(6)賑やかな祝宴
《愛でる会》が松原工業社屋ビルに程近いイタリアンレストランを、19時から貸し切りにした日。由良を筆頭とする《愛でる会》会員達は退社後にその店に続々と集結し、笑顔で挨拶を交わした。そして開始予定時間までに集まった三十人程が六つのテーブルに分散して着席すると、真ん中の列の壁際のテーブルに陣取った由良が、両隣に沙織と吉村を座らせて上機嫌にワイングラスを持ち上げる。
「皆、グラスは持った?」
店内全体を見渡せるその席から由良が声をかけると、即座に明るい声が返ってくる。
「は~い!」
「全員持ってます!」
「それでは! 関本沙織の結婚を祝って、乾杯!」
「かんぱ~い!」
「関本さん。ご結婚、おめでとうございます!」
「末長く、お幸せに!」
「ありがとう。それにしてもこんなに集まってくれるなんて、予想外だったわ」
あちこちからグラスが鳴る音と共に祝福の声をかけられた沙織が正直に感想を述べると、周りから含みのある笑顔を向けられる。
「当たり前ですよ」
「関本さんから色々聞きたくて、今日のこの日を指折り数えて待っていたんですから」
「あはは……。お手柔らかに」
これはなかなか解放して貰えないかもしれないなと沙織が諦めつつ苦笑いしていると、隣で妙に上機嫌でグラスを傾けていた由良が声を上げる。
「しっかし、今日はワインが美味しいわね! 両手に花って、正にこの事だわ! 吉村さん、そう思いません?」
にこやかに同意を求められた吉村は、由良と目を合わせないまま憮然として答えた。
「悪いが、全然思えないな。意味不明だ」
「本当にシャイですよね、吉村さんって!」
「お前は一度、日本語の使い方をきちんと習え!」
「ところで乾杯も済んだし、ここで沙織への質問タイムに突入します!」
「会長、待ってました!」
「はい! 質問が山ほどあります!」
「私も、根掘り葉掘り聞きたいことが!」
「俺の話を聞け!」
思わず由良に向き直って文句を言った吉村だったが、彼女がそれを無視して友人達に向かって声を上げた為、忽ち店内が喧騒に包まれた。そんな中、手振りで由良が騒ぎを静めてから、沙織に向き直って真顔で言い出す。
「普通だったら、交際発覚とか婚約発表の場では、まず最初に当事者二人の馴れ初めとかを質問すると思うけど……。二人の出会いの場が、入社して営業二課への配属時って分かりきっているものね」
その指摘に、沙織が頷きながら応じる。
「そうなると、まず何から答えれば良いの?」
「そこはやっぱり、いつ頃から上司と部下ではなくて、男女として意識してきたとか?」
「そうですよね!」
「私達、すっかり騙されましたもの!」
「傍目にはどう見ても、上司と部下の関係としか見えなかったのに!」
由良の提案に、店内のそこかしこで嬉々とした声が上がる。それを受けて、沙織は再度考え込んだ。
「いつから、男女として意識したか……。う~ん、はっきり答えるのは難しいけど、やっぱり元カレにストーカーされて、松原家に居候させて貰った時が最初かな?」
沙織がそう口にすると、周囲が納得したように頷く。
「ああ……、確かにそんな事がありましたね」
「ご両親も同居してるとは言っても、やっぱり一つ屋根の下で過ごしたって事だし」
「そこで仕事中とは違う、プライベートな松原課長の姿を見てときめいたとか!?」
「ええと……、ときめきと言えるのかどうかは微妙だけど、お互いに勤務中では知り得ない、意外な姿を知った事は確かね……。それでまあ、まずは上下関係男女関係無視で、友人として付き合ってみようかという流れになったわけで……」
そこで沙織がなんとなく言葉を濁すと、周囲も怪訝な顔になり、その場を代表するように由良が問いを発した。
「はぁ? あんたがそう言ったの?」
「ええと……、私の記憶に間違いなければ、友之さんが。お互いに周りに既婚者が多くなって、気軽に飲みや遊びに誘える友人が減ったから」
大真面目に沙織が説明すると、由良は呆れ顔で溜め息を吐いた。
「……沙織の方から口説いたとは、思っていなかったけどね。何なの、その煮え切らなさ」
「だってその時点では、本当にお互い友人だとしか思っていなかったし」
「それなら、どうして付き合う事になったのよ?」
「まあ、その……、色々あって?」
「沙織……。それで私達が納得するだなんて、まさか本気で思っていないわよね?」
正直に一部始終を明らかにするには支障がありすぎる経緯であり、何をどこら辺まで口外するべきか一瞬迷った沙織だったが、由良に軽く睨まれながら凄まれた事で、話せるところまでは話しておこうと腹を括った。
「経過を簡単に纏めると、それから紆余曲折あって、ちょっとした誤解が積み重なった結果、『惚れるなら俺に惚れろ』と友之さんに押し倒されたの」
「…………」
「あれ? 由良、これじゃ駄目?」
端的に話を纏めると、何故か店内が静まり返り、意外に思った沙織は由良に確認を入れた。しかし次の瞬間、先程までとは比べ物にならない喧騒に包まれる。
「うわぁあああっ! 羨ましいぃっ!」
「そんな台詞、言われてみたい!」
「押し倒されたって、どこで!! まさか社内でですか!?」
「きゃあぁぁっ! リアルオフィスラブのシチュエーション!」
「涼しい顔で、勤務中にそんな事をしていたわけ!? やるわね!!」
「そうじゃなくて! 自宅マンションでです!」
大盛り上がりの女性達の間でとんでもない誤解が広がりかけた事で、沙織は慌てて否定したが、彼女達のテンションは高いままだった。
「それはそれで燃えるわね!」
「それで? それで関本さんはどうしたんですか!?」
「そうよね! どう考えても、雰囲気とかにあっさり流されるタイプじゃないし!」
「痛烈に肘鉄を食らわせたとか!」
「逆に松原課長を押し倒し返したとかは?」
「ありえる~!」
もう言いたい放題の周囲に怒る気力も無いまま、沙織は控え目に状況を説明した。
「ええと……、結論から先に言うと、肘鉄じゃなくて友之さんの顔に拳が入ったけど」
「はぁ? 沙織が松原課長を殴ったの!?」
由良が目を丸くして尋ねてきた為、沙織はそれを語気強く否定した。
「違うわよ! 偶々マンションを訪ねてきた和洋さんが合鍵で入ってきた時にその状態で、『俺の娘に手を出すな!』と問答無用で殴り倒しちゃったの! 不可抗力だから!」
その弁明を聞いて、その場全員が納得したように頷く。
「『和洋さん』って、関本さんに愛人疑惑が勃発した時に会社に乗り込んできた、あの娘ラブのお父さんの事ですよね!?」
「うわぁ、松原課長可哀想!」
「ちょっと。全然気の毒がっている顔じゃないわよ?」
「だって、その状況を想像してみてください。修羅場ですよ!」
「そうよね。舅との関係は、鉄拳制裁から始まったのか……。松原課長、プライベートは仕事みたいに上手く事を運べなかったのね」
「そうなると当然結婚が決まるまで、松原課長と一之瀬社長の激しいバトルが繰り広げられたとか!?」
「『激しいバトル』というほどの事では……。確かに父は、グチグチ言っていたけど……」
沙織が(和洋さん以外に揉めた事が色々あったものね)と思い返しながら答えると、周りも笑いを含んだ声で話を続ける。
「でも、もう入籍を済ませていますし、この期に及んでお父さんもあまり文句は言いませんよね?」
「課長のご両親との同居を始めてからそれなりの時間が過ぎていますが、特に問題は生じていないみたいですし」
「結婚生活が順風満帆みたいで、本当に羨ましいです」
「松原課長とも、揉めるような事はないんでしょう?」
そんな何気ない問いかけに、沙織は思わず首を傾げながら独り言のように呟く。
「揉める……、かどうかは分からないけど、現在進行形でちょっと腹を立てている事はあるかな?」
「え? 何よそれ?」
「子供の事」
「沙織……、もう少し順序だてて話をしてみようか」
端的に告げた沙織に、由良は頭痛を堪えるような表情で促す。それを受けて、沙織は真顔で話を続けた。
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