(7)ちょっとしたとばっちり

「私達はあの事件が起こるまで、事実婚の事実を社内にも秘密にしていたじゃない? だから必然的に、子供を作るのは先送りにしていたわけ」

 それだけで由良は、沙織が言いたい内容を理解した。


「なるほど。そうなるとそれが明らかになった現状では、特に出産を控える必要はなくなったわけだし、良かったじゃない?」

「それは確かにそうだけど、少し前から友之さんが『仕事の進捗状況がどうだ?』とか、一人でうだうだしていて苛々するのよ」

「沙織、話の流れが分からない。もう少し分かり易く、簡潔に話を纏めようか」

「だから、妊娠出産となったら当然私は産休に加えて育休を取得して、ある程度の期間、現場から離れる事態になるじゃない? それを私が嫌がるんじゃないかとか一人で変な方向に心配した挙げ句、子供についての話をどう切り出そうかと、悶々と悩んでいる気配がしているわけ」

「…………」

 僅かに渋面になりながら面白くなさそうに沙織が告げると、それを聞いた他の者達は一様に無言で顔を見合わせた。そんな彼女達を代表して、由良が溜め息を吐いてから呻くように言い出す。


「沙織……。あんたね、独身女性ばかりを集めた席で、なんて微妙なネタを提供してくれるのよ……」

「そう言われても……。丁度話の持って行き方をどうしようか考えていたところだったし。この際、広く他人の意見に耳を傾けてみようかと」

「確かにあんたの性格や行動パターンから考えると、考えなしに松原課長とそんな微妙な話をしたら、お互い感情的になって下手をしたらこじれそうね」

「そこまで直情的な性格ではないつもりだけど?」

 由良が真顔で頷き、沙織が憮然とした表情になる。するとこの間口を閉ざしていた周囲から、次々と声が上がった。


「でも、松原課長が悩むのも分かる気がしますよね」

「うん。関本先輩って傍から見ると、いかにも仕事一筋って感じだし」

「現に、職場に骨を埋めるとかなんとかの発言、以前にしていましたよね?」

「下手に話を持ち出したら怒られるか、嫌われるかするかもって本気で心配している感じがします。確かに関本さんは喜んで産休育休に突入するタイプには見えないし」

「だけど関本さんは、『自分ばかりキャリアが中断するのが嫌だから、子供は産みたくない』と主張するタイプでもないと思いますけど……」

「そうよね。まずはそこら辺を、先輩本人がどう考えているのか聞かせて欲しいです」

 そこで沙織の発言に耳を傾ける為に周囲が再び口を閉ざすと、沙織は困惑顔で考えながら意見を述べた。


「うぅ~ん、改めてそう聞かれると、この場ではっきり答えられないかな? 今まで子供が好きとか嫌いとか特に意識していなかったし、出産育児で仕事に支障が出るとかも考えた事もなかったから」

「昔から『案ずるより産むが易し』とは言うけれど、こればかりは第三者の立場から軽々しく言えないわよね」

 由良が難しい顔で呟くと、ここでどこからか声が上がる。

「でもこの場合の当事者って、関本先輩だけじゃなくて松原課長の問題でもありませんか? 今時、家事育児全般が女性だけの負担になるなんて、絶対おかしいですよ」

 その若手からの疑問の声に、由良を筆頭にその場全員が一瞬顔を見合わせてから口々に言い始めた。


「それはそうよね! うちの会社だと女性の産休取得に関しては問題ないし育休取得も進んでいるけど、社内男性の育休の話って聞かないよね?」

「たまに聞くけど、何日かとか何週間とか短期間の話だと思うわ」

「しかも松原課長は創業家の人間で現社長の息子だしここは一つ男性社員の模範となるべく、寧ろ率先して育休を取得するべきじゃないの?」

「同感。関本先輩、ここは一つ松原課長と真正面から向き合って、出産育児について熱く語り合うところですよ。これからの松原工業の発展のためにも!」

「そうよね。それを踏まえて吉村さん。男性の育休取得に関して、どう思われます?」

 そこで由良が唐突に話の矛先を向けてきたことで、吉村は面食らった。


「は? え? なんで俺!?」

「だってこの場に男性は吉村さんだけだもの。是非、忌憚のない本音を聞かせて貰いたいなと思って」

「いや、いきなりそう言われてもだな……」

 全く自分の事として捉えていなかった吉村は、本気で困惑した。そんな彼に、由良が質問を重ねる。

「それなら吉村さんは、家事育児は全面的に女性がする事で、女性の社会進出はそもそも間違っているいう、旧時代的な思考の持ち主なんですか?」

 若干目を細めながらの由良の問いかけに、吉村は内心焦った。更に周囲の女性達から冷ややかな視線を向けられているのを実感してしまい、慌てて弁解する。


「誤解するな! 間違ってもそんな風には思っていないぞ! 男だろうが女だろうが、活躍する場は平等にあるべきだろうし!」

「それなら、家事育児を女性任せにするのはおかしいと思っていますか?」

「ああ、当然だ! 出産するのは女性にしかできないが、その分男が育休を取得したり、普段の生活でも積極的に家事育児をサポートするべきだと思うぞ!」

 吉村がそこまで口にしたところで、由良が先程までの険しい表情を綺麗に消し去り、満面の笑みで宣言してくる。


「やった、嬉しい! 吉村さんが理解のある人で! 吉村さんが全面的にサポートしてくれるなら、私頑張って二人でも三人でも働きながら子育て頑張りますね!」

「どうしてそうなる! 俺は一般的な話をしただけで、あんたとどうこうって話はしていないよな!?」

「もう! 人目があるからって、そんなに照れなくっても良いのに!」

「照れてない!」

「由良、ふざけるのはそこまで。下手をすると、皆に危ないストーカー女だと思われるから」

 どう見ても悪乗りしている由良と狼狽している吉村を見て、沙織は呆れながら言い聞かせた。しかし周囲からは、楽しげな声が上がる。


「あ、関本さん、皆分かってるから大丈夫よ」

「そうそう、新川さんが吉村さんを一方的に狙っているだけよね」

「でも纏まってくれたら会長の座が空きますし、早めにカップル成立して欲しいんです」

「本当にそうよね。私達で全面的にサポートしようか」

「新川先輩、頑張って下さいね!」

「吉村さん、新川先輩は良い方ですから是非!」

「本当になんなんだあんたら! 勘弁してくれ!」

 そこで吉村の悲鳴じみた声が上がり、その場に和やかな笑い声が満ちた。


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