているほど時間が掛からないかもしれない。扉を開けて再現されていれば少年が入った事のある家だ。逆に入った事の無い家は玄関さえ再現されていない可能性がある。




 図書室の扉を開けて背の低い本棚を見て回る。


 資料室の様な部屋が併設していた様な気がしたが、思い違いだったらしく、図書室は記憶よりもこじんまりしていた。これも少年の印象と僕の印象の違いかもしれない。低学年向けの星座の本を手に取ってページを捲ると、遠足でプラネタリウムに行った事を思い出した。きっとさっきの白い空間がきっかけになって思い出せたのだろう。




 それから全ての階を見て回ったが、結局小学校では何も見つからなかった。


 この分だと中学校も同じかもしれない。




 やはり少年の家を探した方が良いかもしれない。


 しかし、ここまでの道のりで村が相当広い事が分かった。とばりさんは小さな村と言っていたけれど、世帯数が少ないだけで移動するだけで時間ばかりかかる。全ての玄関扉を開けるだけでも数日かかるかもしれない。




 校庭に出ると、微かな記憶で思い思いに遊ぶ生徒達のおぼろげな姿が見えた。


 春になると校庭を囲む桜の木が満開になって綺麗なのだ。僕は一人、桜の木の下をほっつき歩いていた気がする。




 校舎の裏手に回って何も居ないウサギ小屋を覘いて、百葉箱の脇を通って、僕はため息をついた。 


「とばりさん。ここには何も無さそうなので、中学校か役場へ行こうと思います。」


 返事が無い。


「とばりさん???」


「なんだ?」


「いえ、中学校か役場へ行こうと思います。」


「うむ。そうしよう。」


「どっちが近いですか?」


「中学校がこの道のりの倍ほどの距離にある。」


 遠いが仕方が無い。




「分かりました。」


「東に向かって歩け。」


 校庭を突っ切って歩くと、綺麗な夕焼けの中を、一人歩いて帰ったのを思い出した。


 長く伸びた影を赤いランドセルを背負って・・・。赤い?


 赤いランドセル?




 夕焼けの日が反射して赤く見えたのだろうか?


 立ち止まって校舎を振り返ったが、何か大切な事を忘れている気がしてならない。


 風が吹いて砂が舞い目を開けていられなくて目を瞑った。被っているシーツを手繰り寄せて風が止むのをじっと待つ。




 何か大切な事を忘れている。いいや、ほとんどの事を忘れているのだ。


 いちいち不安に向き合っていたらきりがない。




 今は東を目指して歩くほか無い。風が止むと僕は再び歩き出した。


 校門で振り返ると、僕は一礼して小学校を後にした。






 中学校への道は広い田んぼの脇を永遠歩かなければならなかった。


 日差しを隔てる物が無いので直射日光をまともに受ける。田んぼの水が砂で埋まってしまっているせいで吹いて来る風も暑い。稲はすぐに枯れてしまうだろう。




「圭。あれを見ろ。」


 僕は暑さに負けて足元だけが見える様にシーツを被っていたので、顔をあげて驚いた。


 小型機が田んぼに突き刺さっている。


「えっ!やっぱり飛行機だったんだ・・・。」




 周りに人影は無い。パイロットは無事だろうか?


 助ける事が出来るとしたら僕だけだろう。


 細い農道に入って出来るだけ近くまで寄ってみると、飛行機から這い出して農道に上がった形跡がある。田んぼは砂に埋まっていると言ってもぬかるんでいるようで、それがクッション替わりになったのかもしれない。パイロットは脱出した後の様だ。




「厄介ごとに巻き込まれる前にこの場から去った方がいい。」と、とばりさんは言った。


 確かに素性の分からぬ人とここで会うのは得策では無い様に思う。


 その場を離れようと、先へ進むと、パイロットが倒れていた。




 とばりさんは小声で「圭。引き返せ。」と言ったが、僕は大いに迷った。


 声をかけるべきではないか?


 実際に人が倒れているのを見ると、迷わずにはおれない。




「圭。君は治安の良い所からやって来たのだろう。だから迷うのだ。治安の良さは他者へ配慮する余裕を生む。しかし、ここが治安の良い所かどうかはあの男次第だ。それにここでは良かれと思う事が、時に逆の結果を生む事がしばしば有る。そっとしておいた方が彼にとって最良の結果をもたらすかもしれん。」




 確かに、僕に他者を思う余裕は無い。


 僕は来た道を振り返り、心の中でパイロットに謝った。(ごめんなさい。ごめんなさい。)


 小学校で見た標語を思い出す。(元気にあいさつ。「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」)


「圭、少し遠回りになるが別の道から行こう。」とばりさんに促されて歩調を速めた。




パイロットは何処からやって来たのだろう?


「とばりさん。パイロットは何処から来たと思いますか?」


「小型機で飛行可能な範囲で、ここでは無い所だ。」


「パイロットは死んでここに来たんですか?」


「そうだ。墜落したのだろう。」


「ど、どうしてここに来たんだろう?」


「関連性は無い。偶然ここで燃料が尽きたのだ。そう珍しくない。」


「偶然?じゃあ、ここの村の人じゃないんですか?」


「この村に飛行場は無い。」


「・・・。」




 質問しながら、僕はとばりさんに何を聞きたいのか、分からなくなった。


 パイロットが、すごく良い人だったら・・・話が出来るのでは無いだろうか?


 僕は人と話がしたいのだろうか?




 とばりさんは人を嫌っているし、・・・。協力してくれるとは思えない。


「圭。人はここへ来ると、隠れていた欲望や思想が露わになり協調性が希薄になる。自己中心的な者と自暴自棄になる者がほとんどだ。人が人の思う人間らしさを保てるのは、人が人と関わっているからだ。ここでは身なりを気にして、シャツにアイロンをかけたりしないし、道に落ちているごみを拾って歩いたり、金勘定をする者もいない。もちろん、大半の者がここへ来ても人間らしくありたいと願っている。しかし、願いが叶うとは限らない。」




 とばりさんの話を聞いていると、なんだか人間なのに、人間が嫌いになりそうだ。


「でも、やっぱり、人が倒れていたら・・・。」




 倒れていたら、医者でもないのに怪我を治療してやるのか?


 神父の様に死ぬのは怖くないと優しく微笑むのか?


 僕には何も出来ないだろう。だけど逃げ出すのも違う気がする。




「とばりさんはここの世界に来た人しか知らないのですよね?世の中はとばりさんが思うよりは悪くないかもしれませんよ?」と言いながら、果たしてそうだろうか?と思った。


 何もかもを捨てて来た僕が何を言うのだろう。




「圭よ。ここと君の言う世の中は寸分たがわぬ同じ場所にある。」


「え?どういうことですか?」


 思わぬ答えに驚いて立ちすくんだ。




「そのままだよ。私は人に興味は無いが、君よりは長く意識を保っている。確かに偏りはある。そこは認めよう。」


「とばりさん。同じ場所にあると言うのはどういう事ですか?ここは記憶で出来ているのですよね?ここで起きたことは向うでも起きるって事ですか?」


「いいや、違う。ここでの事はここでの事だ。座標が共通なのだよ。この宇宙はこの宇宙だ。君が今見ている太陽はここに来る前に見た太陽と同じ太陽だ。」




「太陽?」


 太陽を見上げるが、良く分からない。


「座標が同じって緯度経度が同じって事ですか?」


「座標は座標だ。」


「でも実際の村と同じところに記憶で出来た村が有るんなら、どうしてこんなに静かなんですか?」


「人なら居るさ。先ほどから何度もすれ違っている。」


「・・・?え?」




 僕はここがどこか遠く離れた場所だと思っていたのだ。


 ぐるりと周りを見渡した。こんなに静かで誰も居ないのに?同じ場所?


「・・・と、言う事はさっきの小学校にだって、生徒がいた?」


「そうだ。」


「職員室で先生達が仕事をしていて、家に居る時は、母さんと父さんが傍でテレビを見たりしていたって事ですか?」


「家には誰も居なかった。」


「どうしてそんな大事な事早く言ってくれなかったのですか?」


 思わず声を荒げてしまう。


 ここに皆居る?


 見えないだけで、すぐそばに皆いるのか?




「限りなく近くて、限りなく遠い。」


「でも皆ここに居るんですよね?見えないけど、居るんですよね?」


「君は見えない者がここに居ると思えばそれで満足なのか?」


 なんだか棘のある言い方だ。




「満足ではないですけど、なんていうか、すごく遠い外国に一人で来ている様な感じだったから、遠くても近いんですよね?」


「満足で無いならばそれでいい。彼らはここに居ない。今のままではいずれ君と一緒にここは消えてしまう。次の砂嵐が終わったら、元の湖へ帰った方が良い。あそこはここよりは少し時間が長いだろう。」


「湖へ帰る?そ、それは・・・。」


 僕を見限ると言う事だろうか?




「無論、そうならない様に善処しよう。湖へ戻ったところで、何も思い出せやしまい。」


「・・・はい。時間が無いんですよね?でも、でも、とばりさん。同じ場所なら何かの拍子に誰かとすれ違ったりしないですか?」


「寂しいのかね?」




 そうか、僕は寂しいのだ。


 見えないだけで皆居ると分かった途端に、猛烈な孤独感に苛まれた。


 だって皆ここに居るのに、見えないなんて!


 あんまりだ!




「・・・そうですね。寂しいです。とばりさんが居てくれて良かったです。」


「寂しいと感じる事が出来るのは、満ち足りた時間を持っていた事のある者の特権だ。何も持たぬままここに来る者も居る。」


 寂しい事が特権だとは思えないけれど、なんとなく分かる気がした。


「とばりさん、もし母さんが近くを通ったら、教えて貰う事は出来ますか?」


「私は、圭の母親と面識が無い。よって不可能だ。」


「・・・。そうですか。」




 とばりさんは家に両親は居なかったと言った。


 それは嘘ではないだろう。


 たまたま昨晩は外出していて帰って来なかったとしたら、今日は帰って来るのではないだろうか? 


 今日一日くらい家に居るべきでは無かったか?




「圭。ついて来たぞ。」


 ついて来た?


 ゾッとして振り向くと、パイロットは負傷が激しいらしく、四つん這いでこちらに向かって来ている。


僕が振り向いたのが分かったのか、こちらを見たまま腰を下ろした。 




 僕は息を呑んでパイロットと対峙した。五十メートルほどの距離がある。


「圭。出来るだけ早く離脱した方がいい。」




 離脱?離脱って簡単に言うけれど、走る他手段は無いのだ。


 僕は踵を返すと思い切り走った。背を向けると恐怖で足がもつれる。


 思っているように走れない。遮蔽物の無い農道だ。彼はずっと僕を見ているだろう。




 パイロットは僕の事を人でなしと罵っているかもしれない。


 いいや、罵っているに違いない。


 僕が彼だったら助けて欲しいもの。


 何も出来なくたって傍に居て、根拠が無くたって大丈夫だと言って欲しい。


 追いかけて来る足音がしないので立ち止まって振り返った。


 パイロットはやっぱりこっちを見ている、表情は分からないが真っ直ぐにこちらを見ている。


 どうしよう?




「とばりさん、僕、水を持っているんです。見た所、歩けないみたいだし、少し手前にペットボトルを置いて来ようと思います。」


「圭。賛同しかねる。」


「僕やっぱり、放って置けません。とばりさん、ちょっとここで待っていて下さい。危なくない様に、手前に、十メートル先にペットボトルを置いて来ます。」




 地面に鳥籠を置いて、リュックから水を取り出すと、遠くからでも見える様に腕を挙げてペットボトルを持ち距離を詰めた。


 男が動く様子は無い。


 僕が警戒しているのが分かったのだろう。




 僕は男から目を離さずに十メートルほど手前で、道の真ん中にペットボトルを置いた。それから、後ろ歩きで慎重に距離を伸ばすと、今度こそ振り返らずに走った。


 とばりさんを回収してあちらから見えない所まで来ると、ようやく安心して地面に倒れ込んだ。




「怖かった。」


「圭。彼奴はきっとまた来るぞ。」


「でも、歩けそうもありませんでしたよ。」


「歩けるさ。見つかってしまったからには、身を隠さなくてはならない。」




 あの怪我で歩けるだろうか?


 とてもそうは思えないけれど、とばりさんがそう言うのだから、そうなのだろう。




「圭。この道を行っても中学校へは繋がっていない。北へ進んだのち東へ進路をとれ。」


 僕は何らかの任務中で作戦コードを受領したような気分で「はい。」と言った。

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